2007年9月30日日曜日

古書日月堂のこと


アルバムの納品スケジュールがじつはびっくりするくらいギリギリで、豆粒くらいのトラブルがあっても間に合わなくなるという切羽つまった内輪の状況はさておき、しとしとと、心おだやかな一日をすごしております。こんな日が300年くらいつづいたらいいのにと思う。

前回のアルバム、「1/8,000,000」を持っている希有な人はわかるとおもうけれど、あれはひどく変わったパッケージで、ジャケットを一枚一枚手で折り、ビニールの端っこをウチのミシンでカタカタ縫い、さらにぺたぺたとすべて手作業で封入するという異常な手間をかけながら、CD屋さんの棚に入ると薄っぺらすぎて誰も気づかない致命的な欠点を持ったあんちくしょうでした。(たしか1枚、コロッケの衣が入っちゃったのがあるはず)

いえ、それで、そうそう、せっかくだからここできちんと書いておこうと思ったのはそんなしょんぼりした話ではなくて、あの色褪せたジャケット、あれは記事を印刷する前の新聞紙を使っている、という…話はどこかでしましたっけね、そういえば。まあいいや、じゃあえーと、新聞紙(しんぶんがみと読みたい)は、印刷前のまっさらな時点ではまだ僕らのよく知るあの灰色ではないのです。ご存知でしたか?生成りで温かみのある色をしていて、生来の人柄の良さがにじみ出ているというか、紙ですけど。インクのせいか熱のせいか、印刷するとグレーになるのですね。長年知っている人の意外な側面を見るようで、こういう発見はうれしい。「プラケースなんかやだ!」というFLY N' SPIN RECORDS の微妙に細かいレーベル方針により実現した、おそらく誰も真似したいとは思わない逸品と言えるでしょう。しんぶんし使いたい!って言ったら、いつもニコニコのレーベルオーナーが暗黒街の闇ルートをたどって探し出してきてくれました。敏腕!ビンワン!はらぐろ!

いっぽう、製品としてプレスするまえのオリジナルのジャケットは、新聞紙ではなくて、切り貼りしたただの古い紙をキャンバスにしています。お化粧されたぴかぴかの紙にはない、長い年月を経たがゆえの貫禄と風韻が焼きつけられていますね。前者が沢尻エリカなら、後者は菅原文太みたいなものです。

しかし古い紙というのは、どこにだって転がっていそうな類いのものなのにちっとも手に入らなくて、それはもちろんそもそもが「売り物にならない」ものなので、仮に発見されても「あ、こりゃ使いもんになんねぇや」と放たれた矢のごとく一直線に破棄されてしまうことが多いのです。文句のつけようがない、至極まっとうな理由による帰結ではあるのだけれど、そういうのって僕みたいな経年フェチ ※注1 にはことばにならない口惜しさがある。できることなら、世界の中心で「捨てないで」と叫びたい。

僕がジャケットに使ったこの紙も、古い印刷所で、ものを置くための高さを調節する土台としてみじめな扱いをされてたものだそうです。みじめというなら、これくらいみじめなこともない。そんなきびしい境遇にあった紙々に、僕なんかをはるかに上回るこれまたいびつな情熱をもって救いの手を差し伸べたのが、古書日月堂店主、通称師匠 ※注2 でありました。だってこれもう茶色くなっちゃってるよ、こんなの何に使うの?と印刷所のおっさんに訝しがられながら、師匠が嬉々として(←ここがポイント)持ち帰った紙を、まるごと僕がゆずりうけることになったわけです。ずるいですね。すみません。

 *

一部の好事家の間では表参道のひそやかな聖域として崇められる古書日月堂ですが、古書といいながら力を入れているのはむしろ印刷物(printed material)です。ポスターとか、チラシとか、DMとか、包み紙とか、断裁前の切手シートとか、戦前の小切手帳とかね。小切手帳、今目の前にあるけれど、大正5年て書いてあるな…金壱百五拾九円也。リアルですね。

また、渋谷のロゴスギャラリーで印刷解体や、はては学校用品店というきてれつにしてツボをつく、蠱惑的な展示を企画したりと、次に何をしでかすかわからない、だからいつだって目が離せない、古書店ならではの……古書関係ないな。そんなお店です。そうして10月の半ばからはじまる次の企画展が東京. 町工場[まちこうば]よりなんだから、何をか言わんやというか、経年フェチここに極まれりというか、ムニャムニャ。機械の部品と工具を売る古書店がこの広い世界でここ以外のどこにあるっていうのだ。だから大好き。たれるよだれをふきながらロゴスへ行くよ!


話を元に戻すと、ジャケットのオリジナルは、紙の貼り合わせかたがちがう3つのバージョンが存在していて、1枚は僕が、2枚目はレーベルオーナーが、そして最後の3枚目を、このうるわしき日月堂店主がお店に飾ってくれています。くれているはずです。もうないかも!

というわけなので、ぜひ確かめに行ってみてください。師匠気まぐれだから、そのうちプイッとどっかへ行っちゃうかもよ。その前にね。


※注1:「長い年月を経たがゆえの貫禄と風韻」に対する、考えようによっては非常に不健全な嗜好をさす。ただし、アンティークマニアとは根本的な姿勢に大きなちがいがあり、そのへんを話し出すときりがない。

※注2: 自由で、気取りがなく、博覧強記で洗練された美意識とたしかな審美眼をもった、みつばちみたいに可愛い女性です。話をせがめば日が暮れるまでお話ししてくれる、情に厚い人でもあります。みつばちだけに、いつだって働きすぎなのが心配だけれど。

2007年9月29日土曜日

ピス田助手によるムール貝博士の消息 その1


 国際的と銘打ちながら日本では驚くほどローカルな立地でぽつぽつと営まれていたおいしいパンケーキレストランIHOP(※注1)が、いつのまにかすべて焼肉屋にとって代わられたという衝撃的な事実を知ったムール貝博士は、国道405号線沿いにあるワッフルハウス(※注2)のテーブルで、注文した5枚重ねのワッフルに手をつけることもなく、ただ窓に叩きつける雨を見つめていた。

 目の前には博士の身柄拘束にうっかり成功したICPOの職員が座っていた。彼もまた5枚重ねのワッフルをよそに、頬杖をつきながらうつろな目で窓の外をながめていた。こんな世界のすみっこで寸分たがわぬ喪失感を共有しながら、なおも敵対関係を維持するなんてことができるものだろうか?だいたいIHOPが焼肉屋だって?もっと気の利いた転身がありそうなもんじゃないか!小麦粉はどこへいったんだ?

 閑散とした店内に、ラジオから流れてきたアン・ピーブルスの歌声が響いた。追う者と追われる者のために5枚ずつ積まれた計10枚のワッフルはしずかに、そしてしょんぼりと冷めていった。

I can't stand the rain
'gainst my window...
Bringing back sweet memories...


ウェイトレス談:「誰でも言葉にならないかなしみを抱えるときがあるものよ。わたしにできるのは、ここでいつもどおりのワッフルを焼くことだけ」

注1: IHOP International House Of Pancakes の略。なぜかランダムハウスの英和辞典にも載っている。
注2: WAFFLE HOUSE どんなメニューにも強制的にオレンジジュースがくっついてくるので、コーヒーを注文しづらい。

2007年9月28日金曜日

エレガントにサボろう


こう言っては何だけれど、僕はきれいなウソをつくことに日頃からけっこうな労力を注いでいます。これは仕事とか、しちめんどくさいあれこれをいかにエレガントにサボるか、という積年の研究と密接に結びついており、そのくせいまだ大したメソッドも得られない永遠のテーマのひとつです。

だって働きたくないのだ。

でもそう声を大にして言ってしまうと、一応社会的には大人扱いされているので(しかもわりといい年だ)誰も口をきいてくれなくなったり、ゴハンが食べられなくなったりといろいろ厄介な波紋を広げてしまいかねない。世知辛いですね。

きれいなウソというのは、劇的ではなく、かつ周囲の同情をひき、それでいてじぶんが考えてたのしいものであることが必須条件です。劇的ではない、というのは「自然に」とはちがって、多少の事件性を帯びていなければいけません。仮病はいざ実際に病気になったとき、オオカミ少年みたくかなしい結末を迎えることが容易に想像できるので、なるべく避けたい。具体的な例をあげると、たとえば「トイレがあふれた」とかそういうことです。ありうる。それから周囲の同情をひく、というのは、「この件に関してはあまりふれてほしくないのだ」という雰囲気をさりげなく漂わせておくことで、わりとすぐに過去の出来事にしてもらえる効果があります。あと、じぶんが考えてたのしくないと、うしろめたさが精神的な負担としてのしかかってくるのです。ガッデム。せっかくすっぽかすのなら、きもちよくすっぽかさなければ意味なんてない。

だいたいウソはいつだってディテールがたのしい。トイレがあふれて業者を呼ぶ、という設定なら業者のひどい対応とか、あふれた水はどうなってしまったのかとか、アパートの他の階の状況だとか、202号室は空室のはずなのにときどき声が聞こえるとか、あの部屋だけ何年も空室になってるのはなぜかとか、管理人が急激に小太りになっちゃってアラどうしたんですかとか芋づる式に出来上がるストーリーがたのしくなくて何が人生だ!

そうして必要以上に積み重ねられた設定が緻密であればあるほど、のちのち不意にポロッとボールを投げられてもカキンときれいに打ち返すことができるのです。きれいというのは、そういうこと。

ぜんぶバレてる?それもありうる。でもしかたないな。

だって働きたくないのだ。

他にどうしたらいいっていうんだ?

2007年9月27日木曜日

銀無垢のジッポーと損する幸運


よく考えたらきのうは僕のアルバム発売にアクビで応えるクールな母親の誕生日でありました。月見て団子食ってる場合じゃなかった。

 *

前ぶれもなくフラリとどこかへ消えては、忘れたころにまたフラリと帰ってくる、そんなあるかなきかの微妙な絆を描いた曲(女と紙屑/a miserable day for coelacanth)が今回のアルバムには収められているのだけれど、男女に限らずじぶんの持ち物にもこういうことってよくある。

僕の場合、ハタチくらいのときに月の生活費の1/3くらいをはたいて買った銀無垢のジッポーがそれで、何度なくしてもその都度戻ってくるから、くされ縁にも似た親しみを感じていたものでした。

今はもうないです。あるときまた姿を消したので、何度もあることだったしまた戻ってくるだろうと高をくくってあんまり気にしないでいたら、結局それきり帰ってきませんでした。なくして数ヶ月後にようやくガク然とする衝撃の遅さが、抱いていた安心感の大きさを物語っていますね。トリケラトプスみたいだ。でもこういうこともやっぱり、人生ではたぶん往々にしてある。

ジッポーは数年後にまた買いました。デザインはちがうけれど、やっぱり銀無垢です。前のよりずっと気に入ったので、大事にしようと努めていたはずが、あるときケンカで怒り心頭に発して床に叩きつけたら再起不能になりました。腹を立てるだけならともかく、その上ものを投げるというのは僕にとってとても珍しいことなので、その残骸は記念にとってあります。

しかしまあこうなると何というか、よほどのことでもないかぎり、三たびジッポーを買おうという気にはなかなかならない。ですよね?くされ縁と言いながら、むしろ縁なんか初めからなかったんじゃないかという気もしてくる。

と思っていると、外苑前の道ばたでジッポーを拾ったりするから呆れる、というのがじつは今日の本題です。しかもおそるおそるジッポーの底面をみたら、「sterling」と刻まれていて、ああ、これ銀無垢じゃないか。もらっとこう。

結局のところ、こういう思い入れのない拾いものが却っていつまでも失くならずにある、というのもまた人生ではよくありそうなことで、なんだかふくざつなきもちだ。

それはそれとして、ねえ、仮に自分にはさほど重要ではない高価(あるいは希少)なものを拾ったとき、それは幸運と呼んでいいんだろうか?アニヤ・ハインドマーチのエコバッグとかね。売りとばせばいいのかもしれないけど、それはそれで冥利がわるい。それでもそれを幸運と呼ぶのなら、運をムダに使ってしまった気になるのはなんでだ?幸運なのに損するなんてへんな話じゃないか、とかそんなことをつらつら考えながら、拾ったジッポーで煙草に火をつけて一服しているのです。

2007年9月26日水曜日

under the willow と月見団子



A Hundred Birds の一員であり、SUIKAのリーダーであり、日本を代表するツルンとした坊主のひとりでもあるカズタケさんのソロアルバム、「under the willow」の制作がいよいよ大詰めを迎えているもようです。

黒光りする極道なリズムと、繊細なメロディが同居した、ほんとうにカズタケさんそのものと言っていいアルバムです。彼のなかには美女と野獣が住んでいるのだな。それにしても僕が鉛筆を削っている間に小説を1冊書き上げてしまうくらいの働き者だ。(このちがいは何なんだろう?)

僕もトラックで1曲参加しているのだけれど、これ参加っていうか、畑でとれたたまねぎを渡したら、マリネになって帰ってきたようなもので、ほっぺたが地面にスパーン!と高速で落下するほどの美味に仕上がっております。

試聴できる(らしい)よ!→http://www.kaztake.com

らしい、というのはつまり、ウチのFLASHプレイヤー、バージョンが古くてトップページより先へすすむことができないからです。ドレスコードで引っかかって入店を断られたみたいだ。この扉の向こうはムチムチプリンて感じで楽しいことになってるにちがいないのに…

あきらめてとぼとぼと家路につくわたくし。ふと空をみたら月が明るくて、いうたら今日は中秋の名月であったと思い出し、月見団子を買って帰りました。ベランダの前は古民家で区の保存樹林がもさもさと枝を高く伸ばしているので、葉っぱの隙間からのぞく月を眺めながら、お茶とともに団子をほおばる9月の終わりです。秋口に鳴る風鈴もいいんだ。

2007年9月25日火曜日

詩人の刻印


小林大吾 2nd Album「詩人の刻印」
2007年11月7日リリース
FNSR-006 ¥1,890(本体¥1,800)
初回限定パッケージ
+ブックレット仕様


それでなくとも歩みが人一倍おそいみたいなので、一時は発売どころか完成自体が非常に危ぶまれた、2枚目のアルバムがようやく、発売の運びとなりました。2年以上もの間大した活動をしていたわけでもなく、また夏まっさかりの時点で半分くらいしかできていなかった(!)ことを考えれば、まったく奇跡的な仕上がりです。

生来の出不精とものぐさが災いして、とりまく環境はほとんど何も変わっていません。相変わらずのんべんだらりとしているし、とくべつ輪が大きく広がったわけでもないし、ともするとあっさり家なき子へと転落しかねない不安定な暮らしも以前のままです。なんてこった!と頭を抱える日々も前と同じくらい、ふつうにある。

それでも

こんなふうに出来上がるものがあるのなら、たとえひとり歩む道の先にだれかの待つ気配がなくとも、とりあえずもうちょっとこのまま歩いていってみようかという気持ちがずいぶんと強まりました。

これは僕の書く詩のひとつの形です。

そして何よりこれがいちばんだいじなことだと僕は考えているのだけれど、僕はこのアルバムを本当に、気に入っています。受け入れてもらえる自信はなくとも、これが小林大吾なのですと胸をはることはできる、そんな作品になりました。

また、音源だけではじつはあんまり意味がありません。
ブックレットを手にすれば、きっとそれがわかるはずです。
それは単なるリリックブックでは、ないのだ。

あなたによろこんでもらえますように。

 *

このブログでは、どうだっていいような雑感の山にときどきだいじなことをひょいと忍ばせながら、なるべく長くつづけるつもりでぽつぽつとわたくしごとを発信していきます。耳を傾けてくれるあなたに向けて、息災ですと手をふる代わりに。