2012年8月28日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その109



カルミンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

これまでにいただいた質問にもまだぜんぶお答えできていないのですが、前回の投稿でいただいたコメントには今、きちんとお答えしておかなくてはいけないような気がするので、急遽予定を変更してお送りしています。

カルミン、おいしいですよね。



Q: 私は1人になるのが怖いです。周りの目を気にしてしまいます。どうすればいいでしょうか。



カルミンさんとは正反対に、僕は大勢の人といっしょにいるのがとても苦手です。どこでどんな顔をしていたらよいのかわからなくていつもハラハラしているし、人からするとちっとも気を遣う必要のないところでひとり身構えては、かかなくてよい汗をせっせとかいています。アウトプットは真逆でも、ある種の恐怖という意味ではおそらくカルミンさんと変わりません。周りの目を気にしてしまう、という点も同じです。ふしぎですね。僕もじぶんで困ったことだとおもうし、カルミンさんも同じようなきもちで途方に暮れているのだとすればそれはもう、すごくよくわかります。しかもこういうのって、平気な人には本当に何でもないことだから、なかなか伝わりづらいんですよね。「気にしなきゃいいのに」とか「考えすぎだよ」とか言われてしまう。でもそもそも気にしたくてしてるわけではないから、あっさり切り替えることができるのなら初めから苦労はしません。人にはできるのにじぶんにはできない劣等感みたいなものだけが、ただしょんぼりとのこります。

ただ、もしお尋ねの意味が「駅のように人の多い場所で、連れもなく一人でいるのが怖い」ということなのだとすれば、話はまたべつです。気の逸らし方くらいなら何とかいっしょに考えられそうだけれど、しかしこれは僕なんかよりその道の権威にゆだねるべき問題という気もします。

ちなみに気の逸らし方というのはたとえば、頭に手のひらでせっせとハムスターを丸めるイメージを浮かべながら、できればそのままそそくさと喧噪から遠ざかる、というようなことです。遠ざかることができないなら、心理的な峠を越えるまでひたすらころころとハムスターを丸めましょう。「ハムスターを丸めること」についてはこちらを参照してください。なんの慰みにならなくても怒ってはいけません。気を逸らす、というのは基本その程度のことです。

そしてまた仮に、「周囲と異なる行動をとったり考え方を持つことに恐れを抱いている」のだとすれば、それをムリに矯正する必要はありません。ひとりになるのが怖いならなるべく誰かと行動を共にすればいいし、合わせられる歩調なら合わせておけばよいのです。じぶんが心安らかでいられる状態をキープすることに、何の問題がありましょう。生物としてのあり方ならそっちのほうがよほど正しい。肝心なのはどんな手段であれ生き延びることです。

それでもなお、「一人でも平気でいられるようになりたい」とお思いなのであれば、僕にも言えそうなことがひとつだけあります。

それは、「みずからポイポイと未練なく捨てていかないかぎり、一人になることは想像しているよりもはるかにむずかしい」ということです。先にもお話ししたように、僕とカルミンさんでは考え方や世界の受け止め方がだいぶ異なります。しかしだからといってそのために距離がより遠くなることはありません。ですよね?つながりとはいつも、それぞれの思惑とは案外べつのところで保たれていたりするものだし、だとすればそう簡単に一人になんかならないのです。

とはいえ、「だから大丈夫」とかるく太鼓判を押してしまうことには僕も抵抗があります。何となれば、僕らひとりひとりの世界は思いのほかちいさいからです。ひどく現実的な例で言うと、15年くらい前の僕はすべての暮らしが半径2km以内にほぼすっぽりとおさまっていました。そこでつながりを持っていた人の数はたしか両手にも満たなかったはずです(職場の先輩含む)。もしこの数人にそっぽを向かれたらたぶん、僕は世界の終わりを実感していたにちがいありません。地球には509,949,000km²もの面積があって、そこで暮らす人の数といったら70億を超えるにもかかわらずです。だから「きっと誰かが近くにいるはずだよ」とも経験上ちょっと言いづらい。いたとしても本人が実感できないのであればいないのと同じです。

なので、そうですね、万がいち孤立を感じて不安に苛まれるようなことがあったら、またここに来てください。一時的な避難場所くらいにはなるかもしれないし、避難場所があればそこでは周りの目を気にせずにすみます。要は人の目が届かない土地に一軒の家を確保しておけばよいのです。別荘みたいに。



A: 周りの目が届かない土地に一軒の別荘を建てましょう。



もし的外れな話をしていたらごめんなさい。カルミンさんの日々が涼やかに紡がれていきますように。





質問はいまも24時間受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



 その110につづく!

2012年8月22日水曜日

ときどき引っぱり出してよしよしと愛でたくなる謎



ちっともほしくないものを押しつけられた腹立ちまぎれに、その不可解な点をさんざんあげつらっておいて何ですが、「話のタネにしかならない」という意味でいえばウチにもそういうものはいくつかあるのです。

言うまでもないことですが、僕は無益それ自体を否定する者ではぜんぜんありません。無益だからこそ生まれる価値があることを知っているし、こよなくとまでは言わないにしても、どちらかといえばそれを愛好するほうです。でなければ日帰りの鈍行電車で東京から新潟までガタゴト揺られつづけたあげく駅から日本海を眺めてそのまま直帰というような、何の益にもならない計画を立てるはずがない。ですよね?

「君がそんなだから、相手もそんなのを寄越すのだ」とおもわれる向きもありましょう。言われてみればたしかにそのとおりです。「何だかよくわからないけど、これをあげるとしたらアイツだな」と人から思われているなら、それはまったく自業自得であって、他の誰のせいでもない。

しかし何だかよくわからないものに対する許容範囲がわりと広いほうだからといって、それを手元においておくかどうかはまたべつの話です。同じ謎でもときどき引っぱり出してはよしよしと愛でたくなる謎がある一方で、いらないものはどうしたって全然いりません。すくなくとも僕にとってへんな形をした輪ゴムは後者にあたります。何しろへんな形をしていてそれがいまいち判然としないというだけのことです。見せびらかすほど大層な謎ではない。

あるいはちっちゃな女の子が「みてー」と持ってきたら「あ、可愛い!」といっしょにたのしむこともできそうだけど、いくら可愛いからといってそれを手にして悦に入るのがいい年をしたおっさんだったらどういうことになるか、ちょっと想像してご覧なさい。「つらいときはいつでも言ってね」とありもしない哀しみに同情のまなざしを向けられること必至です。おっさんにはおっさんの、ある程度はキープしておかなくてはいけないおっさん像というものがある。

ではときどき引っぱり出してよしよしと愛でたくなる謎、言うなれば手元に置かれる資格を持った謎とは具体的にどういうものなのか?一例を挙げてみましょう。




これは酒屋さんが御用聞きの際につかう袋です。一升瓶が2本入ります。御用聞きというのはサザエさんでよく見かける「ちわー、三河屋でーす」という、おなじみのアレですね。昔は醤油なんかも瓶だったから、配達には重宝していたんだとおもいます。今もふつうに使ってるんだろうか?一升瓶を2本入れて運ぶシチュエーションてそう多くはないような気がするけれど(とくにこのご時世)、下戸は酒屋にぜんぜん用がないからよくわからない。

しかしそんな蘊蓄はどうでもよろしい。問題はそこに書かれている文字です。




あえて言葉にするまでもありますまい。百歩ゆずって胃腸薬に美味を求める人がどれくらいいるのかという点に目をつぶってもなお、まだここにはキャッチーにして深淵なる謎がごろりと寝そべっています。名は体を表すというけれど、この場合両者にはほとんど文化レベルの隔たりがあると言わねばなりません。

しかし、「よし、これでいこう!」とその名に決定されるまでの一見するとふしぎな経緯や、薬を美味と謳ってまで届けたい熱意をあれこれとプロファイリングしていけばそれだけでひとつの物語をつむいでいくことになります。

言い換えれば手元に置いておきたい謎とは「物語性が高く、かつその正解が容易に想像できない謎」ということになるのです。

わたくしがあの輪ゴムを歯牙にもかけない理由がこれでおわかりいただけましょう。あれにはたぶんシンプルな正解があって、知っても「へー」とはならない気がする。


ただ、前回の投稿にいただいたコメントを読んでいるうちに「そういうことではないのだ」というきもちになってきたのもたしかです。ああでもないこうでもないといじくり回した僕がまちがっていたというか、野暮だったとおもう。あの黄色いヒトデみたいなやつについては、それでもやっぱりひとこと言わずにはおれないですけども。


ふと、東名高速道路の横浜青葉ICそばにある「Golf」という名のラブホテルをおもいだして、ぼんやりと時間をつぶす夏の夜です。


2012年8月17日金曜日

それとは別の何だかよくわからないもの 後編


<前編のあらすじ>

輪ゴムっぽいような気もするけど、パッケージに「リストバンド」と書いてあるのでこれはひょっとするとファッションとしてのあたらしい何かかもしれないというある種の期待をこめて開封してみたダイゴくんがそこで見たものとは……


やっぱり輪ゴムであった。




すくなくともリストバンドということばの響きから連想される形状とは、それこそ天文学的な隔たりがあります。事件の謎を解くどころかあらたな謎に直面してふりだしに戻るようなものです。ミステリーならここから俄然おもしろくなってくるとおもうけど、僕はちっともおもしろくない。

輪ゴムと呼ぶにはその実用性を初手からかなぐり捨てているような印象がなくもないですが、これはおそらく何らかのシルエットを模しているのです。そうおもってみるとなんとなく形がわかるような気がしてきます。ペガサスとか、ティンカーベルっぽいのもある。かなり豊かな想像力を必要とする点をのぞけば、それなりに凝ったつくりをしているような気がしないでもない。リストバンドのことはもう忘れましょう。

ファンタジーの世界をモチーフにした輪ゴム、というところまでは辿り着いたとみてよさそうです。それがわかったからといってどうにもならないことには変わりないですが、しかしそうすると左下にある黄色いヒトデみたいなやつは何だろう?



たぶんいっしょくたにされて歪んだだけだとおもうけど(そうなると初めからわかりきってるのになぜそうまでして輪ゴムなのか?)、それにしても不可解なかたちです。

とおもったらパッケージの下部にその絵が描いてありました。




歪んでなかった。


むしろ驚くほど忠実に再現されています。にもかかわらずそれが何だかわからないというのはいったいどういうことなのか?


しかしもうやめましょう。これ以上は心がささくれ立つばかりです。結論としては「何だかよくわからないものは、開けてみたらある程度わかったような気がするけれども、それでも最終的にはやっぱり何だかよくわからない部分がちょっとだけ残った」ということでまず問題ありますまい。これはもう、心置きなく堂々とうっちゃっていいものだとおもう。実用性はみごとに失われているし、誰がこれと何を交換してくれるっていうんだ?


とおもったらミス・スパンコールが姪っ子にやるといって持っていきました。行き着くところに行き着いたという気がする。


【教訓】大人からちびっこへのプレゼントは必ずしも良かれと思って用意するものばかりではない。


それにしてもスペインでは壮麗な景色の数々を堪能したと言って自慢げに写真を見せびらかしていたのに、なぜ土産となったら何だかよくわからないものばかり買ってくるのか、理解に苦しみます。いちど腹を割った話し合いを持たねばなるまいとおもう。


2012年8月14日火曜日

それとは別の何だかよくわからないもの 前編



重くて固い上に、表面もゴツゴツしていて岩みたいな、たぶん乾燥した無花果を押し固めたようなものの中にアーモンドが入っている何か」で思い出したけれど、そういえばこのとき、これといっしょにもうひとつ別の何だかよくわからないものを土産として受け取っておりました。




そうして目をぱちくりさせながら「これは何?」とたずねれば、「さァ…」と首をかしげながら「小銭が余ってたから」と身もふたもないことを言うのです。「重くて固い(中略)何か」のときはそれでもいくらか好意が感じられたのに、こっちは好意どころか気持ちのきの字も見当たりません。なるべく使い切りたいという気持ちはわからないでもないけれど、ユーロが余ったのならそのコインを記念としてくれればいいじゃないか?そしてなぜその何だかよくわからないものを他の友だちではなく、僕に寄越すのか?

というもやもやした個人的な葛藤はさておき、土産としてもらった以上はそのままうっちゃってもおかれません。すくなくともこれが何であるかくらいは僕も知っておきたいし、うっちゃるならそれが何であるかを知った上で堂々とうっちゃりたい。

その見た目と「Funky Bandz」と銘打ってあることからして、どうやら輪ゴムっぽいぞというところまではなんとなくわかります。輪ゴムで不快な思いをしたことはないし、どちらかといえば便利な道具という認識だからそれならそれでまあよろしい。そもそもスペイン土産として輪ゴムはアリなのかという根本的な是非についてもこの際ふれずにおきましょう。そこから異議を唱えていては話がちっとも進まなくなってしまうからです。

よくみると左上に「Collect & Trade」と書いてあります。「集めて友だちと交換しよう!」ということらしい。言われてみればカラフルだし、パッケージもファンシーだから、子どもならそうした用途も大いにあり得ましょう。子どももいない30代半ばのおっさんはこれを誰と交換したら良いのかというやりきれない点については、ひとまず今後の課題として脇に置いておきたい。

問題は右上にある文字です。「Wrist Bands」と書いてある。


リストバンド?


たしかに、輪ゴムを手首に巻くことは往々にしてあります。必要以上に巻いているおばちゃんを見かけることだってある。しかしだからといってそれをリストバンドと呼ぶかどうかはまた別の話です。日ごろ輪ゴムを手首にかける機会があるとすればそれはまちがいなく一時的な便利のためであって、それ以外の理由はありません。

待てよ、だとするとこれはファッション的な意味合いをもったちょっとあたらしい輪ゴムなのではないか、と僕は考えます。輪ゴムをファッションとして考えるのではなく、ファッションとしての輪ゴムを考える、それはたしかに逆転の発想です。輪ゴムじゃなくても良さそうなものだけど、そんなつまらない揚げ足取りをしてもしかたがありません。一見の価値くらいはあるような気がする。

そうして中身を引っぱり出してみたらみたで、今度はまた別の大きな壁にぶち当たるのです。


後編につづく。

2012年8月11日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その108



4ヶ月もの間、3日とあけずこまめに更新しつづけたピス田助手の手記が幕を下ろしたとたん、ピタッと無沙汰になるあたりがまたこのブログらしゅうございますが、さりとてこのままフェイドアウトするかといえばもちろんそんなことはございません。もともと爪に火をともして暗がりをうろうろと徘徊するようなつましい活動に、フェイドアウトもへったくれもないのです。落ちぶれるといっても椅子から転げ落ちるくらいの落差でしかないのだから、これもまたここでは常の一部ともうせましょう。

それはそうと、あれだけの超ロングランヒットを記録した(わけではない)ピス田助手の手記が、じつはパンドラ的質問箱の単なる一回答にすぎなかった事実を、よもやお忘れではありますまいな!


ミッション・インヴィジブルさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)これはたぶん、透明人間になったらあんなことやこんなことをしてイヤンまいっちんぐ、というようなことの専門用語ですね。どうもありがとう!



Q: 食べることが好きな一人間として聞きますが「好きそうだから」というシンプルこの上ない理由で頂いた例の「いちじくとアーモンドを固めた鈍器のようなもの」は食べて見ましたか?またどのように食べて見ましたか?そして肝心なその味は?



ふむ…これは去年の12月にこのブログで紹介した「重くて固い上に、表面もゴツゴツしていて岩みたいな、たぶん乾燥した無花果を押し固めたようなものの中にアーモンドが入っている何か」のことですね。よろしい。お答えしましょう。






A: じつはまだあるのです。



たぶん保存食なので、世界の終わりがきたらガリガリ齧ろうとおもう。




【とってつけたようなご挨拶】ムール貝博士言行録は今後も半死半生をモットーに、累々と死屍を積み重ねてまいります。全国津々浦々にかろうじてちらほらと見受けられる総勢約8名くらいの小林大吾ファンのみなさまにはまったくもって面目ないことですが、これも因果とあきらめてしぶしぶお付き合いくださいませ。ヤッホー。



質問はいまも24時間受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



 その109につづく!