リゾ・ラバさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)昭和から平成にかけて急増したリゾット愛好家の略称ですね。
Q: 「火焔鳥451」にて、男はエロ本を燃やしますが大吾さんは泣く泣く何かを捨てた(もしくは手放した)事はありますか?
もうずいぶん昔の話になりますが、武州のはずれで木こりを生業に暮らしていたことがあります。食い扶持をたもつのが精一杯でかつかつの、という点では今とまあ、だいたい同じです。かくべつ良い思い出もありません。
寝起きする小屋はひどく粗末で、沼のほとりにありました。窪地の水たまりが引かずに広がったような、ちいさな沼です。沼には小屋から突き出すようにして桟橋を組み、その先で釣り糸を垂らしながらうとうとしたことを今でもよく思い出します。
水たまりのなれの果てとはいうものの、泳ぐ魚はちらほらありました。よくよく考えるとおかしなことで、川とは何の連絡もなかったはずだから、ひょっとすると地下水をつたって居着いたのかもしれません。そのへんはよくわからない。桟橋には釣り竿がないとさみしいように考えただけで、魚のあるなしはどうでもよかったのです。1度や2度はうっかり釣り上げたこともあって、そういうときはせっかくだから食いました。でもあまりうまくなかった気がする。
そんなある日のことです。桟橋の先でいつものように昼寝をしていて、うっかり沼に無精髭を落としました。他にろくろく目印をもたない僕にとっては、斧なんかよりはるかにかけがえのないアイデンティティです。これがないと、鏡をみても誰が誰だかじぶんでも見分けがつきません。第一、斧とちがって町で買うこともできないのです。また先にも書いたように、沼には魚がいます。藻とまちがえてパクつかれたらおしまいです。これはたいへんなことになったと真っ青になりました。
打つ手もないままおろおろと桟橋の先から沼をのぞきこむと、何やら底のほうがぼんやりと明るく感じられます。もちろん底は真っ暗なはずですが、明かりはだんだんと大きくなり、こちらに向かってゆっくり浮かび上がってくるようです。こうなると落としたヒゲのことをいっとき忘れて目を奪われるのもムリはありません。明かりはもう、手の届きそうな深さにまで近づいています。にわかに水面が泡立って、気がつくとそこにはぴかぴか光る白い女が立っていました。そしてこうたずねるのです。
「おまえが落としたのはこの金の無精髭ですか。それともこの銀の無精髭ですか」
何が何だかさっぱりわからずに事態を持て余していたところへ、思ってもみなかった申し出です。しかし金の髭などあってどうなりましょう。銀は待てば自然とそうなります。僕は答えました。
「いえ、どちらでもありません。わたしが落としたのはうす汚れたみじめな無精髭です」
ぴかぴか光る白い女が一瞬眉間に深いしわを寄せて舌打ちをしたように感じられましたが、あるいは光の加減でそう見えただけなのか、すぐにやわらかな笑みを浮かべてこう返しました。
「正直でよろしい。ではこのうす汚れたみじめな無精髭は返しましょう…代わりにあなたの男らしさをもらいます」
よもやの交換条件に僕はうろたえました。それでなくとも僕は男らしさに欠ける男です。かろうじて残るゴマ粒みたいな男らしさまで取り上げられては、この先どうにも立ち行きません。それは困りますとあわてて取り消し、それなら金…いえ銀の髭をいただくほうがいくらかマシですと訴えましたが、ぴかぴか光る白い女はあろうことか金の髭に3万ドル、銀の髭に5000ドルの値を提示してきたのです。
僕はまったく途方に暮れてしまいました。木こりの身代にその条件はいくら何でも法外です。かといって相手はどうも人外らしいし、一方的に交渉を打ち切ればどんな祟りがあるか知れません。ダメ元で60回の分割払いをお願いしてみましたが、けんもほろろの態度です。義理もなければ人情もない。こうなれば泣く泣く男らしさを手放すほかありませんでした。
小林大吾にいつも無精髭があり、いっぽうで草食系の印象がつよいのはつまり、こういう謂れだったのです。またこのときの僕はコンタクトをしていて、眼鏡はあまり出番がなかったこともついでにお断りしておかなくてはなりますまい。
A: 男らしさを泣く泣く手放したことがあります。
そういえば20代前半に引っ越しのタイミングでAVをドサドサ捨てた日のこともおぼえています。当時その町はビデオテープも燃えるゴミ扱いだったので、どちらかというと感傷よりも、生ゴミのとなりにAVがあることのむせ返るような生活感に気が遠くなりました。少なくとも、火焔鳥が羽ばたくほどうつくしいサヨナラでなかったことだけはたしかです。
今となってはビデオテープというメディア自体がなつかしく思われます。いろんな人の手を渡ってきた裏ビデオ(この言葉も…)は画像が劣化しまくってて、再生しても画面全体がモザイクじゃねえか!とその無意味さに憤慨したりしましたな。
そうだ、あと生まれて初めて買ったCDラジカセも同じタイミングで処分しました。いろいろリセットしたかったから、金槌を持って夜の公園に行き、粉々になるまで泣く泣く叩き壊したものです。(しみじみ)
教訓:モノを処分したくらいで日々はリセットなんかさせてくれません。
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その99につづく!