2021年9月24日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その344


ヴァイオレット・エヴァー寒天さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 旅行の前も興奮して目を閉じつつ、朝を迎えてしまうのですが、どうしたらイベントの前にぐっすり寝れるでしょうか?


それなりに長い年月をドブに捨ててきた今の僕がおもうに、人生を豊かにする、とても大切な心の持ちようがあるとすれば、まちがいなくこれがそのひとつです。

言ってみればぐっすり熟睡できるイベント前夜とは、着色料や保存料といった食品添加物ゼロの自然食品のようなものです。えっ最高やんと感じる向きもあるとおもいますが、そんな満場一致で学級委員に選ばれるような清廉極まりない人生のいったいどこが最高なのか、もう一度よく考えていただきたい。何が入っているのかよくわからないし知りたいともおもわないジャンクな駄菓子よりも、体にやさしいヘルシーなおやつのほうがはるかに幸福度が高いと、果たしてわれわれ人類は言い切れるだろうか?

何を言っているのかちょっと混乱してきましたが、要はわくわくして抑えきれない高揚感を調伏して得られるきわめて理性的な幸福などたかが知れている、ということです。たしたしと地面を踏み鳴らしながら、そうじゃないだろ、人生ってのはもっとこうさあ!と投げやりに言い換えてもよろしい。

できればイベントには最高のコンディションで臨みたい、そう考えるお気持ちはよくわかります。しかしこうした場合、僕らはそもそも「最高のコンディションで臨んだがゆえに得られる結果」を知りません。百歩ゆずって何かよい結果を得られたとしても、それが本当に最高のコンディションのためだったのかも、確かめようがありません。

自戒をこめて言うけれど、人は未来を左右する選択に対して「こっちのほうが絶対いい結果を生む」とか「これは最悪の結果を招く」とか考えてしまいがちです。そして実際そのとおりになったときだけ「ほら、言ったとおりだろ」とドヤ顔をすることになります。

しかしそれはあくまで「結果としてそうなった」だけのことであり、そうでなかった未来と比較検証することは誰にもできません。別の選択をしていたらもっと良くなっていたかもしれないし、もっと悪くなっていたかもしれない。よいですか、大事なことなので太字にアンダーラインを重ねてもう一度言いますが、別の選択をした未来と比較検証することは誰にもできないのです。

確かに、寝不足でないほうがイベントをより楽しめるような気がします。それは僕も同じです。ただし、仮に熟睡してめちゃめちゃ楽しんだとしても、上に挙げた理由によって「熟睡のおかげで楽しめた」と言うことはできません。寝不足でも同じくらい楽しめた可能性はやはり厳然としてあるからです。こうすればこうなるという単純な因果の主張に、僕は強く異議を唱えます。

もちろん熟睡できるならそれにそれにこしたことはないでしょう。というか、ここまで書いておいてなんですが僕はわりとぐうぐう寝るタイプです。でもだからと言って寝たほうが絶対いいよ!とは言えません。少なくとも僕は最高の結果を得るために寝ているのではなく、眠たいから寝ているだけです。

それよりも楽しみでなかなか寝つけない心持ちのほうが、年を経れば経るほどはるかに大きな意味と価値をもつ、と今の僕はおもいます。ぐっすり眠ることも大事だけれど、それと引き換えにしてもなお、人生にはあったほうが断然いい彩りのひとつです。明度で言ったら100%の明るさがそこにはあるし、すくなくとも明度を弱めるような要素は皆無です。それを多少なりとも削るほうがよりよい結果をもたらすなんて、いったい誰に保証できるだろう?

したがって僕の結論としてはこうなります。


A. むしろ寝不足をものともしない健康を心がけましょう。




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その345につづく! 

2021年9月17日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その343


二本チョキさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)奈良時代に成立した、日本に伝存する最古のチョキですね。


Q. ずっと仲が悪かった人と友好的な関係を築く方法はありますか?


これはなかなか、考えさせられる質問です。仲が悪いということは一方だけでなく、互いに忌々しいと感じているわけだから、ある意味では緊密な関係とも言えましょう。少なくとも僕自身は、苦手な印象を抱くことはあっても仲が悪いとまで言える人は思い浮かびません。その関係をキープしつづけるのはなかなかタフなことだとおもう。

そう考えると「仲が悪い」というのは、気が合わないと互いに自覚しているにもかかわらず接触が断たれずにぶつかり続けてどっちも引かない点で、かなり興味深い関係である気もしてきます。仕事上とか同好の会とか、一方的に断つことが難しい関係はままありそうだし、おそらくそういうことなんだろうな、と勝手に想像していますが、そうであろうとなかろうと、いちばん手っ取り早いのはじぶんにとって適切な距離をとることと、相手を受け入れることです。

相手を受け入れるというのは必ずしも同意と共感を意味しません。正面から受け止めるのではなく、それはもうそういうものとして受け流す、という意味です。いけすかないとか忌々しいという感情はじぶんがおもうよりも人に伝わっている可能性があるし、それを表に出せば相手も同じ印象を抱くことになるので、当然関係は悪化の一途を辿ります。

こちらが適切な距離をとって悪印象を与えさえしなければ、仲が悪いことにはなりません。ただこちらが苦手だなとおもうだけだし、向こうもしいて悪印象を抱くことはないでしょう。向こうが変わるわけではないのでひょっとするといけすかないのはそのままかもしれませんが、すくなくとも仲が悪いという呪縛からは逃れることができます。

譲れそうなら譲っておく、というのは僕がおもうにゆるがせにできない人生訓のひとつです。意見だけでなく、車の運転時や電車の座席にしてもそうだけれど、譲るときに敗北感を抱くと人は衝突しがちです。

でも実際のところ、その敗北は人生において大した意味をもちません。譲ったからといってそれは何かを失ったわけではなく、ただ手に入ったかもしれないものを手に入れることができなかった、というだけです。もちろん譲れないときもあるけど、本当に譲れないものってそんなに多くないんじゃないだろうか?

物事を大らかに受け止めることに対して、峻烈な敵意を抱かれることはまずありません。そう簡単に大らかにはなれないからこそ人生はハードなんだけど、そう心がけるだけでも世界はすこし変わります。もし大らかに譲ることができたらそれはもう確実に相手にはない「徳」と言っていいし、徳を得たなら堂々と胸を張ってお天道さまに誇れるし、そうおもうと気分もすこし和らぎます。

僕もつねづね心がけていることだけれど、何か状況を変えたいとおもうときは、まずじぶんが変わることです。たとえ相手が変わらなかったとしても、こちらが変わることで状況は目に見えて変わります。

そしてそれはまた、結果として人との関係も友好的に変えてくれるでしょう。なんとなれば相手にはもう、こちらを忌々しく感じる要素がなくなってしまうからです。

こう話す僕自身にそれができているかといえば、今も全然できていません。できてないけど、そう心がけることでときどきうまくできることもあって、それは僕の誇りや自信、よろこびにつながっています。ヒュー!やるじゃないか!よく踏みとどまった!ともう1人の自分が僕を肘でつつくようなイメージです。うまくできたじぶんを労う、というのもだいじなことのひとつかもしれないですね。

人生とはこういう本当に小さなことの積み重ねです。うまくやれるときが100%では全然なく、がんばっても10%だったとしても、その10%にはものすごく大きな意味があると僕はおもいます。


A. 適切な距離をとること、相手を受け入れること、何より自ら変わろうとすることです。




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その344につづく! 


2021年9月10日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その342


支那そばみたいな恋をしたさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 最近、Hip Hopの流れから、少しずつSoulやFunk、Jazzを聞き始めるようになったのですが、初心者におすすめの一枚(もっと言うなれば、これだけは避けて通るな!な一枚)を教えて下さい。もしよろしければ、なぜそうなのかという解説付きで、是非!


これはときどきいただく質問のひとつなので、ひょっとしたら以前にもお答えしているかもしれません。ただ、僕自身が以前とはちょっと受け止め方が変わった気もするので、改めて考えてみましょう。

好きなアーティストが影響を受けたものや、たとえばヒップホップでサンプリングされた楽曲からソウルやジャズに興味が湧くのは僕もそうだったし、すごく自然なことですよね。

今が以前と決定的にちがうのは、ネットによって情報の収集がしやすく、かつ音楽の聴き方がサブスク中心である、という点です。

たとえば僕のケースで言うと、10代のころよく聴いていた Digable Planets の "Rebirth of Slick (Cool Like Dat)" という曲があります。


ここで聴かれる印象的なホーンのサンプルがジェイムス・ウィリアムズもしくはアート・ブレイキーの "Stretchin" という曲から取られている、ということまではアルバムのクレジットでわかるんだけど、そこから実際にその音源に辿り着くまでたぶん数年かかっています。

というのも、"Stretchin" という曲が彼らのどのアルバムに収録されているのか、まったくわからなかったからです。とくにアート・ブレイキーはぜんぶで一体何枚あるのか今でもわからないくらいとにかく大量のアルバムがあるので、なんというか、その時点であきらめるには十分だったんですよね。

もちろん今はちがいます。ちょっとググればどのアルバムに収録されているかなんてすぐにわかるし、なんなら Apple Music なんかで Digable Planets を聴くだけでオススメとして出てくる可能性もあるでしょう。もちろん YouTube も同様です。

かつての僕のように、まず何から聴いたらいいのか、しかもその手がかりがろくすっぽなかった時代には「初心者にオススメの一枚」がすごく重宝したものですが、今は実際のところその必要があまりありません。なんとなればソウルとかジャズをヒップホップと絡めて検索すればそれに準ずるプレイリストが山のように出てくるからです。

そして(ここがまた重要ですが)そこでオススメされるアルバム、もしくは楽曲は、おそらく僕個人がオススメするものとそう大きくは違いません。あるジャンルにおける名盤は、その筋の人に訊けば誰でも挙げるし、誰が聴いても良いとおもえるはずだからこそ名盤なわけです。

だとすると僕がここでたとえばカーティス・メイフィールドやドナルド・バードの1枚を挙げたりする意味は果たしてあるだろうか?いや、ないだろう、じゃ他ではあまり挙げられないような1枚を取り上げるべきだろうか?いや、それじゃそもそもの主旨とちょっとズレてしまうしな……という葛藤が生まれてしまうのですね。

再び僕個人のケースをお話しするなら、僕がソウルの沼に沈んで溺死するきっかけとなった1枚は、1977年にリリースされた Joneses のLPです。

同じように、ジャズの沼に爪先をちょっとだけ浸すきっかけとなったのは1956年にリリースされた Horace Silver And The Jazz Messengers のLPです。色が違うだけで同じジャケのLPがあるので一応補足しておくと、最初に出会ったのは水色のほうです。今の僕が好きなのはオレンジのほうなんですけども。

はっきりしているのは、興味がある方向でいろんなものを手当り次第に聴いていたらすごくしっくりくる1枚に出会った、ということです。そして今の時代は以前とちがって、それがもっと手軽にできる環境も過剰なほどに整っています。少なくとも以前のようにアルバム1枚だけのために対価を支払う必要はない…ですよね?

なので、今の僕に言えそうなのはとにかくその環境を最大限利用して、片っ端から聴いてみること、ということになります。聴けば聴くほどオススメの範囲も広がっていくし、とにかく何だかわからないなりに再生してみることがいちばんです。

その上でもうひとつ付け加えておくと、サブスクは無限にもおもえる音楽を楽しめるように見えるし、実際そうなんだけれども、過去にリリースされたすべての音源が配信されているわけではありません。これは何気にすごく重要なことで、権利関係とかアーティスト自身の意向といったもろもろの事情から、配信されていない音楽がこれも無限のように存在します。なぜこれが重要かというと、サブスクがデフォルトになるとそこに含まれない音楽が存在することに気づきにくいからです。

たとえば僕は Ledisi というアーティストの "Feeling Orange But Sometimes Blue" というアルバムが大好きだったのだけれど、たしかこれはApple Musicでは配信されていません。でもそれ以降のアルバムは配信されていたはずなので、新たに聴き始める人にとってはそれが何枚目のアルバムなのかという点でおそらく食い違いが生じます。実際僕が好きだったアルバムは、再生機器が消失しつつある今でも、CDやLPでしか聴く方法がないのです。

たかだか20年くらい前の音楽ですらそうなのだから、それ以前となればなおさらです。

この点に意識が向くと、音楽の世界は劇的に広がります。

なのでその前にまずはネットなりサブスクなりでオススメされるものを片っ端から聴いていきましょう。聴きまくれば聴きまくるほど、最初はあまりピンとこなかったものがピンとくるようになります。僕にとってはジャッキー・ウィルソンとかインプレッションズがそんな感じでした。

ソウルミュージックで検索のヒントになりそうなサブカテゴリを挙げるなら、ニューソウル、ノーザンソウル、ディープソウル、フィリーソウル、シカゴソウル、モダンソウル、グループソウル、クロスオーバーソウル、アーリーソウル、アーリーフィリー、ダンスクラシックス、Pファンク、エレガントファンク、ディープファンク、ブラコン、モータウン、スタックス、ブランズウィック、ソーラー、サルソウル、あたりでしょうか。

ちなみにこのサブカテゴリの半分以上を網羅してしまう、おそらく唯一といっても過言ではない空前絶後のスーパーグループが、Isley Brothers です。なので、アイズレーの60年代、モータウン時代(!)から70年代のファンク、80年代のメロウを通じて今の今に至るまで、数十枚のアルバムをひと通り聴いてみる、というのはソウルミュージックとサウンドの変遷を知る上で意外とアリな手のひとつかもしれません。初期と後期では本当に印象がまったく違うのでたぶん耳を疑います。もちろん僕はぜんぶ好きだし、サブスクでもぜんぶ配信されている…はずです、おそらく!


A. とりあえずソウルに関しては Isley Brothers のアルバムをぜんぶ聴いてみるのがオススメです。




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その343につづく! 

2021年9月3日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その341


たけのこの佐藤さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 地域によって鎌だとか鍬だとか農具の形が少しづつ違うことを最近知ったのですが、身の回りのものでこれちょっと普通じゃないなという形のものはありますか。


これまでもツイッターで何度かふれてきましたが、僕の身の回りでちょっと普通じゃなさそうな形といったら、何はさておき文化鍋です。少なくともこの数十年、僕の身近で使っている人に出会ったことはありません。


どことなくおっぱいに見えなくもないのは把っ手がなくなってしまったからです。

ウィキペディアにもあるように、文化鍋とは主に炊飯用の鍋です。僕が生まれたころにはもう炊飯器が一般的だったとおもうけど、どういうわけかうちは炊飯器ではなくずっとこの鍋で米を炊いていました。実家が炊飯器に切り替えたのち、僕がそれを引き継いだのでたぶん40年以上は現役で使っていることになるとおもいます。

使い方はすごく簡単です。米を研ぎ、水を張り、30分くらい浸したら強火にかけ、沸騰したら弱火にして、15分くらいで火を止めます。10分蒸らせば炊き上がりです。コツもへったくれもありません。炊き込みご飯とか、ちょっとお焦げができたらうれしいな、というようなときに調整できるのはちょっとした強みですね。


最大の難点は保温ができないことで、僕もかつては米を保温するためだけの「保温ジャー」を持っていましたが、保温する必要を感じなくなった時点で処分しています。米を保温するためだけの家電なんだから、そういえばこれも家庭ではあんまり普通じゃないもののひとつですね。保温しかできないジャーを置くくらいなら炊飯器にしなよと今ならおもいますが、当時その発想は全然なかったです。なんかもう、そういうもんだとおもってごはんをせっせと鍋から移し替えてました。

もちろん、というか何というか、ふつうに炊飯器を使っていた時期もあります。誰からだったか「炊飯器もらったんだけど、よかったら持ってく?」みたいな流れでありがたくいただいたのです。そもそもがこだわりというよりこれで炊けるなら別にこれでいいじゃないかくらいの気持ちで使っていたから、とうとううちにも文明の利器がやってきたと心躍ったことを覚えています。何と言ってもいちばんテンションが上がったのはタイマー機能で、朝起きたら自動でごはんが炊けてるとかすごい、まじすごいと感動してました。念のため申し添えておくと、この時点で昭和ではなくとっくに平成です。

そこからなぜまた文化鍋に戻ってしまったのかは、いまいちよく覚えていません。ただ文化鍋はもともと炊飯用ではあるけれど、パスタを茹でたり豆を煮たり、ふつうに鍋としてもばりばり重宝するので、別に炊飯器なくても困らないというか、これもあんまり必要性を感じなくなっちゃったんですよね。

あと、何と言っても文化鍋の強みは「とにかく頑丈であること」です。一応把っ手はプラスチックだったとおもうので消耗するというか割れたり溶けたりして、うちのも今や跡形もありません。でも雪平鍋なんかとちがって、なくてもふつうに使えるというか、本体はアルミ鋳物だからどんなに乱暴に扱っても本当に、まじで、全然、壊れない。電気も不要だし、世界が滅亡したのちのサバイバル中に背後から何者かに襲われた時なんかは鈍器や防具にもなります。

じつはもうひとつ、祖母が亡くなったときにストックしてあった新品の文化鍋を引き取って持っているのだけれど、何しろ現役の鍋が一向に壊れないので今も新品のまましまってあります。この分だとたぶん死ぬまで開封できないんじゃないかとおもう。

シンプルにして頑丈きわまりない、実用的な美があるとしたら、まちがいなくこれがそのひとつです。土鍋でごはんの美味しさを極めるのもいいけど、僕なら同じ直火でしかも圧倒的に汎用性が高い文化鍋のほうをぐいぐい薦めます。

一見めんどくさそうにおもえて、炊飯器もけっきょく内釜を洗わなきゃいけないこと考えたらそんなに大差ないとおもうんだよな。

土地によって形が変わるもの、では全然ないですけども。


A. 文化鍋です。




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その342につづく!