2013年3月29日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その138



久しく音沙汰のない母親からメールがきたとおもったら「これからアメリカ。離陸は18時」と突拍子もない用件が手短かに書いてあるのです。唐突すぎて開いた口がふさがらないまま時計に目をやると、針は17時ちょっとすぎを指しています。

そんな大事なことを離陸1時間前になって言わないでいただきたい。

おまけにあとのことは嫁に行って育児にてんてこまいの妹に全部まかせてあるらしい。いかにも僕は長男としても兄としてもどこか心許ないところがあるし、じぶんでもそれは重々自覚しているつもりだけれど、しかしこうもあからさまに蚊帳の外へ追いやられると、さすがに今後の身の振り方を考えさせられないわけにはいきません。行く末がちっとも当てにならないという、至極まっとうな理由でもろもろの権利を剥奪される日もそう遠くない気がする。

だいたい彼女はじぶんの息子が数日前にまたひとつ年をとったことに気づいてるんだろうか?



アルプスの少女は異人さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: まだ20代なのですが、小さいことから大きいことでよく「うっかり」してしまうのが多いです。注意はしているのですが、どうしたらいいでしょうか。


身につまされる質問です。かくいう僕も

「なんで電話に出ないの」
「すみません、うっかりしてました」

みたいなことがままあります。すすんで状況を悪化させたいわけでは全然ないけれど、悪化したら悪化したでまあ仕方がないよね、といういわゆる未必の故意を多分に含んでいるため、数々のうっかりに天引きされたその信用といったら往時のジンバブエドル以下です。


注:かつてジンバブエではあまりに破滅的なインフレ率のため(年間65000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000%)、最終的に驚愕の100兆ドル紙幣が発行されました。当時の闇レートだとビッグマック1個が1兆4000億ドルになる計算です。


等比級数的に下落しつづける僕個人の信用はともかく、うっかりしないですむならやっぱりそれにこしたことはありません。

つい昨日あったばかりのささやかな例を挙げると、買い物に出るのに靴を履いてから部屋のカギを持ってないことに気づきました。カギを取りにいったら、なぜか財布もそこにありました。あぶないあぶない、と両方手にしてカギもばっちり閉めたのち、こんどは傘が必要だったことに気づきました。

出かける気がないどころか、もはや生きる気がないと言われても反論できないレベルのうっかりです。こうなるとさすがに呆れ果てるし、腹も立ちます。忘れるというよりとるべき行動がそもそもインプットされていないような気がする。前々からひとこと言ってやらなくちゃならないとおもっていたけれど、いったいお前の頭は


前回もほぼ同じ話をしてるじゃないか!


(恥ずかしい)


もちろん僕も、注意はしているつもりです。でもうっかりはいつもその隙間をめざとく見つけて顔を出します。その隙間をふさごうとすれば、やつらはさらにその隙間をすり抜けてくるのです。いたちごっこというほかない。ではどうすればよいのか?

じつは長年煮え湯を飲まされつづけた結果たどりついた、解決とまではいかなくとも多少の軽減は期待できる打開策がひとつだけあります。正攻法ではまったくないし、どちらかといえば封印しておきたい禁じ手です。しかしそれを踏まえた上でなおすがりたいと思うのであれば、試してみてもいいかもしれません。じっさい僕も、3割くらいはこれでしのいでいます。つまり…


A: うっかりしていたことさえうっかりしてしまえばいいのです。




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その139につづく!


2013年3月25日月曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その137


雲の切れ目から差す光のことを俗に何と呼ぶのだったか、忘れたミス・スパンコールが必死に思い出そうとしていたのです。正解は「天使の梯子」なんだけど、最終的に彼女がひねり出した答えは語感にしてもビジュアルにしても当たらずとも遠からずだったので、ちがうと言い切れませんでした。

「天使の…天使の…あ、天使のおしっこ?


だとすると勢いよくほとばしりすぎてる点については目をつぶりたい。



災い転じてプクッとなるさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)何かがふくらんだことまではわかりますが、それが何かは不明のままです。


Q: 12月22日には何をしていましたか?


いちおう付け加えておくと、これは2012年のことです。ハテ、何の日だったかしら、非生産的にしてきわめて怠惰なる僕の日々からするとそれがたとえ世界の終わりだろうと特に何もしていなかったにちがいないとおもいますが、そこまで考えてポンと膝をうちました。マヤ暦が世界の終焉を予言しているという噂から地球規模でざわめいた、あの日のことですね。あるいはたしかに終わったんだけど間髪入れずにすぐまた始まったから終わったことに誰も気づかなかった日のことです。だとすればえーと、やっぱり特に何もしてませんでした。土曜日だから卵の特売日でもないし、レコードでも見に行ってたんじゃないかとおもいます。

メールとかツイッターとかその日にあったことを思い出せそうな材料もとくに見当たらず、そうだ、ブログだ!とおもったらちょうどふた月くらい放置していた時期だったので案の定なんの助けにもなりません。放置にりっぱな理由があったならまだしも、僕のことだからまず理由なんてないだろうし、こうなると完全にお手上げです。もうすこし生きていることの痕跡というかアリバイみたいなものをのこすように心がけておかないと、あらぬ容疑をかけられて逮捕されたときに「状況からみてお前しかいない」とか言われそうで心配になります。身に覚えがなくても「じゃあもういいよ、それで!」と逆ギレ気味に自白しそうです。泥まみれの人生に今さらちょっとくらい泥を塗り足されたってあんまり変わらないしなとおもう。

ただ僕、このマヤ暦騒動についてじつは当日になるまでほとんど知らなかったんですよね。みんなどうして当たり前のように知ってたんだろう?ぶじすこやかな朝を迎えてから「滅亡まであと数時間です」といきなりアナウンスされてもリアクションに困ります。備えるにしたってこの時点からじゃとても間に合う気がしないし、遺書とか身辺整理も全地球規模の災害ならあんまり意味がありません。叩き壊しておくべきものがあるとすればハードディスクだけど、滅亡ならそんな心配も無用です。となるとあと他にできることって何かあるだろうか?うーんそうだな、今朝もゴハンはおいしかったし、洗濯も済んだし、あとはえーと、じゃレコード屋でも見てくるか、という結論にそりゃどうしたってなるじゃありませんか。

実際のところ人類の滅亡は十数年前にも1回あったから、ときおりやってくる大寒波みたいにこの先もたぶん何度かあるでしょう。滅ぶなら滅ぶでしかたないけど、できれば卵の特売日と重ならないでもらえるとうれしいです。


おまけ:明日に滅亡を控えていたとはとてもおもえないピンカートン先生の長閑なツイート




A: レコードでも見に行ってたんじゃないかとおもいます。




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その138につづく!


2013年3月22日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その136、もしくは世界でいちばん安全な国のこと



乗らない人にはぴんとこないとおもうけれど、町にある有料のバイク駐輪場には、1台分のスペースごとにチェーンロックが設置されているのです。このチェーンを車輪とかバイクの適当なパーツにくぐらせてロックすると、その時点から課金される仕組みになっています。課金と言っても原付なら4時間で100円程度なので、たいへんリーズナブルです。そのへんに駐車して良識ある人に咎められたり違反切符を切られたりするリスクを負うくらいなら、目的地から多少遠くても安心して停めていられるほうをえらびたい。問題はそういう使い勝手のいい駐輪場がそもそも地球上にはほとんど存在しないことなんだけど、べつにそのことを指摘したいわけじゃないのでひとまず脇に置いておきましょう。

とある町のバイク駐輪場に原付を停めたときの話です。というか、そこに停めておいた原付に乗って今まさに帰ろうとする段になっての話です。

3、4時間の野暮用を終えて駐輪場に戻ってみると、チェーンをロックする土台部分に赤いランプが点いています。ランプの点灯は空車のしるしです。あれ?とおもってよくみたらチェーンがロックされていない。どころかそもそもチェーンを原付に括った形跡すらなくて要するに

課金されていないのです。

わーしまった、ズルしようとおもったわけじゃないのに、うっかりしてた、今からロックしたところで2時間は無料だからあんまり意味ないし、申し訳ないけどこのまま帰るほかないな、わるいことしちゃった、と頭をかきながらカギを取り出そうとしたら今度は

ポケットにカギがない。

カギがなければ原付だって黙りこむのが当たり前です。ちゃんとロックしなかったバチが当たったのかもしれないし、この失態については心から反省するほかないけど、それにしてもカギがないのは困ります。駐輪代を払ってカギが戻るならまだしも、じぶんが失くしたものを返せとわめいたところで相手がいないのだから話になりません。わーしまった、いつもならちゃんとジーンズの後ろポケットに入れておくのに、今日にかぎってどこにやっちゃったんだろう、困ったぞ、とおろおろしながらふと原付に目をやったら

カギが鍵穴にささったままなのです。

呆気にとられてハンドルをさわったら、ハンドルロックもしていない。つまりバイクのエンジンを切ったのち、あろうことかカギを抜かず、ハンドルロックもせず、あまつさえチェーンロックもしないまま、ほとんど乗り捨てたも同然の状態でその場をすたすた立ち去っていたのです。卵から出てきたばかりのヒヨコじゃあるまいし、お前の頭はいったいどうなってるんだと自分を厳しく問いつめたい。頭蓋骨に包まれてるのが脳味噌じゃないなら何だ?八丁味噌か?何ひとつ束縛されずにただぽつんとそこに置いてあるだけの原付を見ろ!ご自由にお持ちくださいと言わんばかりじゃないか!


望んでもいない実験に知らず知らず臨んで得た今日の結論:世界中のどこを探したって日本ほど安全な国は他にありません。




そして誰もいななかなくなったさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)孤島から出られなくなった馬が1頭ずつ姿を消していく推理小説の金字塔ですね。


Q.どんな海岸線が好きですか?


計量カップみたいに目盛りに合わせて満たされているわけではない海と陸の境界線が実際のところどこにあるのか、たとえば砂浜に立つ観測者は打ち寄せる白波がどこに来たとき線を引けばよいのか、あるいは断崖絶壁のどこを、そして誰がそれを海岸線として確定するのか、ひょっとしてそのへんは人類を月に送り出すほど科学が発達した今になっても気分次第でアバウトに引かれてたりするんじゃないだろうか、だとしたら僕だって海岸線上に並んだ無数の点のうちのひとつくらいは適当に決める権利があってもいいのではないか?そうだ、その権利はあるはずだ!どこの馬の骨だか知らないが独り占めしてないで僕にも海岸線上の一点をよこせ!

というごくごくパーソナルな煩悶を別にすれば、すぐ頭に浮かぶのはフィヨルドです。おもえば人生にもどこかそういう海岸線を求めているようなところがあります。刺激的、というよりはむしろ文字通り取りつく島がないという意味で。

それで言うと、複雑に入り組んでてどこに流れ着くのか判然としないリアス式海岸なんかもいいですね。


A: フィヨルドです。


なんとなくゼリーみたいにぷるんとした語感も好きです。




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その137につづく!


2013年3月19日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その135、またはアフリカ大陸の端っこで焼かれたパンについて


訪れた国の数が今も数ヶ月ごとに増えつづけている(!)タフな伯母から「モロッコのみやげがあるから来い」という電話をもらったのです。彼女の話はいつも単刀直入で「来るのか?来ないのか?どっちだ」と銃をこめかみに突きつけられているようなきもちになるんだけど、それはまあどうでもよろしい。

毎回そんなことを考えながら旅をするのはごめんだ、と本人もはっきり言っているくらいだし、彼女が土産を持ち帰ることはそんなに多くありません。何しろサンダルでコンビニに行くようなフットワークで気軽に海を渡る人です。ぶらぶらと異国の町を歩きながら、渡せばよろこぶ相手の顔が思い浮かんだときだけ何かちょっとしたものを手にして帰ってきます。そういう気負いのないスタンスのほうが型通りの記念品よりよほど驚きに満ちていて僕としてもたのしみなんだけど

それにしてもまさか市場(スーク)で買ったパンをほとんどむき出しのままどさっと手渡されるとは思いもよらなんだ。



ピタとかチャパティみたいにその日に食べるぶんだけ焼くタイプの、しかもこんなに大きなパンをよくまあアフリカ大陸の端っこから持ち帰る気になりましたな!と半ば呆れながら言ったら「荷物が大きくなってタイヘンだったよ、まったく。あんたのために」とテクニカルな切り返しで矛先をこっちに向けるのです。僕にそんなことを言われても困る。

そんなこんなで恭しく頂戴してきたはいいものの、焼いてからすくなくとも3日はたってるし、正直あまり期待はできません。今から冷凍するくらいなら食べきってしまうほうがよかろうと判断してその晩かるく炙って食べてみたら豈図らんや

皮がぱりぱりしてすんげえうまいの。

モロッコのパンなんて口にする機会もそうそうないし、経験したことのない食感と香りで美味ならそれはもう、ちょっとしたものです。大きすぎるかとおもったけど、思いのほか軽くてむしろこれだけじゃ足りないくらいでした。すごいぞ姉ちゃん!

(うちの一族はみな彼女のことを親しみをこめて「姉ちゃん」と呼ぶのです)

(もう古稀ですけど)




イエスタデイ・ワンス・ジャイアントモアさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)絶滅した大型鳥類に思いを馳せる往年のヒットソングですね。


Q: 眠れない夜にカウントされた羊たちはどこにいくのでしょうか。


じつはいくつか新しくこしらえた曲のひとつでこれに近いようなことを詩に書いています(さりげない現状報告)。これがアルバムに収録されるのか、というかそもそもアルバムとして形になるのかは神のみぞ、あるいはプロデューサーである古川耕のみぞ知るところです。形にならなかったら、そうですね、そのときはえーと、根こそぎ忘れてください。


A: どこにもいかず、ただ増えるがまま、足をトントン踏み鳴らしたり、花札をしたりしています。




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その136につづく!

2013年3月16日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その134、とYouTubeとEDの関係について


どう考えても高嶺の花だったのに思いがけず手に入ったあこがれの7インチを浴びるように聴きまくっているのです。なくたっていいような紆余曲折もあったから、その思い入れ含めてこの1枚は生涯ベスト5に入れてしまいたい。大好きな曲にレコードの針を落とすときの心躍るあのかんじ、周囲の空気を吹き飛ばすような音圧でドカンと鳴り出すときの血圧の上がりようといったら、いくつになっても一向に弱まる気配がありません。大げさでも何でもなく失禁しそうになるから困ります。YouTubeじゃ勃たねえんだよ!



その計り知れない恩恵に与った上でなお、穴を掘って叫びたくなる御仁も中にはおりましょう。

(失言の責任をスムーズに転嫁しています)

それはそれとして、ジャスティン・ティンバーレイクの "Suit & Tie" もリリースからけっこうたつのに、いまだに聴くたび黄色い歓声を上げています(僕が)。とくにライブ映像のジャスティンとそのパフォーマンスがカッコよすぎてあんまり言葉が出てこない。目と耳からが溢れてぽろぽろ落ちるばかりです。肌がぴちぴちしていた10代のときにこんなのをみていたら、ジャスティンのために性転換してもいいとさえおもったにちがいありません。穴を掘って罵倒したそばから手のひらを返して濡れそぼつわたくし。YouTubeばんざい。


Justin Timberlake - Suit & Tie ft. Jay-Z 投稿者 CineStars



あと、サンプリングなのかインスパイアなのか、それともぜんぜん関係ないのかわからないけど、そういえば "Suit & Tie" を聴くたびにいつも頭の中でクロスオーバーする別の曲があります。



かなり接近遭遇してないですか。



そして上のジャスティンをずっと観ているうちになぜかふと思い出した人




よくみるとこの頃のトシちゃんてどことなくヴァニラ・アイスっぽいですね。いや、食べるほうじゃなくてラッパーの。




風鈴ガシャンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)砕け散ることガラスのごとし。


Q: 詩人ならではの業界用語をひとつ教えてください。


詩人を名乗ってだいぶたつ気もするのにその業界にはまったく顔が利かない男、それが僕です。リーディングを始めたころはちょうどそういう環境だったこともあってそれなりにつながっていたはずなのに、生来の人見知りと出不精から不義理をパンケーキみたいに積み上げていたらいつの間にかすっかり疎遠になりました。面目もなければ同情の余地もありません。自業自得というほかないです。みんな元気にしてるんだろうか?

そういうわけだから、業界用語と言われてもそもそもその業界にひどく疎いのです。むしろレコード用語とかヒップホップ用語のほうが付き合いの長さもあって人に訊かなくてもスルスル出てきそうというか、このブログでもふだんからわりとちょいちょい使ってる気がします。

そこで僕よりもはるかに詩人と交流のあるフラインスピンオーナーに電話してみたのですが

「業界用語?」
「何か知らない?」
「ぜんぜん思いつかない」
「そこを何とか」
「"パンチライン"とかどう?」
「それはヒップホップ用語だよ!」

僕らの不甲斐なさといったら何しろこんな具合です。

うーん

あんまり自信ないけど、「オープンマイク」はどうですか?その場にいる誰でも飛び入りで参加できるパフォーマンスイベントのことです。と言ったらわかるだろうか?その名の通りオープンだから、実際にはマイクの前に立ちさえすれば弾き語りとか一人芝居とか極端な話そこで料理を始めてもかまわないような懐の広さがあって、詩人ならではとは言えないかもしれません。でも詩という表現にとってはかなり馴染みのある要素のひとつだとおもうし、すくなくとも僕はリーディングを始めてからこの言葉を知りました。

ちなみに読む詩人としてはまちがいなく雲の上クラスの声をもつtotoさんを、はじめて観たのもオープンマイクです。水みたいにおだやかで澄んだ声が耳からすべりこんできて、「これ誰!?」とおもわず振り返ったことをいまだによくおぼえています。あんな声はそれまで聴いたことがなかった。オープンマイクにはそんな出会いもあるのです。


A: 「オープンマイク」




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その135につづく!

2013年3月13日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その133、あるいはそのとき起きていたもうひとつの事件



僕としても愉快な話がそう毎日あるわけではありません。ないけれども、その一方で起きるときは立て続けに起きるのもまた、世の常であると申せましょう。迷宮入りした靴下の事件について記したその日、じつはもうひとつ別の奇妙な事件が起きておりました。

というのも、カタカタとキーを叩いていたまさにそのとき、ゴリゴリゴリゴリ!と聞き慣れない音がどこからか響いてきたのです。

誰もいない部屋で耳にする物音はそれだけで心臓をカエルみたいにぴょんと跳ねさせます。物が落ちたくらいの音でさえいちいちギクリとさせられるのに、聞き慣れないとなればなおさらです。おまけに鳴り始めたとおもったらそのまま鳴りつづけて止む気配もありません。非常ベルとか目覚まし時計の鳴りかたに近い。でもそのどちらでもないとすぐにわかったのは、音の違いに加えてそれが奇妙な振動を伴っていたからです。壁を伝ってくるような印象さえある。まったく、何がこわいといって、何が何だかわからないこと以上にこわいことがあるだろうか?

ひょっとすると隣でちょっとした工事でもしてるのかもしれない、と希望的観測を抱きながら音の出所をおそるおそる探っていくと、どうも洗面所のあたりがあやしいようにおもわれます。そっちはたしかに隣室との境でもあるから、工事だとすれば辻褄も合う。でもそれにしては音が直接的です。壁を伝ってくるというよりは、今まさにそこで鳴ってる気がする。鏡だ。鏡から聞こえる。ていうか待って、何?鏡が震えてる!ちょっと、何なの一体!

と沸き立つ恐怖を懸命に抑えつけながら勇気をふりしぼってさらに一歩踏み出した結果、そこで目にしたのは



ちょっと珍しいタイプの電動カミソリであった。

なぜかはよくわからないけれども、とにかく誤作動を起こしてぶるぶる震えていたらしい。鏡の脇に据え付けられたプラスチックのトレイに入っていたせいか、却って大仰に響き渡ったわけですね。

なーんだ!




お思いでしょうね、おそらく?誤作動だってそりゃ心臓にわるいけど、とはいえありえないことではないし、わかってしまえばこうして騒ぎ立てるほどの話でもないじゃないか?


ちがいます。早合点してはいけません。話の核心はこの先にあります。

というのも、いいですか、


我が家にこの物体の持ち主は存在しないのです。


使ったおぼえはありません。買ったおぼえもありません。もらったおぼえもなければ、誰かが泊まりに来たこともありません。僕がふだん使うカミソリは、当然べつにあります。ミス・スパンコールまで引っぱり出して、考えうるありとあらゆる可能性を考えてみたけれど、持ち主はやっぱり見当たらないのです。


イヤアアア!


ちょっともう、ホントに勘弁してちょうだい!


誰のなの、これ!





ネバーエンディング素通りさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)そういえば僕、「3」の存在を知らなくてほんとに素通りしてました。


Q: カラオケの分厚い歌本にダイゴさんはひっそりと入り込んだりしないのですか?


これはまた思いもよらない質問です。正直、考えたこともありません。どんなシチュエーションで読み上げるのかぜんぜん想像できないし、やるとしたら、いったいどれを…?

でももし声に出して読んでみたいとおもってもらえるなら、うれしいです。言葉にとってもこれくらい冥利なことはありません。どうもありがとう!でも合コンとかでうっかりセットしちゃったら大惨事になるとおもいますよ、たぶん。


A: 字幕を追うのがたいへんじゃないですか?




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その134につづく!

2013年3月9日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その132、もしくは高槻市の産業環境部長に懸想する話


ある日、電脳空間を我が物顔でぶいぶい練り歩いていると、どこで指をすべらせたのか大阪府高槻市のホームページに迷い込んだのです。たしか鳥の画像をあれこれ眺めているうちにうっかり転がりこんだんじゃなかったかとおもう。三十代男性が野鳥の画像を眺めてすごす気の毒な一日についての是非などこの際問題ではありません。



辿り着いたのは「こちら部長室」という聞いただけで身がちぢむようなコーナーの1ページです。トップには「高槻市の部長がそれぞれの部の事業や課題などを、自分の言葉でわかりやすく紹介…」と、タイトルからしてまあそんなところであろうとおもわれる趣旨が記されています。地域の防災力を高めましょうとか、シティマラソンが開催されましたとか、還付金詐欺にご注意くださいとか、要はそういうことなんだけど、部長みずからの視点で記されているというのはひょっとすると他にあまり例のない試みなのかもしれません。そのへんのところはよくわからない。でも何となく端々からそれらしき自負がかんじられます。

しかしそうは言っても自治体の広報企画です。その姿勢はつねに折目正しくが基本であって、言うまでもなく「僕の靴下に何かが起きました」とかそういう何の得にもならないことを書くわけにはいきません。内容にしてもその報告にしても、どうしたってしゃっちょこばらないわけにはいかないものばかりです。僕だってその立場なら「めっきり春らしくなってまいりましたがみなさまいかがおすごしでしょうか」という間違いない時候の挨拶からはじまって冬の節電にご協力をお願いしたりすることになるでしょう。むしろ嬉々としてその役割を演じたい。

にもかかわらず高槻市に何のゆかりもない僕がこうして言及しているのは、「こちら部長室」のなかである一人の部長さんがつづった数々の報告を、その親しみやすい魅力的なテキストゆえにうっかり長いこと読みふけってしまったからです。


産業環境部長の越山信平さん


品位と面目をほどよい温度で保ちつつ、それでいてときどき遊び心とサービス精神がちいさな花を咲かせている…これこそ折り目の正しさが求められる自治体発信ならではの醍醐味と言わねばなりません。じっさいユーモアが顔を出すのはそんなに多くもなくて、基本的にはまごうかたなき活動報告としての体裁をきちんと貫いておられます。そこがいいのです。遊び心が発揮されるのはだいたい冒頭の自己紹介部分なんだけれど(実際ここが一番自由度が高い)、その微妙にどうでもいいかんじにキュッと心をつかまれます(コレとかコレ)。はじまりで心つかまれたらそりゃ先を読まずにはいられないというものだし、そうして最後まで読ませることができたら広報としてもこれ以上の成果はないはずです。こうして力説する当の僕が高槻市には今まで一度も行ったことがないなんてまったく、どういうことなんだ?

以上のような理由から、当ブログは高槻市発信の「こちら部長室」、とりわけ産業環境部長の越山さんをごくごく私的に応援しています。締めるところは締め、ゆるめるところは大いにゆるめる、緩急自在でスマートな文体が好きです。僕がうら若き乙女でないことが残念でなりません。あと、だんだん高槻市に住みたくなってきました。


いちばんたのしさが伝わってきたのはこれ
→遂に完成、はにたん弁当デビュー!(一挙公開)知られざる誕生秘話、明かします!




エッセンシャルダメージケアニュアンスエアリー毛先集中キューティクル美容液さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)液体らしい、ということくらいしかわからない。


Q: 好きなから揚げはなんですか?


A: 鶏です。


唐揚げといったらもれなく鶏だとおもっていたので、単なる選択肢のひとつにすぎなかったことに驚きを禁じ得ません。目からウロコです。でも鶏です。




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その133につづく!

2013年3月6日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その131、または瑣末にして未曾有の被害報告


靴下とは、他のそれと比べていちじるしく穴ポコ率の高い衣服です。親指にぐいぐいと伸され、かかとにずりずりとこすられ、その生地はつねに引き裂かれる危険にさらされています。靴と足の板挟みにあって、防寒や保湿以外に緩衝の役割まで強いられる以上、どうしたって行き着く先は穴であると言わねばなりません。

このことについては僕も多年の経験からよくわかっているつもりです。なぜか片っぽだけが忽然と消失する靴下特有の不可解な現象と同じくらい、それは避けられない宿命であると理解しています。穴はいやでもあくのです。

しかしそう諦観していてもなお、ささやかな経験則をパリンと叩き割るイレギュラーな状況にぶち当たって、二の句が継げなくなることがあります。

たとえば車庫に入れた車を翌日見てみたら、知らないうちにキズがついていたとしましょう。これはそれほど珍しいことではありません。どこかでこすったかな、と首をかしげたり、ひどくガッカリすることはあっても、その次第はなんとなく想像がつきます。経験則によっておおむね受け入れることのできる事態です。

しかしその車が翌日、車庫の中で大破していたとしたらこれはもう話がぜんぜんちがいます。変化が劇的すぎて経験則もへったくれもない。大破したのを引き上げてきたならともかく、前日まで無事だったはずの車がなぜ翌朝いきなりペシャンコになっているのか

こんな突拍子もない例を持ち出したのは、ある朝起きたらこれとだいたい同じようなことが僕の靴下に起きていたからです。



おい、どうした!しっかりしろ!何をどうしたらこんなことになるんだ!




そうだ 浄土、行こうさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: ところで大吾さんはもう自分からは連絡しないと決めたんだけどいつか連絡をくれる気がして消せないアドレスはありますか?何のことかというとあまりプレッシャーをかけすぎるのもあれなのでそのくらいのそこはかとない期待を持って新しいアルバム待ってますということです(´ε`)


テクニカルな質問ですね。直接アルバムについての話だったら例によって知らんぷりできたのに、これではそうもいきません。腫れ物にはなるべくさわらないように細心の注意を払いながらお答えしましょう。それにしてもよくわかってらっしゃる。

僕はアドレスを消したことが今までに一度もありません。というか、入れたら入れっぱなしで整理をしたことがないのです。なぜと言われても困るけど、ひとつには整理をするとほとんど空っぽになってしまうことを内心うすうす察しているからだとおもわれます。いまケータイを見返してみたら、ぜんぜん覚えのない名前が思いのほかいっぱいあって眉間にしわが寄りました。向こうも同じようにおもっているとしたら、何だか奇妙なことですね。かつてここには本当に接点が存在していたんだろうか?

世間との没交渉が当たり前の暮らしをつづけてきたせいか、そもそも関係を保つことにそれほど頓着しないところがあります。たまーに疎遠だった人からコンタクトがあったりすると、わけもなくギクッとさせられるくらいです。知らないうちに寝た子なら、起こさずそのまま寝かせておくにかぎりま…

あれ?

待てよ、いただいた質問の真意からして、これこのまま進めていくと最終的に好ましくない状況に陥るのはけっきょく僕なのではないか?

というのはつまり、実際のところがどうであるかにかかわらず、不確定な未来のために保険をかける意味でも、「そういう期待、持っていたいですよね」というような同意と結論に持っていくべきなのではないのか?


……。


撤回します。それも全面的にです。消せないアドレス、めちゃめちゃあります。むしろそれしかないと言ってもいいくらいです。

僕がこれまでに登録したすべてのアドレスを消さずに残してあるのは、その全員からいつか音信があるかもしれないという淡い期待を湯たんぽのようにやさしく抱いているからです。名前に覚えがないと言ったらたしかに語弊があるけれど、それはただ心の奥のほうにある特別な引き出しのカギが今ちょっと見当たらないだけで、実際には今もペンタゴン並みのセキュリティによって厳重に保管されています。心のなかとはいえいつ空き巣に入られるかわかったものではないし、きちんと袱紗に包んで大事にしまっておくのは用心としてもまったく理にかなっていると申せましょう。決して忘却の彼方に打ち捨てたわけではありません。ちがうったらちがうのです。


A: ぜんぶ大事にとってあります。


よし、じゃあ今日はこれで解散!

寄り道しないでまっすぐ帰るように!




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その132につづく!

2013年3月3日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その130


となりのトンポーローさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)ジブリは関係ないですが、いったんこれで歌ってしまうとその先ずっとトンポーローから抜けられなくなるので気をつけてください。


Q: 植木鉢が余っているのですが何を植えたらよいでしょうか?


植木鉢って余るものなんですね。何となくそれは「スイッチがひとつ余ってるんだけど何につなげようかな」みたいなかんじでちょっと新鮮に聞こえます。そんなことないですか。

僕自身は植木鉢を活用したことってほとんどありません。いつだったかふと、苔でも育てようという気になって取り組んでみたことがそういえばあるけれど、何しろ「たまには布団でも干すか」くらいの軽いモチベーションだったから、案の定うまくいきませんでした。未必の故意によるネグレクトと非難されてもしかたがないとおもう。

花といえばある若い奥さんが「植えてもすぐ枯らしちゃうんですよね」と首をかしげるのでよくよく聞いたら花に水をやっていなかった、というギョッとするような話をどこでだか読んだことがあります。「お花ってお水をあげるものなんですか!」と逆に驚かれたそうだけど、ちょっと時をさかのぼれば「最近は米を洗剤で洗おうとする人がいる」と嘆かれた時代もあったくらいだし、そういうものなのかなという気もする。そのへんのことをつつき出したら、僕だって塩漬けのわかめをカットせずにそのまま味噌汁にぶちこんでえらい目にあった若かりし頃をおもいださずにはいられません。経験値の不足はときとして命にかかわることもあるという、あどけない一例です。それにしてもとりとめのない話ばかりしているな。

植木鉢に何を植えたらよいかとのことですが、余っているということは最低でも2つ以上を所有しているわけですよね。植えること前提でお考えの点からして、わりと日ごろから草花に親しんでおられるものとお見受けします。となれば植木鉢が2つで全部ということもなさそうです。窓辺やベランダにはきっと四季折々の彩りがほころんでいることでしょう。あるいはもっと実用的に、ちいさな菜園をこしらえているかもしれません。すくなくともすでにある程度の経験値をお持ちであるとは申して差し支えありますまい。

僕が言いたいのはひょっとしたらこれが、大抵の草花あるいは野菜をあらかた植え尽くしてしまった上での質問なのかもしれないということです。そうじゃない可能性だってもちろんたっぷりあるけれど、仮にもしそうだとしたらあんまり適当に答えることもできません。「それ植えたことあります」とばっさりやられたら次からはもう相手にしてもらえなくなるかもしれないのです。

といって、「マンドラゴラなんかどうですか」と実在するかどうかも定かではない怪奇の植物をドヤ顔でおすすめするのも、逃げを打つようで後生がわるい。だいたい、引っこ抜いたら「ギャー」と叫ぶようなきもちわるい人型の植物を植えても、心の安らぎを保証できないという点でいささか疑問がのこります。

一般的にはあまり縁がなくて、どちらかといえば忌避されているけれど、その有用性たるやじつは驚くべきものがある、ということで挙げるなら、大麻です。大麻というのはもちろんあの大麻だし、有用性と言っても幻覚成分のことではもちろんありません。

しかし日本で大麻といったら古来その繊維は衣服ばかりか下駄の鼻緒や蚊帳などにも使われて、生活に欠くことのできなかった愛すべき植物のひとつです。最近では大麻の種子から搾った油でつくるマヨネーズが高く評価されているそうだし(→コレ)、その魅力(というか実力)は巷に流布する負のイメージを補ってもメチャ余ると断言できましょう。インド麻とちがって日本由来のそれはそもそも麻薬成分をほとんど含まない、というちょっと意外な事実も忘れてはいけません。

もっとフィジカルで健康的な使い道もあります。麻は1日に3センチと生長が異様に早いので、種をまいてその上を毎日ぴょんぴょんと飛び越えていれば、4ヶ月後には4メートルもひらりの超人的な跳躍力が自然と身につくのです。むかし読んだ忍者入門の本に書いてあったからまちがいありません。

こうしてみると、余った植木鉢の活用法としてこれほどうってつけの植物は他にないような気がしてきます。服が着れて、下駄がはけて、蚊帳が吊れて、マヨネーズが食べられて、あまつさえジャンプ力まで身につくとしたら、この他に何を望みましょう。これをオールマイティと呼ばずに何をそう呼ぶのか?


A: 大麻です。


しかしこれ、「不良だとおもっていたのに、じつはオシャレで、手先が器用で、気が利いて、料理もできて、スポーツ万能だった」みたいな話に置き換えたら途端に共感しづらくなりますね。すごいモテそうで忌々しい。




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その131につづく!