2015年6月26日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その215

実用洋食ってなんだ?


窓マックス2さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)前作のヒットを受け、約10倍の費用をかけて製作されたさらに大きな窓のことですね。


Q: 東京の人はなぜ冷たいのですか。


ドロシー・セイヤーズの短編でも「ロンドン市民は他人に関心を持とうとしない……」と嘆く巡査に対して、主人公たるピーター卿が「それがロンドンというものさ」と返しています。しかもこの作品が書かれたのは今から80年ちかく前のことだから、都会の印象というのは時代と土地を問わずいつも似たり寄ったりのようです。

僕も同じところに長らく住んでいるけれど、マンションの住人に声をかけてもらった記憶がほとんどありません。挨拶をするのはいつもこちらからだし、そういえばついこないだ階下のご婦人と交わした会話が、ここ10年でも数少ない機会のひとつだったような気がします。

「こんにちは」
「こんにちは……あっ」
「?」
「あの……」
「はい」
「つかぬことをお伺いしますが……」
「なんでしょう」
「工具ってお持ちだったりしますか……?」
「工具?というと?」
「蛇口が水漏れするんで、ねじを締めたいんです」
「ねじ?」
「ねじというか、六角形の……」
「ははあ」
「えーとあの、モンキー?とかって言うらしいんですけど……」
「あ、レンチですね」
「どこで買ったらいいのかもわからなくて……」
ありとあらゆるサイズ対応のレンチとスパナ20本セットなら持ってます

今の今までなぜこんなプロ仕様の工具セットがウチにあるのかずっと謎だったんだけれど、なるほどこの日のためだったのかとすっきり腑に落ちたものです。


あだしことはさておき、僕がおもうにこれは単純に情報量とキャパシティの問題です。人も多ければ車も多い、建造物が多くて用事も多い、用事が多ければ移動も多いし、おまけに電車は5分おきにやってきます。次から次へと絶え間なく降りかかるこうした外部刺激すべてに等しく注意を向けるのは、やはりどうしたって至難の業と言わねばなりません。

脳みその容量が有限である以上、その処理能力には限界があります。6畳間に人が2人いるのと20人いるのとでは気の配りかたもおのずとちがってくるはずです。こんなにいるんだからじぶんじゃなくてもという集団心理の働きもあるでしょう。

要は周囲に対する感度を下げることによって、処理すべき情報量を抑制しているのです。ある程度までの刺激をノイズとしてシャットアウトしないことには、心がパンクしてしまうわけですね。部屋が散らかれば散らかるほど掃除をする気が失せていくのも、おそらくこれと同じ原理と考えてまず差し支えありますまい。

したがって、都会における人の冷たさや無関心は、個人の性質よりもむしろ生物としての防衛本能に近いものがある、と僕はおもいます。すくなくともそう受け止めるとそれだけできもちもずいぶん楽ですよ。


A: 心の容量に対して情報量が多すぎるからです。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その216につづく!

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