2007年10月31日水曜日
うれしい誤算のための計算法
「明日はうれしい誤算があるでしょう」と前日の夕刊にあったので、他の多くの人たちの例にもれず、わくわくしながら待ちかまえているうちに、翌日0時の鐘が鳴ってしまった(うちは振り子時計なのです)ときの一抹のさみしさはあれ、どうしたらよいのですか?シンデレラならまさにこの後にこそうれしい誤算が待っているわけだけど、もう大人だし、服をたたむようにして気持ちをそっと隅へ追いやり、歯でも磨いて寝るほかない。晴らすほどの鬱憤でもなく、出そうで出ないため息とともに、ただなんとなくがっかりして眠らなくてはいけないのは濡れた犬みたいでなんだかかなしい。何ひとつ失ったわけではないのに、どうしてこんな思いをしなくちゃいけないんだ?
そうして布団にくるまって目をとじてから、待てよと気づいてまたぱちりと開くのです。誤算というからにはとにかくあらかじめ何事かについて計算していなくてはいけなかったのではないか?計算もしていないのに誤算を期待するなんて、宝くじを買ってもいないのに3億円を期待するようなものなのではないか?
不覚であった。
計算というのは、たとえばこういうことです。
・食パンをくわえた女子高生とぶつかって恋を育むために、曲がり角にきたら全力疾走する
それに対して、誤算がこれです。
・車にひかれる
さらにそこへ「うれしい」が加わると
・打ちどころが良くてフォースに目覚める
あるいは
1. 空き巣に入る
2. 家主に見つかる
3. フォースに目覚める
まあ何にせよ、「うれしい誤算」というのはいくつかのハードルをクリアして初めて得られる、非常にめんどくさい幸運であることがわかります。すくなくとも、朝からわくわくしながら待ちかまえる類の幸運でないことは確かです。ドンと派手に車にはねられるとなると、仮にそのあとジェダイマスターへの道を確約されてもさすがにちょっと二の足をふむ。ふむでしょう?肉を斬らせて骨を断つようなものじゃないか。
深手を負ってまで断ちたい骨もべつにないし、なんか賢くなった気がするから、もういいや。
しかしあらためて「うれしい誤算てどういうこと?」と問われたときにパッと答えられる適切な例が意外と思い浮かばないですね。浮かびますか?
わかりやすい「うれしい誤算」を探してこよう。これでしばらくは有意義な時間をすごせる気がする。
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