2015年7月31日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その221


ライ麦畑でくだまいてさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 戦争を始めるのは誰ですか?


タイムリーすぎて冷や汗が背中を流れるようです。とはいえうっちゃるわけにもいかない話だとおもうのですこし考えてみましょう。

ひょっとしたら意識されていないかもしれませんが、この質問からはできればそうあってほしいというひとつの希望がにじみ出ています。なんとなればここには、「じぶんではなく『彼ら』である」というニュアンスが含まれているからです。

もちろん僕らには戦争を起こす気なんてさらさらありません。ですよね?みんな戦争なんかしたくないし、手を貸すのだってイヤだとおもっている。にもかかわらずひょっとしたら僕らもその日を迎えるかもしれないという不安が現実にあるとしたら、そこには僕らではない誰かの意志が働いているはずだ、と考えるのもムリはありません。そいつはいったい誰なんだ、という話ですね。

単純に考えればこれは国の指導者です。彼を支える政治家たちをそこに加えてもいいでしょう。

しかし忘れてはいけない点がひとつあります。すくなくとも民主主義国家においては、彼らが「僕ら」に選ばれてそこにいる、ということです。彼らが戦争を是とする判断を下すなら、その判断を下せる状況を整えたのは他ならぬ僕らであるとやはり言わねばなりません。

念のため言い添えておきますけれども、彼らに責任がないという意味ではまったくありません。国民を代表してそこにいる以上、彼らにはもちろんメガトン級の責任が伴います。

しかし僕がここで考えたいのは、戦争があくまで「僕ら」の問題である、という点です。それは「彼ら」の問題ではありません。

戦争が起きたとき、矢面に立つのは誰だろう?矢面に立つ人が決して自ら望んでいるわけではない行動に参加するのはなぜだろう?みんながみんな、拒否したらいいじゃないか?なぜ拒否できないんだろう?そして拒否するとしたら、今度はその結果どうなるんだろう?もう一度言いますが、これらはすべて、「僕ら」が直面する問題です。

愚かなのは愚かな判断を下す彼らであって僕らではない、とおもいたいきもちはすごくよくわかります。ではなぜ彼らはそれができる立場にいるのか?意図していたかどうかにかかわらず、結果として「僕ら」の選択がそのベクトルを決定している、というガッカリ極まりない事実をまず直視することから始めなくてはなりません。誰かを槍玉に挙げるより先に、まずじぶんたちの問題として向き合うこと。話はそれからです。

NOと書かれたトイレットペーパーは、彼らの尻ではなく、僕らが僕らの尻を拭くためにあります。投げつけるなら、そのあとです。


A: 「僕ら」をふくむ、全員です。




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その222につづく!

2015年7月28日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その220

うどん……


乳母らしき哉、人生!さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 別にラッパーになりたいとかはないのですが、なにげなく喋ってるなかで韻がふめたりしたらかっこいいなーってたまーに思います。なのでどうやったら普段から韻が踏めるようになるでしょうか?


僕もべつにラッパーというわけではないのでそんなこと言われてもどうお答えしていいのかよくわかりませんが、はっきりしているのは、なにげなく喋ってるなかでばしばし韻を踏まれても大多数の人は困る、ということです。日常会話においてなるべく避けたほうがよいものがあるとすれば、押韻はそのひとつに数えてよいでしょう。すくなくとも僕は戸惑います。

なぜかというと、日本語はそもそも脚韻を踏むような構造にはなっていないからです。韻を踏もうとすると、どうしても体言で止めることが多くなってしまいます。あくまで詞のかたちをとるラップであればまったく問題ないですが、日常会話でムリなく体言止めを駆使するのは至難の業と言わねばなりません。

もちろん、可否で言えば可です。言葉には無限の可能性があります。極めれば流れるように用言で韻を踏むこともおそらくできましょう。なんなら脚韻ではなく頭韻でそろえる手もあります。しかしそうまでして韻を踏むだけの甲斐が果たして本当にあるかどうか、そうまでして韻を踏むだけの甲斐が果たして本当にあるのかどうか、大事なことなので二度書きましたけれども、もう一度よく考えてみてからでも遅くはないと僕なんかはおもいます。

うちのレーベルオーナーもわりと隙あらば会話の合間に韻を踏もうとするタイプの男ですが、それが全体としてプラスの方向に働いているかと訊かれれば、むむむと口ごもらざるを得ません。というか先に申し上げた高水準のスキルが伴わないかぎり、率直に申し上げて場末のスナックあたりで耳にする中年男性のトラディショナル(と言っていいとおもう)なユーモアと区別がつかないのです。相手がご同輩であればむしろ上等な潤滑油になる場合もあるし、それはそれで大いに結構なことだとおもいますけれども、しかし今ここで求められているのがそういうことなのかというと、やはり疑問がのこります。ラップにおけるライミングを愛する者にとって「駄洒落」の一言であしらわれる事態だけはできれば避けたいところです。

そしてもし「え、いや全然そんなかんじでいいんだけど」ということであれば、これはもう、場末のスナックでくだを巻くその道のプロフェッショナルから教えを賜るに越したことはありません。こうなると今度は目的が韻を踏むことから遠ざかっていくような気がしないでもないですが、それはまあ知ったこっちゃないし、この際うっちゃっておきましょう。

あと、なにげなく韻を踏めることより、ストレートにラッパーになりたいというほうがスタンスとしてははるかにカッコいいような気がするんだけど、どうでしょうね?


A: 踏めなくていいです。




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その221につづく!

2015年7月25日土曜日

コンキスタドール/ogres island attack



やってきた男は美しかった
目を奪い、心を奪い、
やがて力づくで
何もかも奪っていった

3人の手下を連れて
片っ端から、それこそ
エルナン・コルテスみたいに
何もかもだ、容赦なかった

男は美しかった
着物はきらびやかで
見目はうるわしく
仕草も雅びていた

神の使いだと
信じたのも無理はない
ほどなくして村は
彼らの手に落ちた

立ち向かった者は
残らず葬られた
見たことはすべて
忘れろと言われた

おそろしくつよくて
マジで一騎当千
そんなのが4人だ
跡形もなくなった

生き延びたのは
わずかな女と子どもたちだけ
そのときのひとりがおれだ
今もときどき夢にみる

美しい男の
きらびやかな着物と
うるわしい見目と
雅びた仕草

長生きしたいなら
見かけても逆らうな
恨んではいない
あいつらはヤバい

桃から生まれた
男だって話だ
とても草食系には
見えなかったよ

2015年7月22日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その219

そういえばここに貼るのをすっかり忘れていましたが、ツアーグッズにつづき、クリープハイプの夏フェスTシャツをデザインしています。彼らが出演するあちこちのフェスで手に入るもようです。


冬にいただいた質問ですが、ちょうど夏がきたのでお答えしましょう。

ポイする惑星さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 炎天下の真夏と極寒の真冬ではどちらがすごしやすいですか?


僕の場合これはもう、圧倒的に炎天下のほうが楽です。猛暑、酷暑ときて、そろそろ暴暑とか蛮暑あたりが定着しそうな暑さであっても、わりと平気な顔をしています。「冬は服を着ればいいけど、夏は脱いでも暑いからイヤだ」とたしかそんなことをぶつくさ言っていたのび太からしたら、正気を疑われるかもしれません。

エアコンもあるにはあるんだけど、全然つかわないので今では単なる壁の出っ張りみたいになっています。冷やされるほうがむしろ外との温度差に消耗してしんどいです。ただ、暑くないわけではもちろんないから、霧吹きと団扇でパタパタしのいでいます。とくに霧吹きは汗と同じで肌から直接熱を奪ってくれるし、夏の必須アイテムのひとつです。日焼け止めとか塗ってるとむずかしいかな。でも気化熱の威力、ホントちょっとすごいですよ。さらにハッカ油を数滴垂らしてシュッとやったら、あまりの気持ちよさに青く澄んだ海の幻が見えます。


一見するとタフな体質におもえるかもしれませんが、そうじゃありません。というのも、僕は寒さにめっぽう弱いからです。気温が10℃を下回ると、途端にすべての身体機能が著しく低下し始めます。周囲のだれもそんなことは言っていないのに、ひとりだけ「さむいさむい」とちぢこまっている男がいたら、それが僕です。

なんだか知らないけれど、ひとりだけ寒がってるとすごいひ弱に見えるんですよね。40℃で平気な顔してても誰もほめてくれないどころか頑固な人だと受け取られるし、10℃で寒がってるとヘタレを見るような顔をされるし、踏んだり蹴ったりです。ヘタレならヘタレで別にいいけど、それなら暑いときに涼しい顔をしていたらほめてくれよとおもう。活動可能な気温の範囲が人と10℃ズレるだけでこのみそっかす感、人の業とはよくよく深いと言わねばなりますまい。

しかしまあ、暑いかと言ったら暑いに決まってるし、僕も35℃の炎天下を歩いているとさすがに体のほうから「おい、そろそろヤバい」と声をかけてきます。

「そう?まだ平気じゃない?」
「いや、もうヤバい」
「じゃ木陰でも探そう」
「あと水飲め」
「まだのど乾いてないけど」
おまえは脳だろ。こっちは体だぞ

という具合です。とりあえず言うことを聞いておけば間違いはないので、基本まかせっきりにしています。


A: 真夏のほうが過ごしやすいです、断然。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

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その220につづく!


2015年7月19日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その218

バニーズ極楽鳥店


火事・オブ・ザ・対岸さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 得意な料理は何ですか?


ライブやアルバムリリースの有無と同じく、これもかなりの頻度でいただく質問のひとつです。

以前にもちょろりと申し上げたように得意と言えそうな料理はとくにないのですよね。その代わりと言っては何ですが、人が答えるのを聞いて「それだけはおやめなさい!」と全力で止めたい料理ならあります。

肉じゃがです。

肉じゃがと言えば材料もレシピもシンプルで、ストレートに庶民的だし、好感度も上がりこそすれ下がることはまずありません。じっさい日本の家庭料理を代表するような一品です。この種の回答としてはこれ以上ないくらい模範的と言ってよいでしょう。

しかし得意料理には「人にふるまう自信のある料理」という側面もあって、これが剣呑です。人にふるまう可能性を踏まえたとたん、肉じゃがという回答はむしろギャンブルの様相を呈してきます。日本人ならみんな大好き正統派のひと皿がなぜ賭けになるのか、順を追ってご説明しましょう。

レシピがシンプルと先に申し上げましたけれども、僕が食費を抑えるためにせっせと料理をするようになって気づき、そして面食らったのは、世間一般における肉じゃがのレシピがおもったよりも統一されていない、という意外な事実です。たとえば僕は肉じゃがをつくるときに「肉を炒めない」んだけど、これひとつとっても「あれっ炒めないの?」とおもう人がいるのではありますまいか。

また煮物でじゃがいもといったら煮崩れしにくいメークインが先に挙がるとおもいますが、崩して食うのが美味いんじゃないか!という理由で男爵を選ぶ人もいます。

僕がこれまでの人生でいちばんおいしかった肉じゃがは、20年くらい前に知人の奥さんがつくってくれたものですが、いまだにこれを超えるひと皿には出会えていません。つゆがコンソメみたいに澄んでいたからたぶん別々に煮た炊き合わせに近かったんじゃないかという気がするんだけど、離婚してしまったので真相は謎のままです。仕方がないからあれこれ試してはみたものの、ちっとも近づける気がしないので最近ではもうあきらめました。

シンプルなのにというべきか、あるいはまたそれゆえにと言うべきか、要は肉じゃがひとつとってもつくる人によってはチワワとゴールデンレトリバーほどの開きがあるのです。そしてそれはつまり、家庭ごとにまったく異なる味が存在するということでもあります。「すこしずつ異なる」ではなく「まったく異なる場合がある」というのがポイントです。

誰でも一度は食べたことのある一般的な家庭料理である以上、その基準は生まれ育った家庭です。そしてそれがごくごくありふれたひと皿であると広く認知されている以上、みな「他の家もだいたい似たようなものだろう」と無意識に思いこんでいるようなところがあります。じっさいの仕上がりがびっくりするくらい多様であるにもかかわらず、肉じゃがも他の料理と同じく実家を基準に「これが普通」だと知らぬ間に刷り込まれているのです。

つくる人が「普通」だとおもっていて、食べる人にもその人の「普通」があるなら、じぶんが知っている「普通」とのギャップに戸惑ったとしてもムリはありません。そして肉じゃがの場合、おそらくそのギャップはなんとなくイメージするよりもずっと大きい。何より、食べ慣れていれば食べ慣れているほど、おいしいおいしくないとはまた別に、「我が家の味」として無条件の愛着を抱いていたりするものです。どう考えても、気軽にふるまうにはリスクが高すぎます。

要は他のどの料理よりもガッカリされる可能性が高いのです。

もちろん「うわっ何これむちゃくちゃウマい!」となるかもしれないし、「家庭的」という理由で高ポイントを稼ぐのはまちがいありません。でもまったく同じ理由でのちのち獲得したポイントをまるまる失うどころかマイナスになる可能性まであるのだとしたら、これをギャンブルと言わずに何と言いましょう。

「得意料理に肉じゃがを挙げてはいけない」というのはつまり、そういう意味です。

僕なら味噌汁とかハンバーグみたいな出来上がりにそれほど大きな差のなさそうなものか、でなければムームーとかブイヤベースとかドネルケバブとかあまり家庭的でないものをすすめます。ドネルケバブはまた別の意味でちょっとアレかもしれないけど、肉じゃがも同じくらい避けたほうが無難です。婚活とか街コンでアピールする際にはくれぐれもお気をつけあそばせ!


A: すくなくとも肉じゃがではありません。




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その219につづく!


2015年7月16日木曜日

いつかみたあの万年塀のちいさな落書きを分かち合うこと


オントローロの演目をぽつぽつと並べ始めております。今のところ音源になる予定のない曲("fishing ghost revised")や御大タケウチカズタケのリミックス(のうちのひとつ)といった飛び道具を用意して、ここでしか聴けないことをさも大事件であるかのようにあらんかぎりの声でアピールしまくるつもりでいたけれど、考えてみたらほとんどライブをしてこなかったんだから、そりゃ何をやっても珍しいよなとおもわないでもありません。だいたい当の本人であるこの僕からして、詩人の刻印やオーディオビジュアルを聴き直すのが5年以上ぶりという体たらくです。おもった以上に声が若くて冷や汗が出ます。あのころの僕に今の話をしたら「気でもちがったの?」と笑われそうです。

もともと僕はじぶんがこしらえたものに対して「大勢で共有する類いのものではない」というおもいがあります。ライブに積極的でない理由のひとつがこれです。必要とする人が何かの拍子に手に取ってくれればそれでよかったし、じっさい今もそうおもっています。ひとりでいる人に、ひとりでもまあ何とかなるもんだよとほんとに何とかなりそうなゆるさで言えればそれでよかった。いつだったか「DON'T WORRY」と書かれた万年塀の話をしたことがあるけれど、理想と言えばあれがまさしく理想です。誰も知らないような塀の落書きが、他のどんな言葉より大きな慰めになることもある。

でもふと思い立ってなんとなく始めたオントローロで、そればかりではないことがよくわかりました。万年塀の例でいうなら、「あの落書きみた?」「みた!」と言い合えるささやかなよろこびをしみじみ痛感させられています。僕のつくるものを手に取る人もまた、僕と同じ役割を担ってくれるというごくごく当たり前の事実を、今ごろ理解するなんてまったく面目ないことです。

だからこそ、これまでずっと音沙汰もなかったのに来たいと手を挙げてくれる人がいることを、心からありがたくおもいます。「万年塀、おれもみたよ!」と僕の代わりに言ってくれる人がいるなら、これほど心強いことはありません。そしてこれほど冥利に尽きることもちょっとありません。あとはよろしくたのみます、と他力本願な一言も添えておきたいくらいです。本当に本当にありがとう。

それにしてもまさか15分で売り切れてしまうとはさすがに思いませなんだ。ほら、ひとりじゃなかったでしょ、ってこれなら言ってもいいよね?

もちろん、とこんなに早くから宣言することになるなんておもってもみなかったけど、03と04も予定しています。なにか重大な物理的、心理的アクシデントが起きないかぎりはその後もほそぼそとつづいていくはずです。またちいさなボートで迎えにあがりますので、今しばらくお待ちくださいませ。

あとここだけの話、システム上の都合から金曜の朝あたりに若干のキャンセルが出るんじゃないかと踏んでいます。よかったらチェックしてみてね!

2015年7月13日月曜日

「オントローロ 02」受付開始のお知らせ

いきなりトップギアの真夏日です。こっちだって毛穴を開いとくとかいろいろ準備があるんだから、来るなら来るで夏も電話の一本くらいよこしてから来りゃいいのにまったく、と水風呂のなかからぶつくさ、もしくはちゃぷちゃぷとお送りしています。


オントローロ 01&02 @渋谷 Flying Books
01:2015/8/9(日) SOLD OUT
02:2015/8/23(日) 
open: 19:00 start: 19:30
fee: ¥2,500(1ドリンク付) 各40名



※「01」と「02」の内容は100パーセント同じです。

※仮に完売となっても、何らかの事情で撤回される場合があります。その際はPeatixの表示が「販売終了」から「チケットを申し込む」に戻りますので、ときどきチェックしてみてください。

※ちょっと保留にしたい人はログインして「ウォッチリストに追加」がオススメ!

※調子に乗って完売と撤回のコールアンドレスポンスをむやみにくり返した前回の反省を踏まえ、今回はなるべくアナウンスを控える所存です。


「オントローロ」とは「よむ(読/詠)」ことに主眼を置いた僕個人の、そしてほぼ個人的なことに終始するライブプロジェクトです(もうちょっと補足した説明はこちら)。古今東西の書物に囲まれながら、何なら一杯きこしめしつつ、まろやかなひとときをお楽しみください。すこしでも多くのみなさまとここでお目にかかれることを願って。