鼻もげたさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 今までやってこなかったことにもスッとチャレンジできるような行動力ある人間になりたいものですが、なぜ人は新しいことを始めるのにあれほどエネルギーを使うのでしょうか?
なぜ人は新しいことを始めるのにあれほどエネルギーを必要とするのか…それはヒトにかぎらずおよそすべての生物がそれまで経験していないことにエネルギーを費やすようにはできていないからです。得られるエネルギーはもっぱら生存戦略と生殖に消費されます。美味しいと評判の店で並んだり街中でフラッシュモブを始めたりすることはそこに含まれていません。
個体の役割が高度に分化された超社会性生物として知られるアリでさえ、M-1の勝者を予測したりはしません。なんとなれば生存と繁栄に何ひとつ寄与するものではないからです。仮に予測どころかM-1に参加する強気なアリがいたとしても、これが例外中の例外であることに異論の余地はないでしょう。
また中には桃から生まれた少年の供をして鬼退治に参加する危篤な動物もいますが、それは生存を脅かす極めて高いリスクと美味しい団子が釣り合うと考えるちょっとバカな例外であって、ふつうはやはり付き合いません。僕がサルなら群れにおけるボスとしての地位を見返りとして要求します。
そう考えると、むしろ桃から生まれた少年の依頼を断るほうが生存戦略的に高リスクであると判断した可能性のほうがよほど高いと言わざるを得ません。団子をもらえるだけましだというわけですね。
ただヒトの場合は他の生物とちがってとにかくいろいろ複雑なので、純粋に生物としての戦略も多岐にわたります。とりわけ自身の価値を高めることは、生存と生殖に大きく寄与すると言ってよいでしょう。学歴を高めたり、容姿を磨いたり、社会的地位を獲得したり、スキルを身につけたり、ジムに通うことなんかはもちろん、推しに誰よりも課金することさえ究極的には生存戦略の一部であると見做せます。考え始めると切なくなってきますが、しかたがありません。
生物としての天敵が存在せず、生命の維持が他の生物に比べて圧倒的に保証されている以上、本来であれば危険回避のために消費されるはずのエネルギーは当然、他の生物ならエネルギーを振り分けるはずのない行動に回されます。そこで初めて、「今までやってこなかったことにチャレンジする」という姿勢が意味をもってくるのです。
しかし実際のところ、これは魅力を高めることにはなっても、生命の維持に直結するわけではありません。チャレンジしなくても生きることそのものに支障はないという状況においては、必要性がそこまで高くないのです。
新しいことにチャレンジするよりもすでに経験済みのことを強化する、具体的には例えば推しにさらなる課金をすることと比較できてしまうくらいには、必要性が低い。腰が重くなるのも無理はありません。
何でもそうですが、個人的にはまずごく小さなことからチャレンジするのがよいと思います。具体的にはうな重を並から特上へランクアップするようなことです。何にもならないと言えば何にもなりませんが、今までしたことがないなら条件はクリアしているし、経験値も上がります。そしてその経験値がいずれ、エアギター選手権に出場することにつながっていかないとも限りません。千里の道も一歩からです。まずはうな重あたりから始めてみてください。
もしすでに特上がデフォルトだったらすみません。
A. ヒトにかぎらずおよそすべての生物がそれまで経験していない新しいことにエネルギーを費やすようにはできていないからです。
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その411につづく!
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