2015年5月30日土曜日

世界に誇れる「カワイイ」のぴちょぴちょぶりについて


2014年のごくごく私的な企画展ランキングにおいて、その圧倒的な企画力から問答無用で首位をかっさらった「毒毒毒毒毒毒毒毒毒展」以来、決してその動向を見逃してはならないと脳裏に焼き付けられたサンシャイン水族館@池袋が次に打ち出した特別展がこれであることは以前さりげなくツイートでもふれました。


ネーミングも冴えてるし、グラフィックもキュートだし、マンジュウイシモチをイメージキャラに抜擢してその模様を「いちごパンツ」と表現する視点もすごくいい。いったいどなたがプロデュースされているのか、フライヤーひとつ取っても「毒毒毒毒毒毒毒毒毒展」と同じく他の水族館企画とは一線を画すクオリティであることは一目瞭然です。

しかしその一方で、一抹の不安がよぎります。何だかイイかんじにまとめられているけれども、結局のところこれは「カワイイ魚あつめました」というだけなのではないのか?どちらかというと感嘆すべきはシンプルな下地を華やかに仕立てるスゴ腕のメイクさんみたいな演出であって、企画それ自体は「毒毒毒毒毒毒毒毒毒展」と比べて若干のぬるさが否めないのではないか?とまあそんな気がして、3月初旬から開かれていたにもかかわらず、カワイイカワイイ!と騒ぐだけ騒いでそれきりなんとなくうっちゃっていたのです。期待値が高かっただけに、しょんぼりしたくなかったのかもしれません。

とはいえそろそろ期間も終わりも近いし、近所で歩こうとおもえば歩いていけるし、そもそもそんな過大な期待を抱くほうがどうかしていると話のタネにてくてく足を運んでみたところ、その不安は杞憂どころか「なぜもっと早く行かなかったんだ」という後悔にスパンとひっくり返りました。

結論から言うと、主旨としてはやはり「カワイイ魚あつめました」でまちがいありません。したがって特筆すべきは演出であるという点もまたなんとなく抱いていた印象のとおりです。違いがあるとすれば「まさかここまでとはおもわなかった」という一点に尽きます。演出の力をここまでまざまざと見せつけられたことはかつてありません。意匠の細部まで凝りに凝りまくって観る人の度肝を抜くその突き抜けっぷりたるや、感動的ですらあったと申せましょう。はっきり言って鼻血がぶーと吹き出すレベルです。

だって一歩足を踏み入れたら、こんなことになってるんだよ!


お忘れかもしれませんが、ここは水族館です。企画展なんだから好きにしたらいいようなものだけど、それにしたってこれはと放心させられます。BGMもきゃりーぱみゅぱみゅだし、隅から隅までつくりこまれた「カワイイ」の徹底ぶりには一分の隙もありません。つまらない早合点で高をくくって本当にゴメン……!!サンシャイン水族館はやっぱり期待を裏切らなかった……!!

鏡の部分が水槽です

藻くずを背負うモクズショイ







がちゃがちゃのケースからちっこさがわかるミナミハコフグ




「毒毒毒毒毒毒毒毒毒展」において他所とはひと味ちがう企画力を見せつけたサンシャイン水族館は、このたびの「ぴちょぴちょカワイイ展」でその抜きん出た演出力を証明したと言ってよいでしょう。前者では若干の物足りなさにつながっていたコンパクトな規模が、今回は逆にカワイイの説得力を高めていると感じられるくらいです。今後の特別展が一見いかにピンとこないものであってもスルー厳禁であることがこれではっきりしたので、たぶん次のジュラシック水族館にもいそいそと出かけることになるとおもいます。

それはそうとちびっこがいっぱいいるなか、ひとり中年のおっさんがジャマくさい動きばかりして申し訳ありませんでした。

2015年5月27日水曜日

折れぬ先の添え木を探しにちょっと森まで


去年できたスーパーが台風の目となって近郊のスーパー同士の鍔迫り合いが始まったことがよくわかる折り込み広告の比較とその学術的考察についてしたためるべく入念な準備を進めていたのですが、延々と字数を費やすだけの甲斐が見出せない、もしくは果てしなくどうでもいいことに気づいてしまったので予定を急遽変更し、ここで渺々たるニュースをお伝えします。

アピールもままならずにあれからしーんとしずまり返っていたオントローロ-01(5/31)のほうに1名分のキャンセルが出たもようです。5日後とあってはさすがにこう申し上げるのも気が引けますけれども、お時間がありそうでしたらぜひご参加くださいませ。


-01:2015/5/31(日)→お申し込みはこちらから! SOLD OUT…


この勢いでキャンセルがどたどたと相次いでいざ当日を迎えてみたらFlying Booksがもぬけの殻、みたいなことになっても心がポキッと折れたりしないように、今から心に添え木でもしておこうとおもいます。どうかどうか、たのしい時間がすごせますように。


2015年5月24日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その212


オイッスは目にして!さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)ザ・ヴィーナスのヒットシングル「キッスは目にして!」のいかりや長介バージョンですね。


Q: 「どうしても苦手なもの」への折り合いはどう付ければ良いでしょうか?昔っからアニメが物凄く苦手です。何というか女性キャラのハイトーンボイスを聞くと、イラッとするというか、何かゾクッとするというか…小さい時から、家族含め周囲の女性の声がハスキーボイスの人が多く、あの様な高音に免疫が無いのです。ただ、会社等ではアニメ人気がすごく、気づいたら会話から置いてけぼりを食らうこともしばしば…なにか良いアドバイスをお願いします!


たとえば僕は体長2ミリ以下の虫の大群がものすごく苦手ですが(虫自体はすきです)、これとどう折り合いをつけるかと言ったら「なるべく近づかないようにする」くらいしかありません。もし何かの拍子に近づいてしまったら「慌てず騒がずそっと立ち去る」ことにしています。普通じゃねえかとお思いでしょうが、折り合いをつけるというのはせいぜいこういうことです。というか、ここでうっかり克服の方法を訳知り顔で語ったりしたら、同じ論理で僕もアリの大群と向き合わされることになりかねないので、迂闊なことは言えません。(念を押しておきますがアリ単体はすきです)

ただ、一方でここには大きな固定観念が潜んでいるようにも見受けられます。なんとなれば、アニメにおける特有のハイトーンボイスは単なる要素のひとつであって、それ自体がアニメを表しているわけではないからです。ここで言うハイトーンボイスが具体的にどれくらいのハイトーンなのか、たとえば「ワカメちゃんはNGだけど花沢さんはOK」とかそのへんがはっきりしないのでアレですが、仮に秋葉原をてくてく歩いていると耳にするようなトーンがそれに当たるとして、それでもそうした声が一切含まれないアニメはたくさんあります。少なくともある特定の発声が苦手だからといって、即アニメが苦手とイコールで結ぶことはできません。それらはまったく別の問題です。

なのでまず、そのふたつをすっぱりと切り離してみましょう。それだけでもアニメに対するハードルはぐっと下がるはずです。よほどの偏見がないかぎり、お気に召すアニメはきっとあります。

アニメの魅力がわかればそこから先はオイッスは目にして!さん次第です。その魅力がハイトーンボイスへの抵抗感をあっさり上回るかもしれないし、やっぱり全然ダメかもしれない。僕自身はアリの生物学的な面白さや美しさを知ってもその大群に対する抵抗感はとくに変わらなかったので、何とも言えません。

でもこのケースにかぎらず、日常会話において置いてけぼりを食らうことは往々にしてあります。そんなときは「ふむふむ」「へー」と相づちを打っていればよいのです。何ならこちらからあれこれ質問してみてもよいでしょう。僕も乃木坂46のファンの人(筋金入り)とある会で同席して最初は何の話をしているのだかちんぷんかんぷんでしたが、ここぞとばかりに気になることを尋ねていたらいつの間にか見方が180度変わりました。身を置く環境によってはむちゃくちゃハマっていても全然おかしくなかったとしみじみおもいます。見方が変わっても足を踏み入れずにいるのは僕の場合それで身を滅ぼすことが容易に想像できたからです。あんまり思い出さないようにしていたのに、おかげで何だかもやもやしてきちゃったじゃないですか。

しかしまあ、知らずにいた魅力を知るというのは、その対象が何であれエキサイティングなことです。

いい機会なので、なんとなく手を伸ばしづらいけど観ればそのスゴさがわかるアニメの一例として、以前プロデューサーの古川さんから教えてもらった「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」の第40話(「どれみと魔女をやめた魔女」)をオススメしておきましょう。ファンの間では最高傑作とも謳われる一編ですが、ファンでなくともここで描かれる世界の文学的な奥行きには圧倒されるはずです。(またこの回の演出を務めているのが「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」の細田守監督であると申せば、それだけでハッとされる方もありましょう)


A: アニメに罪はありません。


あと、これはどうでもいいような私見ですが、アニメ特有のあの声は日本が世界に誇る発明のひとつだと僕はおもいます。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その213につづく!

2015年5月21日木曜日

オントローロと宇宙空間に放り出される強迫観念

御苑からタイガー出てきた


言葉じたいが持つリズムやそれを声に乗せるリーディングのおもしろさ、ひいては詩というフォーマットの可能性を押し広げてくれる人がどこかにいるにちがいない、と10年以上ひとりで大海原にぷかぷか浮きながら待ってはみたもののそんな受け身の姿勢に出会いなどあろうはずもなく、気づいたら取り返しがつかないほど遠くに流されてしまったような印象もあるので、ここはひとつ自ら漕いでどこか陸地に辿り着かねばなるまいと腹をくくって重たすぎる腰を上げたのがつまりオントローロなわけですけれども、きもち的にはいつにも増してウェルカムでカモンジョイナスなはずが席数の制限によってこれ以上のアピールが憚られるようなことになってしまい、アレこれ広めるどころかむしろますます排他的な印象が強まってるんじゃないの……?

「何を言うんだ漕ぎ出す前から弱気でどうする」
「でも先輩、わたし不安で……」
「これからじゃないかしっかりしろ」
「もしひとりぼっちのままどこにも辿り着かなかったらとおもうと……」
「きっと辿り着くさ、じぶんを信じるんだ」
「怖いイメージが消えないんです」
「怖いイメージってどんな」
「2001年宇宙の旅とか……」
「宇宙空間に放り出されたフランクのことだな」
「ゼロ・グラビティとか……」
「宇宙空間に放り出されたマットのことだな」
「ジョジョの第2部とか……」
「宇宙空間に放り出されたカーズの……ぜんぶ同じじゃないか
「怖いんです」
「そんなことばかり考えてたら怖くもなるよ」
「どうしたらいいのかもうわからなくて……」
「泣くな」
「ニヤリ」
「笑うな」
「じゃあどうしたら……」
「カーズは考えるのをやめたらしいぞ」
「それができれば悩んだりしないですよ」
「うん、まあ、そうだな」

という不毛な小芝居を脳内でエンドレスに演じるのもさすがに疲れてきたので、遠からず開かれる予定の「01」以降のオントローロをたのしみにしていただくためにも改めてそのポイントを記しておきましょう。

今のところオントローロ限定の演目があることは先にも申し上げましたけれども、それとは別に「処方箋」の立役者タケウチカズタケによるリミックスが3曲あります。どれもびっくりするくらい雰囲気が異なるので、イメージががらっと変わること請け合いです。これらを一度にすべてではなく、毎回ひとつずつ披露していくことになりましょう。そしてそうなるとやはりいずれは御大にドカンとご登場願わなくてはなるまいし、そうなったらあんな曲やこんな曲もご一緒できたりしてワァたいへん!

…になったりしたらいいなあ……

(遠い目)

(そして他力本願)

他にも皿回しや瓦割り、マグロの解体、人体消失マジック、ちゃんちゃんばらばらと華麗な殺陣、キャットファイト、素潜り、空中ブランコ、エクストリームハンモック、あやとり、スパルタンレース、早食い、ダイナマイトによる発破、流鏑馬、ダウジング、枝毛探し、屈伸、ベーゴマ、インサイダー取引、壁ドン、エネループの充電、(๑•̆૩•̆)、おちゃらかほい、アルカンの「鉄道」、なんかはまあ、あったらおもしろいけど関係ないのでひとまず忘れて脇に避けつつ、ビートにきちっとハメこんできた言葉からビートを取っ払うとどんなリズムが残るのかといった、およそ他では味わえない言葉のたのしみ満載で回を重ねるごとにたのしくなっていくはずなので、「そんなのクソだ」とか身もふたもないことを仰らず、どうか「01」以降もよろしくお付き合いくださいませ。

あと、いっぱい刷ったのでこれも毎回ついでに販売します。

ミニポスター(ナンバー入)。

2015年5月18日月曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その211


レオナルドがピンチさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)



Q: 納豆やカップ焼きそばのタレの袋に書かれた「こちら側からならどこからでも開きます」は、誤表示に当たらないのでしょうか?


太古の昔から多くの先人とその食卓を混乱に陥れてきた問題のひとつですね。ここではより一般的な文言とおもわれるこちら側のどこからでも切れますで考えてみましょう。僕もこれまでこの問題には幾度となく煮え湯をのまされています。袋より先に僕がキレることもしばしばです。

しかしもちろん、これは誤表示にはあたりません。なんとなればここには「手で」とはどこにも書かれていないからです。「歯で」なのか「はさみで」なのか「レーザーで」なのかはたまた「気合いで」なのか、個人的には最後のが好きですが、どうあれその可能性は無数にあります。それどころかことによるとそもそも省略されているのは「○○で」という修飾語ではなく、たとえば「指が」という主語のほうかもしれないのです。

「こちら側のどこからでも(指が)切れます」

この可能性において、いまだかつてタレの袋で指を切った例がないとすればそれは単なる結果論にすぎません。切れるとあるのに(指が)切れていないのだからむしろその幸運、もしくは袋の慈悲深さに感謝すべきです。食事のたびにしたたる鮮血で食卓が真っ赤に染まっていたかもしれないことを考えると、背筋が凍ります。袋がサディスティックでなくて本当によかったとおもう。

また、当初のシンプルな可能性に戻って仮に「はさみで」が省略されていたとしましょう。この場合問題になってくるのは、道具の使用が前提ならどこからだって切れそうなものなのに、なぜ「こちら側」に限定されているのかという点です。

ところがこれも単にそう見えるというだけであって、実際には限定されているわけではありません。ここで言及されているのはあくまで「こちら側についての話」であり、あちら側やそちら側がどうかということについてはいっさい触れられていないのです。そしてもちろん、こちら側が切れるからといって、イコール「あちら側が切れない」ことにはならない。ですよね?したがって本当はあっちでもそっちでもかまわないんだけれども、じゃあどこから切ったらいいんだと迷うのも気の毒なので、じゃあこっちにしておきなよというひとつの目安としてこの文言は書かれている、と僕はおもいます。

親切と言うよりは余計なお世話にちかいし、だとしたらわざわざ書いておくほどのことでもないような気がするけど、言わなくていいことを言ったり書かなくていいことを書いたりなんて、SNSの例を挙げるまでもなく世の中にはそれこそ腐るほどあるものです。気にする必要はありません。


A: 曖昧な言葉に惑わされないようにしましょう。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その212につづく!

2015年5月15日金曜日

その名の「do」はいかにして「to」に戻されたか


ローマ字表記のところがシールみたいになっているのは、この交差点の名がちょっと前まで「Takatobashi」ではなく「Takadobashi」だったからです。

僕が知るかぎりでも十数年前からこの交差点は「Takadobashi」だったから、おそらくここに信号機が設置されたそもそもの初めから(いったい何十年前だ?)ずっと「Takadobashi」だったに相違ありません。

「高戸橋」は交差点の北側にかかる橋の名です。橋にはひらがなで「たかとばし」と刻まれています。高田と戸塚を結ぶから高戸橋であって、じっさい橋にでかでかと書いてあるのだからこれはもう、議論の余地なく「たかとばし」です。それがなぜ数十年の長きにわたって「Takadobashi」になっていたのか?僕もこのへんの地理にそう明るいわけでもないし、訂正されるまでずっと「たかばし」だとおもっていた口です。

単純に考えれば誤発注ということになりましょう。しかし誤発注ならとっとと再発注すればいいし、肝心の読みがまちがっているのだからむしろしなくてはならないはずだし、だいたいテープで上からぺたっと貼るだけならやろうとおもえばそれこそとっくの昔にできたはずです。ローマ字表記がローマ字表記の意味をなしていない(!)のにそれをせずにいたということは、最近まで気づかずにいたか、でなければとっくに気づいていたけれども火急ではないと後回しにされていたかのどちらかしかありません。まちがいと言ってもふつうに通じるし、支障もない。タスクとしての優先順位が低いのもなんとなくわかります。

そしてご覧のとおりこの信号、LEDです。つまり電球式から信号機自体を一新する機会があったということであり、訂正するならこれ以上のタイミングはありません。にもかかわらずやはりスルーされています。このタイミングで差し替えたプレートが間違っていた可能性もありますが、テープが貼られたのはわりと最近のことであり、なぜそこに年単位のタイムラグが生じるのかという疑問は消えません。

そんだったらもうそのまま未来永劫「Takadobashi」でいってくれよ、と僕はおもうのです。地名としては「たかとばし」だけど、交差点の名は「たかどばし」でいいじゃないか?何か問題があるのか?ないからずっと放置されてきたんじゃないのか?なぜ今ごろになってシールで応急処置を施さなくちゃいけないんだ?数十年後に応急って、ぜんぜん応急になってないじゃないか。それに今となっては「たかどばし」で認識している人のほうが断然多いはずだし、数十年それで通してきたのならこの交差点においてはむしろ「Takadobashi」のほうにこそ正当性が生じそうなものです。それでもなお訂正する必要があるとしたら、その理由はなんなんだ?

オリンピックがあるからじゃないのと言われて納得しかけたけど、訂正しないと困ることがあるかといったら何ひとつ(何ひとつです)ありません。TakatobashiだろうがTakadobashiだろうが「ああ、高戸橋ね。はいはい」で済むじゃありませんか。そういうわけにいかないと言うなら、応急処置なんかで済まさずにせめてちゃんとネームプレートを差し替えたらどうなんだ。意味があるようなないような煮え切らない仕事をしやがって!

とまあそんな埒もないことを、この交差点を原付でぶーんと走り抜けるたびに悶々と考えるのです。

2015年5月12日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その210

警察署の真正面がこんなんなってたら何があったとおもうよね、それは


ジャン・リュック・権田原さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: もうすぐ20歳だというのに、未だにガキが好きそうな映画ばかり観ています。好きな食べ物はオムライスとグミです。お洒落な大人になるにはどうすればいいですか?


高校生のころの話ですが、べつに恋仲でも何でもない女子(たしか年長の彼氏がいたはず)と「ベティ・ブルー」というフランスの恋愛映画を観に行ってたいへん気まずい思いをしたことがあります。ググってもらえればわかるとおもうけど、すこぶる退廃的で愛欲に爛れたヘビー級の作品です。ラブというにはあまりにハードだし、人生の苦みを知ったいっぱしの大人ならともかく、溌剌としたティーンがポップコーン片手に鑑賞するような映画ではまずありません。いったいどんな経緯で恋仲でもない同級生とそんなものを観ることになったのか、ぜんぜん思い出せない。おぼえているのは観終わったあとの言葉にならない戸惑いだけです。

また同じころ、仲の良かった男子と連れ立って「紅の豚」の封切に足を運んでいます。僕も観たかったし、じっさい観てよかったし、今もジブリのなかでは好きな作品なのだけれど、エンドロール後にふと隣の友人を見やるとスクリーンを見つめたまま帰ろうとする気配がなく、しかたがないのでシートに身をうずめていたらそのまま次の上映に突入してしまい、こっちはこっちで「なぜ帰らないんだ」と言い出せず、けっきょくフルで2回観ることになった、これもまた忘れられない映画のひとつです。彼がジブリを好きなのは知っていたけれど、まさか連続で2回観るのがデフォルトだとは夢にもおもわなかった。

この対照的なふたつの映画体験と現在の僕とを照らし合わせてみて言えるのは、鑑賞する映画の種類とお洒落な大人との間には当然、まったく、些かも関連性がない、ということです。もし何らかの因果関係があるなら、今ごろ僕は酸いも甘いも噛み分けたシルブプレな大人か、でなければブタになっていなくてはなりません。

オムライスやグミにしたって好きなものは好きなんだから堂々としていればよろしい。問題があるとすればむしろ抱える必要のない引け目を抱えることのほうだと僕はおもいます。「ベイマックス」だって大人向けでは決してないとおもうけど、最高だったじゃないですか?

では肝心の、お洒落な大人になるにはどうすればいいかですが、それはお洒落な大人に訊いてください。ただ仮に首尾よくいったところでその先に待つのが「ちょいワルおやじ」「やんちゃジジイ」なのだとしたら、果たして本当にその甲斐があるのかどうかをもうすこしよく検討してみてからでもおそくないですよ。


A: お洒落な大人などくそくらえです。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その211につづく!


2015年5月9日土曜日

お話変わって(Now for something completely different)

ロベール・ドアノーみたいな1枚

今日(というか昨日)はクリープハイプのツアー最終日@NHKホールにお邪魔してきたのです。本当は昨日(というか一昨日)の約束だったのにあろうことか時間に間に合わず、終演間際になってどたばたと駆けこみ、ひたすらぺこぺことお詫び申し上げ、そのまま踵を返して退散、ムリを言って翌日、というのはつまり今日のことですが、何ごともなかったかのようにしれっと会場入りして3500人の汗と涙と黄色い歓声をシャワーのように浴びまくり、ウォーでキャーなワーを堪能してまいりました。おそるおそる例のTシャツの売れ行きを聞いたらこれまでの枚数記録を豪快に塗り替えたとの由、ホッと胸を撫で下ろして帰路についた初夏です。ホールツアーからお目見えしたはずのTシャツをすでにけっこうな数の人が着てたということは、あれみんなリピーターだったのか……。

ホントにこんなだった

3階席のいちばん後ろでそわそわ立ち見してたのだけれど、どちらかというとぴちぴちしたファン層が多数を占めるなかひとりサラリーマンぽい男性がいて、たぶん彼女といっしょで、すごく楽しそうに手を振っていて、ちらりと見えた彼の表情ははちきれんばかりの笑顔で、ふと周りを見渡すとみんな同じような多幸感にあふれていて、そんなのを見ているだけでも胸がアツくなりました。一生に一度でも、誰かをこれくらい目いっぱいしあわせなきもちにすることが果たしてあるかしら、と考えたらそれは涙腺もゆるみます。満ちる空気はどこまでもやさしく、まぶしく、温かく、そして美しかった。


さて、お話変わって(Now for something completely different)これに比べたらプランクトン並みのスケールで切り出すのもためらわれるものがありますが

みたび5月31日のオントローロ -01に1名分の空きがでました。  SOLD OUT

キャンセルのキャンセルがさらにキャンセルと自ら煽っておいてなんですが、こうなるとさすがに気が引ける、というか僕が挫けるのでこれ以上は完売になろうと撤回になろうと胸に秘めおくことにいたします。(キャンセルになると予約ページが購入可能な状態に戻るようです)二転三転して本当にごめんなさい。よろしければご参加くださいませ。

しんみり。

ていうか誰がプランクトンだコラァアア!なんなら食物連鎖を根底から崩すぞこのやろう!


冒頭のつづき(R指定)

2015年5月6日水曜日

オントローロ -01 何食わぬ顔で完売撤回のお知らせ

この日はずっと裸足でした

実際にはパッと見の印象ほど多くの引き合いがあるわけでもないからできればことあるごとにアピールしたい、でも席数が限定だと売り切れた時点からその話がしづらくなる、というゆるいジレンマにもやもやしていたら、-01(5/31)のほうに若干のキャンセルが出たもようです。何かをキャンセルすることにかけては並ぶ者がないと言われるムール貝博士の名を冠したブログだけのことはあります。まだ間に合いますのでよろしければご参加くださいませ。

-01:2015/5/31(日)→お申し込みはこちらからSOLDOUT...


しかし完売直後のあの苦悶は何だったんだろうとバツのわるさを弄びながら、ぽつんと立ちすくむ週の中日です。こうなると当日まで完売と撤回のコールアンドレスポンスがつづく可能性がなきにしもあらずですが、まああんまり深く考えないでおきましょう。のんびりお待ちしています。おいでませ!


あとちょっとした野暮用のついでにゴジラを見てきた。


この頭だけで12メートルあるらしいよ!

2015年5月4日月曜日

オントローロ -01 & 00 完売御礼と樹上のGW

方々でじゃらじゃらと黄金の鳴る音がするGW、みなさまいかがお過ごしでしょうか。わたくしは体内の野性味がすこし不足していたので、クヌギの樹上でごろごろすごしております。

いまだに手ごろな木をみつけると靴を脱がずにいられない中年


ちなみに去年の今ごろは何をしていたかともうしますと振り返るまでもない、ド修羅場の渦中でブログも4月の後半から20日ほど空白になっていて何ひとつ記してありません。ふれるそばからぼろぼろ崩れる古紙の山に囲まれて半死半生の体たらくだったあの悪夢のような日々にくらべたら今年は天国のようです。汗ばむ陽気と花水木が薫風に激しくゆれる、激しくというのは往来で転がるカツラをおじさんが追いかけてくるような強風だったからですが、ともあれまったくありがたい日和でございましたな。
 
「オントローロ -01 & 00」もぶじ完売と相成りました。本当にありがとう!そしてまたの機会となってしまったみなさまにはまことに面目ありません。僕としてもぷらっと気楽にお越しいただけるフレンドリーなプロジェクトであることを周知したくてせっせと宣伝用のグラフィックまでこしらえたのに、まさか数日でこの話題にふれるのが憚られるような事態になろうとは露も思いませなんだ。来たとおもったらもうしーんと静まり返って、気がつけばそんな話は初めからどこにもなかったかのようなありさまです。こうなったら意味があろうとなかろうと可愛いという理由だけで折にふれてはシールみたいにちょいちょいぺたぺた貼っていこうとおもう。


とはいえ半日で売り切れてしまうような極端なケースはさすがにこの先もうないはずだし、そう日を置かずに「01」をご用意できるとおもいますので、どうか今しばらくお待ちくださいませ。次回はきっと、お目にかかれますように!

2015年5月1日金曜日

KBDGプレゼンツ「オントローロ -01 & 00」のお知らせ

えーと、それではあらためまして、詩人とは言いながらリアルのかけらもない、というより気が咎めるほどフィクション一辺倒でむしろそれ以外をほとんど持ち合わせていない、そればかりかことによると言葉そっちのけでグラフィックばかりいじくり回しているええいだから何だそれのどこがいけないっていうんだええこのすっとこどっこい的な詩人によるちっぽけな独演のご案内です。うっかり予約開始日の告知なんかしてしまったものだから、いろいろあべこべでとっちらかってしまいまことに申し訳がありません。慣れないことはするもんじゃないとひとり夜中にもんどりうっております。

そうは言ってもここでスッとグラフィックを差し出せるのが僕の数少ない取り柄のひとつです。


オントローロ -01 & 00
@渋谷 Flying Books
-01:2015/5/31(日)→お申し込みはこちらから SOLD OUT
 00:2015/6/14(日)→お申し込みはこちらから SOLD OUT
open: 19:00 start: 19:30
fee: ¥2,500(1ドリンク付) 各40名

「オントローロ」とは「よむ(読/詠)」ことに主眼を置いた僕個人の、そしてほぼ個人的なことに終始するライブプロジェクトです。これまでにリリースしたアルバムや今となっては泡沫の夢におもえる「パン屋の1ダース」からの楽曲はもちろん、小品的テキストや世に数多ある名文の朗読、日々がちょっと豊かになる興味深い書物の紹介、を含むすちゃらかトーク、またここでしか聴けないエクスクルーシブな音源(今のところオントローロ限定の作品も)と、あれこれ詰め合わせてお届けします。思いつくままに書き散らしているのでわれながら他人事のように「へー」と感心しないでもないですが、まずだいたいこんなかんじで間違いありません。古今東西の書物に囲まれながら、何なら一杯きこしめしつつ、まろやかなひとときをご一緒できれば幸いです。

また、オントローロについてはこれが最初で最後、ではありません。「金返せ」と生卵を投げつけられるような事態にならないかぎり、今後も断続的に開催していく予定です。今回振ってある「-01」「00」という数字にはそのプレオープン的な意味合いが含まれています。すこしでも多くのみなさまとここでお目にかかれることを願って。