2007年12月31日月曜日

ザ・フラワーズのシュークリーム問題


新宿の横断歩道をてくてくと歩いていたら、目の前で自転車に乗った出前のお兄さんが天ぷらうどんをどんぶりごとガチャンと道に落とすのです。
その数十分後、雑司ヶ谷のあたりをてくてくと歩いていたら目の前でおばちゃんが豆腐を一丁ぺちゃりと道に落とし…とおもったらまたその数時間後には遊びに行った先で姉さんが植木を床に落として、水びたしときたものだ。

どれも僕から3メートルくらいはなれたところで起きたできごとなので、関係ないといえばそれはもうまったく関係ないのだけれど、じぶんがちいさな不運をポケットからポロポロまきちらしながら歩いているみたいでどうも気になる。

そのあと「ガン」と地面に叩きつけられたドラム缶みたいな音が遠くから響いてきてもう、どこのどなたか存じませんがなんだかすみません。

 *

パンケーキやナン、今川焼やベビーカステラといった粉モノを愛する荒くれ集団、ザ・フラワーズ(the Flours)ですが、年の瀬も押し迫るいまごろになって代表をつとめるムール貝博士からメンバーに緊急召集がかかり、非常にあわただしい動きを見せています。

議題:シュークリームは粉モノや否や

「粉モノでいんじゃないすか」
「でもこれたしかに考えたことなかった」
「クッション性が足らんのだ」
「クッション性?」
「ふかふかじゃないということですね」
「博士」
「議長と呼べ」
「すみません。まだ朋子ちゃんきてないですけど」
「誰だ?」
「博士こないだパンケーキもらったじゃないですか」
「知らん」
「シロップで笑顔が描いてあったやつですよ」
「おもいだした!朋子ちゃんはどうした」
「こっちが訊きたい」
「呼びなさい」
「大晦日ですよ」
「だから何だ?」
「来るわけないでしょう」
「君ら来てるじゃないか」
「そんなこと言うなら帰りますよ」
「馬鹿を言うな。フラワーズの存続にかかわる大問題だぞ!」
「あっピス田さんビアードパパ食ってる」
「好きなんだよね」
「よこせ!」
「博士も好きなんだ」
「じゃもういいじゃないすか粉モノで」
「それとこれとは話が別だ」
「いやほぼいっしょですよ」
「パンケーキとシュークリームを同じ俎上に並べるのか?」
「そうですよ」
「シュークリームをほおばりながら小麦粉を感じることがあるか?」
「あんまりないですね」
「ホラみろ!」
「でも博士、クリームも小麦粉ですよ」
「なんだと?」
「カスタードクリームも小麦粉です」
「あ、そしたらグラタンはどうなの」
「ピス田さん口のまわりクリームだらけですよ」
「グラタンは甘くない」
「そんなこと言い出したらうどんもパスタも粉モノだよ」
「それフラワーズ決議5で妥協したでしょう」
「つまり甘くなくちゃダメなんだ」
「パイはケーキに準ずるんだよね?」
「フラワーズ決議37だ」
「しかしカスタードクリームも小麦粉というのは盲点だな」
「ほとんど丸ごと小麦粉ってことだ」
「それでいてとろけるような甘さをもち…」
「ケーキひとつよりもはるかにお値打ち」
「よろしい。ではこのへんで採択をとろう」
「シュークリームは粉モノや否や」

「賛成3、反対0、棄権1で粉モノに認定する」
「棄権1?」
「だれ?棄権したの」

 *

さて、紳士淑女の皆様方にはお名残惜しゅうございますが、今年はこれにて閉幕です。ぶりんとして艶のある、よい月が出ておりますね。ここ2日で乾いては濡れ、乾いては濡れをくりかえしたみじめな洗濯物も、明日にはからりと乾くことでしょう。

間に合ってよかったと、しみじみおもいます。思いもかけないよろこびを手にして、あたらしい世界の広がりをちょっとだけ目にすることができたのも、みんなあなたのおかげです。格別の愛顧とはまさにこれをさすのだと、今さらながら胸の奥深くに染み入るものがありました。

ありがとう。

ふつつか極まりない男ではあるけれど、明日からもよろしくおねがいします。

ときどきここを訪れては息災を確認してくれるすべてのあなたに、表面張力ぎりぎりの愛をこめて。

 *

あとごくごく個人的な私信をひとつ。
ふくいしさん(ずっとそう呼んでいたので結婚された今もそう呼んでしまうのです)、いつでも会える距離にいながら、ちっとも会えない不思議な距離感のために今まで言いそびれてしまっていたけれど、いつもさりげなく支えてくれてどうもありがとう。古川さんでさえためらいを感じた「詩人の刻印」というタイトルを通すことができたのも、ふくいしさんがうなずいてくれたからこそです(彼女はまた、プロデューサーである古川耕がもっとも信頼する書き手のひとりでもあります)。
今の僕にとって、あんころもちみたいな闇のうしろにタフな知性を隠し持つふくいしさんの太鼓判ほど、心強いものは他にありません。ありがとう。ありがとう。

 *

よいお年を!
あと来年は駐禁を切られませんように!

2007年12月28日金曜日

空から降ってくる人間をよけるには


「手漕ぎボート/helmsman says」にも、墜落した猫舌の少女が出てくるけれど、それよりもずっとシビアでひりひりした話。

 *

雑踏ひしめく白昼の池袋駅前でひとり、ビルの屋上から吸い殻みたいにポイと身を投げた女性について、ほとぼりの冷めた今もときどき思いを巡らすことがあります。

この話で僕が認識している事実は次のシンプルな3つです。

1. 女性は池袋パルコの屋上からとびおりた。
2. 雑踏でひとりの男性が巻き添えになった。
3. ふたりとも亡くなった。

迷惑といえばこんなに迷惑なことってちょっとない。

でも僕が今もおもいだすのは、あまりにきのどくな男性のことではなくて、世界のなんでもない日常にゴリッとした痛みをなすりつけていった女性のほうです。本来なら持っていたはずの「同情の余地」をみずからすりつぶしてしまったやりきれない結末に対して、考えてしまうことがいっぱいある。結果としてみんなの同情はすべて巻き添えになった男性にあつまっていたし、それはもちろん当たり前の結果ではあるのだけれど、一方でそうした一辺倒な反響そのものが、却って僕の感じるやりきれなさに色濃い輪郭を与えていくことにもなっているのです。この話が胸の奥底に澱として残ってしまったのも、そのためだ。

・ひとつめ。
ビルの上からとびおりたということは、突き落とされたのでないかぎり、そうせざるを得ない心理に追いこまれていたのですよね。他人にとってはそれがびっくりするくらいちっぽけな事情であっても、そこにはたしかな絶望があった。そして同時に、ここにはまだおおきな同情の余地がある。
・ふたつめ。
白昼の雑踏を実行場所に選んだということは、少なくともひとり以上の誰かに意識を向けてもらう必要が彼女にはあったということです。不特定多数の人間に自分の存在をアピールしたかったのかもしれないし、ある特定の誰かに見せつけたかったのかもしれないけれど、起こしたアクションの対象が何であれそれはこの際横っちょに置いてかまわない。人知れず命の灯を吹き消す方法が他にいくらでもあることをおもえば、この選択肢にはわりあいしっかりした意図があるとおもう。「こんなリアクションがほしい」と望んでいてもおかしくないし、だから意図を望みと置き換えてもいい。
・みっつめ。
赤の他人を巻きこむことまで計算に入れていたかどうかは誰にもわからない。ただ場所が場所だけに、巻きこんだらそれはそれでより大きな効果を生むかもしれないと考えていた可能性はありそうです。未必の故意というやつですね。そう考えると、ある特定の誰かに向けたアクションだった可能性がずいぶん高くなる。
・よっつめ。
その結果は?

話題にはなった。簡単に言うと、でもたぶんそれだけだった。

じぶんの命を絶つことと、それ以外の命を絶つこと、してはならないことを2つも重ねてしまったのだから、彼女にはもう同情の余地がほとんどない。でもですね、深海に沈んだ(と考える)本人にとっては、ありえない道を選択するだけの水圧が確実にのしかかっていたにもかかわらず、救われるどころか最後の最後で海底に向かうなんて、そんなやりきれない話があるだろうか?誰かが大きく「害」とペイントした扉を後ろ手に閉めて終わる人生って、いったいどういうことなんだ?

だれがどう控えめにみたって、きのどくなのは男性だ。僕だってそう思う。いくらなんでもあんな幕切れはない。じゃあ彼女は?

でかすぎる迷惑にはちがいないけれど、それだけで片づけてしまったら、彼女と同じ思いを抱いている人を止めるとき、なんの教訓にもならないじゃないか?考えたってどうにもならないのはよくわかる。知らないことが多すぎるし、失われたものが戻ってくるわけでもない。でも思いを馳せるだけでも経験値の足しにはなるとおもうし、ひょっとしたら僕もあなたも、いつかどこかで巻き添えを食らわずにすむかもしれないのだ。

 *

なぜ死んではいけないのか?
あなたが始めた人生ではないからだ。
なぜ殺してはいけないのか?
それがあなたのものではないからだ。

そして残念ながらあなた自身でさえ、
あなたの所有物ではない。
(ピザがピザの所有物にはなり得ないのと同じだ)

八方塞がりだとおもうかもしれないけれど、
そうじゃないなんていったい誰が言ったんだ?

どこもかしこも通行止めだ!
そっちはどう?
ああそう、だろうとおもったよ。

 *

完全な密室にとじこめられてるとき、
脱出に必要なものって何だろう?

愛されていようといまいと、
希望があろうとなかろうと、
だいたいへたをすると良心でさえ
脱出にはあんまり意味がないのだ。

知恵しかないんだ。
そうしてそれなら、誰でも持ってる。
だからいっしょに作戦を練るんだよ!

 *

ただまあもちろん、世界には魚やカエルが降ってきた例もあるし、空から降ってくる人間の避け方を訓練するのもひとつの手ではある。どっちを選ぶかは僕ら次第だけれど、それにしてもものごとの上っ面だけをぺろりとなめて、甘いとか辛いとか単純な味覚に還元してしまうモノの見方ほど、つまらないものはないと僕はつくづくおもう。

2007年12月25日火曜日

8番目の刺客のこと


キャベツは男で、レタスが女だよな…というようなとりとめのないことを考えていたら日が暮れてしまった。

ああ、もう来週は来年じゃないか。

僕は1年のうちでも大晦日がいちばん好きな日なので、今からわくわくして夜もねむれないありさまです。年越しをギャーと騒ぐのもたのしいけれど、しみしみと時間に溶けこむように、近所の神社までぽつぽつ歩く夜の道のりには曰く言いがたい安らぎがあります。神社の境内で焚かれる篝火をうっとりと眺めるボーイスカウトのがきんちょを見るのも好き。ほとんど白湯にちかい甘酒売りの露店もゆるす。いつまでもこんな夜がつづいたらいいのにとねがわずにはいられないのです。絶望どころか希望さえも口をつぐまざるを得ない、あのニュートラルな厳かさを、僕は信頼しているのだと思う。

良い年だったか?そうか、ここで火におあたり。
悪い年だったか?そうか、ここで火におあたり。

 *

まあそういうわけなので、8/8,000,000となる、ことしというか、来年のアレをせっせと刷ったり書いたりしてときどきゴロゴロしています。


以前おやくそくした人にも、きちんとお届けします。忘れてないでしょうね!壁にぺたっと貼ったり、昆布の代わりにだしをとったり、ババ抜きに使ってもらったりしてよろこんでもらえるといいんだけれど、でも年賀状ってそういうものじゃないよな。

2007年12月22日土曜日

一冊と数えるコンパクトディスク



りんりん。

りんりん。

がちゃ
「もしもし」
「ダイゴ君か?」
「おや、その声はピス田さん」
「マズいことになった」
「どうしました」
「だまって言うとおりにしてくれ。まずお湯をわかすんだ」
「お湯?」
「いいから早く!ムール貝博士がどうなってもいいのか」
「今さらどうもなりようがないでしょうあの人は」
「いいから早く!」
「お湯ね。えーと」

シュンシュン

「わかしましたよ」
「よし。次は好きなお茶をいれるんだ」
「コーヒーでもいいですか?」
「もちろんだ。なるべくたっぷりがいい」
「たっぷりね」

コポコポ

「へー」
「どうしたダイゴくん」
「アフリカチビネズミは1円玉にのる大きさですって」
「なんの話だ」
「ああ、すみません新聞よんでました」
「一刻を争うんだよ!コーヒーはどうした」
「いれました」
「いいぞ。コーヒーは何に注いだ?」
「何って…マグカップですけど」
「いいぞ!そのマグカップはお気に入りか?」
「昔からずっとあるんですよ」
「毎日使っていながらあんまり考えたことがない?」
「なんか責められてるみたいだな」
「どうせ使うなら気に入ったマグカップのほうがいいだろう?」
「なんてこった。イヤな予感がする」
『そんなあなたに朗報です!総勢100人近くのクリエイターたちによる、オリジナルマグカップが揃いもそろって170種類!使うも良し、贈るも良し、風呂として浸かるもまたよろしい。あなただけのお気に入りマグがきっと見つかるマグカップ専門WEBショップ、mug*mania shopがついにオープン!』



「ちょっと…ピス田さん」
「やれやれ。協力ありがとう」
「博士はどうしたんですか」
「博士がなんだって?」
「さっきどうなってもいいのかって…」
「今さらどうもなりようがないだろうあの人は」
「ずいぶんな話だな!」
「そうだ、興味深い話がもうひとつあるんだった」
「もういいですよ」
「詩人の刻印の話だよ」
「なんですか」
「なんだ、やっぱり気になるんじゃないか」
「ぼかぁ本人ですよ!」
「ダイゴくん、あのアルバム、ジャンルは何になるとおもう?」
「そんなのこっちが知りたい」
「CDをitunesにぶちこんでみるといい」

ウィンウィン

キューン




「本(Books)だ…」
「そうなんだよ」
「これ誰が登録してくれてるんですか?」
「さてね。すくなくともフラインスピンレコーズではない」
「知らなかった」
「博士がおしえてくれたんだ」
「そうだ、博士は?」
「フィリピンだよ」
「フィリピン?」
「バナナを買いに行ってる」

2007年12月20日木曜日

バナナだけ売ればいいじゃないか


「詩人の刻印」セカンドプレスがお目見えです。ほんとうに1000枚以上も捌けてしまったのか、当人としてはいまいちぴんときていないので、あらたにやり直しをさせられているようでもあります。どのみち遅々たる歩みを想定していたのだし、このへんがリアルなスタートと言えましょう。うれしい。めでたい。

それもこれもあれもみんな、あなたのおかげです。初回限定と言いながら、次回のことなんて微塵も考えていなかったのだから、目頭も熱くなろうというものであります。

あれ?いま口がすべった気がするな。

まあいいや。

本来であればバナナの1本でもおまけにつけたいところなのですけれども、何かの手違いでバナナが主役になるというような事態だけはどうあっても避けねばならないというレーベルの断固とした、かつ至極穏当な判断によって、泣く泣くあきらめざるを得なかったという経緯があります。

「バナナなんかつけて、八百屋で売られたらどうする?」
「バナナにCDついてたらすごく得した気持ちになるじゃない」
「誰がバナナ1本に1890円も払うんだ!」
「話題にならないかな?」
「腐ったバナナといっしょに返品されるのだけはご免だよ!」
「博士はどう思います?」
「バナナだけ売ればいいじゃないか」

 *

バナナはともかく、せっかくなので、変更点をみていきましょう。

表はこう。


裏はこうです。右端にちっこい救急車が走っているのが見える?運転しているのはもちろん、あの人ですね。


開くとこう。


通常盤はジャケットがリバーシブルになるのです!シックだ。


盤面。


ジャケット(4Pブックレット)の内側です。初版では20人分記されていた登場人物が、半分くらいに省略されています。



あとはバナナがなくてもいいかどうかだ。

2007年12月18日火曜日

レコードと小麦粉


おもいだしたようにレコードの話。

Spanky Wilson / Let It Be

ジャケット不良だ。マスキングテープで補修した跡まである。

しかし僕にとっては、「ジャケット不良」ほど甘美な響きをもつ言葉もそうありません。それでなくともある程度の時間を経たものを好んで手にする経年フェチなので、レコードはリングウェア(ジャケットに丸くのこるレコードの跡)があるくらいでちょうどよいのです。それは何十年にもわたって人の手を渡ってきたたしかな証でもあるし、だからたとえばレーベル面に落書きがあったりすると却ってふくふくとしたきもちになります。たいていは持ち主の名前(たぶん)が書いてあったり、好きな曲(たぶん)に丸がつけてあったりするんだけれど、そういうところにこそ、誰も知らない物語の残り香は漂うのだし、単なる音楽以上の深い味わいを噛みしめるよろこびもあるのです。ボロボロであるほどイイというわけでは全然ない。でも手垢はついてたほうがずっとうれしい。ニアミントとか未開封のレコードはそう考えると音質は最高でも無味無臭に近い。純粋に音楽をたのしむだけならそれがいいとおもうけれど、長い長い年月と旅路の果てに実るせっかくの出会いなのに、それだけじゃさみしい。

ケーキや蒸しパン、今川焼といった粉モノを愛する無法者集団、ザ・フラワーズ(the Flours)の一員として言い添えるなら、リイシューやぴかぴかのレコードは精白された通常の小麦粉(薄力粉)であり、ややくたびれた中古のレコードは全粒粉(whole wheat flour)、ということになります。薄力粉には薄力粉のおいしさがあるけれど、栄養価の高さで言ったら断トツで後者だ。

耳にする機会があって、どうしても手にしたいとおもったとき、僕がなるべくリイシューではなくオリジナルを求めようとするいちばん大きな理由はここにあります。レコードにかぎらず、古いものを手にするとき、僕らはそこにひっそりとしまわれた幾許かの物語をも、必ず同時に受け継いでいるのだ。そうして今度は僕が、あらたな物語をちょっとずつ付け足していく役目を担うことになる。すくなくとも「詩人の刻印」はそうして受け継いだものから生まれたもののひとつです。

それにしても…ガシャンと鳴り響く余韻たっぷりのざらついたサウンドに、スパンキーの超キュートな声が跳ねてもう…ジャズとソウルの境界線を綱渡りする軽やかなバランス感覚もH. B. Burnamアレンジならではですてき。みずから進んでギャフンと言いたい。

あのね、なんだってそうだけど、可愛くなければ意味なんてないの!

と、アンジェリカなら言うとおもうけど、僕もだいたいそうおもう。

2007年12月16日日曜日

無題(あるいは致命的な数分間)



停電してました

しかし「あ、スイマセンうっかり」みたいな感じでいまごろ通電しても、あとちょっとで完成するはずだった素敵なトラックは朝日を浴びたドラキュラのように消え去って、二度と戻ってこないのです。

おお…

僕もう帰る。

2007年12月13日木曜日

7/8,000,000のこと


ねすごした!

 *

浮き立つ気持ちはすごくよくわかる。仕事であれなんであれ、なにかの区切りをねぎらうのはとてもたのしい。でも忘年会ボーネンカイってみんなそんなに躍起になって何を忘れようとしてるんだろう?それでなくとも僕は日頃からだいじなことをあれこれ忘れて各方面に多大な迷惑をかけてばかりいるので、些事ひとつとして忘れることまかりならん!と一所懸命なのに、世間ときたらここぞとばかりに万物ことごとく目一杯忘れようと気勢を上げているのだから、釈然としないものがあります。

もちろん僕にも忘れたいことはもっさりとあるし、思い出すだけで背筋がさむくなる話なんて数え出したらきりがないけれど、あれ?いやちょっと待てよ…

よく考えたら僕の人生におけるリセットボタンは、それまでさんざん押してきたためにすでにスプリングがいかれて押しっぱなしの状態なのであった。

ああ、だから忘れっぽいのか…

 *

1/8,000,000からはじまって、いま現在「5」まできているわけですけども、それまでに手がけたものもいろいろあったのに、しまった数をふっておくんだったといまごろ舌打ちをしています。8,000,000にたどりつくまでに何億年かかるんだ?

でもまあそれはそれとして、いいじゃない、これからつけてけば、というじつに気さくでもっともなアドバイスをムール貝博士からもらったので、じゃあさっそくそうしようとひざをたたいたのが11月です。

そうすると「6」はカズタケさんの「UNDER THE WILLOW -PANDA-」ジャケットデザインになるのだけれど、この流れでいくと11月にはもうひとつ、「7」にあたるものを手がけています。

それが冒頭の画像です。ひらたく言うと古書業界で毎月行われるオークションの出品カタログですね。神保町を中心とした、古書店主たちの、古書店主たちによる、古書店主たちのためのオークション、歴戦の猛者たち(年齢高め)がレアな古書を巡って火花をちらす風変わりな戦場、その招待状とも言うべきものです。つまりこれは本来オークション後には紙切れと化すただのカタログであり、いちいちデザインをあしらう必要性なんかぜんぜんないのだけれど、そこにあえてムダと言えるほどの手間をかけるんだから、粋なことしますね。毎月ちがったデザイナーやイラストレーターをゲストに招いてこしらえたゴージャスなカタログ、その11月分を僕がうけおったという次第であります。

ひらくとこんな感じ。


相変わらずやりすぎ感丸出しで可愛いですね。

 *

こんな具合で11月はずいぶんと忙しかったなあ…としみじみ振り返ってみると、コレがまたびっくりするくらい詩人の刻印と関係ないじゃないか。

詩人?

2007年12月9日日曜日

高速道路で寝そべる日曜日


ふたたびJ-WAVE TOKIO HOT 100、81位おめでとう!(他人事みたいだ)



僕はあいかわらずココでぼんやりと蒸しパンを食べたりベランダを掃除したりしているというのに、いったい何がどうなっているのか、さっぱりわからない。掃いても掃いてもベランダに降ってくる、びっくりするくらい大きな葉っぱをせっせと掃きつづけながら、ときどきどこか遠い国のできごとのように風の便りで小林大吾の動向を知るのはまったく、奇妙な体験というほかないです。なんで順位が上がってるんだろう?

ありがとう!

気づけば手で漕ぐ小さなボートも、ずいぶん沖へ出たんだなあ。

ゆらゆらと波にのせてもらっています。(J-WAVEだけに)

 *


さてこの日僕がどこで何をしていたかというと


開通前のトンネルを歩いてました。


高速道路の入り口で寝てたら


怒られてしょんぼり

2007年12月8日土曜日

粗大ゴミと似て非なるもの


こないだ気がついたのだけれど、近所のゴミ捨て場には「燃えるゴミ」ではなくて「燃えろゴミ」と書いてあります。たしかにこれならたいていのものは盛んに燃え上がるんじゃないかとおもう。僕だって「燃えるダイゴ」と言われるよりは「燃えろダイゴ」と言われるほうがうれしい。期待されている感じがする。ゴミだって応援されたらがんばるしかないです。



…。


ダイゴと粗大ゴミって音が似てるな。

いやなことに気がついてしまった。

Bygones!

 *

さて、地獄の数日間は台風のようにすぎさり、さわやかな秋晴れを心ゆくまで堪能しています。いっそこのまま空になりたい。僕のまわりにいる連中はそろいもそろって宵っぱりなので大きな声では言えないのだけれど、僕は朝のほうが1000倍好きです。付き合いがわるいとののしられる所以だ。でも夜はねむたいんだからしかたないよな。ライブは25時スタートですとか言われても、こっちは布団に入ったり枕に頭をのせたりいろいろ忙しいのだ。

ともあれタカツキ+エイミ・アンナプルナからなる素敵ユニット「iLala」のお披露目ライブに行けないという非常に大きな犠牲を払いながら、詩人の刻印セカンドプレスのための入稿はぶじおわりました。

ではプラケースになっていったいどこが変わったのか、とてもわかりやすい図でみてみましょう。オレンジ色に塗ってある部分が変更点です。




…ほとんどぜんぶだ!

しかり、すべてをじぶんでまかなうということは、裏を返せばこういう遊びの部分の裁量がとても大きいということでもあるのです。デザインをだれか別の人におねがいしていたら、とてもじゃないけどこんなことできない。

ただあの、さすがにちょっと…程度が甚だしいというか、やりすぎたというか、ほぼ別物になっちゃった感がなくもないですけど。

こうしてみると展開図から起こしたファーストプレス、超特殊仕様紙ケースはやっぱり特別の感慨があります。ムリしてよかった。ここを読んでくれている人でまだアルバムを持っていない人ってあんまりいないかもしれないけれど、もし迷ってたら今のうちです、急いで!

って言うといつまでもずるずる店頭に残ってたりするんだから、どっちが貴重だかわかったもんじゃないな。

2007年12月6日木曜日

ぜんぶひとりでやるということは


ときどき、「お店に行ったけどなかったよ」という話を聞いてはいたのだけれど、もともとささやかな規模で展開しているものなので、はじめから入荷自体していないことだって十分にありうる話なのです。

でもまあ、いくらプレスした数が少ないからといって、それでも1000はつくっているのだから、そのうち出会うこともあるでしょうし、発売からまだひと月たっていないのだから、気長に。気長に。

とのんびりかまえていたら、フラインスピンに山ほどあった詩人の刻印の在庫が空っぽになってしまいました。

…ホントにない。

最終的に前回の倍くらい売れたらよいですねえ、とノンビリお茶を飲みながら遠いまなざしで話していたのが2週間くらい前の話です。わりとよろこんでもらえているみたいだよ、よかった!この勢いで再プレスすることになったらいいね!といずれは冷めるほとぼりを忘れてちょっと強気に出たあと、しまった言いすぎたと後悔したのが先週末です。

明けて月曜日、レーベルオーナー(電話好き)からの電話がりんりんと鳴りました。彼からの電話はたいてい不吉な話なのでなるべく出たくないのだけれど、そういうわけにもいかないので毎回しぶしぶ出ているのです。

店主「もしもし」
僕 「はいはい」
店主「再プレスしよう」

緊急事態だ!

もろもろの事情から、次にプレスをかけることがあれば、そのパッケージは超特殊仕様の紙ケースではなく通常のプラケースになる、と事前にわかってはいたのだけれど、いくらなんでも発売からひと月もたたないうちからそんな話になるなんて誰ひとり予想していなかったので、まだ何ひとつ準備なんかしちゃいないのです。

何がタイヘンといって、プラケースになるということは、パッケージの規格が変わるということであり、規格が変わるということはジャケットのデザインすべてにたいして大幅な変更を強いられるということであり、そして何よりもココがいちばん重要なポイントですが

それらもろもろの作業を請け負うのは僕ひとりです。

しかもしめきりは今夜です。

あー!ilala行けないじゃないか!

2007年12月3日月曜日

本人なのが残念です


二代水駒(愛車)にまたがってブイーンと走っていたら、前方で道路工事の警備員の振る旗の色が、近づいてもよくわからないのです。そんなことってあるだろうか?片方が赤なのはわかるのだけれど、もう1枚がいまいちハッキリしなくて、ゴーなのかストップなのか迷うだけでもずいぶん困る。

あれは赤なのか?白なのか?だいたいそんな疑問をいだくこと自体、おかしいじゃないか。


ブイーン(そばを通りすぎる)


ピンクだ…。


唖然としながら通りすぎる池袋の朝です。

 *

ちょっとあなた、ご覧になりまして?タケウチカズタケファーストソロアルバムリリースライブ!アラいやだカタカナばっかりなんて身もフタもないこと仰らないでちょうだい。冥土の土産にもってこいの、それはそれはすばらしい、夢のような一夜でしたのよ!とちゅう素性の知れない馬の骨が呼ばれて1曲披露したのはムニャムニャとしても、1時間半というがっつりした長丁場が、1分半にも感じられるあっという間の

1分半はないな。

それにしても、演奏陣が、高橋結子、山口隆志、DJ Shun ですよ!いったいいくら積んだらこんなゴージャスな面子を観ることができるのというのだ?ここに並んだ名を目にするだけで、この稀有なライブがいかにヒップで、いかにメロウで、またいかにファットだったかよくわかるはずです。

この日もまた、会場となったフライングブックスごとポッケに入れて家に持って帰りたいとしみじみおもう、やさしくもシビレる夜でありました。


僕はといえば、そんな最強の布陣をバックに"饗宴/eureka"をやらせてもらうという、さすがにちょっと畏れ多い幸運と誉れにあずかり、ずっと口元がむずむずしておりました。だって"UNDER THE WILLOW -PANDA-"と関係ないんだもの。CDのアートワークと1曲のビートを提供したご褒美にしては余りあるものがあります。うれしい。

でも、できたら一流のミュージシャンたちに必死こいてついていこうとする小林大吾のすがたを、僕も眺めてみたかったし、聴いてみたかった。本人なのが残念です。

この先二度とない、一夜かぎりの"饗宴/eureka"、session with カズタケバンド(!)、店主は録音していてくれたかしら。

カズタケさん、おめでとう!
あとその100倍ありがとう!

多くの人に、届きますように!


 *


ここまで書いてふと気がついたのだけれど、警備員が持ってたピンクの旗、あれ白いのを赤いのといっしょに洗濯しちゃったんだな、たぶん。