2025年7月25日金曜日

アグロー案内 VOL.9解説「名探偵、都会へ行く/the adventure of a wandering man」


リリースから3週間が経過した今でもトレンドの上位を独占し続け、一向に話題の尽きる気配がないほどの一大ムーブメントを巻き起こしているとアポロニカ学習帳に書いてあるアグロー案内 VOL.9、今回は当プロジェクトのメインコンテンツにいよいよ昇格した感のある山本和男シリーズの新たな局面についてです。

前回のVOL.8では、足を滑らせて滝壺に落下したはずの山本和男が、どういうわけかセスナの機体外側に仁王立ちで颯爽と現れ、奇跡の大復活を果たしています。そしてこれは、新たに幕を開けたシーズン2のスケールアップを暗示していた、と言ってよいでしょう。アグローという町がホームだとすれば、次の舞台は世界である、そんな壮大なビジョンがあるように思われます。

ニューヨークのハーレムを舞台にしていた映画「黒いジャガー(Shaft)」が3作目の「黒いジャガー/アフリカ作戦(Shaft in Africa)」でエチオピアに行ってしまうようなことですね。

基本的な活動範囲が自転車で回れるところに限られている山本和男からすれば、大都市を闊歩するだけでなんだか国際的な名声を得たような気になるのも無理はありません。そして実際、彼はそう考えているでしょう。彼が海外の名だたる都市にいるのか、あるいは関東なら大宮とか町田あたりにいるのか、それはさすがに僕もわかりませんが、個人的にはなんとなく後者の印象です。

ちなみに副題の「the adventure of a wandering man」は、「シャーロック・ホームズの帰還(The Return of Sherlock Holmes)」に収録されている「踊る人形(The Adventure of the Dancing Men)」を元にしています。ホームズが滝壺に落ちたあとの短編集であるあたり、じつに抜かりありません。

あと、そうだこの曲における会話の通話先、つまり加藤くん視点がリリース前にSNSで示されていたので、これも参考にしてみてください。


それにしても山本和男は大宮、じゃなかった大都会で何をしているのか、そしてこれまでに提示されたような気がしなくもない謎には一体どんな関連があるのか、それとも全然ないのか、すべてはアグロー案内シリーズの再生回数にかかっていると言ってもそれこそ過言ではありません。積極的にどんどん再生していきましょう。

なんかこう、展開の仕方が昭和のゲーセンにあった脱衣マージャンみたいな気がしないでもないですが、脱ぐ必要性と需要が1ミリもないぶん、はるかに健全で好ましいと僕なんかはおもいます。


2025年7月18日金曜日

アグロー案内 VOL.9解説「魚はスープで騎士の夢を見る/the order of the landfish」


まずは前提として、先週に引き続き「饗宴2025/eureka (revisited)」の話をもうすこしだけしておきましょう。

饗宴2025/eureka (revisited)」は僕としても胸を張れる作品のひとつですが、書き手の視点からするとこれは基本的というかごくごくオーソドックスな手順で書かれています。

書かれたテキストは最初から最後まで一貫して、1小節につき1行が目安です。小節の最後に句点「。」がつくイメージですね。

それはもう本当にシンプルで、人にも伝授できます。基本的とはそういう意味です。基本も何も当時の僕にはそれしかやりようがなかったという身も蓋もない事情はひとまず投げ捨てておきましょう。

対して「魚はスープで騎士の夢を見る/the order of the landfish」は、この目安がないというか、小節をほとんど意識していません。きっちり収めようとして書いたのは脚韻を踏むフックだけです。

とはいえ段落としての区切りはほしいので、だいたい8小節くらいに収まるテキスト量をなんとなく意識してはいましたが、それが実際に収まるかどうかは書いている段階ではぜんぜんわかりませんでした。とにかく描きたい情景を書きたいように書くことを優先しています。句点が小節の最後に置かれず、あちこちに散らばっているのはそのためです。

つまり、ビートが前提のリリックではなく、テキストを書いたあとでそれをどうビートに乗せるか、という手順になっているわけですね。

小節単位の基本的な手順であれば、書いてすぐ録音することができます。何しろ書く段階ですでにどう乗せるかのイメージが概ね確定しているのだから当然です。

しかしビートを踏まえず好きに書き散らかしたものを乗せるとなると、さらに一手間増えることになります。そもそも一文の区切りがどこにくるのかさえ、この段階ではわかっていません。フレーズごとに配置を決めながら、文意を損なうことなく、盆栽のように細部をちょきちょき整えていく工程が必要になります。

そんなに面倒ならやらなきゃいいのにと僕も思いますが、それでもやるのはこれがラップと違って明確にリーディングでしかできないことだからです。

それを端的に象徴するというか、僕自身ビートに乗せる段になって驚いた部分が、5段落目にあります。

「夢を見ていた。1匹の魚として、気の向くままに泳ぐ……はずが、どこかに囚われている。水槽?にしてはすこし狭すぎる。浴槽?にしては熱すぎる。むしろご馳走……つまりスープらしいと気づいた。誰かの投げた匙で今まさに食われようとしているところ。」という部分です。

ここでは「水槽」「浴槽」「ご馳走」で語尾を揃えています。もし初めからビートと押韻を意識していたなら、小節の最後=脚韻として書いたはずですが、実際には小節の頭に跨って、音的にはむしろ頭韻になっているのです。なんなら水槽という2文字すら前後で小節に跨っている

どう考えても、小節を意識していたら踏めない韻がここにあります。そして僕がラップと言わずにリーディングと言い張り続ける理由のひとつもまた、ここにある。

結果論なので毎回これを意識するとまた話が変わってくるけど、少なくともリーディングならこんなこともできるという一例に、この作品はなっているのです。


それからフックにある「パパラッチもどさくさに紛れてスクープ」というラインについても、せっかくなので注釈を加えておきましょう。スクープはもちろん英語で “scoop” なわけですが、じつはこれ元来は掬うという意味があります。

音も意味も「掬う」とほぼ同じです。

ただ日本語の「掬う」は小さじであっても「掬う」である一方、英語の "scoop" は塊というか、ある程度のまとまりに限定されます。アイスとか土とか、ごそっとラフに抉るようなイメージです。コンソメスープには適さないけど、具沢山の豚汁とかならscoopでもOKというかんじ。たぶんオランダ由来の「スコップ」と同根じゃないかとおもう。

ここから僕らもよく知る「スクープ=特ダネ」に転じたわけですね。

つまりここでは、パパラッチが晩餐会の様子を激写していると同時に、じつは一緒になってスープを食っているというダブルミーニングになっているのです。

突拍子もないように見えて、どいつもこいつもスープに手を伸ばすような状況においてはむしろ彼こそ必要な存在だったと申せましょう。そしてscoopというからにはかなりがっつり食っているはずです。


そして最後にどうでもいいと言えばどうでもいいことこの上ない話ですが、この作品、「手漕ぎボート/helmsman says」、「象を一撃でたおす文章の書きかた/giant leap method」、「ダイヤモンド鉱/hot water pressure washer」からなるカッコいい靴三部作」第四部です。

そもそもそんなシリーズが存在したことすらご存知ないほうが当然なので、えっどういうこと…?という人はよーく聴くと同じキーワードが含まれているので、この機会に聴き返してみてね。

基本スキルによる最高峰のひとつと20年を経た応用スキルがひとつにパッケージングされているばかりか、過去ともつながる VOL.9 は個人的にも胸に染み入るものがあります。じーん。

2025年7月11日金曜日

アグロー案内 VOL.9解説「饗宴2025/eureka (revisited)」


さて、アグロー案内シリーズでは恒例とも言える過去作品のリメイクですが、今回の「饗宴2025/eureka (revisited)」はすこし意外な形に仕上がりました。

何しろオリジナルにはなかった詞が追加されています。20年近い年月の経過を表していると言えなくもない、いつになく美しいリメイクです。

ただ詞の追加については、初めから意図していたわけでは全然ありません。どちらかといえば、そうせざるを得なかった、というかんじです。

御大タケウチカズタケの手になるリメイクビートはオリジナルにかなり忠実でありながら隅から隅まで超絶アップデートが施されてとんでもないことになっているわけですが、カズタケさんのソロとは別に、オリジナルと異なる構成がありました。

それが後半のフックです。

具体的には「どうぞよりも先に『どうも!』ってあら?イントロでもう負け?まあいいや、あれもこれももらう前にふるまえ!宝箱とまちがえてパンドラの箱を山分け……?マズい、そいつだけはヤバい!ふたを閉めて逃げろ、来るぞ!」の決め台詞みたいな部分ですね。

この部分、オリジナルではバースにつき1度しか出てきません。

というのも、「ヤバい逃げろ来るぞ」というフレーズは、その時点でみんながパーッと散り去るイメージであり、繰り返すものではないと考えていたからです。そういうイメージでなければむしろ僕もフックは繰り返したかった。でもこれはちょっとリフレインには不向きだなと感じたので、やむを得ずというかなんというか、オリジナルでは繰り返さずに1度で止めていたのです。

カズタケさんから送られてくるビートは、あくまで目安であってその尺、構成に従わないといけないわけでは全然ありません。実際、好きに受け止めてもらっていいと僕も言われています。詞に合わせて尺を縮めたり伸ばしたり、カットしたりしても別に怒られたりはしない。

ただ僕としても2人でやっている以上、こう来るならそれに応えたいという思いがあります。オリジナルと構成が異なっていても「むりです!」ではなく「むむ、繰り返すならどう応えようか」とできれば受け止めたいのです。

この曲に関してはとにかく「逃げろ、くるぞ!」を最後にすることが最優先だったので、その前に新たな4小節を足す選択肢もありました。ただやっぱり導入は同じほうがいいよなあと思い直し、元の4小節を2つに分けて、新たな4小節を挟みこんでいます。

その結果、かつてと同じ宴の再現に見えて、実は過去にもこんな宴があった(=以前と同じ宴ではない)と終盤で全体の時間軸がシフトする着地になったのです。オリジナルを知らなくても問題ないけど、知っていれば別の意味合いを持つというテクニカルな帰結には、ほんとにもう、続けててよかった…としか言いようがありません。個人的に作り直したとしても、絶対にこの着地にはなっていなかったはずなので、このリメイクを気に入ってもらえるとしたらそれは100%、カズタケさんのおかげです。

全編を貫くギターのカッティング、バース後のカズタケソロも失禁レベルで超ステキだし、総じて非の打ちどころのない、完璧な一編である、と改めて断言できます。

また、タイアップとなったアポロニカ学習帳はそもそも神々の育成を謳うチート級のノートであり、神々について語られる「饗宴」ほどうってつけの楽曲はない、と言ってよいでしょう。むしろこの曲のために商品が企画開発されたと考えるほうが妥当なのではないか……?と勘繰ってしまうくらいです。

作品としての強度、恒久性もある……気がするんだけど、ずっと下の世代の誰かに届くことはあるだろうか……?


2025年7月4日金曜日

魚はスープで騎士の夢を見る/the order of the landfish


夢を見ていた。
さしこむ朝日、小鳥の囀り、花の香りが鼻をくすぐり、熱々のコーヒーとトーストを傍らに新聞をめくる。たったそれだけの、続きも何も、本当にそれだけの、単なる予告編ですらないティーザーだ。クランクアップは永遠にこない。

夢を見ていた。
かっこいい靴を置いていた角の店がもうないのに気づいた途端、どこもかしこも知らない町に見えて、立ち尽くす。たったそれだけの、続きも何も、本当にそれだけの、紙の切れ端みたいな断片……(あるいは立ち去れと促すための)

手は尽くしたと藪医者がスプーンをほうり投げる前に、取り上げて掬う。冷めたスープに死神が口を拭う。そんな連中が頭の片隅に巣食う。目を離したすきに藪医者も食う。パパラッチもどさくさに紛れてスクープ、晩餐会を開いたつもりもないのにこいつらが苦い胸の内を救う……。

夢を見ていた。
どこまでも深く青い海のどこかで、光る魚の巨大な群れが一糸乱れずに舞い踊りながら、壮大な白銀のカーテンを織りなしてひらめく。それを外から取り巻くように、何者でもなくただ傍観者として眺めている。

夢を見ていた。
1匹の魚として、気の向くままに泳ぐ……はずが、どこかに囚われている。水槽?にしてはすこし狭すぎる。浴槽?にしては熱すぎる。むしろご馳走……つまりスープらしいと気づいた。誰かの投げた匙で今まさに食われようとしているところ。

振り払おうとすればするほど、それは亡霊のようにつきまとう。今もまだましな選択がありそうな気がするだろう……だとしても向かう先に待つのはいつだって忌々しいほど悪いか、でなければどうしようもなく悪いかだ。目の前に鏡を置いてよく見ろ(そしてせいぜい笑えるほうを選べ)。

手は尽くしたと藪医者がスプーンをほうり投げる前に、取り上げて掬う。冷めたスープに死神が口を拭う。そんな連中が頭の片隅に巣食う。目を離したすきに藪医者も食う。パパラッチもどさくさに紛れてスクープ、晩餐会を開いたつもりもないのにこいつらが苦い胸の内を救う……。

夢を見ていた。
暮れゆく茜色の空から、通り雨のようにばらばらと魚が降りそそぐ。そのうちの名もなき一匹として、果てしない空の底に沈んで、悠長に流れる時を数えて、やがて干上がる水たまりで遠い海に想いを馳せている。

そこへ誰かが近づいてきて、足を止める。逆光で姿の判然としないその彼に、大きくて力強い手を差し伸べられる。バッジを渡され、陸の上の魚という名の騎士団に迎え入れられ、その末端に名を連ねるよう告げられる。
 
振り払おうとすればするほど、それは亡霊のようにつきまとう。今もまだましな選択がありそうな気がするだろう……だとしても向かう先に待つのはいつだって忌々しいほど悪いか、でなければどうしようもなく悪いかだ。目の前に鏡を置いてよく見ろ(そしてせいぜい笑えるほうを選べ)。

そこで目がさめた。
見覚えのあるシルエット、聞き覚えのある声に首をかしげながら、顔を洗い、シャワーを浴び、まだ着られそうなシャツに着替えて、買っておいたサンドイッチを口に放りこみ、リュックを掴んで部屋を出る。テーブルにはバッジが転がっている

手は尽くしたと藪医者がスプーンをほうり投げる前に取り上げて掬う。冷めたスープに死神が口を拭う。そんな連中が頭の片隅に巣食う。目を離したすきに藪医者も食う。パパラッチもどさくさに紛れてスクープ、晩餐会を開いたつもりもないのにこいつらが苦い胸の内を救う……。