2009年3月30日月曜日

巣鴨プリズンの上に建つ昭和のオベリスク


先日、家族のように心安い付き合いをつづけている近所の姉さんが部屋を引き払って実家に戻るというので、せっかくだからこの際いかにも池袋的なものを見納めておこうと町をうろつくことになりました。

そういうわけで最後にのぼったのはいったい何年前のことになるのか、東京タワーとちがって近ごろではほとんど顧みられることもない昭和の超高層オベリスクのひとつ(もしくは巣鴨プリズン跡地)、池袋はサンシャイン60の展望台をたずねてきたのです。


展望台ではランドマークタワーに劣り、ビルの高さでも都庁に負け、六本木ヒルズには展望台の高さこそ上回っているものの圧倒的な華やかさで相手にもされない健気なサンシャイン60…。

しかしご存知か。ここには他にないおおきな魅力として「スカイデッキ」という名の屋上があるのです。

地上230mからの眺望を心ゆくまで堪能できる現代の空中庭園がこれなのであります。イヤッホウ!




…とおもったらヒルズにもスカイデッキがあって、しかもそっちのほうが高く、あまつさえずっと開放感にあふれているらしい。


…。


そういえば僕らがたずねたこの日はちょうど展望台でコスプレ撮影会が行われていて、あちこちの窓でキメにキメたコスプレイヤーたちが夜景をバックにぱちぱちとシャッターを切りまくっていたのです(当然だし残念だけど一般客の撮影は禁止)。まさかそんなイベントが催されていたとは知らず呆気にとられる一般客との温度差もそりゃあたいへんなものだったけど、しかしこれこそヒルズなんかではぜったいに味わうことのできない、池袋ならではのハイブリッド感覚というものじゃないか!ちっとはこの懐の広さを見習ったらどうだ。

ときどきヘンなフェロモンが局所的にただよったりして、じつに微笑ましい光景であった。



あ、これ記念コインです。


日付を刻印できるんだけど、機械がものすごく古いから1文字打つたびにバチコーン!バチコーン!とアクシデント的な打刻音が辺りに響きわたって、いたたまれなくなりました。


 *


おまけ:南池袋の近くにある弁当屋さん


…にあった貼り紙

2009年3月29日日曜日

ダイゴくん5年ぶりに機種変更をするの巻


3月いっぱいで第2世代が使えなくなるというのであわててソフトバンクのショップに駆けこんできたのです。

「いらっさいませ」
「機種変更をしたいのです」
「かしこまりました」
「間に合ってよかった」
「そうですね、2010年には使えなくなりますから」

…。


「2010年?」
「2010年です」
「今年は…」
「2009年ですね」
「じゃ来年?」
「来年ですね」


注:焦る理由など何ひとつなかったことに計り知れない衝撃を受けながらも、つとめて平静をよそおうダイゴくん


「いっそiphoneにしちゃうつもりなんです」
「ありがとうございます」


注:おもいきった決断をすることで内心の狼狽を打ち消そうとしています


「白と黒どちらになさいますか」
「白がいいです」
「かしこまりました。ではですね、こちら他のケータイと少々事情がことなりますので、ご説明をさせていただきます」


注:いろいろとややこしい説明をうけています


「やっぱりiphoneやめます」
「かしこまりました」


多彩な機能と流麗なグラフィック(←これをタッチパネルで操作してるとたしかにめちゃめちゃほしくなる)は他と比べて明らかに群を抜いていたけども、持っているからといってべつに僕がすごくなるわけではないし、ふとサルみたいにずーっとiphoneをいじくり回しているじぶんの姿が脳裏に浮かんで、一気にしおしおときもちが萎えてしまいました。

そういうわけでけっきょく何でもないふつうのケータイに換えてきたのです。


*今回の機種変更における最大のメリット

・アンテナがついていない
・「全員に返信」ができる
・写真をふつうに送受信できる
・黄色い


それにしても欲しくないものの中からぜったいにひとつ選ばなくてはいけないことほど不毛な行為って他にあるだろうか?

控えめでもまだ濃すぎるメタリックな質感といい、ラグジュアリーな色彩といい、売り場をみていると場末のブティックが思い出されて暗いきもちになります。たぶんソフトバンクだけなんだろうけど。

やれやれ。

2009年3月26日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その87


カピバラまくらさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)ふかふかしてきもちよさそうですね。



Q: ダイゴさんは、知人の鼻から鼻毛がでていたらどうしますか?何とか相手に恥をかかせずに、伝えてあげたかったんですけど。。。何か、うまい方法はありませんか?



鼻毛のふるまいによってボーナスの査定が変わるわけでもないだろうし、禍根としてのこるような話でもないから、そっとしておいてもいいような気がするけれど、社会の荒波をせっせと漕いですすむためにはそういうわけにもいかないんでしょうね。


あらためて考えてみるに、ここで気になるのは鼻毛の出ている相手(仮にH氏としておきましょう)が、どこに恥ずかしさを覚えるかという点です。

1. 鼻毛が出ているという事実そのもの
2. 人にそれを見られること
3. 知人にそれを指摘されること

H氏がその事実に気づかないかぎり、基本的に世界はとても静かです。鼻毛が出ているからといって声を上げて笑うバカもいないだろうし、それを見たからといっていつまでも覚えている人もたぶんいません。このさき生きていくうえで明らかに不利な条件を突如として背負ってしまったわけでもないし、何というかまあ「出ちゃった」というだけのことです。

また仮にH氏が家に帰って部屋の鏡をみたときに気づいたとしても、それほど羞恥心に打ちのめされるとはおもえません。「やっちゃった!」とはおもうかもしれませんが、打つ手としてはハサミを持ち出してチョキンとやるだけだし、たぶんそれで事は済むはずです。誰かに見られたかもしれないけれど、見られてないかもしれない。その不確定性がH氏の羞恥心をカルピスのようにうすめ、ごくごくと飲み干し、忘れることを可能にしてくれるのです。

しかしそれを知人に指摘された場合、その不確定性は一瞬にして消え去ります。先の例で言えばカルピスを原液で飲むことになるのです。何ごともなかったように飲み干すことなんてとてもできたものではありません。

言い換えるならば、H氏の羞恥心はあなたが鼻毛をみとめてしまった時点からコチコチと動き出す時限爆弾へと変貌するのです。どうにかして羞恥の種を取り除いてあげたいとおもうきもちそれ自体がスイッチになるとはまたなんたる皮肉でありましょう。思いがけず話が大事になって書いてる僕も泣きそうです。

いっぽうで、あなたがそれを目撃してしまった事実も消し去ることはできません。近しい関係である以上、それを見てみぬふりで済ますのも冥利がわるい。

ではいかにすべきか?

じつに不本意ではあるけれど、ここで思い出してほしいのはあの悪名高きブッシュ・ドクトリンです。やられる前にやれ(ネガティブ)、あるいはもらう前にふるまえ(ポジティブ)という、大国限定の超法規的論理ですね。それがどれだけ物議を醸したかはいまだ記憶にあたらしいところですが、すくなくとも対鼻毛戦略においてはかなりの効力を発揮するにちがいないし、実際それを対鼻毛に適用するとこうなります↓



A: 気づかれる前に抜け



ちなみに僕もともだちの鼻毛が出ていたら「出てる」とストレートに伝えます。恥なんて怒りといっしょでそう長持ちするものでもないしね。ともだちとまではいかない知人レベルなら、そもそも鼻毛に目をとめたりしないです。

そういえば僕自身もこないだの日曜日、御大さいとういんこに「チャックがあいてる」とみんなの前で大々的に指摘されています。いくらなんでもデリカシーがなさすぎるとはおもうけどそれはまあいつものことだし、わりと平気なもんですよ。年齢的なものもあるかもしれないし、鼻毛とチャックで恥じらいの度合いが近いかどうかは僕にもちょっとわからないですけど。


ただまあ、気づかれる前に抜くことができるならこれ以上の大団円はないですよね、やっぱり。がんばってください。



 *



dr.moule*gmail.com(*を@に替えてね)


その88につづく!

2009年3月25日水曜日

パブロフの犬を呼ぶ紙袋について


「まったく更新されずに捨て置かれていたあの空白の日々」と書きながら、よくよく見たらそれでも思っていたよりちまちまと更新されていて、アレッとおもいました。なんだそれほど大げさな話でもなかったのだな。どのみちたいしたことは書いてないのだからそう気負わなくたっていいようなものだけれど。

 *

ところで東海から西の人にはコレ、紙袋をみるだけで何なのかわかるくらい有名なんだそうですよ。なんだかわかりますか?僕はぜんぜん知りませんでした。



…そしてこれがまた夢のようにおいしいのです。

2009年3月24日火曜日

お菓子のようなアイドルとヒッピーの巨人


日曜日はとあるイベントに足を運んで生しょこたん(と書くとお菓子みたいだな)を間近で眺めてきたのです。観客席に座るこどもたちに向かって「ここにいるみんなは戦闘力が高い」とやさしく話しかける姿をみて、「たしかに本物だ…」と感心してしまった。こどもが秘める無限の可能性について、そんなふうに表現するアイドルが他にいるだろうか?

おもったより地声が低いことに好感を抱きながら帰ってきました。

そしてそういうときに限ってカメラがない。ケータイのカメラはサムネイルしか送れない。第2世代だからあと1週間で使えなくなると、そういえばソフトバンクから無慈悲な通知が来ていた。

このさいiphoneにしてもいいような気もするんだけど、どう考えてもあの手の機械はぜったい長持ちしないので、二の足を踏んでいるのです。

通話とメールだけのシンプルな機種がひとつくらいあってもいいのに、ケータイって選び甲斐がないな。色もなんだか中途半端なのばっかりでもっとこうわかりやすい赤とか黄色とか、ブツブツ。


 *


夜は先日べつの世界へとぶらぶら去っていったヒッピー界の巨人ナナオサカキの追悼イベント「Beat Goes On vol.10」@Flying Books へ。盟友ナーガを筆頭に、ゆかりのある若手の面々がこぞって愛あるリーディングを披露しておりました。荷が勝ちすぎるので僕は遠慮してすみっこにいたのだけれど、なのるなもない(降神)のリーディングがあまりにすばらしかったので、やっぱり出なくてよかったとおもいました。

なのるなもないの純然たるリーディングを経験できるなんてめったにない機会だからあとでブーブー言ってやろうとほくそ笑んでいたのに、ギャフンと言わされて逆に凹まされる始末です。もう引退したい。

そんなこんなでけっきょく何もしていない僕にも、しかしナーガはおだやかに話をしてくれるのです。ただ話をしているだけなのに、敬意をもって接してくれていると心の底から実感させられる、あの日だまりみたいにやわらかな包容力はいったい何だろう。ナーガは僕にとって「詩について話をしたい」とおもえるただひとりの巨人です。

そしてまたそういう貴重な機会に限ってカメラがない。ケータイのカメラはサムネイルしか送れない。第2世代だからあと1週間で使えなくなると、そういえばソフトバンクから無慈悲な通知が(以下同文)
 

2009年3月22日日曜日

音楽界のナショナル・ジオグラフィックとは


世界中のヴァイナルディガーが全幅の信頼をよせる当代随一の雑誌、「WAX POETICS」!いまの僕にとっては、170円を手に近所の駄菓子屋までジャンプを買いに走った少年のころと寸分たがわぬきもちで、その発売を心待ちにしているただひとつの雑誌がこれなのです。

個人的永久保存記事↓

シビれて気絶してしまう…。なんて美しい紙面なの!


 *


基本的にはレアグルーヴという言葉で大雑把にくくることもできそうな、ソウル、ジャズ、レゲエ、ファンクといった黒人音楽からのアプローチによるレコード文化再考、というのが雑誌のスタンスなのだけれど、歴史に埋もれつつあるアーティストの完璧なディスコグラフィや貴重なインタビューが毎号はちきれんばかりにつめこまれていて、収められた記事がどれも胸焼けするくらい濃密です。内容の驚異的な充実ぶりにくわえて、資料的価値がめちゃめちゃ高い!

新旧の音楽家をおなじ俎上に並べてあらたな価値観を模索するアグレッシヴな姿勢とその革新的なコンセプト(プラス情熱)には、帽子を脱いで敬礼したくなるくらいの説得力があります。

とりわけ写真がハイクオリティで、なかにはめったにお目にかかれないヴィンテージものもあって、生肉を前にしたオオカミのように音楽的唾液腺がいやというほど刺激されます。音楽界のナショナル・ジオグラフィックと呼んでも言いすぎではないと心底おもう。

なぜって内容以前にただただ雑誌としてじつにまっとうなスタンスを貫き通しているし(かくあるべしというかんじ)、興味がなくても惹きつけてしまうだけの哲学と、根拠と、それらに裏打ちされた自信が骨組みとしてしっかりとある。


 *


多くの雑誌が淘汰されて書店のラックにもぴゅうぴゅうとすきま風が吹くこのご時世だし、ましてや今どき洋雑誌の翻訳なんてそんなのぜったいありえないと高を括っていただけに、だからその日本版が創刊されると知ったときは、どれほど心躍ったことでしょう。


そうして人知れずいそいそと買ってよろこんでいたら、ついこないだ、いまはなき "FADER JAPAN" で詩人の刻印を紹介してくれていたライターの河野さんが日本版の編集に携わっていることを知りました。まじで!

そういうわけで万人受けする雑誌ではとてもないにもかかわらず、ここで触れずにおくわけにはどうしてもいかないのです。応援する理由がまた増えた!


そういえばNYにあるWAXPOETICS本部のドキュメンタリーを映像でみたけど(NHKスペシャルでやってたなんて知らなかった!)、これもすごくおもしろかったです。NHKに取り上げられるってそれだけでもその意義がわかるというものでしょう?


今号の特集記事(抜粋)

・Bill Withers
・WATTSTAX
・Les McCann
・Q-TIP
・MF DOOM
・レコードの洗いかた

2009年3月20日金曜日

のどもとをすぎて熱さをわすれる話 (1)


まったく更新されずに捨て置かれていたあの空白の日々に僕がいったい何をしていたのか、ようやくすこしずつお話しできそうな兆しが見えてきました。といってもべつに多くのことを手がけていたわけではないし、どちらかといえば実質的な作業時間よりも悶々としながら膝を抱えていた時間のほうがよほど長かったのだけれど、それでもたちこめていた霧がゆっくりと晴れゆくのを実感できるのはやっぱりうれしい。やれやれ!

わたしたちが知りたいのはそんなことじゃない!と言われてしまえばそれまでですけれど、しかしまあお待ちなさい。人生とはこうした一見遠回りにも見える道筋にこそ、だいじな何かがかくされていたりするものなのです、たとえば3枚目のアルバムにつながるヒントとか、むにゃむにゃ。

あるいはこの際ひらき直って「これもまたおれの詩だ!」とデッドマンみたいにかっこいいことを言っておいてもいいような気がする。

だってホラ、この可愛らしさをご覧なさい!


…日本の古書業界最大のメッカ、神保町から発信される業界DM。我ながら人目につかないところでじつにイイ仕事をしているとおもう。なぜいつも人目につかないのかイマイチ解せない気もするけれど、しかしこの風合いといったらどうだ?まるで絵本のようじゃないか!

このあふれんばかりの才能を抛っておいてもいいものだろうか?いや断じていいはずがない!(反語)



それはともかく、今回はとにかく使われている紙がホントにすてきで、じつに味わい深ーい質感を醸し出してくれているのです。古書に興味がなくても飾っておきたい仕上がり!わざわざロゴまでつくってよくがんばった。エラいぞダイゴくん。ありがとうございます!恐悦であります。


自画自賛おわり。


じぶんがつくったものでじぶんを慰められるんだからこんな安上がりなこともないです、つくづく。