2021年8月27日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その340


おむすびキャロラインさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 私は廃墟好きです。廃墟のノスタルジックな雰囲気が好きでいつか行ってみたいと思っているのですが、何かあったらと怖くて行けないので、いつか死んだ後に自由気ままにあちこち廃墟を巡ってみたいと楽しみにしています。(マイナスな感情ではなく、ただそう出来たら楽しそうだな〜という感じで。)そういった生きてる時は行けないけれど、死んだ後だったら行ってみたい。という場所はありますか?


これはいい視点です。すくなくとも僕は「いつか行ってみたい」ではなく「死後なら行ってみたい」という視点を持ったことがなかったので目からウロコがぽろぽろ落ちました。たしかに生きていても行けない可能性がふつうにあるなら、夢として思い描く範囲を生前に限定する意味はさほどありません。脳内から死というリミッターをはずすだけで眼前に果てしない自由が広がるというのに、なぜ今までたかだか数十年の視野しか持っていなかったのか、どすどすと地団駄を踏むばかりです。廃墟は僕も大好きなので、世界中の、誰にも気づかれていないような廃墟を心ゆくまで巡りながら恍惚に浸りたいですよね。想像したら本当に生死はどうでもいいような気がしてきます。

他に思い浮かぶのはまず宇宙です。はしっこも気になるし、ブラックホールの中とか、よくわかってないけど事象の地平面もそそられます。地球よりはるかに大きい太陽よりはるかに大きい、とにかく宇宙でいちばん大きな星の、実際どれくらい大きいのか、というかそもそもその大きさを実感できるものなのかを確かめてみたいし、何しろ死後なので気の済むまで宇宙空間をクリオネのように漂いたいです。時空をスルーして好きなところへほいほい飛んでいけるならなおいいですね。なんなら過去や未来へも行けるかもしれないし、そうなるともう一生、というか死んでるので一生というのはつまり永遠ですが、飽きることはなさ…

待てよ、でもたぶんこれそういう話じゃないよな、とここまで書いて気づいたのでそそくさと地球に戻って考えると、真っ先に思い浮かぶのは(さっきのはノーカウントです)、イエメンにある直径30メートルのバカでかい穴、通称「バラフートの井戸」です。

Well of Barhout」でググると画像がいっぱい出てきます。要するに「地上に空いているバカでかい穴」です。バラフートの井戸に限らず、地球上にはこうした、とにかく巨大で、しかも何だかよくわからない穴がいくつもあります。

去年ニュースになっていた、シベリアのバカでかい穴もそのひとつですね。



今ならひょっとするとドローンとかで調査できるのかもしれませんが、今のところこうした地上のバカでかい穴の底に何があるのかは基本的にはっきりしていません。数十メートルから場合によっては百メートル以上の深さがあることもあって、21世紀の科学力を惜しみなく注がないとムリという超高難度なので、今でも「なんかクソでかい穴がある」という認識しか得られずにいるのです。その底にふわーっと降りたい。

バラフートの井戸はすごい悪臭が漂っていて、そのために「悪魔の牢獄」と呼ばれているらしいし、万が一降り立つことができたとしても底に何があるのかわかったものではありません。ガス、毒、未知の生物…そういうものをまったく気にせず鼻歌まじりに探索できるのだから、これは確実に死後のおたのしみ案件です。

それからメキシコの水中洞窟(そこにしかないというよりそこがいちばん有名だからですが)にある、海水と淡水が水中でぱっきりと分かれたその界面を見てみたいです。塩分躍層(halocline)と言って塩分濃度のちがいによって海水と淡水が混ざることなく隣り合っているので、水中に川が流れているように見えると言います。何を言っているのかわからないかもしれませんが、じっさい水中に川が流れているとしか言いようがないのです。




以前BBCの「Planet Earth」で観たその一部がYouTubeにもあったのでちょっと借りてきましたが、特にこの動画の30秒あたり、よく見ると水の中に別の水があります。何を言っているのかわからないかもしれませんが、本当に水の中に水があるのです。これなんかは地上に空いたバカでかい穴とちがって映像を見ることはできるし、専門的なダイバーによって今も解明が進んでいる世界ではあるけれど、仮に潜ってみる機会が与えられたとしても生きて地上に戻れないかもしれないという恐怖に打ち克つ自信がまったくないので、やっぱり死後のおたのしみ案件ですね。

バラフートの井戸と水中洞窟の塩分躍層、どっちにすると言われたら、うーん…どう考えても死ぬしかないという点で、前者が勝つかなあ。すくなくとも水中洞窟を探索したダイバーはちゃんと生還してるし、その記録も多く残されてるけど、超でかい穴はほんとにただ超でかい穴として今もそこにあるだけですからね。バラフートの井戸にします。そもそも水中が大好きなので、それだけでも水中洞窟はかなりポイント高いんですけども。


A. バラフートの井戸の底に降りたいです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その341につづく! 

2021年8月20日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その339


コンデンス弥勒さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. コロナの流行により不要不急の行動は控えろとのお上からのお達しにより観光に限らず様々な職種の方が苦労された一年でしたが、仕事においては出張がなくなった程度で私生活においてもあまり変化がありませんでした。何か自分自身がそもそも不要不急に対し不要不急の気がしてきて今年を振り返ったとき悲しくなりました。何か良いアドバイスを下さい。


お気づきかとはおもいますが、これは最近いただいた質問ではありません。去年の年末の話です。

パンドラ的質問箱では待てど暮らせど誰からも質問がこないという、ほっとけば確実にそうなる事態を避けるため、年賀状と引き換えに質問を徴収する非常に画期的なシステムを採用しています。したがって満を持してお答えするころにはすでに数年が経過していたり、なんなら質問をくださった方がすでに遠く離れて戻らないことも往々にしてあるわけですが、かれこれ8ヶ月が過ぎてもなお禍中、もとい渦中にあり、近未来からまだマシだった過去へのメッセージみたいなことになるケースはおそらくこれが初めてです。

去年の12月といえば、「かつてない大きさの第3波がきていてとにかくヤバい」という状況です。東京では新規感染者数が初めて1000人を超えた月であり、月単位では約2万人と前月の倍近い増加でした。1000人を超えるとさすがにそれまでとは一線を画すような印象があったので、僕も身が引きしまるような思いだったことを覚えています。

さてその8ヶ月後はどうなっているかというと、「せめて1000人くらいまで減ったら少しは息がつけるのになあ」とたぶんみんな思っています。第4波どころか、これまでとは比較にならない第5波です。東京は一日の感染者数が5000人くらいなので、去年の12月分は今の4日分くらいになります。去年の危機感を基準にするなら今ごろみんな発狂していてもおかしくないですが、ワクチンの接種が進んだこともあってか、実際のところそうでもありません。

近未来人として過去の僕らに語りかけるなら、かつてない危機を訴える緊急事態宣言の真っ只中に東京五輪が安心と安全を掲げて晴々しく開催され、日本は史上最多のメダル数を獲得し、無観客ではあるもののたいへんな盛り上がりで「感動をありがとう!」と多くの国民が涙したことも特筆しておくべきでしょう。

ただ残念ながら「緊急事態(超ネガティブ)」「安心・安全(超ポジティブ)」を同時に展開するアンビバレントな状況に陥ったため、緊急事態って何がどう緊急なんだっけ?という空気になってしまったことは否めず、気がついたらかつてない規模の感染爆発が起きて今に至ります。因果関係はまったくないらしいので、パラリンピックも数日後に滞りなく開催される予定です。

言うまでもなく、収束の見通しは立っていません。8ヶ月後の未来から送るアドバイスとしては「いずれ不要不急どころじゃなくなるし、まだ大丈夫!」ということになるでしょう。

率直に言って、8ヶ月後の僕らは疲れ果てています。もちろん危機感はずっと抱いているけれど、去年の12月とたぶん同じではありません。医療は逼迫どころか崩壊し始めているので、とにかく体調を崩してはいけないとじぶんに言い聞かせる日々です。ただ風邪が悪化するだけでも、診てもらえそうな病院はありません。何しろ原付でちょっと走ればかなりの確率で救急車とすれ違うのです。

ワクチンの効果はまちがいなくあって今では不可欠だけれど、ウィルスの変異と猛威はそれを凌駕するほど激しくて厳しい、ということですね。

質問に戻りましょう。もし去年の12月の時点で、今の僕らが経験している8ヶ月後とはちがう未来に分岐するなら、まだ間に合うしどうにでもなると今の僕は請け合います。なんとなれば不要不急とはまだそれほどではないからこそ出てくる考え方だからです。

自分自身が不要不急なのではないかと苛まれてしまうのもすごくよくわかるし、実際のところ僕もそうだったとおもいますが、そもそも地球にとって人類の存在が不可欠なわけでもありません。ありとあらゆる生物に意志があって多数決をとれるなら真っ先に排除されそうなのはどう考えても人類だし、彼らからしたら今この状況はむしろ「人類との戦い」という構図なのかもしれないのです。

だとすれば個人どころか種としての僕らすべてが不要です。地球レベルで見れば人類みな等しく不要なのだから、気に病むことはありません。

地球に生息しているのは僕らだけではないこと、そして今アリの巣を突ついたような騒ぎになっているのはあくまで僕らホモサピエンスだけであることを改めて思い返しましょう。

自身が生み出す内的ブラックホールに落ち込みそうなときは夜空を見上げて広大無辺な外的宇宙に思いを馳せ、じぶんを砂ひと粒以下まで縮小するのがいちばんです。僕は今でもこういうとき、チャールズ&レイ・イームズ夫妻による1968年の映画「Powers of Ten」を思い出します。シンプルかつ壮大でめちゃオススメですよ!




A. 「Powers of Ten」を観ましょう。




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その340につづく! 

2021年8月6日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その338


マリトッツァンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)生クリームがたっぷり詰まったお父っつぁんですね。


Q. 家の鳩時計の鳩がいつからか出てこなくなりました。どうすればまた出てきて鳴いてくれますか?


これはあれですね、それまでしーんとしてたのに閉店するとなったら途端に人々が声を上げて惜しみ始める、いわゆる閉店ラブコール問題の亜種ですね。

ひとつ想像してみましょう。

あなたは今、どこからも光が漏れることのない真っ暗な部屋の中で、膝を抱えながらひとりその時を待っています。部屋には扉があって、一定の時間ごとに数秒間、外に向けて開かれることになっています。外界から完全に遮断され、闇に閉ざされたあなたの役割は、扉がひらくその数秒間だけ外に顔を出し、「ジャジャーン!」と力いっぱい叫ぶことです。それ以外の役割は与えられていません。叫び終われば扉は無慈悲に閉まります。

おわかりかとおもいますが、これは賽の河原シーシュポスの岩と大差ない苦行です。何ならもっと直接的に、刑罰や拷問であると言い換えてもよいでしょう。僕がその立場なら何が何だかわからないまま「僕がやりました」とありもしない罪を自白すること必至です。

とりわけつらいのは、明るく朗らかに笑顔で「ジャジャーン!」と飛び出したその先に誰もいないことです。埋め尽くされた観衆の前ならまだしも、無観客で「ジャジャーン!」を永遠に繰り返させられることほど胸つぶれることはありません。

苦しいし、泣きたいし、いっそ殺してくれ!と心の内で叫びながらも、そのときが来ればいつでも血走った目でムリヤリ笑みを浮かべて「ジャジャーン!」とやらなくてはいけないのです。涙をこらえて屈辱に震えるハトのなで肩をそっと抱き寄せながら「もういい、十分だ。お前はよくやった」といっしょに泣くしかないじゃないですか?

ハトの身になれば、また出てきてほしいと言うことはとてもできません。十分すぎるほど、その務めは果たしてきたはずです。むしろ時計を止めて扉をひらき、自由しかない大空へと解き放ってもいいのではないかとさえおもわれます。

それでもなお、ここにいてほしいと今も心から望むのであれば、するべきことはひとつです。外界に暮らす僕らはそれが1日に24回あることを知っていますが、そのときが来たら家族総出で時計の前に座し、扉がひらいた瞬間、立ち上がって万雷の拍手を送りましょう。

重罪人の立場を一瞬にしてスーパースターへと反転する、これこそが唯一にして無二の解決策です。心身ともに深い傷を負ったハトも、戸惑いながらもすこしずつ自信を取り戻し、いずれは威厳に満ちた堂々たるステージングを披露してくれるでしょう。めんどくせえなとお思いでしょうし、実際のところ僕もそう思いますが、しかたがありません。がんばってください。


A. スタンディングオベーションが必要です。




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その339につづく!