2024年4月5日金曜日

あるひとりの女性についての気が遠くなるような長い話


今を去ること12年前、ひとりの女性があるミュージシャンの演奏に釘付けになりました。生で観たのか映像で観たのか失念してしまったけれど、とにかく一目で心奪われて、この人のことをもっと知りたいと思ったそうです。ほぼ恋ですね。

ところがそのミュージシャンはフロントマンではなく、バンドメンバーのひとりだったので、名前を知ることができません。クレジットもなかったと言います。たぶんソロアーティストのサポートで演奏していたんだとおもう。正確には違うかもだけど、そこはあまり重要ではない。

バックバンドとして常に固定されたメンバーならまだ追いようがあります。また、仮にその日たまたまサポートで演奏していた場合でも、ライブ中にメンバーを紹介したりもするでしょう。でも彼女はじぶんの心を奪ったミュージシャンが誰なのかを知ることはできなかった。

というのも、彼女が中国在住の中国人で、惹かれたミュージシャンが日本在住の日本人だったからです。

ググったりSNSでどうにかなりそうじゃんと思うかもしれませんが、ここにも2つの問題があります。12年前というと2010年代初頭であり、SNSも今ほど当たり前ではありません。僕がTwitterを始めたのだってたしか2010年です。すくなくとも「助けてフォロワー!」と叫んでみんなが応えてくれるような世界ではまだ全然なかった。

それ以上に、そもそも中国という国そのものが問題の解決を阻みます。ものすごく控えめに言って、かの地はインターネットにおける情報へのアクセスが日本や欧米諸国ほどオープンではありません。発信はもちろん、受信にも制限があって、ググればいいことにはまったくならないのです。

とはいえ今はその特異な環境について考えたいわけではないので、ここではひとまず知りたいことを自由に好きなだけネットで探れる環境ではないという点だけわかってもらえればよろしい。何しろ「解像度が低くて判別しづらい画像を手がかりに」とか探偵みたいなことを言っていたくらいだから、その苦難は推して知るべしです。

ともあれ彼女はそれから気が遠くなるほど長い年月をかけ、がんじがらめに制限された環境でもどうにか可能なありとあらゆる手を尽くしまくって、最終的に敬愛するミュージシャンへと辿り着きます。それがわりと最近の話です。

最初の一目惚れからゆうに10年以上が経過しています。完全な別人と勘違いしていた時期もあったそうだし、この人で間違いない!!!!と辿り着いたときの超新星爆発みたいな感動を想像するだけで、目頭が熱くなるじゃないですか?

満を持して彼女は文字どおり飛ぶように来日し、その期間中、件のミュージシャンが参加するすべてのライブに毎日、片っ端から通ったそうです。あとで聞いたら日本人である僕がググっても要領を得ないライブまで網羅していたので、その熱意たるや筆舌に尽くしがたいものがあります。よかった…。本当によかった…。

さて

ここまでは国境を越えたある種のラブストーリーみたいなものです。僕とは何の関係もありません。僕がこの話を知っているのは、例のミュージシャンと僕がたまたま長年の友人だったからです。僕はただ、友人から話を聞いて目を潤ませ、チーンと鼻をかんでいた観客のひとりにすぎません。このときはまだ、友人の大ファンである女性が僕の日々に登場する人物だとは想像もしていなかった。

今となってはそりゃまあそうかという気がしないでもないけれど、何しろ10年以上の歳月をかけて名も知らぬ異国のミュージシャンを探し当てた女性です。そこからごくごく細い線で繋がっていると言えなくもない僕にまでうっかり辿り着いてしまうのは、それほど不思議ではないかもしれない。ただ僕と友人のミュージシャンではやっていることがあまりに違いすぎます。たぶん同じステージに立ったのも、それこそ10年以上前に一度くらいしかありません。だいたい同じ日本人でさえ難儀する言葉過多なスタイル(僕のことです)に、日本語を解さない彼女が興味を示すとも思えない。

にもかかわらず彼女は僕に辿り着き、作品を耳にし、それでなくとも厄介な詞の数々を翻訳し(ここがいちばんびっくりした)、大意をつかんだ上でつい先日、巡り巡ってうちの人が営む古書店アルスクモノイで僕が店番をしているときに、訪ねてくれました。なんで???と今でもおもうけど、どうあれ出会ってしまったのだから仕方ありません。

僕がKiva(キワ)という彼女の通名を知ったのはこのときです。キワちゃんの髪がピンクで、背中に天使みたいな翼を背負っていて、全身カラフルで目もあやなファッションに身を包んだ、遠目からでもすぐわかる超キュートな女性であることも、ここで初めて知りました。

僕が今、ここでこうして彼女のことを書き連ねているのは、僕をフォローしてくれたからではありません。どうにかこうにか英語で交わす本当に些細な話の流れで、キワちゃんがピアノを弾く歌い手でもあることを知り、またその作品がどれも彼女の見目からはちょっと想像しづらい、ささやかでやさしい世界観に包まれていて、しかも彼女はそれを自ら語らなかったからです。

キワちゃんはじぶんの歌を聴いてほしいとは一言も口にしてはいません。僕があとで名前を検索して見つけただけです。まさかアルバムまで配信しているとは思わなかったし、ましてやそれがCDになっているなんて考えもしなかった。アピールは本当に全然、微塵もされていない。後日、僕らが聴いたことを知ったキワちゃん自身がびっくりして照れまくっていたくらいです。でもその歌と声は薄いガラスみたいに繊細で儚くて、可愛かった。人に対してはめちゃめちゃ積極的なのに、じぶんのこととなると途端に慎ましい、そのスタンスにキュッと心を掴まれたのです。

僕は目の前に大きなものと小さなものがあったら、小さなものに手を伸ばすタイプです。たぶんキワちゃんもそうだとおもう。でも彼女の歌は、どんなにまっすぐ伸ばしても紆余曲折になってしまうKBDGなんかよりもよほどストレートではるかに多くの人に届いていいはずのものだと、僕は信じて疑いません。

僕の影響力なんてせいぜい数十人に届くくらいのものでしかないかもしれないけれど、それでももしここを訪れてくれる人がいるなら、キワちゃんの歌にも耳を傾けてみてほしい。彼女の視線はいつでも本当にささやかな、僕らと同じ日々の片隅に注がれています。言葉がわからなくても、それだけで心を寄せる甲斐はまちがいなくあるし、しなやかな歌声とメロディで伝わるはずです。彼女の本名である「高宇婧」で検索してみてください(「婧」は正しくは女偏に青です)。


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