シトロエンにしたらええやんさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 占いは信じますか?
そうですね、例えばそれが「こうなるよ」と言われたことを確定として受け止めるか、という意味なら僕はあまり真剣に受け止めないほうだとおもいます。というのも、もし良いことが起きるならそれは占ってもらわなくても起きるだろうし、悪いことが起きるとしてもやっぱりそれは占いに関係なく起きるだろうからです。日々に希望が持てるとか、厄災に対する心がまえは持てるかもしれないけれど、でもひょっとしたらこの先寿命が尽きるまで何ひとついいことなく終わるかもしれないし、そんなことを聞かされた日にはその場で命を絶つ気になってもおかしくありません。何もかもが最悪だとわざわざ告げてもらう必要がどこにありましょう。占いが100%客観的かつ誠実に確率の高い未来を教えてくれるものであるなら、その可能性はいつだって必ずあるのです。悲観と絶望のプロフェッショナルである僕としては、不安を解消したいからこそ占ってもらうのにみんなちょっと楽観的すぎるんじゃないのか、と首を傾げているところもあります。
ただそれは得た結果を「信じる、信じない」で論じてしまうとどうしても論理的にそうなってしまうというだけで、僕自身は占いを世界に欠くべからざる重要な文化のひとつとして支持する者です。
不安を解消する側面もあるからどうしても予言調になってしまいがちだし、だからこそどうしても信じる信じないの話になってしまうけれど、そもそも占いに未来を決定する力はありません。確定した未来が存在する前提で結論を語るなら、それも誠実なことではありません。勝ち馬とか宝くじの番号はわからないけど、いいことがあるかどうかはわかるよ、というのは服だけ透けるチートな透視能力のようなものです。
でももし占いが何かを決定するものではなく、知りたくても知り得ないことの無限にある選択肢から無作為にピックアップするものだとすれば、それはたしかに理に叶っていると僕もおもいます。極めて高度かつ複雑なコイントス、と言い換えてもいいでしょう。行くべきか行かざるべきかみたいな単純なことならコインでもいいけれど、漠然とした不安とか結果がどうなるといった抽象的な話になってくると、適用範囲を広げつつ恣意や作為の排除により複雑な手順や儀式が必要になるのも頷けます。要は当たるかはずれるかではなく、「結果はこう出た、あなたはどうする?」ということですね。すくなくともそう考えるようになってから、古くからあって今もある占いの意義や役割がわかるようになった気がします。
そういう話じゃなかった気もしますけど。
A. あんまり真剣には受け止めないほうです。
*
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dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その312につづく!
3 件のコメント:
自分の話で大変恐縮ですが、占いで思い出した出来事があります。
昔アメリカを旅した時のことです。
到着して間もなく当初の計画がことごとく上手くいかず、全く思いもよらない事態に放り出され、
「無くて絹着る」状態の分不相応なホテルのロビーで途方に暮れていました。
不釣り合いに高い宿泊費を二泊以上支払う余裕はない。行く当てもない。さて、明日からどうしよう?
その時、前から歩いてくる男性の着ていたTシャツに書かれていたメッセージが目に飛び込んで来ました。
「あなたはなぜ今のあなたとさっきのあなたは同じあなただと思っているのか」
大方そんな意味の英文でした。
あら、おみくじ引いたみたいだなと思いました。
言葉はただの言葉で、そこにどんな意味を見るのかはそれこそ千差万別で。
当時の自分の心にどんな作用が働いたのか謎ですが、不安がスッと消えて、訳が分からないくらい元気が出てきたことをよく覚えています。
計画通りに行かなかった旅は私を思いもよらない方向に押し出し、掛け替えのない人達との出会いもあり、人生観も変えてしまいました。
とてもいい経験でした。
> 某さん
誰かが着ていたTシャツ1枚で人生観が変わる!
うーむこれこそが人生であるという、まさに見本のようなお話です。
お話をうかがうだけの僕ですら1本の短編映画を観たような
満たされた気持ちになりました。すてきだ!
KBDG
なんと!もったいないお言葉。
大吾さんにそう言って頂けるとは大変光栄です。゚(゚´ω`゚)゚。ヒーン
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