2007年10月24日水曜日
紙切れ的ピーターパンの十三夜
十五夜に中秋の名月を堪能してしまった以上、十三夜は考えうるかぎりすべてのものに優先し、磐石の態勢で月見に臨まなければならないというので、とるものもとりあえず大慌てでチャイをくつくつ煮出したのが、23日から24日へと移るギリギリ30ぷん前でした。どちらかひと晩しか月見をしなかった場合、それは「片月見」と言ってきらわれ、災いが向こうからテクテク歩いてくるおおきな原因のひとつになると聞かされたら、閻魔さまだって地獄の営業時間をはやめに切り上げて外に出ようというものだ。月見にそんなおそろしい謂われがあるとはまったく迂闊であった。
しかし実母の誕生日をほったらかすくらいはよいとしても(過日参照)、生き馬の目を抜く社会でサヴァイヴしつづける大人にはそれぞれ、のっぴきならない事情というものがあります。たとえ災いが真夏のスコールみたいに容赦なく降り注いでくるとわかっていても、じっさいにはすべてに優先して月見に没頭することはなかなか叶わない。現実を生きる僕らは、ピーターパンが薄っぺらい紙切れでしかないことを、頭に叩きこんでおく必要があるのだ。(さらに言うなら、それでもなお、「でももしいたらヤバいな」とどきどきするのが正しい大人のありかたです)
だからたとえば、外出していてしばらく地球に帰れない、というような場合は月見ができなくてもしかたないと僕もおもう。古来からの風習に、そこまでの拘束力はありません。しかしセリヌンティウスが待っているとかメロスみたいな言い訳はだめです。また、オークションの終了時刻が迫っていて、しかもまだ入札していない場合もしかたありません。そのきもちは痛いほどわかる。逃がす魚はいつだってじっさいより大きい。それ以外はみな死ぬ気で月見に挑んでください。
そうこうしている間にこくこくと時間はすぎていくので、チャイを大きなマグカップに注ぎ、どたどたと屋上へ向かってみれば、「十三夜に曇りなし」と言われるとおりの見事な月であった。天晴れ!夜に天晴れが似合うかどうかはともかく、満月だけが月ではないのだ。
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