2011年3月16日水曜日

僕らはこのバス停で、明かりを灯す



さきにこれを記すのはちょっと心苦しいのですが、お知らせがふたつほどございます。

ひとつめ。最後の1冊となった例の詩集ですが、投稿した数時間後にぶじ完売と相成りました。品切れです。増刷の予定はありません。お求めいただいた方々にはほんとうにありがとうございました。Flying Booksでその背表紙を見ることがないというのはさみしい気もするけれど、ぜんぶお届けできて本望です。ありがとう。ありがとう。

ふたつめ。前々回の味噌汁爆弾についてのコメントですが、驚いたことにそのすべてがスパムボックスに放り込まれておりました。bloggerのやつ、何てことをするんだ!もちろん意図したわけではありません。なんだかよくわからないけど、そういうことになっていたのです。心をこめてコメントを投じてくれた人にはたいへんもうしわけありません。うれしかったです。どうもありがとう!コメント、お返ししています。

みっつめ。あれ?ふたつじゃなかった!

FLY N' SPINからリリースする待望のソロアルバムに先駆けて、totoさんが"windy" という曲のビデオクリップを公開しました。ズルい!と口をとがらせてブーブー唸りたくなるくらい素敵なアニメーションです。こんなときだからこそ届けたい、という彼女の思いがこめられています。だいじな人に、見せてあげてください。とくに子どもたちに届けたい。しかしFLY N' SPIN のなかで誰よりもアーティスト然としているなァ…




 *


世界丸ごとと言っても過言ではないくらい多くの人が、あの日からひたすら祈りをささげつづけています。「団結した一丸」とはこれほど大きくなるものかと見上げて目をみはるばかりです。頑強なことといったらダイヤモンドをかるく超えている。みんなのきもちは脇目もふらず直進しています。みんながみんな、みんなのことを気にかけている。


こう切り出してためらいがないわけではないのだけれど、心あるすべての人の思いがそこへ向けられているならば、そこからちょっと抜け出して、視線を他へ移してもゆるされるでしょうか。


かの土地から遠く離れ、身体的には無傷でありながら、絶え間なく注ぎこまれる膨大な情報にせき立てられて、心の奥にひっそりと闇の渦をつくってしまった人のことを心配しているのです。


全員が迷いもなく同じベクトルに駆け出していると、もたもたして乗り遅れた人はそれだけで拭いがたい罪悪感を背負いこむことになります。苦もなく行動に移せる人は「こうすればいいじゃないか」と簡単に言うけれど、それができない人もいるのです。どうしてできないのかは自分でもよくわからない。わからないけれど、ただ、うまくいかない。後から来て追い抜いていく人からも冷たい視線を浴びせられているように感じて縮こまり、ますます動き出せなくなる。

でも大丈夫だと僕は言いたいのです。ついていけなくてもいい。力になりたいというきもちは、行動によって優劣を決められるものではありません。自分を追いこむようなことをする必要はない。「乗り遅れる人」のきもちは、「乗り遅れる人」がいちばんよくわかっています。そういう人は、きっとまた来る。そのために、ここでじっと待っていればよいのです。

「自分にできることをする」というのはそういうことです。またかつて書いた「キープレフト」という考えかたは、こういうときのためにあります。僕の発想ではありません。先人の背中をみて学んだ、揺るぎない哲学のひとつです。

こんなときにもたついたことを言いやがって、と言われるかもしれないけれど、人生の大半を同世代のはるか後方でもたもた過ごしてきたんだから、今さらそんなこと言われたってどうしようもないよな。


大丈夫、バス停はここにある。多くの人がとっくに目的地にたどり着いていたとしても、僕らが乗りこむべきバスはいずれ必ずやって来る。何度だって言うけれど、みんなのあとにうまく続くことができないからといって、恥じることはないのです。ただひたすら、愚直に日常を維持する勇気のかたちもある。



あなたがひとり願うだけで、そこに明かりは灯ります。その明かりにこそ意味があると僕はおもう。



2011年3月9日水曜日

詩の一遍が真夜中にうちを訪ねてきた話



号外!号外!

ときどきふと思い出したようにここで触れてはその地味な存在感に肩をすくめる他なかった詩集、「2/8,000,000」の在庫(@Flying Books)がとうとうのこり1冊になったそうです。6年かけてようやく…ようやくゴールにぴんと張られたテープが見えたとおもうと、目頭も熱くなります。

おもえばかのムール貝博士が登場したのもこの詩集が最初です(詩人の刻印はその数年後)。今じゃSUIKAの曲で言及されるまでになったのだから、ずいぶん出世したものだ。

あまりに売れないので干されている詩集の図


もともと積極的に売ろうとしていたわけでもなかったけれど、それでも同じ500部を用意したオーディオビジュアルの特装版がふた月でキレイさっぱりなくなったことを考えると、その5年も前からそこにあった詩集に対して、気の毒なような、申し訳ないようなきもちが頭をもたげないでもなかったのです。

それがとうとう、あと1冊…。

オーディオビジュアルをリリースして間もないころ、詩集「2/8,000,000」のなかに収められた詩の一遍が僕のところに来て、ためいきまじりに「相談がある」と切り出した夜のことを、忘れることはできません。


「どうしたこんな夜更けに!」
「ごめんよ」
「いや…」
「でもどうしても今日伝えたくて」
「それはかまわないけど…驚いたな」
「じつは折り入って相談があるんだ」
「相談?まあとりあえずお入りよ」
「ありがとう」
「来るとおもってなかったからおもてなしも何もないけど」
「おかまいなく!ホントは連絡してから来たかったんだけど…」
「そうだよ、電話してくれればいいのに」
「決心がにぶるといけないとおもって」
「ふーん?」
「今日はみんなの代表で来たんだ」
「みんな…みんなって?」
「みんなはみんなだよ!詩集に入ってる詩ぜんぶだ」
「ああ、そう…そうか、そうだね」
「じっさいのところ、みんなもう潮時だとおもってる」
「潮時って…なんの?」
「みんなで話し合って決めたことだから、はっきり言うよ」
「うん」
「僕ら解散するつもりなんだ」
「解散?」
「うん、解散だ」
「というのはつまり…詩集を解散するってこと?」
「そうだよ。他に何があるっていうのさ」
「そんなバンドみたいな!」
「詩の集まりなんだから、同じだよ」
「それは…それはそうかもしれないけど…」
「もう決めたんだ」
「でもそんな唐突に…」
「唐突じゃないよ。ずっとみんなで話し合ってきた」
「みんなはそうでも僕には唐突だ」
「それは…そうだね。もうしわけないとおもってる」
「だいたい…だいたい詩集をつくったのは僕なのに…」
「わかってる」
「編集だって装丁だって…ぜんぶ僕が…」
「わかってる」
「なのに詩のほうから解散を持ちかけられるなんて…」
「ごめんよ」
「解散って…解散したらどうなるんだ?」
「どうもならないよ。みんなそれぞれ…」
「みんなそれぞれ一遍の詩としてやっていくってこと?」
「いや…それもやめようとおもってる」
「やめるってまさか…」
「ぜんぶバラして、単なる文字に戻るんだ」
「そんなバカな!」
「あるべきかたちに還るだけだよ」
「そんな…」
「そしてまたべつのテキストに生まれ変わる」
「つくった僕の意思はどうなる!」
「ダイゴくん、言いたくないけどこれはクーデターなんだよ」
「(ガーン)」
「血は流したくない」
「流血って君らページの端っこで指を切るくらいが関の山じゃないか!」
「ダイゴくん、さいしょのページ見たことある?」
「さいしょって…詩集の?奥付みたいなのが書いてあるとこ?」
「そう、copyrightとか発行元が書いてある」
「知ってるよ」
「あれ、copyrightが "copylight" になってるんだよ」
「え、スペルミス!?」
「僕ら保護されてないんだ」
「何を言うんだ、そんなことないよ!」
「それに…」
「まだ何かあるのか」
「もうすぐ紙の本はなくなるっていうじゃないか」
「いやに情報通だな」
「僕らだってこれでも情報のひとつなんだよ」
「ちがうよ!」
「ちがうって?」
「詩は情報じゃない!」
「0と1に置き換えられるものはみんな同じさ」
「コンピュータに詩が理解できるもんか!」
「どうかな…それもずいぶん古い考えかただ」
「どれだけヒトに近づこうと、僕らは電子回路とファックしたりはしない」
「今の常識がこの先の常識とはかぎらないさ」
「コンピュータが詩を吟じてだれが感動するっていうんだ」
「初音ミクの歌になんか感動しないって言うのか?」
「む…」
「君、感動してたじゃないか」
「いやになるくらい時世に通じてやがる」
「だいたい500部の詩集が解散したところでだれも気に留めやしないよ」
「思春期のガキみたいなことを言うな!」
「でも事実そうだろう」
それでもよろこんで買ってくれた人がいるんだよ!
「わかってるよ、でも…」
「わかってない!何もわかってないよ!ものの価値を多数決で量るなんて、そっちのほうがよっぽど時代遅れじゃないか!くそ、もっともらしいこと言って、結局ふてくされてるだけか!」
「評判を気にしてるわけじゃないよ、もちろん」
「少なくとも僕はよろこんでくれた人を知っている!大事にしてくれていることも知っている!誰がなんと言おうと、それは僕の大いなる誇りだ!それを言うに事欠いて解散だと!バカにするな!ページめくって出直してこい!」
「でももう、決めたんだ、みんなで」
「ええい!」

バチン

「痛い!」
「いんこ先生とやまじにあやまれ!」
「え、誰…?」
「君らを世に出してくれた大恩人だよ!そんなことも知らずによくもまあぬけぬけと…」
「怒らせるつもりはなかったんだ…」
「うるさい。クーデターと言ったのはそっちだ。これから先は聞く耳を持たない。解散も却下だ!水面下で不穏な動きがあれば全力で阻止するし、場合によっては武力行使も辞さないぞ」
「ダイゴくん…」
「あやまってくるんだ、今すぐに」
「いや、でも‥」
「でもじゃない」
「こんな夜更けに…」
「武力を行使するぞ!」
「わかった、わかったよ!ホウキで叩くのはやめてくれ」
「土産にオーガニックなものを買っていくんだ」
「オーガニックって?」
「ハーブティとか、無添加のジャムとか、そういうのだよ」
「こんな時間に売ってるわけないよ!」
「ナチュラルローソン行けばいいだろ」
「ナチュロー…ナチュローね…わかったよ」
「なるたけおしゃれなのを選ぶんだぞ」





そうして部屋を追い出された一遍の詩がほんとうにおわびをしに行ったかどうか、その後の顛末はじつをいうと僕もわからないのだけれど、すくなくとも詩集は解散をすることもなく、あれからずっとFlying Booksの棚にありました。

それもあと1冊でおわりです。増刷はしません。手に取ってくれて本当にありがとう。


記念に、わざわざウチまで来て追い出された一遍の詩をここで紹介しておきましょう。


 *


海賊/landed pirates




動くな。


蟹を出せ。


ぐずぐずするな。


有り蟹ぜんぶだ。



2011年2月26日土曜日

その爆弾はどこに仕掛けられているのか?




ある朝、ごはんを食べようとしたらどこからともなく、奇妙な音が聞こえてくるのです。かすかにではあるけれど、どこか切迫したかんじの非日常的な音が耳に忍びこんできて居心地が悪いというか、落ち着かない。

何の音だろうとおもって食卓からあちこちに耳をちかづけてみるんだけれど、どうも判然としません。ひょっとして外かなとおもって窓を開けると、春を間近に控えた穏やかな日和で却ってしずかなくらいです。外ではない。不穏な空気は、部屋に満ちている。

不穏というのは、僕にはそれが時限爆弾のカウントダウンみたいな音に聞こえるからです。まったく不条理きわまりない。不憫なほどつつましく暮らす男の部屋にいきなり爆発物を持ちこむなんて横暴にもほどがあります。卵かけご飯に揚げ玉(天かす)をふりかけて食べることが数少ない贅沢のひとつであるような男の暮らしぶりが、つつましくないとでもいうのか?

たしかに善行と悪行を秤にかけられたら、微妙なバランスで揺れ動くだろうとは僕もおもいます。でもそれにしたって問答無用でバラバラに吹っ飛ばされる覚えはさすがにない。

気味がわるいし埒もあかないので、先入観を捨ててとにかくありとあらゆるものに耳をあて始めると、一瞬だけ音に近づいてハッとしたりもするのです。まちがいなく、手の届く範囲にその音はある。いったいどこから、そして何が何のために何を発信しつづけているのか?

何より、僕は朝ごはんをぶじ食べることができるのか?

これでもない、あれでもない、とひとつずつ可能性をつぶしていく消去法は、犯人を袋小路に追いつめていくような緊張感があります。だってもう、このへんにあるとわかっていて、そうでない無実のものを一個一個除外していくんだもの。真実が白日の下に曝け出されるのも時間の問題です。

そうして実際、辿り着いた真実はじつに驚くべきものだったと言わねばなりますまい。意外というなら、かの有名なモルグ街における殺人犯よりも意外です。ブルータスを呪ったカエサルのきもちがこの日ほど身にしみたことはありません。


(予想だにしていなかった音の出所に絶句しています)



豊島区在住Dさんからのご相談:
「うちの味噌汁から『チッチッチッチ…』という爆発前のそわそわした時限爆弾みたいな音がしてるんですけど、これはどうしたらいいですか?」



良識ある人なら「気にせずにお食べなさい」とか何とか言うでしょう。もうすこしつめたく「放っておきなさい」と言うかもしれない。真面目な人なら怒りだすかもしれません。僕だって人に突飛なことを言えばそれに見合った氷点下な反応が返ってくるくらい、何となく想像がつきます。そして、味噌汁から時限爆弾みたいな音がする、という話は実際たしかに突飛です。しかし今やありとあらゆる道が舗装されているこの文明社会で、「出口はあちら」みたいな選択肢しか示されないなんてちょっと信じられないし、第一あまりにも世知辛い。だれか救いの手を、もしくは(味噌汁だけに)掬いの手を差し伸べてくれたっていいじゃないですか?

問題は、数分後にこの味噌汁から未曾有の大爆発が起きて僕の身体が黒ヒゲ危機一髪みたいに吹っ飛んだら、いったい誰がその責任をとってくれるのか、ということです。どう考えたって味噌汁に爆弾がしかけられていることはないようにおもえるけれど、だからといってそれが爆弾でないという保証になるだろうか?いいえ、断じてなりません!だってすごく爆弾ぽい音がしてるし、すくなくともこの点だけは厳然として動かしがたい事実なのだから。大丈夫だと根拠もなしに請け負うなら今すぐここにきてこの味噌汁をひと息に飲み干していただきたい。そうして、飲んだら早急に、そして遠くに立ち去っていただきたい。この得体の知れない不安から逃れる術はもはやそれしかないのです。


ズズー


カタン(箸を置く音)


ふー


カチャカチャ(食器を片づける音)


ジャー(水を流す音)


ゴシゴシ(食器を洗う音)


ジャー

2011年2月23日水曜日

「オーディオビジュアル」の原材料を探る旅



折よく話の種をポイと投げてもらったので、御大タケウチカズタケのブログに取り上げられていた件についてお答えしておきましょう。僕もこの曲については当然、アルバムに先駆けて公開されていた去年の12月時点で鼻をぷーとふくらませていたのです。



ピンとこない方のために念のため書き添えておくと、今しようとしているのは「詩人の刻印」の最後に収められた「響宴/eureka」という一遍についての話です。もともとこれはこしらえたときからGhostfaceを意識していたトラックなので、驚きよりはむしろさもありなんというか、うまく的を射たような感慨のほうが大きいかもしれません。「しめしめ」というかね。

言われてみれば古川さんにさえあまり話したことがなかったような気もするけれど、3枚目の「オーディオビジュアル」になってようやく自分なりに「うーん、そうだな、だいたいこんなかんじだ」と嚥下できるようになった今の僕の方向性は、この「響宴」から始まっています。

そこから遡ること数年前にリリースされたGhostfaceの "Pretty Toney" は、僕にちょっとした閃きを、でなければ開き直りとも言えるちいさな確信を与えてくれたアルバムです。サンプリングどころかほぼ原曲そのままで歌も入ったまま上から強引にラップをかぶせた "Holla" や "Save Me Dear" の自由なこと!こんな荒技がまかりとおるなんてこれこそ Sugarhill Gang の "Rapper's delight" を想起させるヒップホップの真骨頂というものだし、それは目からウロコもぱらぱら落ちようというものです。

この "Pretty Toney" が僕にとって何より大きかったのは、アルバムそれ自体のキラキラした魅力とはまたべつの観点で、音楽というフォーマットに対する変な気負いや付け焼き刃の義務感みたいなものを取っ払ってくれた点にあります。それはもちろん、音楽的にすぐれたものを緻密に組み上げることができればいちばんだけれど、でも向き不向きということもあって僕にはやっぱり荷が勝ちすぎていたし、要は「無理をしない」ということですね。

こう書いてしまうと簡単なことのようにおもえるけれど、ものをつくる上で「無理をしない」というのはなかなか全身で理解できるものではないのです。どうしたって理想が先に立ってしまうし、第一それはともすれば全体の出来映えに直結して台無しになるようなことでもあります。ですよね?音楽に対する引け目みたいなものはこの際しれっと棚に上げておくとして、じぶんでせっせと用意しておきながらトラックメイカーを標榜することがないのも、そういう割り切りによるところが大きい。

ともあれ「響宴」のきっかけが "Pretty Toney" だとすれば(大胆な物言いだな)、「詩人の刻印」に収められている曲のなかでいちばん早くできたばかりか(2006年の最初です)、実際あれからビートとの向き合い方がはっきりと定まっていったわけだから、ひょっとするとじぶんで意識していた以上に意味のある邂逅だったのかもしれません。「あ、そうかこれでもいいんだ!」とたちこめていた霧がするすると晴れていくかんじ…1枚目と2枚目とでアルバムの雰囲気ががらっと変わったのもおそらくこのへんに理由のひとつがあるのです。(もちろんそれだけではないけれど)


 *


「響宴」ができてはじめてフラインスピンのボスに聴かせたとき、「ゴーストフェイスっぽいでしょ!」とふたりでキャッキャはしゃいだことをよくおぼえています。何しろ彼ときたら大のGhostface好きで、もっと言えば超のつくWu-Tang Clan好きで、さらに言うと狂のつくOl' Dirty Bastard好きで、いまだに冬になるといやにデカいウータンクラン仕様のダウンジャケットをもこもこと羽織っているくらいだから、僕としてもこのトラックはきっとよろこんでくれるはずと踏んでいたのです。(Flying Booksの3周年記念パーティーで初めて披露したときの店主の感想がまだここに残ってるんだけど、このときすでにGhostfaceについて触れています)

だから今回ゴーストの "2getha baby" が公開されたとき真っ先に話した相手もフラインスピンのボスでした。こんなに愉快なことはない、とふたりで悪そうな顔に微笑を浮かべたものです。


 *


しかしゴーストフェイスもまさか太平洋を隔てたちいさな島国のちいさな町でこんなふうにキャッキャ言われてるとは夢にもおもわないだろうな!


 *


そしてふと気づけばもうすこしでアルバムリリースから1年たってしまうというのに、この浦島気分はどういうことだろう。こないだ出たばっかじゃなかったのか?

2011年2月20日日曜日

僕がいかにブログを愛しているかということについて




どうやらブログの最長放置記録を更新したようです。

今さら何を切り出せばよいのだ、と投げ出した匙を数えるのもおっくうになってきました。アクセスもちゃくちゃくとゼロに近づいているのだから、何を期待されているわけでもないとはおもうけれども、そうなるとなおさら向こうが透けて見えるくらい動機がうすれてぺらぺらになり、鼻息でぴゅーと飛ばされたきり、戻ってこないということになります。


おもえば、こうして戻ってこなくなってしまったもののいかに多いことか…


(ためいき)


とりあえず山積みになったスプーンを洗って、それからえーと、カレーでもつくろう。


 *


誤解のないように申し添えておきますけれど、ブログがきらいなわけでは決してありません。それどころかブログを心から愛しているし、いっそ食べてしまいたいくらいだし、それなしで生きることなどかなわないときっぱり断言してもいい。むしろ好きすぎて手をふれることさえためらわれるから、うっかり汚してしまわないようにブログをていねいに折り畳んで、袱紗に包み、箪笥の奥へとだいじにしまって今やハレの日にしか取り出すことがないくらい、家宝級の扱いです。

これ以上わたくしに何ができましょう。


 *


ちなみに上の写真は女子大生がつくるLife Style Magazine 「VENUS」なのですが、これを読むとどういうわけか娘の言動に振り回される父親のようなきもちに苛まれます。


もくじ
・恋愛タイプ別診断
・全国のお鍋を知ろう!
・ケーキ屋さんとのコラボ
・冬のファッションはおまかせ!
・イケメン大図鑑


基本的には一昨年に惜しまれつつも休刊となった「小学六年生」の女子ページとつくりがだいたい同じなので、ちょっと背伸びをしたいローティーン女子はこれをお手本にするといいよ!


※参考資料

2011年1月15日土曜日

レコードの穴にピンを刺して壁に飾ればよいのです




いいかげん誰か訂正してくれたっていいのに、そこでもまた「オーディオヴィジュアルがヒット中の詩人…」と当たり前のように書いてあるものだから紹介する気がしおしおと萎えて放ったらかしにしていたのだけれど、2月の下旬にSUIKA初の12インチがリリースされるのです。


→詳細はこちら


リリースされるころに思い出すか気が向くかしたら書けばいいや、と告知する気ゼロで知らんぷりしていたらコレ、受注生産なのだそうです。それは知らなかった。いや、聞いたかもしれないけれど、いつものようにボンヤリしていた。受注生産ということは、予約の状況を見てからそれにちょっと上乗せして生産する感じなんだろうか?それとも予約だけで店頭にはいっさい並ばないってことなんだろうか?

いずれにしてもリリースされてからではほとんど手に入らないという状況になってしまうかもしれないし、さすがにそれは僕としても望むところではないので、いっそここでアートワークを全公開してしまい、あわよくばみんなに居ても立ってもいられないようなそわそわした気持ちになっていただきたい、というのが本日の趣旨であります。肝心の音源についてはSUIKAブログをご覧になるとよろしい。


ジャケット表


ジャケット裏



レーベル面(side A)

レーベル面(side B)
宝を探しに行く3MCズの図


そしてこれに加えてもうひとつ、未発表ライブ音源(!)が手に入る「ダウンロードカード」付き。(伏せ字の部分にDL情報が記載されています)

宝を探しに行って先を越された3MCズの図


単なる意匠にもちょっとした物語をまぶして仕上げる我ながらにくたらしい演出ぶり。こうなるとむしろこれらの印刷物を手に入れるついでに音楽も聴けるよ!という方向でいいじゃないかと思わないでもありません。プレイヤーをお持ちでない人も、レコードの穴にピンを刺して壁に飾ればよいのです。


だから何も心配はいりません。みんなこぞって予約してしまえ!



それにしてもA面が「タマキハル」1曲で15分って、12インチというよりもアイザックヘイズとかバリーホワイトのLPみたいだ。

2011年1月5日水曜日

年末に樹上を滑空して幹に激突する女の話



あけましておめでとうございます。

往来で人目もはばからずに裾をつかみながら追いすがり、「行かないで!」と懇願するわたくしを、振り払うようにして正月は今年も去っていきました。しばらくはまた寝てもさめてもこのことばかり、温かくあふれる恋慕の涙で枕をしとしとと濡らすことになりましょう。


 *


三が日は明治神宮でゴロゴロしてました。


その数300万人(!)とも言われる参拝客はみな拝殿にしか足をはこばないので、その裏というかもっと奥にたたずむ宝物殿そばの広場は三が日のほうがむしろ人気もすくないくらいなのです。灯台もと暗しのもっとも顕著な例というか、正月の東京においてここ以上の穴場は他にないとおもう。じっさいこのあと参道行ったら拝殿まで1時間かかるような賑わいで、並ぶ人の頭上にゆらゆらと陽炎がたちのぼっていた。


 *


年始にひとりで伯母の家までブーンと挨拶に行き、ついでにコスタリカの話を聞いてきたのです。世界の主要な国々はほとんど訪ねた旅の猛者なのでちょっとやそっとのことではもう全然驚かなくなっている人なのだけれど、"canopy" はさすがにスゴかったと珍しく興奮気味に話してくれました。

キャノピー?

「林冠、樹上」を意味するその言葉どおり、ハーネス(安全装具)を体につけて木と木の間をかなりの高度で滑空(!)するそうです。しかも一番手で颯爽と飛んだら到達点でいきなり木に激突してみんなに心配かけたと笑うんだから恐れ入る。

「木に激突って…姉ちゃん(未婚なので僕らは昔からずっとそう呼んでいるのです)今いくつだっけ?」
「68」
「ろく…。さすがにもういいトシだなァ…」
「アンタもいいおっさんでしょうよ」

そういえば去年だか一昨年はアフリカの大地溝帯でキャンプみたいな途方もない話をしていたような気がするけれど、あれはどうなったのか…。


 *


年末の「ジビエとしてのバニー・ガール」送りますキャンペーンにご応募ありがとうございました。いただいた感想は1通1通だいじに読んでいます。どれもゆっくりと丁寧に書かれたお便りばかりで、胸が熱くなりました。実際のところ、アートワークまで楽しんでくれる人というのはみんなが思うよりもはるかにマイノリティなので(本当です)、しみじみとよろこびを噛みしめています。いつもありがとう!

あと、1通のメールにさりげなく記されていた「ピンカートン先生の処女作じゃないらしいですよ」という一文に目を疑いました。気になって問いただしたピンカートン先生からはちっとも返信がないので真偽はいまだに不明です。いったいどこからそんな情報を?


 *


而して昨年はたいへん多くのみなさまからご愛顧をたまわりました。本年もフラインスピンレコーズと、たしか明日転居する予定の古川耕をどうぞよろしくおねがいします。


 *


おまけ:なんとなく聞き分けのない看板