2017年11月25日土曜日

SoloSoloSolo TOUR 2017 東京編のお知らせ


えー、かれこれ1週間ほど前のことになりますが、全地球のラジオリスナーから熱烈な支持と絶大な信頼を置かれているTBSラジオのモンスタープログラム「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」通称タマフルに椎名純平+タケウチカズタケ+小林大吾という、初めて聴く人にはどう考えても3人目はいらないとおもわれる組み合わせでピンポンダッシュ的にお邪魔してまいりました。

純平さんやカズタケさんはともかく、僕個人はこれが最後の機会になるかもしれないので、以前よりも感慨深くスタジオを眺め回したものです。宇多丸さんをはじめ、タマフルのみなさま、ありがとうございました!いつ行っても「都会はすげえな」くらいしか感想が浮かばない赤坂、そして床がおしゃれな第6スタジオ、忘れない……!


さてそんな、肉にたとえるとフィレサーロイン謎肉みたいな3人が9月に関西で敢行したSoloSoloSoloTOURですが、きたる12月に東京編をお届けできる運びとなりました。

そしてお知らせ早々、というかひと月以上前に決定していたのに今ごろのんびりお知らせしていることがそもそもアレですが、現時点でソールドアウトの気配が濃くなりつつあります(!)。当日を待たずに完売と相成る可能性がありそうなので、ご興味のある方はどうかどうかお早めにご予約くださいますように!予定数に達したもようです。もうしわけありません、そしてありがとう!キャンセルが出た場合は前日にお知らせするそうですので、よければそちらをお待ちくださいませ。ほんとにありがとう!あやうく売り切れたあとにブログを更新するところであった。

わーわー!(声を大にしてお伝えしています)


椎名純平×タケウチカズタケ×小林大吾
SoloSoloSolo TOUR 2017 autumn 東京公演

12/17 日曜 @下北沢circus
出演:椎名純平、タケウチカズタケ、小林大吾
前売 3000円 当日 3500円 ※入場時、別途1ドリンクオーダー必要
OPEN 18:30 START 19:30
※御予約、お問合 circus 03-6677-5986 or Facebookイベントページまで



この秋開催した、椎名純平×タケウチカズタケ×小林大吾
#SoloSoloSoloTOUR があまりに楽しかったので、追加公演を東京でやります!

椎名純平とタケウチカズタケ(A Hundred Birds/ SUIKA)、キーボードその他諸々を駆使した、SOUL/HIPHOPを飲み込んだそれぞれ独特のソロパフォーマンスに唯一無二の詩人・トラックメーカーの小林大吾が加わった「Solo Solo Solo TOUR」。椎名純平の歌声、タケウチカズタケの唸りを上げる鍵盤、加えて、小林大吾の詩の世界、トークも含めて、たっぷりお楽しみ頂けます!


2017年11月11日土曜日

OK Google、オタンコシャリコの意味を教えて!


のっけから薮から棒で恐縮ですが、今日ここを訪れたごく少数のみなさまはとても運がいいと申さねばなりますまい。なんとなれば日々、膨大な量のデータが砂時計の砂よりも早く積もっていくネット上にかつて一度も記されたことのない単語が、ここに初めて刻まれることになるからです。

今日よりのち、この単語を検索する人がいればまず100%、真っ先にここへ辿り着くことになりましょう。言ってみれば先日発見された「タパヌリ・オランウータン」のように、新種の生物の発見とその発表をここで行うようなものです。つい先月までどこにも記載のなかったこのオランウータンが電光石火でウィキペディアにきっちり追加されていることを考えると、これがいかに重大であるかは想像に難くありません。

とまあそんなあだしことはさておきつ、岩波文庫のとある一冊を読んでいたら見慣れぬ単語にぶつかったのです。


オタンコシャリコって何だ?

と首をかしげつつそのときは何となくスルーしていたのですが、数日後にふと思い出してググってみると


検索結果がまさかの0件です。

今は辞書も検索できるから、ググって出てこないということは辞書にも載っていないということです。でも、そんなことってあるだろうか?こんな、当たり前みたいに使われてるのに?

とおもって念のためウチにあるぼろぼろの広辞苑を引っぱり出してみたところ


近いのは「おたんちん」「おたんこなす」しかありません。どっちもろくな単語ではない。

しかしそうなると問題なのは「まるで意味がわからない」という点です。「オタンコシャリコ」とその半分が重なっていることからして、おたんこなすに近いような気もしますが、使われている前後の文脈からするといまいちピンときません。あらためてここに抜き出してみましょう。

「……ソコはどっちも色気たっぷりで、金を貸す代り、肉体を貸せ、お伝はソンなことは、オタンコシャリコですから、蔵前へ誘い出して、肉体を任したが、サテ吉蔵はというと、古着渡世なんですから、勘定は細かく、至って抜目がないんですから、肉体は借りた、金は貸さない、よくある図で、お伝を遊んでやったくらいに心得たのが、どうしてどうして毒婦なんですから、黙っちゃア引退らない。」

痴情のもつれから愛人を殺めた明治の妖婦、高橋お伝の話ですね。お伝については滅法べんりなウィキペディアを参照いただくとして、オタンコシャリコについて言えばどうも「お手のもの」あるいは「いつものこと」みたいな意味合いで使われているようにおもえます。すくなくともおたんこなす的なことではない。いつものことがおたんこなすなら、おはようとおやすみくらい人生の大部分がおたんこなすです。

いえ、おたんちんとかおたんこなすについてはここでは触れません。きもちはわかるし僕もそうでしたが、うっかりググったらそっちはそっちでなかなか興味深い俗説があって戻ってこれなくなりそうだったので、ひとまず忘れましょう。でもたぶん、オタンコシャリコとはあまり関係がないとおもう。いや、あるんだろうか?

一方「お手のもの」という意味合いから連想されるのは「あたりきしゃりき」という言葉です。これは辞書にも載っています。要は「当たり前」の粋な言い回しですね。近いと言えば近いような気もするし、ちがうと言えばちがうような気もする微妙な距離感です。ただ「あたりきしゃりき」の「しゃりき」は語呂合わせらしいので、オタンコシャリコの「シャリコ」も単に語感からくっつけられただけの可能性はあります。

とはいえオタンコシャリコからシャリコを取ったらオタンコであって、また茄子に逆戻りです。茄子はもういい。

そしてここまで書いといてなんですが、結論はありません。出す気もありません。すべて明快で疑問の余地がない世界より、こんなちいさな謎がころころと転がっている世界を、僕は好みます。誰も知らない言葉が確かにある、そのこと自体、世界にはまだあちこちうろつく甲斐があることを、僕らに教えてくれているじゃないですか?