2025年9月12日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その461


カモ山ネギ助さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 一番男気があふれる野菜って、なんだと思いますか?個人的には、蕪です。漢字に無が入っているのにもしっかり太い実があるし、頼んでもないのに硬い皮まで装備しているので。


これはいろんなアプローチが考えられそうな良問ですね。男気だけでなく、セクシーとか繊細とか蛮勇とかアンニュイとか、いろんなテーマで野菜を見つめ直してみたくなります。男気はマチズモにも通じるものがあって人に適用すると剣呑だけれど、何しろ相手は野菜です。むしろ男気とは何かということが浮き彫りになるかもしれません。

真っ先に思い浮かんだのは、落花生の大粒品種「おおまさり」です。その名前からして必要以上の男気にあふれています。じぶんの名前がこれじゃなくてよかったとしみじみおもうくらいです。

しかもこのおおまさり、「ナカテユタカ」「ジェンキンスジャンボ」というこれまた男気しか感じられない親品種の交配によって生まれています。アーノルド・シュワルツェネッガーとシルベスター・スタローンの交配によってドウェイン・ジョンソンが生まれたみたいなことである、と言っていいでしょう。男気どころかY染色体しかない。

名前だけではありません。おおまさりはその大きさ、甘さ、柔らかさから、炒るよりも茹でるに適した品種ですが、茹でるのにめちゃめちゃ時間がかかります。実際に美味しくいただいたことのある僕の記憶がまちがっていなければ、たしか1時間くらい茹でる必要があったはずです。1時間も釜茹でにされないとギブアップしないあたりに、いささか不毛な男気を感じます。それでカッコいいかと言えば別にそうでもないところがまた男らしい。

とはいえこれは落花生の一品種であり、野菜という大きな枠組みにおいてはやはり落花生として括られるべきであり、落花生全体に男気が感じられるかといえばそうとも言えない、ということになるでしょう。

その視点で改めて考え直してみると、僕が挙げたいのはピーマンです。何と言っても、名前に「マン」が入っています。この一点だけを見ても圧倒的なアドバンテージを有すると言わざるを得ない野菜です。そう聞かされて一番びっくりするのは他ならぬピーマン自身だと思いますが、ある視点からどう見えるかというだけの話なので、本人というか本ピーがどう認識しているかなどここでは問題になりません。

語尾にマンと付く場合、それが職業や役割でないかぎり、どこかしらヒーロー的な響きを帯びるものですが、ピーマンの場合は逆立ちしてもそうはなれないばかりか、むしろある種の哀愁が漂っています。哀愁はそれ自体が男気の一種です。酔うというか浸るというか、男気という概念にはそういう側面が確実にあります。

ただ、僕がピーマンを挙げたのはその名前のためではありません。そもそも中身が空っぽで薄っぺらいやつだから早く使わないとあっという間に朽ちてしまいそうなのに、冷蔵庫の野菜室に入れておくと思いのほか萎れずにわりと長持ちするからです。

玉ねぎ、人参、じゃがいも、南瓜など、長持ちする野菜は他にもいっぱいあるけれど、正直ピーマンがその列に並ぶようには思えません。でも実際、耐えます、ほんとに。

買ってあったことを完全に忘れていたような状況でも、そして実際、包丁を入れて種の部分が明らかに弱って朽ちかけていても、食用となる主な部分はぜんぜん大丈夫だったりします。忘れられてたんだから朽ちるだけの理由は十分あるのに、意地とかやせガマンとか根性論で持ちこたえているように見えるところに、僕なんかは男気をつよく感じずにはいられません。そうあるべきとは1ミリも思わないけど、最大限の敬意は払いたい、そう思わせる野菜です。がんばれピーマン!


A. ピーマンです。




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その462につづく!

2025年9月5日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その460


キテレツ大爆破さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 無性に走りたくなる時ありますか?何かどうしようもない焦燥感に駆られて、街を駆け巡る事が増えました。もう10代が終わるというのに感情任せに行動を起こしてしまいます。大吾さんもそんな時ありましたか?今でもありますか?


質問をいただいたのが年末なので、ひょっとしたらもう20代に突入されているかもしれませんね。

焦燥感に駆られて街を駆け巡ること、感情任せに行動を起こしてしまうこと、どちらもすごく大切なことです。そうじゃないほうが大人に見えるかもしれないけれど、いざ年を重ねてみると、かつて持っていたものを永遠に失うことでもあるよな、ともしみじみ感じます。

言ってみればその衝動はライオンみたいなものであり、それをコントロールすることはライオンを手懐けるようなことです。予期せぬ事態を避ける意味では有効だとおもうし、人生を円滑に歩むためにはそうあっていい気もするけれど、それはあくまで社会的な要請に基づいた向き合い方であって、ライオンが幸せかどうかはまたぜんぜん別の話である、とも言えるでしょう。

胸の内にライオンを飼う人はそう多くありません。金魚の人もいれば、パンダの人もいます。僕は昔からとにかく人より燃費が悪いので、そうだなあ、しいていえばアボカドとかパイナップル、どちらかといえばパイナップルでしょうか。

パイナップルは生育にやたらと時間がかかる(たしか2年くらい)上に1株に1果実しか取れません。その代わり痩せた土地や害虫に強い上に収穫後の日持ちも良いので、1株では甲斐がないけれど大量に生産するだけのリターンは確実にある、そんな植物です。それを1株だけ、胸の内で育てています。これまでの活動履歴を振り返ってみても、1株のパイナップルはなかなか的を射ているとおもう。

もちろんこれはどれが良いとかそういう話ではありません。身長や髪質と同じように、ただ人それぞれである、というだけです。

ライオンはどうでしょうね。猫みたいにゴロゴロ手懐けるのもかわいいけれど、どちらかというと世間的にはそのほうが大人と見做される傾向があるので(実際、びっくりするほどみんなあっさり飼い慣らしてしまう)、個人的にはせっかくライオンがいるのだからその背にまたがっていっしょに町を疾走しつづける日々であってほしいな、と願わずにはいられません。パイナップルはいっしょに走ってくれないですからね。10代とか20代とか関係なく、ずっと大事にしてください。

そんなわけでお答えとしては、パイナップルとして走ってみたくなることはある、ということになります。実際のところこれだけ長く生きていると、走らないにしても目を離したすきにちょっとは歩いたりしてんじゃないのかと思わないでもないですけど。


A. パイナップルとして走ってみたくなることは今でもあります。




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その461につづく!