「主任」
「どうしました専務」
「われわれはとても眠たい」
「無理もありません」
「クリスマスは過ぎた」
「過ぎました」
「クリスマスと言えば慰安旅行だ」
「仰るとおりです」
「なのにどこかのバカのせいでフイになった」
「許しがたいことです」
「…………」
「どうかしましたか」
「誰のせいだとおもってるんだ?」
「誰かのせいなんですか?」
「まあいい。おまけに今日も仕事だ」
「昨日のが今年の初仕事みたいなもんだった気もしますけど」
「なんなんだ今年は!働いてばかりだぞ!」
「専務、専務」
「なんだ」
「どこで乗り換えるんでしたっけ?」
「さいたま新都心だ」
「いま大宮ですよ」
世界に向けて遠吠えを!
あるかなきかの零細企業、もしくは世界のミスリーディングカンパニー、あの安田タイル工業のクリスマスが1年ぶりに帰ってきた!
【おわび】毎年「タイル観が変わりました」と多方面から好評をいただいているクリスマス慰安旅行ですが、諸事情によりクリスマスがすぎてしまったため、今年は予定を変更して安田タイル工業の格別おもしろくもない出張の様子をお送りいたします。ご了承ください。
※これまでの旅行については以下をご参照ください。
→2010年
→2011年
→2013年
→2014年
→2015年
「スーツは着てきたんだろうな?」
「ちゃんとよれよれのを着てきました」
「アンビバレントなことを言うな」
「仕事なのにスーツを着てきたかって聞くのもおかしくないですか」
すっかりおなじみとなった高崎駅に到着する安田タイル工業の面々。来るたびにここで熱々のそばを手繰っていきたいとおもいながら時間がなくていつも入れない立ち食いそば屋を尻目に、また北へと向かいます。以前の慰安旅行と同じようなルートを辿っているのは、まさしくかつて慰安旅行で通過した土地へ向かう業務上の必要があるからです。
「専務」
「なんだ」
「これ出張ですよね?」
「そうだ、仕事だぞ」
「出張って鈍行で行くもんですか?」
「イヤなら自腹を切れ」
「こう言っちゃ何ですけど、基本ぜんぶ自腹ですよ」
席が空いているのをいいことに、あつかましくも新聞を広げ出す主任。しかし読んでいるのは忙しくて読めずにいた先週の新聞です。
「おい、起きろ」
「はッ」
「着いたぞ」
「ここはどこですか」
「宮内駅だ」
「宮内……あっ」
「おもいだしたか」
「青海川駅で死にかけたときの!」
「死にかけたな」
「猛吹雪で体の前面に雪が積もりました」
「あのとき通った駅だ。みろ」
「あっ」
QRコードをチェックする専務
「よし、いくぞ」
「あれ?ここだけじゃないんですか?」
「本命の駅は別にある」
「本命?」
「安田タイル工業にとって大きな意味をもつ駅だ」
そう言って専務は颯爽と、上越線から信越本線に乗り換えます。目指すは安田タイル工業にとって忘れることのできない、心のふるさととも言うべきあの駅です。
「安田駅!」
「数年ぶりだ」
「ここに貼ってあるんですか?」
「じつは一度断られたんだ」
「そうなんですか?」
「貼る場所がないと言われた」
「でも貼ってあるんでしょ?」
「あとでもう一度連絡がきた」
「なんて?」
「貼れそうです、と」
「JRの人も知らなかったんですね……」
「おい、待合室だ。みろ」
「独り占めじゃないですか……」
「もう思い残すことはないな」
もう一度念を押しておきますが、写真を加工しているわけではありません。ゲリラ的なパフォーマンスでもありません。JRに依頼の上、正式に掲出された安田タイル工業のポスターです。いま現在、安田駅の待合室内に貼られています。掲出期間はこちらも12月26日から1月15日までの3週間です。
「わざわざ出張してきた甲斐があった」
「鈍行ですけどね」
「飯でも食って帰るか」
「じつはおなかぺこぺこでした!」
「期待していいぞ」
「いいお店があるんですか?」
「あるとも。というか駅前に1軒しかない」
「なんだ」
「ここですか?」
「ここだ」
「ここでいいんですか?」
「いいも何もここしかないんだ」
そう言ってためらうことなく暖簾をくぐる専務。専務の男らしさはいつもそこじゃなくていいという正確無比なタイミングで浪費されることになっているのです。そこはかとなく漂う不安を払いのけ、主任も腹をくくります。
「いいんですか?」
「いいんだ。仕事は終わった」
「ポスター見ただけですけど」
「確認が大事なんだ。手違いで貼られてなかったりしたら困るから、ちゃんと予備も持ってきたんだぞ」
「ああ、その白い筒、ポスターだったんですね」
「すいません餃子とカニ玉定食を」
「じゃ僕はうま煮定食をおねがいします」
「せ、専務……」
「なんだ、とっとと食え」
「これ……」
「なんだうっとうしい」
「む、むちゃくちゃ美味いです……」
「なんだと!」
振り返ってみればある種の奇跡がここで起きたと申しても過言ではありません。遠目では肉野菜炒めにしか見えないし、近くで見ても肉野菜炒めに見えるのですが、これがまじでむちゃくちゃ美味いのです。ふだんはそんなことを言わない専務が取り分けたぶんを食べたあとで「もうすこしくれ」と言ったくらいだから、これはもう誰が食っても美味いと唸るに決まっています。びっくりした……本当にびっくりした……まさか安田タイル工業史上最高のひと皿を、安田で味わうことになるなんて!
【結論】安田駅で降りる機会があるときは必ず駅前の「美楽」でうま煮定食を注文すること。
おもいもよらない至福のひとときをすごしてお店の人に厚くお礼を申し上げ、奇跡の定食屋「美楽」をあとにする安田タイル工業の面々。アドレナリンがほとばしる過剰な幸福感で顔もほのかに赤らんでいます。
「電車の時間まであと20分くらいあるな」
「ちょっとぶらぶらしますか」
「うむ」
「あ、あそこにコンビニがありますよ」
「おもいだした。火災保険の払い込みをするんだった」
「え、ここで?」
「忘れてたんだ」
冗談かとおもいきや、本当に保険の払い込みをするつもりらしい専務。家の近所でやればいいようなことをなぜわざわざ新潟でやらなくてはいけないのか理解に苦しみますが、そういえば去年も東京で出しときゃいいはずの手紙を新潟で投函していたことが思い出されます。
そうこうしているうちにいつもの華麗なぼんやりぶりでみごと電車に乗り遅れる安田タイル工業の面々。駅の前まできて発車を合図する車掌さんの笛が鳴り響きます。
「まあいい。次の電車でも帰れるんだから」
「次って何時ですか」
「1時間後だ」
「となりの駅まで歩きます?」
「歩くって……6キロ以上あるんだぞ」
侃々諤々と激論を交わしたのち、となりの駅に向かって歩き出します。「まあなんとかなるだろう」というのが歩くことを決めた理由です。
傍目にはそう見えないかもしれませんが、かなり必死にとなりの駅を目指しています。この空の明るさを覚えておいてください。
「もうかなり歩いたんじゃないですか」
「まだ3.5キロだ」
「あっ」
宮内駅で乗るはずだった次の電車を呆然と見送る安田タイル工業の面々。しかしふたたび電車に乗り損ねたからと言って、歩みを止めるわけには行きません。そうしている間にも日はどんどんと暮れていくのです。
どうにかこうにか辿り着いたときには完全に夜です。もうだいぶいい大人なのだから、なんとかならないこともあると身にしみてわかっているはずなのに、なぜなんとかなると考えてしまったのか、ひとしきり首をひねる安田タイル工業の面々。
さらに駅舎に貼られた時刻表をみて、専務が青ざめます。
「まずいぞ」
「まさかもう電車がない?」
「いや、ある。あるにはある」
「なんだ、よかった」
「あるにはあるが、行くのは水上の手前の駅までなんだ」
「水上まで行かない?」
「ところが『水上行きの日もあります』と書いてある」
「そんなアバウトな!」
「いずれにしても水上まで辿り着けないのはまずい」
「帰れなくなりますよね……」
「ちょっと待て、JRに電話して聞こう」
果たしてこの日の18時07分発の電車が水上まで行くのかどうか、緊張の面持ちで専務が電話をかけ始めます。
「水上まで行くそうだ」
「セーフ!!」
すっかり安心して朗らかな笑顔で談笑を始める安田タイル工業の面々。時間も次の電車まであと50分とくさるほどあるので自然と話もはずみます。
「専務、向こうに公園がありますよ」
「よし、行ってみよう」
「ブランコがあります。いや、ないです。ブランコがありません」
「支柱だけだな」
「すべり台があります。いや、ないです。すべり台もありません」
「階段だけだな」
肝心のアイデンティティ部分を取り払われた遊具の名残に囲まれて、なんとなく身につまされながら童心に返ってキャッキャとたわむれる安田タイル工業の面々。
エアブランコに興じる主任
専務からのクリスマスプレゼント
*
というわけで、昨日から来年1月の15日まで、宮内駅の連絡通路と安田駅の待合室に安田タイル工業のポスターが掲出されています。お近くにお越しの際はご笑覧の上、QRコードがどこにリンクされているのかぜひその目でお確かめくださいませ。
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