2008年12月30日火曜日

おごそかでやさしい、あの夜のために


年末の買い物に出かけたスーパーのバイク置き場…





…に駐車中のバイク。




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さいごのさいごで4日も間を空けてしまった!むねんじゃ。


 *


そんなの書いたってべつにたのしくないから一切ふれてはいないはずだけれど、じつを言うと2008年はそのはじまりから、それまでの日々がだるま落としのようにガラガラと音を立てて足下からくずれた、壮絶な1年でありました。こんな経験はおそらくこの先二度とありません。ふりかかった災厄それ自体よりも、それにつらなる善良な人々の、集団心理からくる嘲笑と罵倒を来る日も来る日も絶え間なく耳につめこまれたことがつらかったのです。人の愚痴というのは、お風呂のようにまいにち肩までつかるものではない。

でも日々はそれでも明け暮れていくし、崩壊してガレキの山になった以上、そこにとどまりさえしなければ1年後にはきっと振り返って笑えるようになっているはずだ、だからだいじょうぶ、だいじょうぶ、今までいろんなことがあったけれど、5年もたったらやっぱり遠い土地を懐かしむようなきもちになっているじゃないか。だってもともとそんなにイイ暮らしなんてしてないぜ、ホラみろ、スーパーで雪花菜(「きらず」…おからのこと)がこんなに入って60円だ!まったく、自炊が生きるために絶対不可欠なスキルだとこれほど実感した日々はなかった。


そうして1年たったらそのとおり、それまでとはちがう景色に囲まれてのびのびと羽を伸ばしているじぶんに気がついて、なんだか泣けてくるのです。何かが良くなったわけでは決してないけれど、少なくとも多くのものを飲みこんだあの濁流はいま清らかなせせらぎであり、以前と同じ落ち着きを取り戻しています。

明日にはいいこともわるいこともいっしょくたにして包みこんでくれる、あのおごそかな、そして1年で最もやさしい夜が待っている。


大晦日!



この夜のために、僕はまいにち歩いている気がする。



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今年もお付き合いいただいて、どうもありがとう。生来の筆無精(本当です)をむりやりねじ伏せて僕がブログをつづけることができているのも、やっぱりあなたのおかげです。アルバムを聴いてここに来てくれているのに、書いてあるのはそれ以外の活動ばかりなんだから、やれやれ!小林大吾の本分はいったいどこにあるのか?

それでも笑って訪ねてくれる、あなたがいるから道を失わずにすんでいるのです。そういう感謝のきもちはとてもことばに表すことができません。


ありがとう。そしてよいお年を!


ほんのすこしでいいから、交わせる笑顔が今年よりもふえますように!

2008年12月26日金曜日

いい娘に逢ったらドキッ


イントロにおける舌なめずりのごときフィーチャリングに関して、そもそも誰なんだかも判然としないおっさんに猛省を促したい。というのが本日の議題であります。



いい娘に逢ったらドキッ 伊藤咲子

2008年12月25日木曜日

バトンを受け取った彼が閉口する2つの理由


たぶん愛されてるんだろうとはおもうんだけど、その愛情表現がいちいちいびつなのでちっともありがたみを感じないタカツキの最新エントリ(しかも朝の6時に…)はさておき、やっと年賀状が刷り上がりました。


今年はこれ。



牛の複雑な心境をみごとに描き出した、深読みしがいのある1コマです。



一部オレンジが混じっているのは、版の作成にしっぱいしたからです。ホントはオレンジでやるつもりだったんだけれど、しっぱいした上にインクがなくなってしまったので緑になりました。ひょっとしたら誰かのところにオレンジが届くかもしれませんが、これ5枚しか刷ってないので当たりみたいなものだとおもってください。


しかしなんだかイラストレーターになったような気分だ。

2008年12月24日水曜日

なあ、せっかくのケーキが冷めちまう


気持ちだけならいつだって小麦粉まみれの荒くれ集団、ザ・フラワーズ(the flours)の貪欲な舌を心ゆくまで満たしてくれる、マーベラスなケーキ屋さんが近所に一軒あるのです。住宅街にひっそりとたたずむ、それはそれはちいさなお店でありながら、他では決してお目にかかれないキュートなオリジナルスイーツの数々と、夢のようなその味わいといったらとても言葉に尽くすことはできません。じっさい、そのへんのパティシエなんか目じゃないと掛け値なしにおもう。

labess

先日、奇妙な成り行きから店主のミワさんといっしょにごはんを食べる機会があったのだけれど、そこでうかがったお話からはケーキが好きとかそんな表面的なことよりもむしろ、「ここにはわたしの世界がある」というような哲学と矜持がひしひしと感じられて、以来ますます好きになりました。たとえその選択が荒野であろうと、あくまでつくりたいものだけをつくってまっすぐにずんずんと進むインディペンデント精神にあふれたケーキ屋さんというのはなんだか新鮮で、じつに格好よかった。

そんなlabessがクリスマスシーズン限定でつくるケーキなら、魂のはしっこを売っぱらってでも食らいつきたい!



そういう趣旨で、昨夜は心と顔をクリームでべたべたにしてきたのです。


野次馬のかわりに野次牛と野次ぶたが

「そういえば君、来年は干支なんだってね」
「うん…そうらしい」
「たいへんだな」
「いや、まあ…そうだね、でもどうかな」
「晴れ舞台じゃないか」
「僕はあんまり目立つの好きじゃないよ」
「もったいないな!」
「そう?」
「僕は好きだけどね」
「そうだよね…似合ってるとおもう」
「…」
「…」
「代わってあげられたらいいんだけど…」
「バカ言うなよ!ぶた年なんて、格好つかないさ」
「でも君、小学校の文集で…」
「あんなのはガキの夢だよ!真に受けられちゃこまる」
「そうなのかい」
「そうとも」
「僕はパイロットになりたかったのに…」
「そうだったね」
「今じゃただの牛だ」
「だれもがうらやむ干支の一員じゃないか!」
「…」
「…」
「名誉なことだとおもうよ、でも…」
「それ以上は言っちゃダメだ。なあ、せっかくのケーキが冷めちまう」
「ケーキが冷めてるのはもとからだよ」
「え?」
「冷やして食べるものなんだ」
「そうなのか…じつはケーキなんて初めてだから」
「…」
「…」
「僕がんばるよ」
「そうとも。それでこそ僕のともだちだ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「メリークリスマス」
「ベリー…ゴメン、何だって?」
「クリスマスだよ、ベリーじゃなくてメリー」
「メリー?そうか…羊も呼べばよかったな」
「名前じゃないんだ、なんていうか祝福の…」
「要はいただきますってことだろ?それくらいわかるさ!」


パクリ


2008年12月23日火曜日

更新頻度低下防止キャンペーンのための小夜曲 3


このキャンペーンいつまでつづくんだ?


 *


関係ねえやとおもっていた師走の慌ただしさがじわりとにじり寄って来ています。10分の仕事をするのに60分くらいの余白を必要とする燃費のわるい僕としては、あんまり歓迎できる事態ではありません。フーム!


 *


それはそうと、「そろそろクリスマスだなあ…」とつぶやくのは「そろそろラマダン(断食)だなあ…」という感慨にふけるのと基本的には同じような気がするけれど、どうでしょうね?

信仰を持たない僕らにとって、クリスマスっていったい何の日なんだろうと今もときどきおもいます。いちおう名目上はキリストの生誕祭みたいな話になっているけれど(そして実際にはべつに誕生日でもなんでもない)、クリスチャンでないとすれば彼の誕生日を祝ってるつもりもないだろうし、だとすると主役はだれだ?サンタクロースか?それとも子どもなのか?あるいはカップル?そしてけっきょく、何の日なの?

個人的には「いつもよりちょっといいケーキを食べてもいい日」です。なぜそれがゆるされるのかは、僕にもわからない。

でもなんだかよくわからないままに、街全体が当然のごとく浮かれきっている様子を眺めるのはピースフルでとても好きです。「だってクリスマスだし」と言えば大抵のことは寛大に取り計らってもらえる気がする。サンタの格好をしてピザを配達するお兄さんを見るのもたのしい。

「メリークリスマス」とはさすがに口がさけても言わないけれど。


 *


あと、関係ないけどタカツキがデンワで23日の祝日を「あ、そうか勤労感謝の日か!」と言っていましたが、ちがいます。そりゃ先月だ。でも訂正するのがめんどくさいので、「そうそう」とてきとうに相槌をうっておきました。

2008年12月21日日曜日

更新頻度低下防止キャンペーンのための小夜曲 2


大きい。




そしてこのカラーコーンはたぶん、じぶんの大きさに気づいていないんじゃないかとおもう。僕にとって「声の大きい人」というのはこういうイメージです。身近な例で言うとフライングブックスの店主がこれによく似ています。

群衆にまぎれこむことができないタイプですね。


ではまた。

2008年12月19日金曜日

桶屋が吹いて風がもうかる式の論理


どうしても捨てることのできない折り込みチラシが、一枚あるのです。

近所にある貴金属店(創業40年)の広告なんだけど、書かれた日本語がいちいちおかしなことになっているので、必要ないのになんとなく捨てられない。たとえば、



風が吹いたので、桶屋がもうかりました。



という文章が、このチラシだと



桶屋が、風が、吹くとともに、もうかりました。



という見事なまでにわかりづらい、翻訳ソフト並みのパッチワークテキストに置き換えられているのです(もちろん実際にはこんな内容ではないけれど)。溶接をまちがえて手と足がごっちゃになったロボットみたいなことになっています。力づくにもほどがある。

チラシの1行目から早くもザワザワと漂いはじめた不穏な空気は、読みすすめるにつれて解消されるどころかますます濃密になり、手に負えなくなっていきます。しかし兎にも角にも表をすみずみまで読み、裏もおなじように熟読し、チラシに対してさんざん口角泡を飛ばしまくった最後の最後、もう満腹というきもちで広告の隅っこに目をやったときのショックたるや、いまだに忘れられません。






表だとおもって読んでた面が裏だったことにショックを受けたのか、チラシの裏を当然のように「B面」と呼ぶことにショックを受けたのか、それは今もって定かではないのです。