2013年12月11日水曜日

要約したら1、2行で済みそうな話を長々と



いまいち職務を果たしてないようにおもわれるローソンの看板



(おそるおそる)こんばんは。

電話越しにアンジェリカの容赦ないタコ殴りで半死半生となってから早ひと月、傷を舐めることにかけては人後に落ちないわたくしのことですから、今やすっかり癒えて恙無く、ではまあえーと全然ないのですが、どうにかこうにか虫の息で生きながらえております。全国3000万、から2999万9970を引いて残った総勢30名(本人と肉親含むが親戚は含まない)くらいの小林大吾ファンのみなさま、ご機嫌いかがですか。今年は例年になくばりばりブログを更新していて、すごくいいぞ!とついこないだまで鼻息も荒かったのに、気づけばばーんと張っていた胸もしおしおと丸くなって今や猫背のていたらく、お約束ともいうべきゴール間近でのみごとな失速ぶりにじぶんでもガッカリです。

しかしここでこう更新しようとしているからには、さぞ有益な情報がもたらされるにちがいないとおもえば豈図らんや、とくに進展はありません。そもそもこのブログはCDをリリースしている人のそれとはおもえないほど全体的にのらりくらりとしていて、何かがまともに進展したためしなどないのです。

いや、そんなことはない(と今ふと思い出しました)。そういえば先日まで「リリース確定に至らず」とお伝えしていたように記憶していますが、これがまず確定になりました。どの時点で確定になったかというと、今や文具界ではその名を知らぬ者はない、OKB48の総合プロデューサーにしてTBSラジオの人気番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル(通称タマフル)」の構成作家でもある古川さんが…

こうして改めて書き出してみると、どうしてこんなすごい人が僕なんかにかかずらっているのか、つくづく考えさせられます。こないだはおいしい牛カツをごちそうになりました。ほとんど保護者です。

もはや来世でも返しきれない大恩については考えれば考えるほど身がちぢこまっていくので、ひとまず忸怩たる思いをくるくると丸めて脇に置きましょう。

ともあれそんな古川さんが先日タマフルの放送中、リリースについてお話しくださった時点で確定になりました。(僕がそのときまで息をしていればの仮定つきですが)来春です。まだ全体の3割くらいしかできてないことを考えると、ちょっとした夢のようですね。

そしてさらにもうひとつ申し上げると、その際あたらしい曲をひとつオンエアしてくれました。まだミックスどころかタイトルさえ決まっていないデモ中のデモ音源にもかかわらず電波にのせてしまう気っ風の良さにはまったく頭が上がりません。ありがとうありがとう。矢面に立たせてしまって本当に心苦しいかぎりです。抗議とか殺到してませんように。



これまでのアルバムと大きくちがう点があるとすれば…

あれ?

(もうだいぶ行数費やしてるな)

(これ以上何か書くと次書くことなくなる)

(このへんで切り上げてしまおうか)

(それがいい)


そんなこんなでもういちどあらためて、アルバムをつくっています。
オーディオビジュアルからもうすこしで4年、その次が出るなんて誰より本人が考えてもいなかったのに(あっ)、それでもやろうと言ってくれた古川さんあってのプロジェクトです。

多くなんて全然なくていいから、誰かにとって心から楽しんでもらえるものに仕上がりますように。



ここ数年、ずっとくだらないことばかり書いてきたから、急にこんな、お知らせみたいなの書くとなんか背中がむずむずしていたたまれないです。僕としてはくだらない話を延々としてるほうがよほどたのしいんだけれど、どっちがいいんでしょうね?と考えこむこと自体ひずんでるのか?


それはそうとなんか今年、灯油高いですね。


2013年11月9日土曜日

かろうじてお話しできそうなことをいくつか


<前回までのあらすじ>
いるのかいないのか、いるとすればなぜいないように見えるのか、ときどき思い出したようにプツリと消息を絶つのはべつに珍しいことでもないからそれはもちろん棚上げでよいとして、だとすると部屋にあるあの梨のようなものは何なのか、あれこそがまさしく本人なのだとするとなぜ齧ると甘い味がするのか、そしてまた本人でないとするとなぜあんなに瓜二つなのか、だいたい梨一つなのに瓜二つとはあまりに人を馬鹿にしているのではないか、いかにぞや、とまあ概ねこんな感じの流れでアンジェリカがダイゴくんに電話をかけています。アンジェリカのそばにはピス田さんがいます。アンジェリカは散弾銃で市長の鼻を吹っ飛ばしたことのある剛胆な女性です。ダイゴくんというのはこのブログの主です。ピス田さんはムール貝博士の助手であり、性別でいうとオスです。ムール貝博士は今ここにいませんが、このブログにおける火種そのものと言うべき人物です。

そしてここがどんなブログかというと、うっかり目玉焼きについての秘密を開陳してしまったがために、お腹を空かせたネットユーザーが多数ふらりと訪れるようになったものの、CDを3枚も出していることについては一切ふれられず、モノがモノだけにどちらかといえば不審がられ、あげく「もっとこんなレシピないですか」との要望が寄せられるようになり、そんならいっそ心機一転「ムール貝博士の手軽でおいしいひとくちレシピ」と看板を掛け替えてアクセスを稼ぎ、ついでにアフィリエイトもフル活用して文字どおりそれでゴハンを食ったほうがよほど生産的であるぞと真剣に検討していたら、ふいにポロリと涙がこぼれ落ち、げにむなしきは独り相撲と愁嘆に暮れる、あまたの個人発信の例にもれず、ここもそういう場のひとつです。

それはさておき


「もしもし」
「あッ出た!」


プツリ


ツーツーツー


「そして切られた」
「切るくらいなら出なきゃいいのに」
「それはムリでしょ」
「なんで?」
「だってあたしがかけてるんだもの」
「でも切ったぜ」
「それくらいの選択肢は与えてあげないとね」
「またかけるの?」
「当然」
「また切られるんじゃないの」
「馬鹿のひとつ覚えがいつまでも通用するわけないでしょ」
「電話ってそういうもんだっけ?」
「あっ」
「出た?」
「ははあ、そうくるわけね」
「どうしたの」
「電源切られた」
「むこうはむこうで心得てるわけだ」
「やれやれ!」
「どうする?」
「どうするって?」
「さすがにもうつながらなさそうだよ」
「そう?」
「そうって…そうでしょ」
「じっさいのところ電源が入ってようとなかろうと、関係ないのよ」
「いや、あるよ。関係メチャある」
「望んでもない番号を知らないうちに登録することができるなら、電源の入ってないケータイに電話をかけることだってできるはずでしょ」
「いやいやいや」
「カピバラがライオンに楯突いて勝てるとおもうほうがおかしい」
「自分を百獣の王にたとえたよこの人は」
「目にモノ見せてあげよう」



30分後



「というわけで」
「ホントにつながったね……」
「そう言ったでしょ」
「言ったけども……」
「抵抗するダイゴくんからムリヤリ引きずり出した情報がこれ」
「べつに欲しかったわけじゃない気もするけど」
「まあ、つながったからには引きずり出しておかないとね」
「穴があったらもれなく指を入れてみる、みたいなことだな」
「写真が送られてきた」
「写真?なんの?」
「さあ。地獄の入り口だって」
「またそんなところをうろうろしてるのか……」
「地獄の沙汰も金次第って言うし」
「ダイゴくん金もってたっけ?」
「だから追い出されたんでしょ」
「地獄から追い出されるなら貧窮もわるくないな」



「あといくつか情報があるんだけど、いちばん大事なのはコレ」
「何?」
あれは梨です
「ガーン!」
「新高梨です」
「いきなり核心に切り込んだ上にダメージがでかい」
「高速でぶつければ人の頭くらいは楽に砕けそう」
「砲丸みたいに言うけど、梨の話だよね?」
「それから、えーと、あとは大体わからない
「わからないって?梨なんでしょ」
「梨じゃなくて、ダイゴくんの話」
「梨だったってだけでもう十分傷ついたよ」
「いろいろ聞いたんだけど、何を言ってるかわからないの」
「たとえば?」
「たとえばコレ」


→アルバムをつくっています。


「またか!懲りない男だ」
「アルバムって写真貼るアレでしょ?」
「いや……え?そういう認識?」
「夏の思い出でも整理してるわけ?」
「そんな思い出があればね」
「あとはまるでちんぷんかんぷん」
「何て言ってた?」
「箇条書きにするとこんなかんじ」


→気がついたらビートが40個くらい貯まっている
そのうち20個ちかくはすでに詩がついている
ただしいつにも増して大衆性を欠くため、リリース確定には至らず
ムール貝博士の過去がひとつ明らかに


「おいおいおい」
「ってわけ」
「他はどうでもいいけど、最後のは何だ?」
「さあ……あたしにはそれだってどうでもいいけど」
「アンジェリカにはよくてもこっちがよくない」
「そもそも何の話をしてるのかさっぱりわからないし」
「CDの話だとおもうけどね」
「キャッシュ・ディスペンサー?」
「大衆性を欠くキャッシュディスペンサーに需要はあるのか?」
「まあ、とりあえず梨問題は片付いたからこれでよしってことよね」
「ヤブヘビだったとしかおもえない」
「死んでも遺体が腐らない程度には痛めつけておいたから、次は包帯でぐるぐる巻きのダイゴくん自身が息も絶え絶えに事態の収拾を図ります」
「せめて死なない程度に……え、電話で?
「ついでに借りた本も顔面に叩きつけてやった」
「それはありありと目に浮かぶ」
「以上です。では解散!」
「博士には言えないな、まったく」


2013年10月24日木曜日

そこはかとない違和感に再度バチンと目をつぶる話



「ねえねえ」
「やあアンジェリカ」
「ダイゴくんてどっか行ったの?」
「ダイゴくん……?」
「知らない?」
「誰?」
「誰って言われると困るけど……このブログの主だよね」
「それはつまり、ほぼ何者でもないってことだな」
「忘れたの?」
「いや、冗談だよ。知ってる知ってる」
「どっか行ってるの?」
「さあ。居所は知らないな。部屋は?」
「行ってみたけど、いなかった」
「アンジェリカがダイゴくんの部屋に行ったその理由のほうが気になるな」
「借りてた本を返しに行ったの」
「ああ、なるほど」
「前にくまのプーさんを借りたんだけど」
「くまのプーさん?ミルンの?」
「そしたら同じ作者だからってこれを貸してくれたわけ」
『赤い館の秘密』……」
「これがさあ」
「これホントにプーさんのミルン?」
「同じなの。たしかに同じ人なんだけど!」
「どうしたの」
本格推理小説なんだよね!
「くまのプーさんみたいのを期待してたのに?」
「くまのプーさんみたいのを期待してたのに!」
「で、読まなかったと」
「まさか。ちゃんと読んだよ。読み終わってから気づいたの」
「だって創元推理文庫って書いてあるぜ」
「そんなのいちいち気にしないもの」
「おもしろかった?」
「おもしろかった!これたぶん、名作だとおもう」
「じゃあ問題ないじゃない」
「それとこれとは話が別なんです」
「そう?どこが?」
「ピス田さん『アメリ』観た?」
「なんだって?」
「アメリ。観た?」
「観たよ、いちおう」
「好き?」
「何の話をしてるんだ、いったい?」
「まあいいや、じゃあピス田さんはアメリが好きだとする」
「と言われてもね」
「で、こんな映画がもっと観たいとおもったとする」
「べつにいいけども」
「そこであたしが同じ監督の作品を持ってくる」
「ジャンピエールジュネの別の作品てこと?」
「そう。うれしいでしょ?」
「うれしいとおもうよ、たぶん」
「じゃあこれ、ってあたしがDVDを手渡す」
「ふむ」
「それが『エイリアン4』なわけよ」
「ああ…」
「エイリアン4がどうってことじゃないの。それはそれでいいの」
「なるほどね」
「まちがってないけど、でもそうじゃないのよ!わかるでしょ?」
「それで文句を言いに行ったわけだ」
「文句?」
「ちがうの?」
「誰に?」
「ダイゴくんでしょ」
「あ、そうだった。そうそう、そういうこと」
「で、いなかったと」
「あの人なんでいつも部屋にカギかけないの?」
「知らないよ」
「ふつうに開くからいるとおもうじゃない」
「あんまり意味がないとおもってるんじゃないかな」
「なんで?」
「しょっちゅう博士にこわされてるし、それに…」
「それに?」
「博士は合鍵も持ってる」
「なんで?」
「そこが博士の博士たる所以なんだよ」
「まあいいけど。そしたら書き置きがあったの」
「部屋に?」
「部屋に。探さないでくださいって」
「あれ?」
「べつに探すつもりもないけど、ピス田さんなら知ってるかなとおもって」
「その書き置きならわたしたちも見たな」
「わたしたちって、ピス田さんと…」
「博士だよ。そうだそうだ、おもいだした!」
「そのときにもういなかったの?」
「いや、いた。ただ、なんか様子がへんだったんだ」
「へんなのはいつもでしょ」
「それを言っちゃ身もふたもない」
「ちょっと待って、本人がいたのに書き置きを見たの?」
「そう、そこがへんなんだ」
「それホントに本人だった?」
「もちろん」
梨じゃなかった?
「梨?」
「メガネかけた梨なら置いてあったけど、まさかそれじゃないよね?」
「いやいや、いたよ、ちゃんと」
「なんか話した?」
「話しかけても無反応だったからなあ」
「それ梨でしょ」
「まてまて。メガネをかけてたって?」
「そう」
「だとするとその梨は頭とおなじくらいの大きさってことになるぜ」
「うん……あれ?」
「デカすぎるよ」
「言われてみれば…」
「いたんだよ、本人が。そこに」
「うそでしょ。どう見ても梨だったけど」
「見間違えたんだよ」
「そしたらあの書き置きは何?」
「メモじゃないの?」
「そんなメモある?」
「メモってそんなもんだよ。たとえばここにも1枚あるけど」
「何?」
「なんて書いてある?」
『おどりぐい』って書いてあるけど…」
「洗濯したシャツから出てきたんだ」
「これが何なの?」
「さあ。それがさっぱりわからない」
「忘れただけでしょ」
「たぶんね。だからあの書き置きもそうなんだよ、たぶん」
「そうなのかなあ」
「電話してみた?」
「え?」
「電話」
「だれに?」
「ダイゴくんに」
「番号知らないもの」
「登録してあるよ、たぶん」
「してないってば。必要ないし」
「いや、してあるとおもう。確認してごらん」
「してないって……あら?」
「あったでしょ」
「何これ、いつの間に…?きもちわるい!
「でないと話が進まないからね」
「イヤだなあ、こんなの」
「人生はイヤなことでいっぱいだ」
「あたしの人生にイヤなことなんてひとつもない」
「その例外がダイゴくんてわけだ」
「もう……しかたない、かけてみるか。出るかしら」


ぷるるる


「もしもし」
「わ、出た!」



つづく

2013年9月24日火曜日

そこはかとない違和感にバチンと目をつぶる話



「そうそう、ダイゴくんと言えばね」
「ん?」
「こないだ冷やかしがてらちょっと家に寄ったんですけど」
「ちょっと待て」
「なんですか?」
「と言えば、って何だ」
「いまダイゴくんの話してませんでしたか?」
「してないだろう」
「してましたよ」
「いや、してない」
「そうでしたっけ?」
「訃報以外であいつを話題にすることはない」
「そういえばそうですね」
「逝ったのか?」
「いや、逝ってはいないとおもいますけど」
「そんなら話すことはない」
「へんだな、何で話してた気になったんだろう」
「知るか。胸クソわるい」
「そりゃちょっとあんまりじゃないですか」
「見ろ。さっきまで晴れてたのに」
「きゅうに暗雲がたれこめてきましたね」
「こりゃひと雨くるな」
「何の話をしてたんでしたっけ?」
ホノルルの海に流れ出した糖蜜の話だ」
「糖蜜って……シロップのこと?」
「サメが増えるらしいぞ」
「サメって甘党なんですか?」
「一見するとそう読めるからこのニュースは最高なんだ」
「あれ、博士。大学イモひとつ残ってますよ」
「見りゃわかる」
「食べないんですか?」
「わたしはもういらん」
「そうですか。じゃあ……あっ」
「何だ」
「このイモ見て思い出したんだった」
「何をだ」
「ダイゴくんですよ」
「思い出さんでいい」
「なんか皿にポツンとひとつ残ってるのを見たら、ふと」
「危うく手をつけるところだ」
「それがね、もぐもぐ」
「食ってから話せ」
「どうも変なんですよ」
「何がだ」
「ダイゴくんがです」
「今に始まったこっちゃないだろう」
「わかってます。それを踏まえた上で言うんです」
「ほう」
「話しかけてもまったく反応がないんですよ」
「べつにいいじゃないか」
「なんだか気味がわるいじゃないですか」
道ばたで死んでたときもあったろう」
「そういうのとはまたちがうんです、なんていうかこう……」
「同じだよ、いつだって同じだ」
悟りをひらいたような
「何だと」
「ね。ちょっと不愉快でしょ」
「それは不愉快だな」
「あと、シャリッとしてるんですよね」
「舎利?ブッダの骨か?」
「いえ、もっと単純に」
「話が見えん」
「でしょう?ちょっと行ってみませんか」
「よしピス田、案内しろ」
「博士も知ってる部屋ですよ」
「その記憶だけは常に取り除くようにしてるんだ」


トントン


「うわッ」
「何だピス田」
「博士いまノックしました?」
「したよ」
「前代未聞じゃないですか」
「まあな」
「初めて見ましたよ、そんな常識的な行動を」
「だからこそだ」
「?」
「アイツはイレギュラーな事態に敏感だからな」
「ああ、なるほど」
「飛び出してくるようなら、いつも通りだ」
「そうですね、たしかに」
「いつも通りなら、部屋に火をつけて帰るだけだ」
「でも無反応ですよ」
「ふむ」
「カギは空いてるから入りましょう」
「どのみち戸締まりに意味なんぞない」
「博士にはね」


がちゃり


「ホラ、いるでしょ」
「いるな、たしかに」
「いるんですよ。でも反応がない」
「何様のつもりだ、まったく」
「坊さんぽいでしょ」
「おい、客だぞこの唐変木」
「いつもなら博士が部屋にいるだけで大騒ぎなんですけどね」
「おや」
「どうしました」



「後頭部にかじられた跡がある」
「あ、そうそう。こないだね」
「ピス田がかじったのか」
「ちょっとだけですよ」
「それで?」
「それでって…甘かったですけど
「味の話をしとるんじゃない」
「無反応でしたよ、もちろん」
「たしかに妙だな」
「妙でしょ」
「死んでるかとおもったがそれにしちゃ顔色がいい」
「そうなんですよ」
「悟りきったようなツラがまた業腹だ」
「あれ?」
「なんだ」
「メモみたいな紙切れが」
「紙切れくらいどこにでもある」
探さないでくださいって書いてありますよ」
「寝言は寝て言え!」
「探すも何も、本人ここにいますからね」
「もういい。帰るぞピス田」
「いいんですか?」
「これ以上は時間のムダだ」
「たしかにこれ以上の徒労感はないですけど」
「愉快な不幸を期待したわたしが馬鹿だった」
「無視されてるだけですからねえ」
「わざわざ来たのにこんな無礼な話もない」
「勝手に入りこむ無礼さはさておいてもね」
「この世の終わりまで永遠に悟ってりゃいいんだ」
「ちょっと心配してたんだけど、杞憂でしたかね」
「ピンピンしとるじゃないか」
「これをピンピンと称していいのかは微妙なところですけど」
「ほっときゃそのうちかじられた頭で大騒ぎするだろう」
「そうですね。じゃ帰りますか」
「土産を持たずに来たのがせめてもの幸いだ」
「王ろじのとん丼でも食って帰りましょう」
「それだ!」
「これだけのために来たとおもうのもやりきれないですからね」
「いや、初めからとん丼を食いに来たんだ」
「ダイゴくんもまあ元気そうでよかった」
「重畳だ、重畳」


パタン



2013年9月21日土曜日

君はなぜ同じCDをこんなに持ち歩いているのか


あまり知られていないことですが、このブログの主である小林大吾はどういうわけかCDをこれまでに3枚もリリースしています。1枚目は2004年の「1/8,000,000」、2枚目は2007年の「詩人の刻印」、そしていちばん新しいのがすでに3年前の話で、2010年の「オーディオビジュアル」です。いちど道玄坂でふたりの警察官に呼び止められて職務質問された際、たまたまオーディオビジュアルを10枚ほど持ち歩いていたために「なぜ同じCDをこんなに持ち歩いているのか」とひどく怪しまれ、「いえ、あの、これ僕のなんです」としぶしぶ答えたところが却って警官の気を引いてしまい、「へー。 音楽やってんだ。ジャンルは何?」「ぎくり」「わたしも昔バンドやってたんだよ。ロック?」「いえ、あの」「弾き語り?」「いえ、あの、そうですね、リーディングというか…」「え?」「ヒップホップというか…」「あ、ラップ?」「いえ、そうじゃなくて、えーと、しいて言えば似て非なる…」と、いろんな意味でたいへんな迷惑をこうむったことがありました。どんなアルバムかと問われれば、つまりそういうアルバムです。

これらのCDをほそぼそと世に送り出しているのは「FLY N' SPIN RECORDS」というレーベルです。その本拠は渋谷の「Flying Books」という古書店にあります。渋谷駅からこう行ってああ行って通りの角あたりにあるビルの2階が Flying Books です。カウンターでコーヒーも飲めるちょっと小粋なつくりになっているので、渋谷にお越しの際はぜひお立寄りいただくとして、さっきからいったい何の話をしているのかというと、いえ、もちろん音楽の話ではありません。このお店に、というかその手前の踊り場に貼ってあったポスターの話です。

そも、なぜこれをこしらえたのか、そうしていったい何に使われたのだったか、3年の月日がすぎた今ではすっかり忘れて思い出せる気もしないのだけれど、「オーディオビジュアル」のリリースに合わせて刷ったA3サイズのポスターがあって、これがずっとこの踊り場に貼られてたんですよね。


しかし貼ってあったと言われても、こしらえた当の僕でさえ「ああ、そうだったかも」とおもうくらいだから、ほとんどの人はまずご存知ありますまい。ただ、言われてみればたしかにこのポスターは3年前からずっとそこに貼ってありました。

さて、あまりにもささやかな、大半の人にとってはこれ以上ないくらいどうでもいいようなこうした背景をふまえた上で、今日起きたてほやほやの、これまたささやかな事件を単刀直入に申し上げましょう。


このポスターが盗まれたそうです。



しかも壁からぺりぺり剥がしてくるくる巻いて何食わぬ顔で持ち去ったのがどうも欧米人のカップルらしい、というのだからまたびっくりするじゃないですか?そんなものをいったいどうするつもりなんだ?

僕としてはべつに腹を立てるような話でもないし、へーと目を丸くするほかないですが、しかしこうなったら是が非でも言っておかなくてはならないひとことがあります。意味としても、使いどころとしても今ここを置いて他にはない、絶好の機会です。いやまったく、この有名な捨て台詞を堂々と言い放てる日が来ようとは、誰に予想できたでしょう。拡声器のボリュームを最大にして、おもいきり叫びたい。


持ってけ泥棒!


イーヤッホーウ!

(してやったりの気分で飛び跳ねています)


2013年9月17日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その177



カルミンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 元気のでる呪文を教えてください。


ふむふむ。では僕の知っている呪文をふたつばかりお教えしましょう。


1. ピピルマピピルマプリリンパパパレホパパレホドリミンパ

アラフォーなら誰でも知ってる霊験あらたかな変身の呪文です。「ピピルマ ピピルマ プリリンパ パパレホ パパレホ ドリミンパ アダルトタッチでしあわせな奴みんな滅びろなんておくびにも出さずフワリと微笑むオーバー30の淑女になーれ!」というふうに使います。元気になれるかどうかはちょっとわからないですが、やりようによっては居酒屋での一人吞みが楽しめるくらいには腹が据わるはずです。腹が据わればだいたいのことはそれなりにいなせるようになるでしょう。どのみち世界は心をくじくトラップに満ち満ちています。回復したそばからくじかれるのではやりきれません。したがってむりに元気を出そうとせず、出せるときに目いっぱい出せばよいのです。

それはそれとして、大人になるとべつに知りたくもなかった現実がいろいろと見えてくるので、そこを踏まえた上でさて何に変身するか、というのはなかなか向き合い甲斐のある問いだと僕はおもいます。何に変身しても転職感が拭えないあたり、どうしても気乗りが薄くなりそうです。


2. ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム

「諸行無常、盛者必衰」というような意味合いの呪文です。もうすこし正確な言いかたをすると、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。といいなという意味の呪文です。さらに正確を期すなら、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。という意味かどうかは定かではないが、そう考えるのはあなたの自由であるという意味の呪文です。僕もまったくそのとおりだとおもうので、そういう意味だと解釈することにしています。

現代に合わせてざっくり要約すると「なんかもう、しょうがなくね?」とでもなりましょうか。

「しょうがなくね?」
「うん、しょうがないね」
「だって全然ないもん、しょうが」
「しょうがじゃないよ」
「わかってるよ!」
「わかってるならいいけど」
「とにかくないんだから、全然」
「ないね、たしかに」
「すっからかんだよ」
「何が?」
「しょうが」
「しょうがじゃないよ」
「わかってるよ!」
「わかってるならいいけど」
「とにかくないの、もう、すごいないの」
「どれくらい?」
「どれくらいって、そりゃもうこんな…」
「手を広げてもよくわからないよ」
はちきれんばかりにない
「すごくありそうに聞こえるけど」
「ないがいっぱいあるっつーか」
「それはあるの?ないの?」
「ないね」
「ないんだね」
「ない。それははっきりしてる」
「何が?」
「何って、しょうが」
「しょうがだっけ?」
「しょうがじゃねえよ!」
「じゃ何がないの」
「しょうが」
「しょうがでしょ」
「しょうがだな…」
「でしょ」
「へんだな」
「そう?」
「だとしたら買ってくればいいだけじゃないか」
「まあ、そうだね」
「それで済む話なのか?」
「そうみたいだね」
「何で気づかなかったんだろう?」
「ふしぎだよね」
「なんかあの話に似てるな…鳥が出てくるやつ」
「青い鳥?」
「そうそう…あれ?とするとつまり…」
「ふむ」
「見つけたことになるわけ?」
「そういうことになるっぽいよね」
「青い鳥を?」
「青い鳥を!」
「まじか!え、そういうもん?」
「そういうものだよ、えてして世の中」
「そうかーなんかツイてるな」
「ツイてるね」
「ないないとおもってたら、青い鳥だもんな!」
「めでたいよね」
「めでたい!超めでたい」
「じゃあ行きますか」
「え、どこに?」
「しょうが買いに」
「しょうが?何で?」
「あれ、そういう話じゃなかった?」
「いや、そうだけど…まだ必要?」
「あれ?いらない?」
「青い鳥見つかったんだからもう良くね?」
「あ、そうか…そういえばそうだ」
「もう手に入れたんだよ!」
「そうだった!」
「未来はオレらの手の中!」
わりとコンパクト!
「明るい日と書いて明日だ!」
「まぶしい!」




戯れ言はともかく、と言ってもこのブログに書かれていることはほとんどぜんぶ戯れ言なので問いつめられると弱りますが、僕が好きでよく使っているのは「Bygones!」という一言です。これはかつてNHKで放映されていたドラマ「アリー my love」に登場するキャラクター、リチャード・フィッシュの口癖で、字義どおり訳せば「過ぎたこと」になるとおもうんだけど、吹き替えでは「前向きに!」と訳されていて、これがもう何とも言えずぴったりだったんですよね。本当の意味で前向きというよりは、どちらかというとくさいものに勢いよくフタをしてそそくさと先に進むイメージです。よくよく考えると身勝手なのに、自分ごと煙に巻いてしまうというか、うっかり聞き流すとポジティブにもとれるところが痛快じゃないですか?

それに、じっさい口にするときもちいいですよ、すごく。


A. Bygones!(前向きに!)




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その178につづく!


2013年9月14日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その176


尻のなかのハリネズミさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 詩人・北園克衛はお好きですか?もし、そうでしたら、大吾さんの感じる北園克衛の魅力を教えて欲しいです。


じつはこれ、ときどき訊かれるんですよね。好きです、もちろん!

ご存知ない方のためにちょちょいと説明すると、北園克衛は明治生まれの詩人ですが、それ以上にデザイナーとしてよく知られており、したがって現在では主にその洗練されたグラフィックワークについて語られる、異端の人です。写真やタイポグラフィ、幾何学図形その他もろもろの視覚表現を詩に取り込んだ彼の、いわゆるコンクリートポエトリー作品は今なお方々でひっぱりだこの人気を誇ります。とりわけ有名なのは自身が編集した同人誌、「vou」ですね。とにかくどのイメージも洒脱でシャープ、ありていに言うとめちゃカッコよく、2000年代においてもぜんぜん時代を感じさせません。




その一方で、みんなはっきりと口に出しては言わないけど、北園克衛を支持する大半の人は読みものたる詩のほうをどこか腫れ物のように遠ざけているところがあります。キタソノのグラフィックやばいよね!とは言われても、キタソノのポエトリーやばいよね!とはまず言われません。詩として受け止められているようにはどうもおもわれない。じゃあ彼のつむぐ言葉について語ることができる人はどうかというと、今度は逆に視覚表現を肌でとらえるのがすごくむずかしいみたいで、やっぱり同じくらいの物足りなさがのこります。グラフィックが好きな人は視覚についてしか語れず、詩が好きな人は言葉についてしか語れないから、どうしても互いに見方が片手落ちになってしまうわけですね。


これは自分の


何しろものすごく小規模だから大きな声では言えないような気もするけど、僕は昔から視覚表現をすごく大事にしています。デザイン大好き。クールなデザインには映画や音楽、絵画や写真、小説や詩を味わったときのようにびりびりとしびれます。そこに温度差はほとんどありません。

言葉にしてもデザインにしても、追い求めるところのものはぴったり同じです。アウトプットまでの回路はまったくちがうんだけど、言語で表現したいもの、視覚で表現したいものはそれぞれ別じゃなくて、むしろひとつです。

他にうまい呼びかたがおもいつかないので、僕はそれを仮に詩情と呼びます。本末転倒を承知でおもいきって断言してしまうなら、僕にとって詩とは詩情そのものです。何であれ僕のアウトプットにはこれが含まれていて、まず例外はありません。ときどきブログの冒頭にぺたっと貼付けるどうだっていいような画像さえ、この括りに入ります。裏を返せば、詩情が含まれているものはぜんぶいっしょくたに詩として捉えているのです。

詩を成す要素としての詩情、ではなくて詩情それ自体を詩として受け止めると、当然その対象は言語に縛られなくなります。視覚どころか五感すべてがその受容器になるわけです。映画や音楽、絵画や写真、ふつうならはっきりと区別される小説さえ、この見方では一編の詩になりうる。たとえば井伏鱒二の著作には詩として受け止めたほうがしっくりきそうな短編が多くあります。あくまで個人的な印象ですけれども。

塀の落書き、おっさんの歩きかた、料理の華やかな盛りつけ、ふわっと花ひらくような子どもの笑顔、古びた建物、雲のかたち、車にぶつけられて折れ曲がった標識、どれも詩です。すくなくとも僕の世界ではそうなっています。はかなさで言ったら満開の桜よりよっぽどはかないこうした情景が詩でなかったらいったい何だというのか?

詩の定義を好き放題に拡大したところで、話を戻しましょう。僕がおもう北園克衛の魅力とは、上に挙げたこの感覚がそっくりそのまま視覚表現として転写されているところにあります。詩情それ自体を詩として捉えなくては決して浮かび得ない豊かなイメージが、そこにあるのです。

できることなら存命中に直接お目にかかって、「君のは何から何まで生温くってなっちゃいない」とかなんとかこき下ろされてションボリしたかったですよね。ホントに。



A. という答えでも大丈夫?かな?




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その177につづく!