2008年8月9日土曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その64
お暑うございます。なんとなく夏休み的な雰囲気がそこはかとなく漂っているようですが、いかがお過ごしでしょうか。宮本武蔵の書いた「五輪書」って、オリンピックの本じゃないですよね?
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木工用ジェイムズボンドさんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。DIYのための007ですね。
Q: 桜井小塚さんについて詳しく教えてください。彼女はどこに行ってしまったのでしょう?
「詩人の刻印」は手にしていないけれど、「2/8,000,000」は愛読してくれている、そんな方もいるんですね。うれしいです。どうもありがとう。今や息も絶え絶えとは言え、ブログもつづけてみるものです。
ご存じない方がほとんどだとおもうので簡単にせつめいしておくと、「桜井小塚」というのは詩に対する現在の僕のスタンスを決定づけた詩人であり、心の姉のような存在です。彼女がいなかったら今の僕はいないと言い切ってしまってよいでしょう。詩集「2/8,000,000」は、その存在を記録として書きとどめておきたいというコンセプトでつくられています。僕がこの名を借りて「詩人の遺書」というホームページを立ち上げていたのは、かれこれ7、8年前の話です。そんなに経ってなかったかな。それとももっと前だったかな。
しかしこれはみごとに虚を衝く質問です。
桜井小塚はどこへ行ったのか?
誤解をおそれずに言うと、彼女に対する憧れと尊敬の念は、今も最上のものとして1ミリたりとも揺らぐことはありません。言葉をいっさい信用せず、それでいて詩という形式で何ができるかを常に模索しつづけ、ペンを握れば大胆なまでに贅肉をそぎ落とし、最短2行で世界を描くという職人芸はやはり、今もって僕が追い求めるところのひとつのかたちです。今読み返してみても、完成されているとつくづくおもう。
そんなふうに100%桜井小塚フォロワーであった僕が彼女と距離を置くことになったのはもちろん、新宿スポークンワーズスラム(SSWS)に足を運ぶようになってからです。フラインスピンレコーズというちょっといびつな音楽レーベルが誕生するきっかけにもなったイベントですね。
当時は距離を置くつもりなんかぜんぜんなかったけれど、いざ言葉を声に出してみたら、それまで桜井小塚を手本にして自分がやってきたこととはあまりに勝手がちがっていてひどく戸惑いました。言葉を声に出して耳に届けるということはつまり、「文字を味わう」という視覚的な効果にも気を配っていたそれまでのスタンスとは、必然的に重心が大きくずれるということでもあったのです。
書いたものをただ声に出すようなことはしたくない。やるからには、何故やるのかを突き詰めたいし、その先にどんな世界があるのかを見極めたい。「なんとなく」では次にすすむべき方向さえ見えてこないし、その行為が自慰の殻をやぶることは決してありません。べつに自慰だっていいとおもうけど、それを意識しているのとしていないのとでは露出狂とストリッパーくらいのちがいがあります。僕はストリッパーのほうがいい。
それは僕が桜井小塚から受け継いだおおきな哲学のひとつです。逆説的な話になりますが、彼女のようになりたいとつよく願ったがゆえにこそ、今のこの隔たりがあるのだと僕は認識しています。その姿勢は今に至るまで一貫していて、ブレは一切ありません。
つまり桜井小塚はこつ然と姿を消したわけではないし、むしろその精神なら今も厳然とここにあります。それは「書き方」の話ではなく、「生き方」の話なのです。
これで答えになっていますか?
A: 桜井小塚は今も息災です。
数百冊しか世に出ていないぺらぺらの詩集を久しぶりに読み返すまで僕もすっかり忘れていたのだけれど、そういえばムール貝博士の初出は「詩人の刻印」ではなく、その2年前に出た「2/8,000,000」でありました。単なる脇役だったのに、ずいぶん出世したものです。
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dr.moule*gmail.com(*を@に替えてね)
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