極楽鳥の名で呼ばれるこのあたりの土地から東に向かってなだらかに傾斜していくエリアを、わたしたちはシュガーヒルと呼んでいる。シュガーヒル・ギャングというのはだから、文字どおりシュガーヒルの一帯を根城にする荒くれ集団の通り名だ。
犯罪と甘いものが同じくらい大好きなことで全国に名を知られるこの連中は、表向きは構成員総出で行列のできる洋菓子店「Sweet Stuff」をせっせと切り盛りしているが、その一方で一旦しょっぱい目に遭うと途端に手がつけられなくなることでもよく知られている。数年前、となり町であるサレの住民が逆上した彼らの手によってことごとく深爪の憂き目にあったニュースは記憶に新しい。
どこから命令が下されているのか誰の目にも明らかでありながら未だ組織ごと一網打尽にされる気配がないのは、構成員が多すぎる上にファミリーとしての結束が固く、末端の三下連中が狼藉をはたらいてもなかなかその指示系統を辿ることができないからだ。またいかに身勝手な荒くれであろうと、目に見えないムニャムニャした脅威に対する実質的な抑止力として機能していないとは必ずしも言い切れないかもしれないし、単なる犯罪集団よりは甘い分だけまだマシだという非常にざっくりした政治的な思惑も透けて見える。
それに「Sweet Stuff」のケーキはとてもおいしく、食べれば舌鼓がドラムロールを叩くともっぱらの評判なので、たたきつぶすにはちょっぴり惜しいと治安当局者たちが考えていてもまったくおかしくはない。ケーキ屋をたたきつぶして子供に泣かれるくらいなら、うまいこと折り合いをつけながらいたちごっこをつづけるのが大人のやりかたというものだ。恋と同じように。
「その用心棒が何で出てくるんだ?」
「わかりません」とイゴールは猛スピードのためにがたがた揺れる賢いハンス号をなだめながら言った。「ただお嬢さまがシュガーヒルの連中と何らかのトラブルを抱えていることはまちがいないでしょう」
「旦那!追ってきますよ!」
「まさかのカーチェイスだ」わたしはジャイアン・リサイタルよりひどい排気音をまきちらしながら距離をちぢめてくる後方の追っ手に目をやった。「しかしあれは車というより……」
「自転車ですな」
「うん……いやちがうな、あれはピープルだ」
「ペイパル?」
「ピープルだよ。ホンダの古い原付だ。昔どこかの畑の脇に乗り捨ててあったのを失敬したことがあるからまちがいない」
「わっしには自転車に見えますがね」
「自転車にエンジンが付いてるんだよ」
「ははァ、あの暴走族みたいな音がそれですか」
「あれがチャームポイントなんだ」
「あッまた何か飛んできましたよ!」
それを見てみふゆがまた矢面に立とうとするのを、わたしは制した。「立たなくていいよ、みふゆ。それよりアイスノンを抱いてたほうがいい」
「しかしこのまんまだとお陀仏ですよ、旦那」
「矢くらいなら避ければそれで済みそうじゃないか」
「あれは矢ではありません」とイゴールが訂正した。「あれはSIMONです」
「サイモン?」
「ドア破壊専門のライフルグレネードです」
「兵器じゃないか!」
「そういえば嬢ちゃんがまっぷたつにしたあと、ボンと火を噴いてましたな」
「しかし何でドア専用なんだ」
「籠城した場合に使用するつもりだったのでしょう」
「ああ、なるほど……」
「しかしこのまんまだとお陀仏ですよ、旦那」
「さっきも聞いたよ!賢いハンス号だって賢いんだからみふゆと同じくらい頼りになるさ。よろしく、イゴール」
「かしこまりました。では少々猛ります」と答えたそばから、イゴールはハンドルを左に目いっぱい回し、同時にブレーキを思いきり踏みつけた。あまりに急だったので、さしもの賢いハンス号も車体を軋ませながらヒヒンと一声いなないたような気がしたくらいだ。くるりと水平に一回転したハンス号は目の前に迫ってきたグレネード弾を鼻先でかわし、今度はスピーディ・ゴンザレスに向かってまっすぐ突進していった。
「おいおい、べつにやり合わなくたっていいよ!」
「ピス田さま、座席の真下に工具箱がございます」
「工具箱?あ、あった」
「ちいさな玄能が入っておりますから、それを」
「玄能ってこのハンマーのこと?」
「そうです」
「ははあ、これを……じゃあブッチに渡そう」
「なるほど、じゃわっしはこれをポイと」そう言うとブッチは同じようにこちらへ直進してくる追っ手に向かって玄能を放り投げた。
<ピス田助手の手記 23: ムール貝博士との交渉>につづく!
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