「シーラとプリンセス戦士(She-Ra and the Princesses of Power)」という、ベタにもほどがあってなんならちょっと萎えるタイトルのアニメがあります。主要なキャラクターに明確な男子が一人二人しかいないので、男児よりは女児向けです。それでいてある星を舞台にした戦争を描いています。バランス感覚が妙な気もするけど、それはそれでまあよろしい。
作画がチープでどうも感情移入しづらいという唯一にして致命的な点を除けば、これはまちがいなく価値ある作品です。とにかくストーリーとキャラクター造形と関係性がめちゃめちゃいい。まさか終盤で号泣することになるとは思わなかったし、回を重ねるごとに敵と味方が入れ替わったり、区別が曖昧になっていくところもいい。ヒーローの一人だったキャラがいつの間にか敵の参謀になってるのなんか最高です。
物語は主人公であるアドーラが、敵の侵攻を防ぐべく母国の兵士として初陣に臨むところから始まります。正義感がつよく、幼いころから訓練に勤しんできたのでやる気満々です。しかし悪だと信じていた敵がどうもそうではないらしいこと、善だと信じていた自分たちの立場がどうもそうではなかったらしいことに、わりと早々で気づくことになります。そしてアドーラはかつての敵側に寝返り、葛藤を抱えながらも戦士としてかつての味方たちと戦う、全体としてはそういう流れです。
何と言ってもこの作品の肝は敵対することになる大親友との関係性にあり、その他キャラも魅力的でその動向にいちいち目が離せないのですが、それはひとまず傍に置いておきましょう。僕が今も考えさせられるのは、それぞれがその立場にあるのにはそれぞれ理由がある、という点です。
よくよく考えたらそりゃそうだし当たり前なんだけれど、そもそも「自分が間違っている」という認識はわりとストレートにアイデンティティの崩壊につながります。誰もがそれを克服して乗り越えられるわけではない。だとすれば否定に抵抗するのはごく自然なことだし、自らを守るためにこそ争いは続きます。そしてその際に拠り所となるのは間違っていないという認識、つまり正しさです。おまけに正しさは対立するものをただ打ちのめすだけで、浄化してくれるわけでは全然ない。
ひょっとしてことの大小を問わず平和を阻害しているのは他ならぬ「正義」なんじゃないのか…?
ごくごく個人的な、理不尽としか感じられない現在進行形の困った事態も考え合わせながら、川面に石を投げる年の瀬です。
それはまあさておくとして、今年もまたアグロー案内シリーズをVOL.4〜VOL.6までぶじリリースすることができました。それもこれもご愛顧くださるみなさまと御大タケウチカズタケのおかげです。音源にしてもライブにしてもあまりにおんぶに抱っこすぎて、僕の役割が一体なんだったのかいまいち思い出せないくらいです。しかし自分の名前が連なっているのはたしかだし、何かしらの寄与はしたと信じたい。
そしてライブです。今年はさらに珍しく愛知、大阪、兵庫を巡るツアーもありました。最後の東京と合わせて4回、これがどれも掛け値なく楽しかった。僕がというよりその場にいたみんなで楽しんだという印象がいつになく大きくて、いまだにふとした折に思い出しては頭のなかでもぐもぐと反芻しています。
遠方からとか、数年ぶりとか、1度ならず何度も足を運んでもらったりと、これほど冥利に尽きることはありません。本当に本当にありがとう。
そういえば今年のライブでは、スタンドを使わずにハンドマイクでのパフォーマンスになりました。
そもそもはやむを得ない事情からで、まともに使ったことないしぜったいムリだと駄々をこねていたのだけれど、何しろやむを得ない事情なのでどうにもならず、それならこの機会に思いきって慣れてしまおうと切り替えた結果、4つのライブすべてがハンドマイクになりました。細々とはいえ20年やってきてやっとマイクを手に握るなんて、われながらちょっとすごい話です。何かこう、生物として進化したような趣さえあります。個人的には今年のかなり大きな変化のひとつです。マイクって意外と重いんだなあとかそういう微レ存レベルの発見を人生の転換点として自分史に刻む人はそうそういないのではありますまいか。
変化で思い出したけど、リーディングのフェーズが変わったのも、たしか今年です。一貫して変わらなかった言葉の乗せ方が、新たなフェーズでは最終的にどう乗るのか自分でも予測不能になった点で、僕としては目からウロコどころか目ん玉が転がり落ちるほど革命的なことだったとおもいます。歩いてきた道の先にまさかこんな開けた草原があるなんて、想像もしてなかった。そのきっかけが新しい「ジョシュア2023/fishing ghost revamped」で、その結実が「前日譚/no news is good news」と「ローラ・コスタ嬢の罠/aaugh!」です。
そして改めて、タケウチカズタケなくしてこれらの劇的な変化は訪れなかった、と声を大にして申しましょう。僕にできるのは、他所ではできない音楽的な実験を存分にしていただくべく、アグロー案内を捧げることだけです。こんなことくらいしかできなくてほんとすみません。
そう考えると今年のライブで感じたあの全体的な雰囲気の良さには、こういうちょっとした僕自身の変化も影響していたのかもしれません。何がどこでどうつながるか、わからないもんですね。
といってライブをすることにならないのがKBDGなわけですけれども、それはまあいつものことだし、またないとも限りません。仮に来年はなくとも、再来年があります。再来年がなくともやっぱり年は明けるし、季節も巡ります。それが人生というものです。ひきつづき、冷え性のようにお付き合いいただけたらとおもいます。
今年もありがとう!良いお年を!
2 件のコメント:
大吾さんはスタンドマイクよりハンドマイクの方がサマになるんだから手に持ったらいいのにと数年前から密かに思っておりました。なので個人的には嬉しいです。
> ふくらはぎさん
ふふふ。そうだったんですね。ありがとう!
サマになるかどうかは考えたことがなかったなあ…
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