2007年12月31日月曜日

ザ・フラワーズのシュークリーム問題


新宿の横断歩道をてくてくと歩いていたら、目の前で自転車に乗った出前のお兄さんが天ぷらうどんをどんぶりごとガチャンと道に落とすのです。
その数十分後、雑司ヶ谷のあたりをてくてくと歩いていたら目の前でおばちゃんが豆腐を一丁ぺちゃりと道に落とし…とおもったらまたその数時間後には遊びに行った先で姉さんが植木を床に落として、水びたしときたものだ。

どれも僕から3メートルくらいはなれたところで起きたできごとなので、関係ないといえばそれはもうまったく関係ないのだけれど、じぶんがちいさな不運をポケットからポロポロまきちらしながら歩いているみたいでどうも気になる。

そのあと「ガン」と地面に叩きつけられたドラム缶みたいな音が遠くから響いてきてもう、どこのどなたか存じませんがなんだかすみません。

 *

パンケーキやナン、今川焼やベビーカステラといった粉モノを愛する荒くれ集団、ザ・フラワーズ(the Flours)ですが、年の瀬も押し迫るいまごろになって代表をつとめるムール貝博士からメンバーに緊急召集がかかり、非常にあわただしい動きを見せています。

議題:シュークリームは粉モノや否や

「粉モノでいんじゃないすか」
「でもこれたしかに考えたことなかった」
「クッション性が足らんのだ」
「クッション性?」
「ふかふかじゃないということですね」
「博士」
「議長と呼べ」
「すみません。まだ朋子ちゃんきてないですけど」
「誰だ?」
「博士こないだパンケーキもらったじゃないですか」
「知らん」
「シロップで笑顔が描いてあったやつですよ」
「おもいだした!朋子ちゃんはどうした」
「こっちが訊きたい」
「呼びなさい」
「大晦日ですよ」
「だから何だ?」
「来るわけないでしょう」
「君ら来てるじゃないか」
「そんなこと言うなら帰りますよ」
「馬鹿を言うな。フラワーズの存続にかかわる大問題だぞ!」
「あっピス田さんビアードパパ食ってる」
「好きなんだよね」
「よこせ!」
「博士も好きなんだ」
「じゃもういいじゃないすか粉モノで」
「それとこれとは話が別だ」
「いやほぼいっしょですよ」
「パンケーキとシュークリームを同じ俎上に並べるのか?」
「そうですよ」
「シュークリームをほおばりながら小麦粉を感じることがあるか?」
「あんまりないですね」
「ホラみろ!」
「でも博士、クリームも小麦粉ですよ」
「なんだと?」
「カスタードクリームも小麦粉です」
「あ、そしたらグラタンはどうなの」
「ピス田さん口のまわりクリームだらけですよ」
「グラタンは甘くない」
「そんなこと言い出したらうどんもパスタも粉モノだよ」
「それフラワーズ決議5で妥協したでしょう」
「つまり甘くなくちゃダメなんだ」
「パイはケーキに準ずるんだよね?」
「フラワーズ決議37だ」
「しかしカスタードクリームも小麦粉というのは盲点だな」
「ほとんど丸ごと小麦粉ってことだ」
「それでいてとろけるような甘さをもち…」
「ケーキひとつよりもはるかにお値打ち」
「よろしい。ではこのへんで採択をとろう」
「シュークリームは粉モノや否や」

「賛成3、反対0、棄権1で粉モノに認定する」
「棄権1?」
「だれ?棄権したの」

 *

さて、紳士淑女の皆様方にはお名残惜しゅうございますが、今年はこれにて閉幕です。ぶりんとして艶のある、よい月が出ておりますね。ここ2日で乾いては濡れ、乾いては濡れをくりかえしたみじめな洗濯物も、明日にはからりと乾くことでしょう。

間に合ってよかったと、しみじみおもいます。思いもかけないよろこびを手にして、あたらしい世界の広がりをちょっとだけ目にすることができたのも、みんなあなたのおかげです。格別の愛顧とはまさにこれをさすのだと、今さらながら胸の奥深くに染み入るものがありました。

ありがとう。

ふつつか極まりない男ではあるけれど、明日からもよろしくおねがいします。

ときどきここを訪れては息災を確認してくれるすべてのあなたに、表面張力ぎりぎりの愛をこめて。

 *

あとごくごく個人的な私信をひとつ。
ふくいしさん(ずっとそう呼んでいたので結婚された今もそう呼んでしまうのです)、いつでも会える距離にいながら、ちっとも会えない不思議な距離感のために今まで言いそびれてしまっていたけれど、いつもさりげなく支えてくれてどうもありがとう。古川さんでさえためらいを感じた「詩人の刻印」というタイトルを通すことができたのも、ふくいしさんがうなずいてくれたからこそです(彼女はまた、プロデューサーである古川耕がもっとも信頼する書き手のひとりでもあります)。
今の僕にとって、あんころもちみたいな闇のうしろにタフな知性を隠し持つふくいしさんの太鼓判ほど、心強いものは他にありません。ありがとう。ありがとう。

 *

よいお年を!
あと来年は駐禁を切られませんように!

2007年12月28日金曜日

空から降ってくる人間をよけるには


「手漕ぎボート/helmsman says」にも、墜落した猫舌の少女が出てくるけれど、それよりもずっとシビアでひりひりした話。

 *

雑踏ひしめく白昼の池袋駅前でひとり、ビルの屋上から吸い殻みたいにポイと身を投げた女性について、ほとぼりの冷めた今もときどき思いを巡らすことがあります。

この話で僕が認識している事実は次のシンプルな3つです。

1. 女性は池袋パルコの屋上からとびおりた。
2. 雑踏でひとりの男性が巻き添えになった。
3. ふたりとも亡くなった。

迷惑といえばこんなに迷惑なことってちょっとない。

でも僕が今もおもいだすのは、あまりにきのどくな男性のことではなくて、世界のなんでもない日常にゴリッとした痛みをなすりつけていった女性のほうです。本来なら持っていたはずの「同情の余地」をみずからすりつぶしてしまったやりきれない結末に対して、考えてしまうことがいっぱいある。結果としてみんなの同情はすべて巻き添えになった男性にあつまっていたし、それはもちろん当たり前の結果ではあるのだけれど、一方でそうした一辺倒な反響そのものが、却って僕の感じるやりきれなさに色濃い輪郭を与えていくことにもなっているのです。この話が胸の奥底に澱として残ってしまったのも、そのためだ。

・ひとつめ。
ビルの上からとびおりたということは、突き落とされたのでないかぎり、そうせざるを得ない心理に追いこまれていたのですよね。他人にとってはそれがびっくりするくらいちっぽけな事情であっても、そこにはたしかな絶望があった。そして同時に、ここにはまだおおきな同情の余地がある。
・ふたつめ。
白昼の雑踏を実行場所に選んだということは、少なくともひとり以上の誰かに意識を向けてもらう必要が彼女にはあったということです。不特定多数の人間に自分の存在をアピールしたかったのかもしれないし、ある特定の誰かに見せつけたかったのかもしれないけれど、起こしたアクションの対象が何であれそれはこの際横っちょに置いてかまわない。人知れず命の灯を吹き消す方法が他にいくらでもあることをおもえば、この選択肢にはわりあいしっかりした意図があるとおもう。「こんなリアクションがほしい」と望んでいてもおかしくないし、だから意図を望みと置き換えてもいい。
・みっつめ。
赤の他人を巻きこむことまで計算に入れていたかどうかは誰にもわからない。ただ場所が場所だけに、巻きこんだらそれはそれでより大きな効果を生むかもしれないと考えていた可能性はありそうです。未必の故意というやつですね。そう考えると、ある特定の誰かに向けたアクションだった可能性がずいぶん高くなる。
・よっつめ。
その結果は?

話題にはなった。簡単に言うと、でもたぶんそれだけだった。

じぶんの命を絶つことと、それ以外の命を絶つこと、してはならないことを2つも重ねてしまったのだから、彼女にはもう同情の余地がほとんどない。でもですね、深海に沈んだ(と考える)本人にとっては、ありえない道を選択するだけの水圧が確実にのしかかっていたにもかかわらず、救われるどころか最後の最後で海底に向かうなんて、そんなやりきれない話があるだろうか?誰かが大きく「害」とペイントした扉を後ろ手に閉めて終わる人生って、いったいどういうことなんだ?

だれがどう控えめにみたって、きのどくなのは男性だ。僕だってそう思う。いくらなんでもあんな幕切れはない。じゃあ彼女は?

でかすぎる迷惑にはちがいないけれど、それだけで片づけてしまったら、彼女と同じ思いを抱いている人を止めるとき、なんの教訓にもならないじゃないか?考えたってどうにもならないのはよくわかる。知らないことが多すぎるし、失われたものが戻ってくるわけでもない。でも思いを馳せるだけでも経験値の足しにはなるとおもうし、ひょっとしたら僕もあなたも、いつかどこかで巻き添えを食らわずにすむかもしれないのだ。

 *

なぜ死んではいけないのか?
あなたが始めた人生ではないからだ。
なぜ殺してはいけないのか?
それがあなたのものではないからだ。

そして残念ながらあなた自身でさえ、
あなたの所有物ではない。
(ピザがピザの所有物にはなり得ないのと同じだ)

八方塞がりだとおもうかもしれないけれど、
そうじゃないなんていったい誰が言ったんだ?

どこもかしこも通行止めだ!
そっちはどう?
ああそう、だろうとおもったよ。

 *

完全な密室にとじこめられてるとき、
脱出に必要なものって何だろう?

愛されていようといまいと、
希望があろうとなかろうと、
だいたいへたをすると良心でさえ
脱出にはあんまり意味がないのだ。

知恵しかないんだ。
そうしてそれなら、誰でも持ってる。
だからいっしょに作戦を練るんだよ!

 *

ただまあもちろん、世界には魚やカエルが降ってきた例もあるし、空から降ってくる人間の避け方を訓練するのもひとつの手ではある。どっちを選ぶかは僕ら次第だけれど、それにしてもものごとの上っ面だけをぺろりとなめて、甘いとか辛いとか単純な味覚に還元してしまうモノの見方ほど、つまらないものはないと僕はつくづくおもう。

2007年12月25日火曜日

8番目の刺客のこと


キャベツは男で、レタスが女だよな…というようなとりとめのないことを考えていたら日が暮れてしまった。

ああ、もう来週は来年じゃないか。

僕は1年のうちでも大晦日がいちばん好きな日なので、今からわくわくして夜もねむれないありさまです。年越しをギャーと騒ぐのもたのしいけれど、しみしみと時間に溶けこむように、近所の神社までぽつぽつ歩く夜の道のりには曰く言いがたい安らぎがあります。神社の境内で焚かれる篝火をうっとりと眺めるボーイスカウトのがきんちょを見るのも好き。ほとんど白湯にちかい甘酒売りの露店もゆるす。いつまでもこんな夜がつづいたらいいのにとねがわずにはいられないのです。絶望どころか希望さえも口をつぐまざるを得ない、あのニュートラルな厳かさを、僕は信頼しているのだと思う。

良い年だったか?そうか、ここで火におあたり。
悪い年だったか?そうか、ここで火におあたり。

 *

まあそういうわけなので、8/8,000,000となる、ことしというか、来年のアレをせっせと刷ったり書いたりしてときどきゴロゴロしています。


以前おやくそくした人にも、きちんとお届けします。忘れてないでしょうね!壁にぺたっと貼ったり、昆布の代わりにだしをとったり、ババ抜きに使ってもらったりしてよろこんでもらえるといいんだけれど、でも年賀状ってそういうものじゃないよな。

2007年12月22日土曜日

一冊と数えるコンパクトディスク



りんりん。

りんりん。

がちゃ
「もしもし」
「ダイゴ君か?」
「おや、その声はピス田さん」
「マズいことになった」
「どうしました」
「だまって言うとおりにしてくれ。まずお湯をわかすんだ」
「お湯?」
「いいから早く!ムール貝博士がどうなってもいいのか」
「今さらどうもなりようがないでしょうあの人は」
「いいから早く!」
「お湯ね。えーと」

シュンシュン

「わかしましたよ」
「よし。次は好きなお茶をいれるんだ」
「コーヒーでもいいですか?」
「もちろんだ。なるべくたっぷりがいい」
「たっぷりね」

コポコポ

「へー」
「どうしたダイゴくん」
「アフリカチビネズミは1円玉にのる大きさですって」
「なんの話だ」
「ああ、すみません新聞よんでました」
「一刻を争うんだよ!コーヒーはどうした」
「いれました」
「いいぞ。コーヒーは何に注いだ?」
「何って…マグカップですけど」
「いいぞ!そのマグカップはお気に入りか?」
「昔からずっとあるんですよ」
「毎日使っていながらあんまり考えたことがない?」
「なんか責められてるみたいだな」
「どうせ使うなら気に入ったマグカップのほうがいいだろう?」
「なんてこった。イヤな予感がする」
『そんなあなたに朗報です!総勢100人近くのクリエイターたちによる、オリジナルマグカップが揃いもそろって170種類!使うも良し、贈るも良し、風呂として浸かるもまたよろしい。あなただけのお気に入りマグがきっと見つかるマグカップ専門WEBショップ、mug*mania shopがついにオープン!』



「ちょっと…ピス田さん」
「やれやれ。協力ありがとう」
「博士はどうしたんですか」
「博士がなんだって?」
「さっきどうなってもいいのかって…」
「今さらどうもなりようがないだろうあの人は」
「ずいぶんな話だな!」
「そうだ、興味深い話がもうひとつあるんだった」
「もういいですよ」
「詩人の刻印の話だよ」
「なんですか」
「なんだ、やっぱり気になるんじゃないか」
「ぼかぁ本人ですよ!」
「ダイゴくん、あのアルバム、ジャンルは何になるとおもう?」
「そんなのこっちが知りたい」
「CDをitunesにぶちこんでみるといい」

ウィンウィン

キューン




「本(Books)だ…」
「そうなんだよ」
「これ誰が登録してくれてるんですか?」
「さてね。すくなくともフラインスピンレコーズではない」
「知らなかった」
「博士がおしえてくれたんだ」
「そうだ、博士は?」
「フィリピンだよ」
「フィリピン?」
「バナナを買いに行ってる」

2007年12月20日木曜日

バナナだけ売ればいいじゃないか


「詩人の刻印」セカンドプレスがお目見えです。ほんとうに1000枚以上も捌けてしまったのか、当人としてはいまいちぴんときていないので、あらたにやり直しをさせられているようでもあります。どのみち遅々たる歩みを想定していたのだし、このへんがリアルなスタートと言えましょう。うれしい。めでたい。

それもこれもあれもみんな、あなたのおかげです。初回限定と言いながら、次回のことなんて微塵も考えていなかったのだから、目頭も熱くなろうというものであります。

あれ?いま口がすべった気がするな。

まあいいや。

本来であればバナナの1本でもおまけにつけたいところなのですけれども、何かの手違いでバナナが主役になるというような事態だけはどうあっても避けねばならないというレーベルの断固とした、かつ至極穏当な判断によって、泣く泣くあきらめざるを得なかったという経緯があります。

「バナナなんかつけて、八百屋で売られたらどうする?」
「バナナにCDついてたらすごく得した気持ちになるじゃない」
「誰がバナナ1本に1890円も払うんだ!」
「話題にならないかな?」
「腐ったバナナといっしょに返品されるのだけはご免だよ!」
「博士はどう思います?」
「バナナだけ売ればいいじゃないか」

 *

バナナはともかく、せっかくなので、変更点をみていきましょう。

表はこう。


裏はこうです。右端にちっこい救急車が走っているのが見える?運転しているのはもちろん、あの人ですね。


開くとこう。


通常盤はジャケットがリバーシブルになるのです!シックだ。


盤面。


ジャケット(4Pブックレット)の内側です。初版では20人分記されていた登場人物が、半分くらいに省略されています。



あとはバナナがなくてもいいかどうかだ。

2007年12月18日火曜日

レコードと小麦粉


おもいだしたようにレコードの話。

Spanky Wilson / Let It Be

ジャケット不良だ。マスキングテープで補修した跡まである。

しかし僕にとっては、「ジャケット不良」ほど甘美な響きをもつ言葉もそうありません。それでなくともある程度の時間を経たものを好んで手にする経年フェチなので、レコードはリングウェア(ジャケットに丸くのこるレコードの跡)があるくらいでちょうどよいのです。それは何十年にもわたって人の手を渡ってきたたしかな証でもあるし、だからたとえばレーベル面に落書きがあったりすると却ってふくふくとしたきもちになります。たいていは持ち主の名前(たぶん)が書いてあったり、好きな曲(たぶん)に丸がつけてあったりするんだけれど、そういうところにこそ、誰も知らない物語の残り香は漂うのだし、単なる音楽以上の深い味わいを噛みしめるよろこびもあるのです。ボロボロであるほどイイというわけでは全然ない。でも手垢はついてたほうがずっとうれしい。ニアミントとか未開封のレコードはそう考えると音質は最高でも無味無臭に近い。純粋に音楽をたのしむだけならそれがいいとおもうけれど、長い長い年月と旅路の果てに実るせっかくの出会いなのに、それだけじゃさみしい。

ケーキや蒸しパン、今川焼といった粉モノを愛する無法者集団、ザ・フラワーズ(the Flours)の一員として言い添えるなら、リイシューやぴかぴかのレコードは精白された通常の小麦粉(薄力粉)であり、ややくたびれた中古のレコードは全粒粉(whole wheat flour)、ということになります。薄力粉には薄力粉のおいしさがあるけれど、栄養価の高さで言ったら断トツで後者だ。

耳にする機会があって、どうしても手にしたいとおもったとき、僕がなるべくリイシューではなくオリジナルを求めようとするいちばん大きな理由はここにあります。レコードにかぎらず、古いものを手にするとき、僕らはそこにひっそりとしまわれた幾許かの物語をも、必ず同時に受け継いでいるのだ。そうして今度は僕が、あらたな物語をちょっとずつ付け足していく役目を担うことになる。すくなくとも「詩人の刻印」はそうして受け継いだものから生まれたもののひとつです。

それにしても…ガシャンと鳴り響く余韻たっぷりのざらついたサウンドに、スパンキーの超キュートな声が跳ねてもう…ジャズとソウルの境界線を綱渡りする軽やかなバランス感覚もH. B. Burnamアレンジならではですてき。みずから進んでギャフンと言いたい。

あのね、なんだってそうだけど、可愛くなければ意味なんてないの!

と、アンジェリカなら言うとおもうけど、僕もだいたいそうおもう。

2007年12月16日日曜日

無題(あるいは致命的な数分間)



停電してました

しかし「あ、スイマセンうっかり」みたいな感じでいまごろ通電しても、あとちょっとで完成するはずだった素敵なトラックは朝日を浴びたドラキュラのように消え去って、二度と戻ってこないのです。

おお…

僕もう帰る。

2007年12月13日木曜日

7/8,000,000のこと


ねすごした!

 *

浮き立つ気持ちはすごくよくわかる。仕事であれなんであれ、なにかの区切りをねぎらうのはとてもたのしい。でも忘年会ボーネンカイってみんなそんなに躍起になって何を忘れようとしてるんだろう?それでなくとも僕は日頃からだいじなことをあれこれ忘れて各方面に多大な迷惑をかけてばかりいるので、些事ひとつとして忘れることまかりならん!と一所懸命なのに、世間ときたらここぞとばかりに万物ことごとく目一杯忘れようと気勢を上げているのだから、釈然としないものがあります。

もちろん僕にも忘れたいことはもっさりとあるし、思い出すだけで背筋がさむくなる話なんて数え出したらきりがないけれど、あれ?いやちょっと待てよ…

よく考えたら僕の人生におけるリセットボタンは、それまでさんざん押してきたためにすでにスプリングがいかれて押しっぱなしの状態なのであった。

ああ、だから忘れっぽいのか…

 *

1/8,000,000からはじまって、いま現在「5」まできているわけですけども、それまでに手がけたものもいろいろあったのに、しまった数をふっておくんだったといまごろ舌打ちをしています。8,000,000にたどりつくまでに何億年かかるんだ?

でもまあそれはそれとして、いいじゃない、これからつけてけば、というじつに気さくでもっともなアドバイスをムール貝博士からもらったので、じゃあさっそくそうしようとひざをたたいたのが11月です。

そうすると「6」はカズタケさんの「UNDER THE WILLOW -PANDA-」ジャケットデザインになるのだけれど、この流れでいくと11月にはもうひとつ、「7」にあたるものを手がけています。

それが冒頭の画像です。ひらたく言うと古書業界で毎月行われるオークションの出品カタログですね。神保町を中心とした、古書店主たちの、古書店主たちによる、古書店主たちのためのオークション、歴戦の猛者たち(年齢高め)がレアな古書を巡って火花をちらす風変わりな戦場、その招待状とも言うべきものです。つまりこれは本来オークション後には紙切れと化すただのカタログであり、いちいちデザインをあしらう必要性なんかぜんぜんないのだけれど、そこにあえてムダと言えるほどの手間をかけるんだから、粋なことしますね。毎月ちがったデザイナーやイラストレーターをゲストに招いてこしらえたゴージャスなカタログ、その11月分を僕がうけおったという次第であります。

ひらくとこんな感じ。


相変わらずやりすぎ感丸出しで可愛いですね。

 *

こんな具合で11月はずいぶんと忙しかったなあ…としみじみ振り返ってみると、コレがまたびっくりするくらい詩人の刻印と関係ないじゃないか。

詩人?

2007年12月9日日曜日

高速道路で寝そべる日曜日


ふたたびJ-WAVE TOKIO HOT 100、81位おめでとう!(他人事みたいだ)



僕はあいかわらずココでぼんやりと蒸しパンを食べたりベランダを掃除したりしているというのに、いったい何がどうなっているのか、さっぱりわからない。掃いても掃いてもベランダに降ってくる、びっくりするくらい大きな葉っぱをせっせと掃きつづけながら、ときどきどこか遠い国のできごとのように風の便りで小林大吾の動向を知るのはまったく、奇妙な体験というほかないです。なんで順位が上がってるんだろう?

ありがとう!

気づけば手で漕ぐ小さなボートも、ずいぶん沖へ出たんだなあ。

ゆらゆらと波にのせてもらっています。(J-WAVEだけに)

 *


さてこの日僕がどこで何をしていたかというと


開通前のトンネルを歩いてました。


高速道路の入り口で寝てたら


怒られてしょんぼり

2007年12月8日土曜日

粗大ゴミと似て非なるもの


こないだ気がついたのだけれど、近所のゴミ捨て場には「燃えるゴミ」ではなくて「燃えろゴミ」と書いてあります。たしかにこれならたいていのものは盛んに燃え上がるんじゃないかとおもう。僕だって「燃えるダイゴ」と言われるよりは「燃えろダイゴ」と言われるほうがうれしい。期待されている感じがする。ゴミだって応援されたらがんばるしかないです。



…。


ダイゴと粗大ゴミって音が似てるな。

いやなことに気がついてしまった。

Bygones!

 *

さて、地獄の数日間は台風のようにすぎさり、さわやかな秋晴れを心ゆくまで堪能しています。いっそこのまま空になりたい。僕のまわりにいる連中はそろいもそろって宵っぱりなので大きな声では言えないのだけれど、僕は朝のほうが1000倍好きです。付き合いがわるいとののしられる所以だ。でも夜はねむたいんだからしかたないよな。ライブは25時スタートですとか言われても、こっちは布団に入ったり枕に頭をのせたりいろいろ忙しいのだ。

ともあれタカツキ+エイミ・アンナプルナからなる素敵ユニット「iLala」のお披露目ライブに行けないという非常に大きな犠牲を払いながら、詩人の刻印セカンドプレスのための入稿はぶじおわりました。

ではプラケースになっていったいどこが変わったのか、とてもわかりやすい図でみてみましょう。オレンジ色に塗ってある部分が変更点です。




…ほとんどぜんぶだ!

しかり、すべてをじぶんでまかなうということは、裏を返せばこういう遊びの部分の裁量がとても大きいということでもあるのです。デザインをだれか別の人におねがいしていたら、とてもじゃないけどこんなことできない。

ただあの、さすがにちょっと…程度が甚だしいというか、やりすぎたというか、ほぼ別物になっちゃった感がなくもないですけど。

こうしてみると展開図から起こしたファーストプレス、超特殊仕様紙ケースはやっぱり特別の感慨があります。ムリしてよかった。ここを読んでくれている人でまだアルバムを持っていない人ってあんまりいないかもしれないけれど、もし迷ってたら今のうちです、急いで!

って言うといつまでもずるずる店頭に残ってたりするんだから、どっちが貴重だかわかったもんじゃないな。

2007年12月6日木曜日

ぜんぶひとりでやるということは


ときどき、「お店に行ったけどなかったよ」という話を聞いてはいたのだけれど、もともとささやかな規模で展開しているものなので、はじめから入荷自体していないことだって十分にありうる話なのです。

でもまあ、いくらプレスした数が少ないからといって、それでも1000はつくっているのだから、そのうち出会うこともあるでしょうし、発売からまだひと月たっていないのだから、気長に。気長に。

とのんびりかまえていたら、フラインスピンに山ほどあった詩人の刻印の在庫が空っぽになってしまいました。

…ホントにない。

最終的に前回の倍くらい売れたらよいですねえ、とノンビリお茶を飲みながら遠いまなざしで話していたのが2週間くらい前の話です。わりとよろこんでもらえているみたいだよ、よかった!この勢いで再プレスすることになったらいいね!といずれは冷めるほとぼりを忘れてちょっと強気に出たあと、しまった言いすぎたと後悔したのが先週末です。

明けて月曜日、レーベルオーナー(電話好き)からの電話がりんりんと鳴りました。彼からの電話はたいてい不吉な話なのでなるべく出たくないのだけれど、そういうわけにもいかないので毎回しぶしぶ出ているのです。

店主「もしもし」
僕 「はいはい」
店主「再プレスしよう」

緊急事態だ!

もろもろの事情から、次にプレスをかけることがあれば、そのパッケージは超特殊仕様の紙ケースではなく通常のプラケースになる、と事前にわかってはいたのだけれど、いくらなんでも発売からひと月もたたないうちからそんな話になるなんて誰ひとり予想していなかったので、まだ何ひとつ準備なんかしちゃいないのです。

何がタイヘンといって、プラケースになるということは、パッケージの規格が変わるということであり、規格が変わるということはジャケットのデザインすべてにたいして大幅な変更を強いられるということであり、そして何よりもココがいちばん重要なポイントですが

それらもろもろの作業を請け負うのは僕ひとりです。

しかもしめきりは今夜です。

あー!ilala行けないじゃないか!

2007年12月3日月曜日

本人なのが残念です


二代水駒(愛車)にまたがってブイーンと走っていたら、前方で道路工事の警備員の振る旗の色が、近づいてもよくわからないのです。そんなことってあるだろうか?片方が赤なのはわかるのだけれど、もう1枚がいまいちハッキリしなくて、ゴーなのかストップなのか迷うだけでもずいぶん困る。

あれは赤なのか?白なのか?だいたいそんな疑問をいだくこと自体、おかしいじゃないか。


ブイーン(そばを通りすぎる)


ピンクだ…。


唖然としながら通りすぎる池袋の朝です。

 *

ちょっとあなた、ご覧になりまして?タケウチカズタケファーストソロアルバムリリースライブ!アラいやだカタカナばっかりなんて身もフタもないこと仰らないでちょうだい。冥土の土産にもってこいの、それはそれはすばらしい、夢のような一夜でしたのよ!とちゅう素性の知れない馬の骨が呼ばれて1曲披露したのはムニャムニャとしても、1時間半というがっつりした長丁場が、1分半にも感じられるあっという間の

1分半はないな。

それにしても、演奏陣が、高橋結子、山口隆志、DJ Shun ですよ!いったいいくら積んだらこんなゴージャスな面子を観ることができるのというのだ?ここに並んだ名を目にするだけで、この稀有なライブがいかにヒップで、いかにメロウで、またいかにファットだったかよくわかるはずです。

この日もまた、会場となったフライングブックスごとポッケに入れて家に持って帰りたいとしみじみおもう、やさしくもシビレる夜でありました。


僕はといえば、そんな最強の布陣をバックに"饗宴/eureka"をやらせてもらうという、さすがにちょっと畏れ多い幸運と誉れにあずかり、ずっと口元がむずむずしておりました。だって"UNDER THE WILLOW -PANDA-"と関係ないんだもの。CDのアートワークと1曲のビートを提供したご褒美にしては余りあるものがあります。うれしい。

でも、できたら一流のミュージシャンたちに必死こいてついていこうとする小林大吾のすがたを、僕も眺めてみたかったし、聴いてみたかった。本人なのが残念です。

この先二度とない、一夜かぎりの"饗宴/eureka"、session with カズタケバンド(!)、店主は録音していてくれたかしら。

カズタケさん、おめでとう!
あとその100倍ありがとう!

多くの人に、届きますように!


 *


ここまで書いてふと気がついたのだけれど、警備員が持ってたピンクの旗、あれ白いのを赤いのといっしょに洗濯しちゃったんだな、たぶん。

2007年11月30日金曜日

タミフルではありませんか?


Yahooで「タマフル」を検索すると、検索結果の上に「タミフルではありませんか?」とでるのです。余計なおせわだとおもうけど、そう言われるとタミフルだった気もしてくる。

 *

今日もJ-WAVEでかけてくれたんですってね。ワーイ!

しかもJoss Stoneの後…これはじつに興味深いことだよ、ワトソン君。

「何がです?」
「相変わらずぶさいくだな、ワトソン君。」
「何かのついでみたいにさらっと悪口言わないでくださいよ。」
「いいかね、こないだAngie Stone feat. Betty Wright の"Baby" と並んでかけてもらっただろう?」
「そうでしたっけ?」
「Betty Wrightといえば、60年代後半に14歳でデビューして今なお現役で活躍するマイアミ・ソウルの女帝だよ、エジソン君。しかもIQ170という天才だ」
「ワトソンです。」
「そんなことはどうでもいいんだ。ところでJoss Stoneのデビューアルバム、"The Soul Sessions"をプロデュースしたのは誰だか知っているかね?」
「どうでもよくないですよ!名前なんだから!」
「なんの話だ?」
「名前の話ですよ。」
「エジソンだろう?」
「ワトソンです。」
「いい名前じゃないか。」
「そうおもうなら間違えないでくださいよ。」
「名前の話はどうでもいいんだ。えーと」
「Joss Stoneですね。」
「ああそうそう、そのデビューアルバムをプロデュースしたのが、他でもないBetty Wrightなのだ!そして当の小林大吾はBetty Wrightが大好きときている。この選挙区には何か意図があるように見えはしないかね。」
「選挙区?」
「変換ミスくらい大目に見たまえ。」
「ああ、選曲ね。めんどくさい人だな。たまたまですよ。」
「だから君はぶさいくだというんだ。考えてもみたまえ、それでいてBetty Wright本人の曲はかかっていないんだ。」
「ぶさいくは関係ないでしょう。」
「にもかかわらず、Betty Wrightをにおわせるこの小憎らしい演出。偶然というにはあまりにもできすぎているよ、ワトソン君。」
「よかったですね。」
「もっと小躍りしたらどうだ?」
「よろこんでるのは小林大吾ひとりだけですよ。」

 *

そういうわけでひとり小躍りしているのです。ヤッホー!

2007年11月28日水曜日

ピアノは美しい打楽器か?


ノンビリお湯に浸かっていたら3日もたってしまいました。すっかり茹だってホカホカですみません。

とおもったらタイヘンな告知をわすれていた!

のんきに風呂上がりの描写してる場合じゃないのよ!
はやくカラダ拭いて!拭いて!

 *

30人という大所帯からなる超絶ハウス・オーケストラ、The Hundred Birdsの一員であり、フラインスピンレコーズを牽引するヒップホップ&ポエトリー&ホニャララバンドSUIKAのリーダーでもあるタケウチカズタケの初ソロアルバム、「UNDER THE WILLOW -PANDA-」の発売を記念して、12月2日、今度の日曜日ですね、僕らの根城Flying Books(渋谷)でリリースパーチーが行われます!

詳細はこちら

いち早くどころか二も三もはやく、みっちり濃縮された漆黒のカズタケ汁を味わうまたとない好機です。だって発売来年ですよ。「オレにとって2007年の1枚はタケウチカズタケだったね!」と言うためには、この機会を逃すと他にありません。来年買ったら言えないからね。

かっこよさはレザボア・ドッグス、楽しさはちんどん屋、聴けば死体もよみがえる未知の音楽体験をぜひあなたに!

 *

ちなみに(重要)
ここぞとばかりにアピールしておきますけどもこのアルバムで小林大吾は
1. 1曲ビートを提供しています。
2. アートワークすべてを手がけています。
3. CD帯のキャッチコピーまで考えました。

こうなるともはや自分の半分はタケウチカズタケでできているのではないかと、言い切れない気がしないでもないきらいがなきにしもあらずのお手伝いぶりです。僕が美女なら熱愛疑惑が持ち上がってもおかしくない。しかしこれは逆にここまで磨き上げられた美しいアルバムの評判を奈落の底へと突き落とすかもしれないという、非常に大きな危険性をはらんでいるので、あれ、なんだじゃあ書かないほうが身のためだったっぽいな。

まあいいや。

期待に沿えてなかったらゴメンね!
でももう、やっちゃったんだよね!
しのごの言わずにお聴きあそばせ!

 *

当のカズタケさんから電話がきました。
「あ、もしもし」
「どうしましたカズタケさん」
「ありがとうね、ジャケット」
「何をおっしゃるウサギさん」
「ほんま助かるわーまじで」
「いやタイヘンだったんですよ、まじで!」

※以下5分くらいタイヘンだったことの説明

「あーあー、なるほどな。イヤほんまありがとう」
「とりあえず目処ついてよかったです」
「あ、ほんでな、用件なんやけど」
「あれ、CDのことじゃないの?」
「ちゃうねんちゃうねん、いやそれもあるんやけど、それとは別にね、お願いちゅうか」
「なんですか?」
「日曜、出てくれへん?」

エ?

「あんな、リハんときにかるく、ユリイカ(饗宴/eureka)あるやん?あれやってみたら意外といい感じやってん。ほんならやろうや、っていう話にね」

というわけで日曜リリパ、なぜか小林大吾客演決定です。
ユリイカって…楽器で?しかもギター?え、リハなし…?

うえーどうなっても知らないよー

カラダ冷えた。

2007年11月25日日曜日

シチュエーション・フリーズドライ



ワハハ!「手漕ぎボート」がJ-WAVEのTOKIO HOT 100に入るなんて、いったい誰が予想したでしょう?




89位ですって。

今月は、マスターカードどころかアメックスのセンチュリオン(注1)をもってしても手に入れることのできない、うれしい驚きを山ほどもらって、おたおたしてばかりおります。多くの三ツ星レストランにまじって場末の屋台がランクインしたような、こういう希有な戸惑いってこの先どれくらい経験できるんだろう?

これ履歴書に書いとこう。「甲子園出場経験アリ」みたいな感じで「オヤ」と思ってもらえないかな。

上記のリンクから、投票すると来週もチャートにのこる可能性がゼロではないみたいなので、気が向いたらぽちっと投票してやってください。(「投票して」というようなことを自分が呼びかけるとはおもわなかったな!)

あれもこれもみんなのおかげで、昼も夜も夢をみているみたいだ。

 *

それにしても、驚きとか幸福感といった当事者の表情をふくめたその瞬間のシチュエーションをまるごと保存することができたらいいのに、と最近はすごくおもいます。たとえば土曜日はTBSラジオで古川さん(カレー好き)が小林大吾についてとても熱く語ってくれたわけですけれど、当初は10分くらいと言っていたのに、予定の時間を過ぎてもまだ話しつづけてくれたのです。他のコーナーを押してまで!結局20分くらいずっと小林大吾の話をしてるの。泣かずにいられる?

でもそれをただ録音しても意味がないんだ。コーナーの延長を決断した温かいスタッフの心意気とか、古川さん(原付所有)がものすごく一所懸命話してくれていることが伝わってきて、目頭がジューと熱くなったそのときの気持ちをぜんぶひっくるめて箱に入れておきたいんだよ!

しかしリスナーにはきのどくなことをした。(気がする、ある意味)

 *

ふくらみこそすれしぼむことのないこういう感謝の気持ちはしかし、今まさにここを読んでいるあなたにも同じように抱いているのです、もちろん!


聞き飽きたって?馬鹿だな、こっちはまだ言い足りないくらいなんだ!


注1:クレジットカードの最上位にランクする高級免罪符。通称ブラックカード。うどんが食べたくなったからといって四国までヘリを飛ばすような人々が持つらしい。

2007年11月24日土曜日

おそるべきくちびる

境内全体が雑多な飲み屋と化す、新宿花園神社の酉の市に行きました。何しろ酉の市なので、普段は歌舞伎町を大股で闊歩するブリンブリンでメイクマネーな殿方がみな一様に朗らかでたいへんよろしい。

 *

土曜日です。

土曜と言えばTBSラジオで21:30から絶賛放送中、ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフルですね。今日は小説「FREEDOM フットマークデイズ(2)」が好評発売中で、番組の構成作家もつとめる我らが古川さんの、職権乱用スペシャルなんですって。


情報量が多すぎてじぶんでも何を言ってるのかよくわからない。


ようするに小林大吾のことを番組で一瞬しゃべるからさ、ということのようなのですが、10分程度とはいえ古川さんがプロデューサーとして小林大吾のことを外に向けて語る、というのは僕にとってもすごく新鮮なシチュエーションなので、ニヤニヤしながらラジオに耳を傾けたい(「ニヤニヤしながら傍観する」というのは古川さんの得意なアクションのひとつです)。しかしだんだん他人事みたいな心持ちになってくるなあ。

僕の話はさておき、ラジオがほんとうにおもしろい、というかあの…耳を奪われすぎて何ひとつ手につかないので、逆にあんまり聞かないようにしているくらいの番組です。いちどはおためしあれ。夜のAMもよいですよ。しかし人ってこんなにしゃべれるんだ、とおもいました。おそるべきくちびるだ。

2007年11月22日木曜日

高まるはらまきの圧力

新聞の見出しに「はらまきの圧力、高まる一方」とあるのです。はらまきの圧力?

そんなにギュウギュウおなかを締めつけてどうするつもりなのか知らないけど、何しろ見出しなので、ひょっとしたら物理的な圧力じゃなくて、社会的圧力のことかもしれません。「健全たる男女はすべて、防寒性にすぐれた我が国の一大発明であるところのはらまきを常時着用し、よりいっそう腹部の保温につとめるべきである」みたいなね。ものものしくみえるけど、よく読むととてもいい話です。まあどのみちおかしなニュースではある。

いずれにしても腹巻というものはすべからく、適度なゆるさをキープしつづけるべきであるし、またそれがわたくしの切なる願いというわけなのであります。あれはだってあなた、かたちを変えた母性そのものですよ!そっと包みこんでくれる、あのゆるさにこそ慈愛を感じるのであって、故郷から遠く離れた土地で生きる昭和の男性がステテコとセットで身につけているのも、それなりの理由があってのことなのです。涙ナシには考えられない。

とおもったら「ばらまき」の見間違いでした。そうですか。政治ね。ぜんぜんおもしろくない。

しかし「ばらまき」という言葉もずいぶんやさぐれた響きがあって気持ちが良くないですね。僕が金ならばらまかれたくない。もっとやさしくしてほしい。

たとえば夜道で後ろから尾けてきた男に低い声で「ばらまかれたくなかったらおとなしくしろ」って言われたら、「何を?」なんて冷静に問い返せますか?むりでしょう?「それだけは勘弁してください」っておもうでしょう?ほとんど「殺す」と同義語ですよ!

 *

みまちがいで思い出した。



David Porter/Sweat & Love (LP)

僕これ最近までずっと「Sweet & Love」だと思っていたのです。ちょっと甘ったるい感がなくもないけれど、でもソウルですから。こってりでしっぽりも魅力の音楽ですから。アリ!アリ!とおもったらSweetじゃなくてSweatなんだよ。

汗…。

それはちょっとコッテリがすぎるのではないか。

それはとりあえず脇に置いておくとして(汗だけに)、このアルバムの白眉は B-1 Funny Money です。ヒップホップ好きには、Madlib と Talib Kweli のアルバム、"Liberation" に収められた"Funny Money" の元ネタといったらわかる?



Funny Money とはすなわち、「うさんくさいお金」のことです。今日の話にこれ以上うってつけの曲もないな。

2007年11月20日火曜日

鐘を81.3回鳴らせ

朝、マグカップを手に何気なくJ-WAVEをつけたとたんに自分の曲がしれっと流れてくれば、どうしたって飲みかけたお茶をブーと吹き出すことになるのです。もうかかることはあるまいとすっかり気を抜いていただけに、心臓にわるいことこの上ない。

感涙です。

何がうれしいと言って、こないだはJill Scottの次にかけてもらったのですね。どう考えてもたまたまなんだけれど、その流れがすごくうれしくてほくほくしていたら、今日はAngie Stoneの次で(しかも feat. マイアミの女傑Betty Wrightだ!)、気を失いそうになりました。身悶えする。

 *

しかししみじみしじみかあさりのみそしる(注1)、はじめて心底、売れてほしいとおもいました。あんまり考えたことないし、豆つぶみたいにちいさな規模ではあるけれど、それでも聴いてくれた人と輪を広げてくれた人に報いるいちばんの結果ってなんだと考えてみたら、売れること以外にないじゃないか。売れたら3枚目もつくれる!

そういうわけなので、えーととりあえず手始めに職場のラジオをぜんぶJ-WAVEにしてください。開拓者精神あふれる粋なラジオステーションです。鐘を81.3回鳴らそう。


カランカラン


注1:まったくもって感慨深いことであるなあ、というくらいの意味

2007年11月18日日曜日

古川耕という男(ダイジェスト版)


・日本語ラップご意見番(重鎮)
・アニメにもひとかどの見識アリ
・アーセナル好き
・カレー好き
・童顔
・TBSラジオの構成作家
・小説家
・原付所有
・妻帯者
・腹にあんころもちみたいな闇を隠し持っている


いちどはきちんと書きたいと思って書き始めたら、出会いからはじまってひどくドラマチックで膨大な量になってしまい、くたびれちゃったので箇条書きにしました。さんざん取り組んだあげくそれをまるごと削除するというのは、苦悩する陶芸家みたいでよいですね。数時間がちりになってしまったけれど、人生ってだいたいそういうものだ。

ともあれこれが、「詩人の刻印」のエグゼクチブプロジューサー(という名の産婆)をつとめた、古川耕のおおまかな人物像であります。その70%が知性、20%がメルヘン、のこりの10%がなんだかよくわからないもの(あんころもち含む)でできています。おおまかすぎてアレな感じもありますが、今日の記事でだいじなのはここです。

→・小説家

作者のフリーダムを奪いまくって完成に至った(本人談)という、怨念にまみれた渾身の二作目が完成しました。思春期まっただ中の少年少女には胸躍る壮大な冒険譚として、オトナには甘酸っぱい青春の呼び水として、売れるとてんぷらとかおごってもらえるかもしれないので、小林大吾の食生活向上のために、1巻とあわせてぜひぜひお買い求めください。

FREEDOM フットマークデイズ (2) 古川耕

カップヌードルのCMでおなじみ、大友克弘監修のアニメーションDVD、「FREEDOM」 のノベライズです。僕テレビをみない子なので、CMをみたことはないのですけど。あらためて考えるとものすごい大仕事してますね。

ライトノベルというと、コバルト文庫とか講談社X文庫とかフランス書院とか(まちがい)そういうのしか知らなかったので、20年ぶりくらいにライトノベルの棚をのぞいたらMF文庫とかHJ文庫とかGA文庫とかどいつもこいつも似たようなレーベルつくりやがってと辟易しながらアレコレ丹念に眺めてまわる、見ようによってはちょっと気の毒な人にも見えるわたくし。

 *

ちなみにTBSラジオで土曜日21:30から絶賛放送中、「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル(略称:タマフル)」では、途切れることなくくりだされるトークの後ろで乾いた笑い声が聞こえますが、それが古川さんです。

 *

この人がいなかったら「詩人の刻印」は100%生まれなかったというとてもだいじなことを書きたかったのだけれど、文章をずいぶん減らしてもまだ書きたいことが多すぎるのです。あんまりかまってもらえないけれど、出会えてよかったと僕が心から思える、数少ない人物のひとりとだけ、ここには記しておきます。

2007年11月16日金曜日

局所的ドーピング(または発光する糖尿病)

毛がね。

こう、あるでしょう?本来は産毛が、整えられた芝生のようにふさふさと広がる土地で1本だけピョンととびでた、協調性のかけらも感じられないアイツでございますよ。出てる杭なら打てるけど、なにしろやわらかい毛であるからして、打ってもピロンとして手ごたえもない。しかもそういうのって実社会なら明らかに100パーセント疎まれるはずなのに、ことこの毛に関しては思いのほか宿主の寵愛と手厚い庇護をうけていたりするから、解せない話です。

むろんその気持ちは僕にもわかります。僕だってさわやかな秋晴れの下、アイツがそよそよ風になびいたりするとさすがにちょっとうれしいとおもう。ういやつじゃとおもう。でもですね。ことあるごとに毛の先が眼球にふれるとなると話は別だ。

なんかもうしょっちゅう目にゴミが入るとおもったら、またおまえか!眉毛のくせに4センチ近くのびるなんて、いったいどういうわけなんだ?互いに譲らぬ押し問答をくりかえしたあげく、1年くらいまえに突如ぷつんと消息を絶ったのはおまえじゃなかったか?気がついたらどこにもいなかったじゃないか。それが何食わぬ顔で知らぬ間に再びにょきにょき伸びてきて、挨拶もなしに眼球をさわるなんて、いくらなんでもそんな失礼な話ってない。「あの、よろしいでしょうか」くらいの間を置くならまだしも、事前予告なしにピタンと眼球にふれられてごらんなさい、誰だってギャーと鳴かずにはいられますまい。だいたいうすっぺらい皮膚のどこに、こんな長い毛がかくれていたのだ。どこから伸びてきてるんだ。髪の毛と裏で手を結んでるんじゃないだろうな。つながってるのか。どの毛だ。どの毛とつながってるんだ。え?どうなんだ!裏で糸を、というか毛を引いてるのはだれなんだ!

そういうようなことをこうしてコリコリ書いている間にも、アイツはまた眼球をさわりにくるのです。セクハラじゃないのコレ?相手が眉毛だろうと、容赦はしないよ!出るとこ出るよ!

 *

そういえば昨日はいつも赤い東京タワーが青かったので、これはきっと素敵な意味がこめられているにちがいないとおもったら「世界糖尿病デー」のためですって。めでたくは…ないよな。前向きでは…あるよな。しかし込められた意味を知った今、あれを眺めてどういう気持ちになったらいいのだこれは?

 *

古書関連のちいさな目録をひたすらもくもくとつくっています。(つくらされています)(馬車馬のように、働かされています)詩人の刻印ぜんぜん関係ない。でも可愛いのができそうなので、できたらお見せしますね。8,000,000の…いくつだっけ?ほぼ1日限定の配布なので、手に入れるのはむずかしいかもしれないけれど。

 *

どうでもいい話ばっかり。

2007年11月13日火曜日

声のタギング、耳をすますグラフィティ


意気込んで出かけていったら次が最終号ですという(あれ?)TOKYO READING PRESS の企画で、山崎円城さんと対談させてもらいました。対談ていうか好き勝手しゃべくってただけですが、しかし正直なところ、僕も山崎さんもポエトリーシーンの動向をまるでわかっちゃいないので、意に沿うお話ができたかどうかはひじょうに疑わしい。あと、今思い返すと質問をずいぶん曲げて答えていた気がする。わざとじゃないんだけど。(Bygones!)

ところで山崎円城さんというのはF.I.B JOURNALというバンドで超ドープなジャズ/ブルースを下敷きにリーディングをする、独特のスタイルをお持ちの才人です。これはでもあくまでバンドのヴォーカルという位置づけであって、お話しするかぎりでは詩人というよりはたぶんミュージシャンと呼ぶほうがよりしっくりくるとおもう。てくてくと柵の内側で闊歩していたとおもったら次の瞬間には数キロ先の路上で昼寝しているような、音に対する言葉の置き方、ステップが緩急自在で惹きつけられるものがあります。押韻や反復という制約が魅力のひとつでもあるラップとも、制約と言える制約がほぼゼロに近いリーディングともちがう…というと僕だってまあその範疇に入りそうだし、どのみち異端である点は同じだけども、僕はまだあんなふうに言葉で自在なステップを踏むことはできないです。歌詞のほとんどすべてが英語、ということもあるかもしれない。それにじぶんの声を楽器と見なしているみたいなので、パンチラインとかフレーズみたいな言葉それ自体よりは、声のタギングとでもいうような「行為」に重きを置いている感があります。だから耳に残るのも線ではなく点です。じっさいタギングが原点と言っていたから、それがそのまま別の輪郭を伴っただけなのですね。そんな歩みかたもあるんだ!

それにしてもCDで聴くドスのきいた太い声とは真逆の、ホットミルクみたいにまろやかな物腰と人懐っこい笑顔が素敵で、ホントに同一人物かどうか未だに確信が持てないくらいのギャップにびっくりです。あんな大人になりたかったけれど、さすがにちょっともう無理だな。

対談が終わったその日のうちに丁寧なメールをいただいて、あわてました。僕はぼんやりしすぎていつも礼を失する。

TOKYO READING PRESSの村田さん、呼んでくれてどうもありがとう。たのしかった!

で、肝心の対談が掲載されるTOKYO READING PRESSの最新号がいつ発行されるかというと、僕も知らないのです。ききそびれた。

2007年11月11日日曜日

15年前に消えた船長の行方



15年くらい前に描いたもののようです。身辺整理をしていたら出てきたのだけれど、よく見たらこれ前回の記事とつながってていいですね。何をどうするとこんなことを考えつくのか、われながらさっぱりわからない。

でも「1/8,000,000」と「詩人の刻印」、どっちがよりルーツに近いか、これでよくわかります。僕は基本的に物持ちがあんまり良くないので、じぶんにとっても貴重です。へー!と他人事みたいにおもう。なんかあんまり変わってない気もする。

ちなみに渋谷の異端古書店Flying Booksの店主は、中学のときに買った変速ギアつき自転車(流行りましたね)で今もばりばり通勤している、ひじょうに物持ちの良い男です。リュックしょってキャップを後ろにかぶり、小学生みたくさわやかにチャリをこいで帰る店主の後ろ姿をみると、イラッとくるものがあるのはなぜだろう。

2007年11月8日木曜日

しずかな船出、夜夜中の航路

プカプカドンドン。100円を拾いました。お金を拾ったこと以上に、いつもつれない運命の女神(ツンデレ)がうっかり浮かべた微笑を目にしたようで、うれしいというか胸キュンというか単細胞でごめんなさい。

葉っぱの色づく、おだやかな季節になってきましたね。気持ちのよい秋晴れがつづいて、今日もねむたい。

毎回ここの、右上にぽこっと載せる写真になやむのです。なくてもいいけど、あるとホラ、画面が華やかになるでしょう?なんだっていいから撮りゃいいようなものだけれど、デジカメは持ってないし、わかってます、みんなケータイで撮ってるんでしょ。でもね、僕のケータイはアンテナという太古の部品がついていてですね、指でピヨンて伸ばすあの…え、なに今のケータイってアンテナついてないの?マジで?ちょ、みせて、うわっホントだ!ねえねえ(他の人のところへ行く)、ケータイさ、あっこっちもない!ていうか、え?みんなついてないじゃないか!イヤー!恥ずかしい!おじちゃん恥ずかしい!

アンテナ関係ないじゃないとお思いですか、つまりそれくらい古いということはですね、写真を撮ってもメールで送信できるのはサムネイルだけなのです。せっかくみんなが写真を送ってくれても、自動的にサムネイルにされてしまうので、ちっこくて結局何だかよくわからないことが多い。だって、親指の爪ですよ。ちっこすぎる。

そういうわけなので今日は画像はありません。僕がいちばんしょんぼりです。さみしい。あとで貼りつけるかもしれないですけれど。それよりとっとと更新したほうがいいに決まってら。

 *

それはそうと、きのうは発売日でした。めでたい!もともとドカンと広がるタイプのモノでもないので、なんというか、ゆったりとした新たな船出です。なかなか乗り心地の良い快適な船がつくれたとおもうんだけれど、みんな乗ってくれるかしら。2年半も前につくった小船も、転覆せずにいまだゆらゆらと大海原を漂っているようです。すごいな!

待っていてくれた人、聴いてくれた人、買ってくれた人、ありがとう。ひとりではいくら手を伸ばしても届かなかった距離が、あなたと手をつなぐことで届くようになりました。

詩人の刻印から船に乗った人も、イカダとみまがう小船から乗ってくれている人も、またもうしばらく、お付き合いくださいませ。ありがとう。

じゃ、参りましょうか。船長はどこだ?

2007年11月6日火曜日

電波と鼻水


風邪をひいたもようです。

どうもきのう、何かちがうことを書こうとしていた気がしていたのです。だいじなことをけむに巻いているつもりはないけれど、僕自身がけむに巻かれていてどうにもならない。鼻をかむと記憶が鼻水といっしょに出てっちゃうんだから、しかたないよな。

7日の昼、SHIBUYA-FM (78.4MHz)にでます。ラジオです。へー!
SHIBUYA VILLAGE VOICE  11:00〜12:00

何をしゃべるのかとか、詳細を僕は一切知りません。レーベルオーナーから聞いたのかもしれないけれど、例によってすっぽり忘れています。覚えているのは、シブヤエフエムに出る、ということだけです。

たぶん、というかほぼ100パーセント、詩人の刻印のプロモということだとは思うのだけれど、何せ「生活情報番組」と銘打たれているので、そのへんは甚だ心もとないものがあります。生活情報番組

Q. すきな家事はなんですか?
A. 掃除です。

しかしこういうの、ブログっぽくていいですね。これだ!僕が求めていたものはこれだ!あれこれ忘れてる場合じゃないな。風邪をひいてる場合でもない。

2007年11月5日月曜日

よりによってなぜこのオランダ語が


さて、おのおのがた、肝に命じておりましょうな、いよいよ明日は発売日であるからして、ひまつぶしにここをななめ読みする御仁はつとめて背筋をのばし、まだお持ちでないならば小銭をひいふうと数え、詩人の刻印がありそうなところへ駆けつけて「1枚ください」と注文するここが天下分け目の

明後日だった!

まあそういうわけなので、明日ではありません。書いてるとちゅうまで明日だとおもってました。発売は7日、水曜日です。

ところでもう2週間ちかくも前の話なので、僕自身すっかりわすれておりましたが、「年賀状キャンペーン」が明日まで有効です。さすがにもう来ないかとおもっていたら、駆けこみでいくつかやってきたので、消さないでいてよかった。

あたたかいメールをくれたひと、ありがとう!ちゃんと送ります。正月を待て!

 *

わかっております、毎度毎度役に立たない長文を書き散らして、だいじなことはけむにまく、いや何をおっしゃる、今日は冬に役立つすてきな知識をさくっとお教えしましょう。

日に日にさむさが増し、秋から冬へと季節深まりゆく今日このごろ、わたくしも先日はやばやと鍋をごちそうになり、心と体を芯からあたためてもらったのですけれど、鍋といえばポン酢です。

しかし、いいですか、「ポン酢」ってアレじつは、日本語ではないんですって。

えー!

あれはオランダ語で「柑橘類」を意味するponsが転じた外来語であって、「ぽん」という何かちょっとこう、丸いんだろうなたぶん、とそれまでぼんやり想像していた得体の知れないものの存在を、全否定するくらいはっきりとした意味があったのです。

そこから派生した単語は他に、「ポンジュース」「フルーツポンチ」などがあります。長年ばらばらに首をかしげていた、いくつかのちいさな謎がシンプルな1本の線で結ばれるこの驚き!

なんでまたこんなに浸透してるんだこのオランダ語は?

2007年11月2日金曜日

アラ、あなた初めて?


店舗ディスプレイ用のPOPをこりこり書いています。1枚1枚、ぜんぶちがうことを書こう!とおもったらすごくたいへんで、なんでかおなかが空いてきました。それでなくともPOPはどれも商品の魅力をだいたい100割増しくらいで書くものだし、「天才」とか「衝撃」とか「金字塔」とか「くそヤバい」とか「オリジナル」とか考えうるかぎりすべての賛辞(?)が石ころみたいにごろごろ転がっているので、なるべく石ころの中に紙くずを置くような文言を書きたいのです。おかげで良くも悪くもいびつなものがいろいろできました。のこるはあと半分…。使ってもらえるといいなあ。

でもたのしい。こういうコミュニケーションて、なかなかとれないですよね。

あなたの町で見かけたら、微笑んであげてください。思っていたよりわりとあちこちに、届けられる予定です。

しかし…コレくだらないこと書いたなあ…ダメ出しされませんように。

2007年10月31日水曜日

うれしい誤算のための計算法


「明日はうれしい誤算があるでしょう」と前日の夕刊にあったので、他の多くの人たちの例にもれず、わくわくしながら待ちかまえているうちに、翌日0時の鐘が鳴ってしまった(うちは振り子時計なのです)ときの一抹のさみしさはあれ、どうしたらよいのですか?シンデレラならまさにこの後にこそうれしい誤算が待っているわけだけど、もう大人だし、服をたたむようにして気持ちをそっと隅へ追いやり、歯でも磨いて寝るほかない。晴らすほどの鬱憤でもなく、出そうで出ないため息とともに、ただなんとなくがっかりして眠らなくてはいけないのは濡れた犬みたいでなんだかかなしい。何ひとつ失ったわけではないのに、どうしてこんな思いをしなくちゃいけないんだ?

そうして布団にくるまって目をとじてから、待てよと気づいてまたぱちりと開くのです。誤算というからにはとにかくあらかじめ何事かについて計算していなくてはいけなかったのではないか?計算もしていないのに誤算を期待するなんて、宝くじを買ってもいないのに3億円を期待するようなものなのではないか?

不覚であった。
計算というのは、たとえばこういうことです。

・食パンをくわえた女子高生とぶつかって恋を育むために、曲がり角にきたら全力疾走する

それに対して、誤算がこれです。

・車にひかれる

さらにそこへ「うれしい」が加わると

・打ちどころが良くてフォースに目覚める

あるいは

1. 空き巣に入る
2. 家主に見つかる
3. フォースに目覚める

まあ何にせよ、「うれしい誤算」というのはいくつかのハードルをクリアして初めて得られる、非常にめんどくさい幸運であることがわかります。すくなくとも、朝からわくわくしながら待ちかまえる類の幸運でないことは確かです。ドンと派手に車にはねられるとなると、仮にそのあとジェダイマスターへの道を確約されてもさすがにちょっと二の足をふむ。ふむでしょう?肉を斬らせて骨を断つようなものじゃないか。

深手を負ってまで断ちたい骨もべつにないし、なんか賢くなった気がするから、もういいや。

しかしあらためて「うれしい誤算てどういうこと?」と問われたときにパッと答えられる適切な例が意外と思い浮かばないですね。浮かびますか?

わかりやすい「うれしい誤算」を探してこよう。これでしばらくは有意義な時間をすごせる気がする。

2007年10月29日月曜日

新譜の7インチに空いた穴と、リトルカブのウィンカー位置


こりこり書いてるうちにおじいちゃんの話みたく長くなってしまったので、先にお茶を用意してください。やりすぎた。

 *

September Jones の7インチ2枚組(正規リイシュー)を買いました。

生涯にたった4曲しか残さなかったシンガーの、言わばこれがすべてという貴重な音源です。しかもそのうち2曲はアセテート盤でしか確認されていない未発表曲なので、絶滅危惧種(しかもIA類)の繁殖に成功したという意味ではやっぱり、手をぱちぱち叩いてよろこぶべき事件と言えましょう。ちなみにアセテート盤というのは、今でいうマスタリング前に使われるチェックディスクというか、ラベルも手書きの、要はデモテイクです。何しろ用途からして数枚しかつくられないものだし、劣化が早いので、そこにしか残されていないとなると、一歩まちがえれば高松塚古墳の極彩色壁画的惨事をまねくことになる。たいへんだ!

でも僕は若いのでそんなこと知らない。生きものにしても文化にしても、やむなく絶えることそれ自体にも僕は肯んずるものがあるし、ただすてきな録音に耳を傾けることのできるよろこび以上に必要なものなんて、考えてみたらそんなにない。針を落とせる幸運がすべてです。ありがたいことだとシンプルにおもう。ピクチャースリーヴも可愛い。




ところで、7インチには通常、LPよりもはるかに大きな穴が空いています。ドーナツと呼ばれるゆえんです。なので、レコードプレイヤーにのせるときは、専用のアダプタを用意しなくてはいけません。なんでまたわざわざ穴の大きさを変えなくちゃいけないかというと、これ本来はジュークボックスにセットするための穴だったのですよね。

でもこれ、新譜なんですよ。ふつうに暮らしていたらジュークボックスで音楽を聴く機会なんてほぼゼロなのに、今もって同じ仕様でつくられているというのは、考えようによっては奇妙なことです。ありそうな理由を挙げていくとそう奇妙でもないんだけど、そうせざるを得ないいろいろな事情があるにせよ、すくなくともそれが元々の意味や理由とはまったく別の話であることはまちがいない。だってジュークボックスないんだもの。でしょう?にわとりの羽や、リトルカブのウィンカー位置とおなじで、名残りにちかい。

スクーターにのったことのある人はわかるとおもうけれど、ウィンカーの切り替えスイッチって通常左についているでしょう?右手はアクセル、左手はウィンカー。理にかなってますね。ところがカブの場合は、それがどちらも同じ右側にあるのです。しかもご丁寧にウィンカーの切り替えがわざわざアクセルと同じ縦方向につくられている(↑↓)。左右を切り替えるんだから、横のほうが自然だし、だからもちろん、スクーターは横方向です(← →)。ということは、右への設置が不自然であることを認識しながら、切り替え方向を縦にしてまで、ふたつの動作を同時に右手でこなす必要性があったことになる。なんで?とおもってバイク屋さんにきいたら、「カブって出前に使われることが多いでしょ。片手が空いてたほうが便利だったんですよ。昔はとくに」というのです。ポン(ひざをたたく)。なるほどね!しかしべつに「出前専用」ってわけでもないのに、そうとう固定された需要にこたえてまるごと仕様を変えちゃうって、ちょっとすごいですね。粋なことをするものだ。

でも僕がのっている「水駒」は、リトルカブです。カブの長所をそのままに、娯楽性を高めてリメイクしたシリーズなのだから、かつてはそれなりの理由があったとはいえ、ウィンカー位置まで受け継ぐ必要はぜんぜんないのです。理由はあっても必要はない。

物語というのは往々にして、こういうところから生まれるのだと僕はいつもおもう。なぜだろう?という疑問を挿しこむ余地があり、かつその答えがきちんと用意されているとき、それは規模の大小にかかわらずひとつの歴史を語る種になりうるのだ。7インチの穴みたいに本来とはちがう理由がくっつくこともあれば、ニワトリの羽みたいにただ残っちゃっただけのものもあるけれど、点として今のこるものの裏に過去へとつづく1本の細い線がのびているのをみることほど、刺激的な体験もない。ないですよ!こういうのを物語と呼ばずになんと呼ぼう。これだけおもしろい話が、日常にも無造作にポロポロところがっているのだから、それらを生きている間にぜんぶ拾いきるにはまったく、どうしたらいいんだろう。長生きしたくなってくる。

あとできればいいかげんブログを簡潔にしたい。

それでなくともブログじゃないね、もう、と人に言われてヘコんでいるのです。だって「今日はどこどこで何をしたよ」なんて、知らないよそんなの、ってじぶんでも思うんだもの!

2007年10月27日土曜日

試聴しちゃうシチュエーション


いくら何でもそこまで馬鹿ではないと自負していたのにもかかわらず、とうとう、パンケーキを焼いてくれる可愛いアンドロイドの夢をみてしまった。

可愛かった…。

 *

「詩人の刻印」全曲試聴できます!
唐突ですね。
http://www.wildpinocchio.com/

ほんのちょっとずつでもうしわけないです。でもこれでアルバムの雰囲気と全体像はつかんでもらえるのではなかろうか。もともと、このブログで紹介したレコードの曲とか貼り付けられたらいいのになーと考えていただけなのだけれど、そんなことができるなら先にやることあるだろうと気づいたのが昨日で、あわててこしらえました。

imeemなので、ここにも貼っとこう。トラックリスト等は上記のURLを参考にしてください。

2007年10月24日水曜日

紙切れ的ピーターパンの十三夜


十五夜に中秋の名月を堪能してしまった以上、十三夜は考えうるかぎりすべてのものに優先し、磐石の態勢で月見に臨まなければならないというので、とるものもとりあえず大慌てでチャイをくつくつ煮出したのが、23日から24日へと移るギリギリ30ぷん前でした。どちらかひと晩しか月見をしなかった場合、それは「片月見」と言ってきらわれ、災いが向こうからテクテク歩いてくるおおきな原因のひとつになると聞かされたら、閻魔さまだって地獄の営業時間をはやめに切り上げて外に出ようというものだ。月見にそんなおそろしい謂われがあるとはまったく迂闊であった。

しかし実母の誕生日をほったらかすくらいはよいとしても(過日参照)、生き馬の目を抜く社会でサヴァイヴしつづける大人にはそれぞれ、のっぴきならない事情というものがあります。たとえ災いが真夏のスコールみたいに容赦なく降り注いでくるとわかっていても、じっさいにはすべてに優先して月見に没頭することはなかなか叶わない。現実を生きる僕らは、ピーターパンが薄っぺらい紙切れでしかないことを、頭に叩きこんでおく必要があるのだ。(さらに言うなら、それでもなお、「でももしいたらヤバいな」とどきどきするのが正しい大人のありかたです)

だからたとえば、外出していてしばらく地球に帰れない、というような場合は月見ができなくてもしかたないと僕もおもう。古来からの風習に、そこまでの拘束力はありません。しかしセリヌンティウスが待っているとかメロスみたいな言い訳はだめです。また、オークションの終了時刻が迫っていて、しかもまだ入札していない場合もしかたありません。そのきもちは痛いほどわかる。逃がす魚はいつだってじっさいより大きい。それ以外はみな死ぬ気で月見に挑んでください。

そうこうしている間にこくこくと時間はすぎていくので、チャイを大きなマグカップに注ぎ、どたどたと屋上へ向かってみれば、「十三夜に曇りなし」と言われるとおりの見事な月であった。天晴れ!夜に天晴れが似合うかどうかはともかく、満月だけが月ではないのだ。

2007年10月23日火曜日

そして 日曜日のこと


ともあれ、ひさしぶりに雲ひとつない秋晴れに恵まれた日曜日の「詩人の刻印」リリパはぶじ終了しました。足を運んでくれたひと、ほんとうにどうもありがとう!あれほどうれしい時間をすごしたのは、生まれて初めてです。これほど大きなよろこびにふれたことがないので、どう整理してよいかちっともわからなくて困っています。ばかでかい岩にゴロゴロ追っかけられて、洞窟のなかを逃げまどうインディ・ジョーンズみたいなきぶんだ。

なんて言ったらいいんだろう?感謝のきもちを伝えるのに、「ありがとう」しか言えないなんて、くそ、ずいぶん不自由なことだなあとおもいます。ウィンドウズじゃないんだから、他に選択肢はないのかね、サカナダくん。君の言葉はいつもありきたりなんだよ。もっとこう、ゴーン!ときてシュワ〜っとしてモクモクな感謝を、一言であらわすことはできんのかね。すみません。

すくなくとも発売より2週間以上も前なのにもかかわらず、日曜日に来てくれたひとは僕にとってとくべつな存在です。それで、えーと何かとくべつなしるしを贈りたい、と一晩考えて、ひざをポンとうちました。

このブログをみていて、日曜日も来てくれた人に、年賀状を送ります。


「1/8,000,000」から数えて、今回の「詩人の刻印」は「4」、そのブックレットが「5」と数字がふられているのだけれど、じつは「3」が、個人的な年賀状でした。上の画像が、去年とおととしのものです。こんなのでもイイ!と思ってくれる風変わりなひとだけ、メールください。

11月7日、アルバムの発売日くらいまで有効です。もうこないな、と判断できそうな時点で、アドレスは削除するとおもいます。(注:アドレスは削除しています)

いるかどうかわからないけれど、リリパに来れなかったけど欲しいというひとがいる場合は、ムール貝博士へのラブレター(僕宛じゃないですよ)をくっつけてくれれば受け付けます。だいぶ狂った感じで書いてください。

ほんとにどうもありがとう。そういうことが可能なのかどうかわからないけれど、たとえばそのうち、アルバムとか曲のこととかとは別に、「秋の空は高くていいですね」みたいなどうでもいいような話ができるくらい、距離がちぢまったらいいなあとおもいます。

明日も晴れますように。

2007年10月22日月曜日

ムール貝博士の贈りもの


ムール貝博士がオバアチャンを3個送ってきました。数え方からしてまず間違っています。何がどうなっているのかさっぱりだけれど、ずいぶん安い。レシートまで送ってくんなよともおもう。

しかしいくら知識と経験が豊富な人生の練達であり、この先を生きる上で心強い道しるべになってくれるとはいえ、3つというのはさすがに多いような気もするけれど、そうでもないんだろうか?

ちがうちがう!
こんなことよりだいじなことを書くのであった。
あとでまた更新します。

2007年10月19日金曜日

「1/8,000,000」、ふたたび


すでに発売から2年以上もの月日が流れているにもかかわらず、いまだ雨垂れのようにポツポツとオーダーが来ているというふしぎなアルバム、「1/8,000,000」ですけれど、ほんとに手元にブツがなくなってきてしまったので、再プレスすることになりました。まじで!?

ただし、特殊すぎるジャケットの枚数にじつは限りがあるので、今回がほんとうに最後のプレスになります。紙がないのでやりたくてもできないのです。だいたい再プレスなんて、つくった当人を筆頭にだれひとりとして予想してなかったし、できることじたいが驚きです。もともとプレス数が少ないというゴリッとした現実もあるけれど、レーベルが抱いていた当初の期待をちょっと上回ったという点では、それなりに意味のある話と言えましょう。出荷されたのち、水面下での動きがちっとも読めないので関係者一同、しきりに首をひねっております。ベランダにぶら下げると他のCDにくらべてカラスの撃退率が高いとかそういうことじゃないだろうな。のどかな郊外の団地でおばちゃんたちの噂になってるとしたら…「知ってる?すっごい効くわよ、アレ」…それはそれでやっぱりちょっとおもしろいのでしかたないな。

それでまあ、せっかくだから盤面の色、変えようぜ!というわりと安直な思いつきで、色を変えました。それが今日の画像です。

あっ何気にこっちのほうがかわいい。

とそういえばこないだバス停でエムズワース卿が言ってました。失言にもほどがある。

ともあれ、開けてみないとどっちだかわからないし、すでに持っている人の目にする機会がほとんどないのは残念な気もするけれど、でも見かけたらきっといいことあるよ!手に入れるひとつの方法としては、ともだちにがんがんすすめて、もし当たりが出たらうまいこと言ってだまし取るという非常につましいやりかたがありますが、そこまでするほどのものでもないよな。何にせよ、うれしいことです。

ありがとう。

ていうかあれからもう2年もたつのか…もしヒゲのばしてたら何センチくらいになってるんだろうな…三つ編みとか…

2007年10月17日水曜日

電気的乳母の必要性


花鳥風月と入力したはずなのに、画面には課長風でゲスと表示されているのです。そうでゲスかと言うほかない。課長風ってことは係長なのかもしれません。窓の外を見つめる彼の後ろ姿が思い浮かびます。薄くなった髪が風にそよいで哀しい。ゲスとはこの場合語尾であって断じて下衆ではないと断っておきたい。

 *

気がつくとわりとこまめにしょこたん☆ぶろぐをチェックしているのだけれど(何せ更新頻度が異常に高い)、ブックマークすべきか否かで毎回1分くらい悩んでやめてしまうのです。いくじなし!好きなら好きって言っちゃえばいいのに!

でも言えない!

 *

人生という名のサバイバルゲームから負傷により戦線を離脱することとなった電子レンジ三等兵(性格温厚)。何度コンセントをさしてもそのたびブレーカーがばちんと落ちるため、こりゃ漏電ですよと診断されたわけですが、何しろこいつときたら、僕が17のころから毎日のようにせっせと食べものを温めてくれていた、ある意味乳母ともいうべき存在だったので、そのかなしみは言葉に尽くせないものがあるのです。足かけ13年という時間はいかにも長い。赤ん坊なら万引きを覚える年頃だし、蝿なら260回もの世代交代を重ねる年月です。

たしかに晩年は皿を入れるとばちばち火花がとぶこともあったけれど、それだって愛嬌だとおもえばなんてことはなく、むしろ何事もなくあたためが終わると「どうした?元気ないな」と心配になるくらいのものでした。来るべくして来た別れのときには、かける言葉もありはしません。

それはそれとしてしかし問題は、保存用としてかちんこちんに凍らされたもろもろの食物であって、主にこれらを解凍するのがレンジの役目であったことを考えれば、早急に対策を練る必要があるのは明々白々です。おなかをすかした緊急対策本部が無人の記者会見で発表した対応策は以下のとおり。

ごはん→せいろで蒸す
肉→基本自然解凍、ただし水につけると30分くらいで使える(挽き肉はもっと早い)
ハッシュドポテト(好物)→魚用グリルの直火で炙る

ハッシュドポテトにいたっては、グリルのほうが全然早いし、しかもよっぽどかりかりでおいしくなることがわかって心もイモもほくほくです。やったね!

あれ?

とするとなぜ電子レンジをあそこまで重宝して、かつその死を悲しまなければならなかったのか?たしかに1分で済んでいたことが今は10分かかったりするけれど、そのくらいの時間を惜しむようなせっかちな暮らしはしたくないし、かえってちょうどいいような気もする。電磁調理器しかない部屋に住んでいたときは、お湯ひとつ沸かすのにもひどく時間がかかるから、フンフン歌いながら気長に待ってたじゃないか。

そもそも僕はひとり暮らしをはじめてから、数年間はごはんを炊飯器ではなくて、文化鍋を火にかけてコトコト炊いていたのです。人にもらって炊飯器がウチにきたとき、タイマー機能に軽いカルチャーショックを受けたこともまだ記憶に新しい(朝起きたら炊けてるなんてずるい!とさえ思った)。あればそりゃ便利ですけども、なければないでなんとかなる、それはたしか僕の座右の銘ではなかったか。不足とはこれすなわちクリエイティビティの母であります。となれば…

もうレンジいらない。

と縁切りを心に決めたそのとたん、それまでついぞ目立たなかったホーローの保存容器が、あいつあんなに美人だったっけ?みたいな展開で俄然そのかがやきを増してくることになるのです!冷凍したまま火にかけられるたァ驚きじゃねェか!次週!「白くて冷たい粋なヤツ!レンジ離れは加速する!」の巻!刮目して待て!パッパパパラ〜

2007年10月15日月曜日

空焚き、あるいは裁判における石川五エ門 VS こんにゃく


まいにち気圧が低くて困ります。空腹と低気圧は、僕の機嫌を劇的に悪化させる二大要因らしいのだけれど(自覚がないのです)、後者はそれに加えて伸びきったゴムみたいにやる気までなくなるから始末におえません。こうなるともうしかたがないからひたすらじっとして、ぶ厚い雨雲に長い棒をつっこんでぐるぐるかき回したら晴れるだろうかとか、がんばるガンバリ事務総長特別顧問のこととか、まあだいたいそんなことばっかり考えています。伸びきったゴムしかない世界だったらイチロー的な立ち位置でスター街道まっしぐらだろうに、そう考えるとなんだかもったいない。あるいは太陽発電みたいにこのやる気のなさをエネルギーに変換できたら、ずいぶん環境に貢献できるのにともおもう。そうしてありもしない敵に歯ぎしりするような、不毛にして非生産的な行為をこりずくり返すうちに、ふかぶかと日は暮れてゆくのです。僕の辞書ではこれを「空焚き」と呼びます。暮れるも何も、日なんか出てない!といってまた腹を立てたりね。

しかしひとびとが輝ける未来を見据えてせっせと汗水たらしているなか、あほみたいに空焚きばかりしているのもさすがに気が引けるので、よしここはひとつアルバム発売に向けて何かしら実のあることをしようと立ち上がってふと足元をみると、あらすてきな装丁の本がある。ちょっとこれいい風合いじゃないの、貸してちょうだい。(拾う)おや昭和26年初版?この時代の装丁ってほんとたまらないものがあるのよねぇ(ためいき)。物思う秋、深まるアンニュイなムードに包まれながら、知の泉に素足をひたす乙女はひとりこう、ページをめくる…。するとそこへ通りがかった精悍な顔つきの青年が思わず声をかけて…「奇遇だな、その本なら僕もちょうど今…」キャー!やーねぇ。あらあら、ふむふむ(読む)。おせんべいまだあったかしらね?

(ばりばり)
(もぐもぐ)

チャタレイ夫人の恋人 公判ノート

小説のくせに一部が伏せ字になって発売されるというある意味ミもフタもない結末を招いたチャタレイ裁判、その公判の全容を余すところなく収めた速記録ですね。非常に高度な知性の応酬でもって縦横無尽に語り尽くしながら、けっきょくのところその論点は「これちょっとエッチすぎるんじゃないの」というところに落ち着く、そのおそるべき落差に慄然とする一冊です。石川五エ門 VS こんにゃくの対決を見ているようで、いたたまれない。何が五エ門で何がこんにゃくか、視点によって切り替わるあたり、しみじみ奥の深い話だとおもう。体裁とか形式だけ見たらほんとうに無味乾燥な公判記録でしかないはずなのに、もっとも重要な部分イコールもっとも口に出すのがはばかられる部分、というジレンマに彩られた意見陳述と証言が、スリル満点でひきこまれます。おもしろい!下された判決も今からするとやっぱり意外だし、シニカルです。

こんなの問題にならないよ、と言い切れる今の感覚を当たり前と感じているのなら、腹を抱えて笑ってもおかしくはない。じっさい記録のなかにも(場内失笑)みたいな但し書きがあったりするくらいなので、鹿爪らしい顔をして読むのもへんな話です。でもいっぽうで笑えるその根拠ってなんだろう、ともふと思うのです。考えかたが古いと言ってしまえばそれまでだけれど、新しいというのは今までになかったというただそれだけのことでしかないし、50年後には僕らが笑われる番なのかもしれないのだ。

 *

ちなみにこの本を手に取ったのは例によってフライングブックスですが、手に取るそばでなぜかテレビカメラが回っておりました。というか、撮りながら「なんか手に取ってください」って言われて取ったのがこの本だったのです。たまたまとはいえ、いい本と出会えてよかった。

流派Rに出るらしいぜ!

だいじょうぶ、たしかにここは、笑うところです。
それこそいたたまれなくて、僕ァとてもじゃないが観られません。

2007年10月13日土曜日

Bygones!


電子レンジが漏電で逝去されました。

ウチの人が車にはねられました。

水駒(バイク)が全快しました。そしたら自賠責が切れてました。

ポイントカードが6点たまったので、いそいそと府中まで違反者講習をうけてきました。社会におけるクリーンな生きかたを学ぶというのは、いくつになってもすがすがしいことです。キスマイアス。

すぎたことはしかたないのだ。そうじぶんに言い聞かせて池袋に帰ってきたら、今度は駅前に停めた自転車がない。一応こう、さりげなく何度も往復してみても、ない。もしや色も形もちがうこのマウンテンバイクがかつてウチのママチャリだった子なのでは…といったウルトラC的可能性も考えるだけむなしいと知りながらあえて考えて、やっぱりない。うすっぺらい不運というのはことほどさように、ミルフィーユのごとく幾重にもかさなるものなのであります。ぜんぶ金がかかることばっかりじゃないか!明日は知らない子に「お父さん」とか呼ばれて養育費せびられたりするんじゃないだろうな。そういえばそれとは別にちょうど今、不運というか口には出せないわりと大きな不幸もひとつ、子泣きジジイみたいにどっかりとのしかかってきているのだった。こういうタイミングって何なのかよくわからないけど、フォークで刺して丸呑みしてやりたい。

それにしても社会の正義ってどうしてときどき悪意に満ちた顔で迫ってくるように見えるんだろう。じっさいにはどの角度から見てもそこに悪意はないし、僕はそれに異論をはさむものではないけれど、でも正しいからってそれがぜんぶ善であるとは限らない。すくなくとも僕のなかでそれはぜんぜん別の問題なんだ。

まあいいや(←偉大な一言)。"Bygones!" ってリチャード・フィッシュならたぶん言うだろう。

2007年10月11日木曜日

シルヴィア・スミスのはひれ狩り


尾ひれはわかるけど、はひれって何だ、と言ってともだちがはひれを探しに行ってしまったので、しかたなくひとりでせっせとおちゃらかホイに励んでいます。秋はさみしさが募るばかりです。

まったく、はひれなんかどこにもありゃしないんだ。

 *

おいそれとは解くことのできない深遠な謎とは、たいていの場合、町を歩くサラリーマンみたいに風景と溶け込んで目立たないものです。いったん気づくとその違和感が気になって仕方ないのに、他の人にとってはただのサラリーマンにしかみえないので、ねえ、ちょっとホラ!みてアレ!ねえ、といくら注意を促してもまじめに受け取ってもらえないことがままあります。ちっちゃいことでいちいち騒ぐな、という向きもありましょうが、あいにくこっちはいちいち騒ぎたいのだ。

これは子どもがヘンな虫を見つけたからといってわざわざその死骸を持ってくる行為にすごく似ている気がするし、だとすれば「ハイハイ」とかるくあしらいたくなる気持ちもわからなくはない。しかし森羅万象をなんでもかんでも当たり前ととらえることほどつまらないことってないと僕はつよくおもう。どれだけまわりに肩をすくめられようと、そこに行く理由があると思うのなら、はひれを探して旅に出るのもいいじゃないか。

なあワトソン君。

(まったくです)

そうだ、(パチン)
ワトソン君、あれを。

Sylvia Smith / Woman Of The World

今日の画像が、つまりこれです。可愛いですね…(ためいき)。シンプルだけれどツボを押さえて華やかなファッション、自信にあふれてキュートなポーズ、セクシーでいて愛嬌のある表情、それをくっきりと浮かび上がらせるための単色背景。ばちん!と貼り付けたような堂々たるロゴが爽快です。こんなのCDサイズで眺めたってちっともキュンキュンこない!力づよく見開いて揺るがないまなざしは、計算高さというよりも理知的な精神を感じさせるし、男性に対してと同じように女性にもアピールするものがあるはずです。だってこんなに可愛いんだ!

そんなこまごまとしたあれこれを全部ひっくるめた、得も言われぬ愛くるしさを演出するとてもだいじな一要素でありながら、正体のまったくわからないカラフルな「はひれ的」物体が、これだ。


…なんだこれ?

実用品なのかどうかもよくわからない。すくなくとも食べものではないように見えるけど、それさえそう見えるというだけで断言できないありさまです。台所と居間を仕切る暖簾?てこんなのがいっぱい並んでたりしますね。よくみるとかすかにブレている気もするので、ブンブン振り回してたのかもしれない。でもそうなるとよけいに何だかわからない。仮にブンブン振り回すことがたしかだと判明したとして、それが何なのだ。

まあ、いいや。もう。

こないだ紹介したAnn Peeblesみたいに名盤と謳われるものではないけれど、これはほんとうに、声もクールな良質のレディソウルです。日本人ならみんな大好き、David T. Walker も参加しています。と言うとオッと振り向く人もいるかもしれないですね。でもたぶん、いなくてもこのアルバムの魅力はちっとも減りません。えらいのはシルヴィアなの!

シルヴィアといえばシュガーヒルの大姉御、シルヴィア・ロビンソンだし、そっちはそっちで大好きなのだけれど、いっぽうでシルヴィアと言われて僕の頭にパッとイメージが浮かぶのは、シルヴィア・スミスなのです。なんかもんくあるか。

裏面も可愛い。


 *

そういえば電話をかけようとおもっていたのだ。
「もしもし、ムール貝博士ですか。はひれって何ですか」

「さよう、はひれは、たしかに、ブージャムだったのだ」

2007年10月9日火曜日

鮭桃色のパンダイズム


パンダのことを考えています。

進化生物学におけるダーウィニズム、わけても自然選択(natural selection)という考えかたには、性選択というもうひとつのベクトルがあって、これは生物の一見すると不要とも思える身体的特徴が、メスの気を引くために時としてえらく大仰になるというものだけれど、考えようによってはどんなおかしな特徴もこれひとつで大体納得できてしまうとてもべんりな理論です。たとえば、孔雀の羽根とか、鹿の角とか、おっさんのヒゲとか、そういうものですね。じっさいには、天敵に見つかりやすくなるというじつにもっともなリスクを背負っているので(ビンラディンのヒゲもその一例です)、そんな簡単な話ではないにしても、さきいかをむしゃむしゃやりながらしゃべくるぶんには、これくらいの大雑把なとらえかたでとりあえず問題はありません。

でもパンダってオスもメスもあの模様なんだよな。何がどうひっくり返るとあんなんなっちゃうのかやっぱりよくわからない。それでいてあれだけよくできたデザインなんだから、世界とはよくよく不思議なものです。不明確なその意図と目的は脇に置いとくとしても、的を射た黒の配置と余白に関して言うなら、シマウマと並んでひとつの完成形と言えるでしょう。目のまわりを黒く塗りつぶすなんて誰が考えたんだろう。まったく大胆きわまりない。

白と黒という、考えようによってはおそろしく退屈な2色が織りなすストイックなハーモニー、という意味では書物も同じです。文字なんか読めればいいと思っているのなら、それは書物やその文章、ひいては活字の魅力をほとんど味わっていないことになります。

とこないだバス停でエムズワース卿が言ってました。矛先はあっちに向けてください。

ポール・ヴァレリーの「書物雑感」には、「読みやすく、また眺めて楽しいとき、その書物は物理的に完璧である。」というすてきな一文からはじまる、書物の視覚的美学を論じたくだりがあって、それは今も僕にとってとても大事な文章のひとつです。読みやすく、という心配りは当然と言えば当然ですね。読みにくかったらだれも手に取らない。では「眺めて楽しい」の部分は?

それが目で追うものである以上、文字は絵や写真と同じ、グラフィックです。にもかかわらずその装いについてはわりとスルーされがちなのはなぜだろう?純粋にデザイン的要素を極限まで高めたタイポグラフィの類いはあっても、文章とその文字組からその意識を色濃く感じることってあんまりありません。

とこないだバス停でエムズワース卿が言ってました。あっち!矛先はあっちね!

筋を追う小説とか随筆は読みにくくなったら本末転倒なので、文字に謙虚なふるまいが求められるのはよくわかるけれど、余白がイニシアチブをとることも多い詩歌において、文字のそうした側面に重点の置かれることが少ないのはもったいないと、僕はつねづね考えています。わりといいおっさんになるまでそんなだいじな思いをひとりでポッケにつっこんでおくほうがもったいない、という正論にはぐうの音もでないのでこの際言いっこなしだ。

文字組にフタのはずれた胡椒のごとくどっさり美意識を注ぎこんだ北園克衛みたいに、「眺めてたのしい」というきもち良さをだいじにしたい。そもそも卓越したヴィジュアル感覚の持ち主であり、今もグラフィックデザインの視点から語り継がれる希有な男とくらべるのは気が引けるけれど、まあいいや。あこがれを抱いたからって罪にはならない。視覚的なよろこびに満ちた白と黒の美学(big up)、すなわちこれパンダイズムの誕生と相成るわけでございますな。ヤッホー。うまくまとめてやった!

ともあれ、詩を「ことばとしてのみとらえる」ことを良しとしない性分は、アルバム「詩人の刻印」に同封されたブックレットにももちろん、反映されています。すくなくとも、新鮮な印象を抱いてもらえるはず。数日前に書いた、「音源だけでは意味がない」というのはそういうことなのです。



追伸:
ゴメンよく考えたらブックレット、モノクロだけど白黒じゃなかった。