UFOピッチャーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 何か決める時に迷った時は、何を基準に「こっち!」って決めますか?
これはシンプルでいて、なかなか奥の深い質問です。というのも、検討を重ねた上で迷うわけだから選択肢は等価のはずですが、ある基準によってどちらかが優先されるならそれは等価でないことになるからです。哲学的ですね。
「女か虎か?」という、140年くらい前に書かれた有名な話があります。
ある国の王女と恋に落ちた身分の低い若者が、国王の逆鱗に触れて処刑を言い渡されます。ただし単なる処刑ではありません。国王は若者に2つの扉を選ばせます。ひとつの扉には虎がいて、これを選んだ場合はもちろん襲われて死亡確定です。もうひとつの扉には美女がいて、死を免れるばかりかこの美女との結婚が認められます。この美女は王女とはぜんぜん別の人です。国王の命令なので結婚しないという選択肢はありませんが、寛恕であることは確かでしょう。愛する若者の命を守るべく、王女はどちらの扉に虎がいるかをこっそり若者に伝えようとしますが、その直前にふと、ためらってしまいます。若者が美女の扉を選べばもちろん命は助かりますが、それは別の美しい女に愛する男を奪われるということでもあるからです。それならいっそ、虎を選ばせて自分も死ぬほうが愛に殉ずることになるのでは…?
最終的に王女がどちらの扉を選択したのか、その結末は描かれていません。
今の一般的な感覚で言うと、愛する人を虎に襲わせるのはムリすぎる気がするけど、重要なのは王女にとってはどちらも身を引き裂かれるほど究極の選択だった、という点です。それでなくとも熱烈に恋する人の判断は現代だって予測不能なのだから、どちらを選ぶこともあり得ます。この話が書かれた当時も読者によって侃侃諤諤の議論が交わされ、王女がどちらを選んだのか教えてほしいという要望が作者に殺到したそうです。
どちらの扉も正解と言えば言えるし、正解は存在しないとも言えるとき、少なくとも誰もが納得する完全に合理的な選択は存在しません。ここでいう完全に合理的とは、片方を選ぶだけの合理性によってもう片方の合理性が明確に否定される、という意味です。つまり、究極の選択には常にある種の不合理が包含されている、とも言えるでしょう。ここがポイントです。
究極の選択に必ず不合理が含まれているのなら、そもそも合理性などくそくらえであり、相手にする必要はありません。「女か虎か?」で言うと、僕が考える王女の最適解は「虎の扉を選ばせた上で、その虎を王女が殴り殺す」です。なんか文句あるか、と言うほかありません。
したがって何かに迷った場合は、「虎を殴り殺す王女の精神」が基準になります。彼女ならどうするだろう、ということですね。ちなみに僕の心の中にいるこの王女には、アンジェリカという名前がついています。
A. 虎を殴り殺す王女の精神が基準です。
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その439につづく!
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