2026年9月4日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その491


案ずるより産むがタカシさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 短歌や俳句のTV番組やYoutubeの動画を見ていると怒りが抑えられなくなります。ラップや歌の歌詞を見てもそう思うこともありますが、短歌や俳句は特に顕著です。限られた文字数を無駄に使い、言うべきでないことに無駄な文字数を費やしている句を見ると許せなくなります。そしてそれが他人に誉めそやされていることにも無性に腹がたってしまいます。自分でもどうかしてると思います。自分でも俳句は作りますが、文句を言えるほどのものは作れていないのに、他人の表現を見て怒りの感情が異常なほど湧き出てしまいます。もちろん口からも出てしまい、友達やパートナーに愚痴みたいに言ってしまって、しばらく後に自己嫌悪する日々です。自分がもし、自分が言っているような批判を受けたらきっと平静ではいられなくなります。なのに口にするのをやめられません。最近はSNSやTVから離れるようにして何とか心の平穏を保とうとしています。大吾さんはそうしたことは当然ないとは思いますが、日々心を乱されないために何かした方がいいように思うことがあれば教えてください。


正直なお人柄とそれゆえの懊悩がひしひしと伝わってきます。ご自身でもよくないと痛感しているだけに、これはつらいですね。

僕はというと、うーん、短歌や俳句ではないけれども、うっかり耳にしてしまった歌詞にギョッとすることは大人になってからわりとちょいちょいあります。うっかり口をついて出ることもあった気がするけど、ただ怒りでは全然ないです。どちらかというと冷や汗が流れます。

言葉がどうこうというよりも、たとえば美味しい炒飯を食べたことがない、もしくはそもそも求めていないのに「炒めればいいんでしょ」とてきとうに作ったひと皿を食わされるのにも似た、どちらかというと主に良し悪し以前の戸惑いですね。

ただ歌詞にかぎらず、なんであれ時代とか潮流というものがあるので、そういうもんなのかもな、と今はわりとソフトに受け止めるように努めています。あくまで内心でギョッとしているだけです。僕だって上の世代からギョッとされてる可能性、めちゃめちゃありますからね。

さてその上でいただいたご質問は、言葉との向き合いかた云々ではなく、むしろストレートに心のエラーである、と僕はおもいます。最大のポイントは「怒りが抑えられない」という部分です。短歌や俳句における言葉のあり方は、たまたま怒りのトリガーとして機能したにすぎません。もし言葉よりも料理に重きが置かれていたら、巷にあふれる簡単で美味しい手抜き時短レシピなんかがトリガーになっていた可能性もあります。したがってここでの問題はその対象がなんであれ、なぜ怒りが抑えられないのかです。わかっているのにやめられないところにそのヒントがあるかもしれません。

そもそも、怒りには快楽の側面があるらしいと言われています。古くはアリストテレスがすでに言及していたほどです。そしてべつにその方面の専門家でもなんでもない僕も、経験的にそう感じます。これをもうすこし科学的に解きほぐしてみましょう。

怒りにはドーパミンという、神経伝達物質の放出が伴います。このドーパミンには、放出の原因となった対象への距離を縮める傾向というか、側面があります。直接的に欲するというよりも、たとえば誰かがズルをするのを見て怒りを感じたら、以前よりも他人のズルを感知しやすくなる、ということですね。感知しやすくなれば当然、怒りの頻度も増えることになります。正のフィードバックによる悪循環の完成です。怒るたびに次の怒りを予約している、と言っても過言ではありません。

またこの悪循環は、とりわけ外に向けて発散する(ポストしたり愚痴ったりする)場合に顕著だとされています。なんとなれば一時的にスッキリはするので、以降はそのスッキリを求める回路が強化されてしまうのです。

なのでまさに「離れる」ことこそが最適解です。自覚的に距離を置かないと、過去のドーパミン作用によって無意識に近づいてしまいます。

以上を踏まえて、僕らのぷよぷよした脳みその内側で何が起きているかを、この際みっちり叩きこんでおきましょう。理性の問題というよりは、生物として不可抗力な挙動のひとつであると理解するだけで、きもちがすんげー楽になるし、世界と適切な距離を保つことの大切さが骨身に沁みるはずです。

悪循環に陥っている認識があるならばそれはもう、見るたびに怒るというより、怒るために見るフェーズに入っています。


あとは、そうですね、これはなんというか人生哲学みたいになってしまうんだけど、なるべく物ごとの良い面を抽出するようにふんわり心がけてみてください。誰であれ、そしてなんであれダメな理由を挙げるほうが圧倒的に楽で、長所を具体的に抜き出すのはめちゃめちゃ難しいです。ダメ出しのときはやたらと具体的なのに、褒めるときは良いとか素晴らしいとかヤバいとか、語彙がいきなり激減します。埋もれて見えない長所を拾い上げることのできる人はそれこそ、絶滅が危惧されるほどの希少種です。

言葉を尽くすなら、それこそここにその甲斐がある、と今の僕なんかは自戒をこめておもいます。


A. 脳みその内側で何が起きているかを、みっちり叩きこんでおきましょう。




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その492につづく!

2026年8月28日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その490


プラダを着た熊さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 今までで一番「苦し紛れだったな」と思う言い訳(言い分)はなんですか


その昔、遅刻した理由を教師に問われたとき、問われることを想定しておらず、一瞬考えてから「時差通学です」と答えてものすごく怒られたことがあります。

なぜ問われることを想定していなかったかといえば、その理由がなんであれ遅刻は遅刻であってべつにその事実が撤回されるわけではないからです。じっさい、いま思い返してみてもあのとき彼が怒っていたのは僕の返答に対してであって、遅刻そのものに対してではなかったとおもう。

そんな言い訳が通用するわけないだろうと考えた当時の彼のきもちはわかります。しかしなぜそんなに怒られなくてはいけなかったのかは今もよくわからない。時差通学という返答が逆鱗に触れたとすれば、なぜそんなところに逆鱗があったのだろう?

それでなくとも僕は日ごろ、始業の1時間くらい前には学校にいて、まだ誰も来ていない教室でひとり、「午後の紅茶 FINE ESTATE」という当時大好きだった250ml缶のミルクティーをちびちび飲むのが習慣の愛らしい少年だったのです。

毎朝誰より早く来ていることはたぶんほとんど知られていなかったし、別に知らなくていいんだけど、稀に遅刻をすると目くじらを立てられるとすれば、少なくともそれは僕にとって不条理以外の何物でもありません。

バカな返答をするからだ、と一蹴する大人もいるでしょう。では単純に寝坊だったらどうだろう?それはそれで遅刻になる以上「たるんでるぞ」とかそういう話にならないだろうか?

でも当時の僕は5時半に起床し、駅まで30分くらいかけててくてく歩き、6時半の急行に乗り、いつも始業の1時間前には学校に着いていたのです。その上である日寝坊をしてしまったとしたら、それはたるんでることになるんだろうか?百万歩譲ってたるんでるでもいいけど、人間たるむときもあるわ、アホか、だから何だ、だから何なんだ!とハリセンで頭を引っぱたいてやりたい。

当時の僕が掛け値なくバカだったのは確かです。でも責めを負うほど悪いことをしたとは今もぜんぜん思いません。

このときの経験は、じぶんの視野だけで全体をジャッジする大人にはならないように気をつけよう、という教訓として、今も活きています。ありがたいことです。

これとは別にどう考えても苦しい、にもかかわらず口八丁手八丁で最悪の状況をかろうじてしのいだケースがひとつふたつあるんだけど、どれだけオブラートに包んでも倫理に抵触しそうなので、やめました。ご了承ください。長く生きてるといろいろあります。ほんとに。


A. 遅刻の理由に時差通学と答えたことがあります。




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その491につづく!

2026年8月21日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その489



俺の屍を越えてユッケさんからの質問です。


Q. 言葉とお餅って似てて柔らかくなるし固くなるし、最悪喉につまらせて死ぬと思うんですが他にも似てる食べ物ってあるのでしょうか。と、日の目を見れずに飲み込んだ文章を掘り返しての質問です。


身につまされます。とりわけ「飲み込んだ文章を掘り返して」の部分は涙なくして読めません。今となってはすっかり忘れ去られた、もしくは初めから誰にも知られていなかった「プルクワパ霊苑https://note.com/kbdg)」は、墓から掘り返されたテキストを改めて弔う場でもあったくらいです。コリコリと書いてるとね、埋葬しては掘り返す、墓場みたいなことがありますよね、ほんとに。

あだしことはさておきつ、言葉に似た食べものに戻りましょう。新鮮かつ刺激的な視点で、考えるのが楽しくなる質問です。

お餅が先にあったからか、真っ先に思い浮かんだのはこんにゃくゼリーです。いろんな色や形があって、ぷるぷるしている上に甘みもあって、ダイエットに良いとされていて、最悪のどに詰まらせて死にます。欧米では販売もしくは流通が全面的に禁止されているそうです。そのへんの危うさとか剣呑っぷりも言葉に似ています。

食べものというにはアレだけど、水なんかもそっくりです。固くなったりやわらかくなったり、熱くなったり冷たくなったり、形があるようでなく、泳いだり潜ったりもできるけれど、最悪溺れて死にます。というか地球上ではそもそも水がないと人であれなんであれ大概みんな死にます。途中まではめちゃめちゃ言葉と似てた気もするので、惜しいですね。

ニラはどうでしょう。野菜と呼ぶには草すぎるあのニラです。ふだんはほとんど意識しないし、大量にあっても手に余るし、何度考えてもやっぱり草なんだけど、ニラレバとかニラそばとか、ある条件下においてはこれなしではいられないほど無類の威力を発揮します。言葉だってそのすべてがクリティカルに刺さるわけではないですからね。神保町にある三幸園のニラそばは最高です。またニラと見た目がそっくりの水仙を誤って食べた場合、ニラとちがって全体が有毒なので、下手をすると死にます。

石川県にはフグの卵巣を糠漬けにした郷土料理があります。1年以上の塩漬けと、さらに1年を糠に漬けることによって解毒され、世界に類を見ない珍味となることが知られていますが、その解毒過程が未だに解明されていないため、昔ながらの製法を守り続けるほかないんだそうです。なので自作すると死にます。言葉もなぜその単語になったのか、なぜその文法になったのか、推測はできても確定できないブラックボックスが厳然とありながら、今となってはそのルールに従うほかないという点で似ていなくもありません。

さくらんぼもいいですね。丸くて、小さくて、双子みたいに連なって頬を赤らめていて、甘くてかわいいのに、最高級品ともなると貴婦人よろしく気品を漂わせるばかりか、種を数百個噛み砕いて食べると大量のシアン化水素が発生して死にます。言葉も基本まるくて小さくてコロコロしてるのに、やるときはビシッと決めるし、場合によっては死に至りますからね。

ドリアンも近いかもしれません。フルーツの王と言われるだけあって、濃厚な甘味を伴う高貴な味わいと、ありえないほど野卑な香りが同居する、言ってみれば世界で最もアンビバレントな果実です。また形状がいわゆるモーニングスターに酷似していてめちゃ硬いので、全力で振り回すとふつうに死人が出ます。清濁併せ呑むという表現がぴったりで、これはまさに言葉そのものと申せましょう。

オーソドックスに、カレーもありです。無限とも言えるバリエーション、どんな素材だろうと聖母のように大らかに包みこんでくれる懐の広さ、子どもから大人まで老若男女を問わず愛されていることなんかも重要な類似点ですが、とりわけぐつぐつ煮込んだり、ひと晩寝かせると味わいが深まるあたりが言葉っぽいですね。ただ、常温で放置するとウェルシュ菌が急速に増殖して、最悪多臓器不全で死にます。

一方で言葉には、めちゃめちゃグロテスクな側面もあります。顕著な例をひとつ挙げると、沼正三の「家畜人ヤプー」は全編にわたってグロテスクとしか言いようがありません。とてもじゃないけど最後まで平静に読み通すことはできない、という人も多いでしょう。今も語り継がれているのはグロテスク以上に隅から隅まで圧倒的な知性が横溢しているからですが、言葉のこうした側面に比肩できる食べものといったら、今のところ「カース・マルツゥ」くらいしか思い浮かびません。世界に類を見ない珍味のひとつです。僕個人の印象で言えば、見た目だけで死にます。食して死に至ったケースはなさそうですが、安全性より危険性のほうが明らかに上です。あと、そうですね、これに関してはググらないほうがいいとおもいます。人生には知らないほうがいいこともある…ということを教えてくれるのもまた、言葉ですよね。

この中でひとつ選ぶとしたら、そうだなあ、うーん、ドリアンかな、ドリアンにします。

食べたことないですけどね。


A. ドリアンです。




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その490につづく!

2026年8月14日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その488


ケロヨンしんちゃんさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 気持ちを悪くしてしまうかもしれませんが、小林様は、これまで生きてきて、こんな行動をしたら、連続して不幸な目にあったことはありましたか。

私の場合は、中学二年生の時、三学期末のテスト一週間前に、自己啓発の本を読みました。その三十分後に、私は塾へ行く途中で交通事故にあい、病院にいきました。私は、奇跡的に無傷だったものの、家に帰って夕食で食べた牡蠣に、当たってしまい、5日間苦しみ、その間に祖父が亡くなり、祖父の葬式を行いました。その結果、一週間私は勉強ができず、テストで赤点を取りました。


むむ、たしかにわずか1週間足らずで立て続けに起きた出来事としてはちょっとお祓いを考えたくなるくらい、タフな流れですね…。どう考えても「なんで!?!?」としか言いようがない状況です。その後は安寧な日々を送られてますでしょうか。

僕は、そうですねえ、連続して、となると以前ここにも書いたけれど、やっぱりうちにある2台の原付が2週間くらいの間に3回レッカーで運ばれたことなんかが一番わかりやすいかもしれません。

1度目はお店のオープンに向けていよいよ内装工事が始まるまさにその当日、うちの人が原付で派手に事故をぶちかまして救急車で運ばれその晩に緊急手術、そのまま入院を余儀なくされました。この現場で駆けつけた僕がレッカーを呼んでいます。その事故の後、つまりうちの人が入院してわりとすぐに、今度は僕の原付のチェーンが走行中に切れ、どうにもならずにレッカーを呼びました。バイク屋さんでチェーンを交換してもらって、心機一転と思ったその数日後に、今度は僕が事故りました。さいわいケガはほとんどなかった気がしますが、あまりよく覚えていません。相手がベンツだったことと、そういえば警官に何ごとかをねちねち言われたことだけ、なんとなく覚えています。

ここまででだいたい2週間くらいですが、さらにその2週間後、退院して松葉杖で移動していたうちの人が転倒して右手首を骨折、松葉杖での歩行が不可能になったため、一ヶ月ほど車椅子生活になりました。店のオープンが予定より半年ほどずれこんだのはそのためです。ちなみに当時買った軽くてかっこいい車椅子は、今も義実家にあります。

ただ、僕自身はこれを不幸と考えたことがありません。呪われてるなあとはおもったし、実際不幸といえば不幸だし、この時期が難儀だったのは確かなんだけど、なんだろ、不幸とラベリングした箱に仕分けたりはしていない、と言えば伝わるだろうか?というのも、人生にはとかくいろんなことがあって、良きにつけ悪しきにつけ、すべてがその後の日々につながっているからです。宝くじに当たる人もいれば、雷に打たれて落命する人もいます。

良くないことはどうあれ起きないにこしたことはないけれど、それをコントロールすることは誰にもできません。誰かに降りかかった災難は、いつだってじぶんに降りかかる可能性があります。「じぶん以外の誰かの話」ではまったくない。

何ごともない日々はそれだけで幸福であることを、僕らは忘れがちです。改めてそれを、肝に銘じましょう。この回答がぶじ投稿されるかどうかさえ、これを書いている時点の僕には断言できないのだから。

あと、僕は日ごろから姓で呼ばれることがほとんどないので、今後は気楽にダイゴと呼んでくださいね。


A. 2週間くらいの間に3回レッカーを呼んだことがあります。




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その489につづく!


2026年8月7日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その487


やどかりコーンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 東京に住むか、実家に残るか、はたまた見知らぬ土地に挑戦するか。多くの20代がぶち当たる壁に今ずっと悩み、立ち尽くしています。どの選択も、決めてしまえばなるようになるのは分かっているのですが、やりたいことも特にないためいまいち決め手に欠けています。人によって答えが異なるのは承知ですが、なにかいい決め方や指針はご存じでしょうか。


ふむふむ。僕自身はまったくぶち当たらなかった壁なので(実家に残る選択肢はなかったです)、ぜんぜん参考にならないかもしれませんが、ひとまず状況を整理してみましょう。

3つの選択肢が等価で並んでいるように見えますが、実際のところこれは、家を出るべきだろうか?という自問です。というのも、もし何も考えず、何も決断しなかった場合、自動的に実家に残ることになるからです。

そして現状、実家にいることにはとくに不都合がない、と判断できます。もし不都合があるのなら、それでも残るべき理由のほうが問題になるはずですからね。

一方で、ずーっと実家にいたい!と強く思っているわけではなさそうです。もしそうならそもそも悩む必要がないし、少なくとも家を出ることに興味を抱いているのはまちがいありません。

その上で、「見知らぬ土地に挑戦する」という3つ目の選択肢が、話をややこしくしてしまっています。東京かそれ以外の土地か、という問いは本来、家を出ると決めたあとの話です。

これを「今日の晩ごはん」に置き換えてみましょう。

1. 自炊する
2. 近所の町中華で食う

この2択はシンプルです。ですよね?

ではここに3つ目の選択肢を加えます。

1. 自炊する
2. 近所の町中華で食う
3. 初めての店に挑戦する

急にちょっとわからなくなってきませんか?

何しろまだ外出していないのに、する場合に生じる無数の分岐まで検討に含まれています。いきなりめんどくさくなる所以です。

要は「出るか出ないか」「どこに行くか」という異なる問題を同一のレイヤーに統合してしまっているわけですね。

なのでまずは試しに問題を「出るか出ないか」の2択に絞ってみましょう。

ものすごくシンプルなはずですが、仮に選択肢が3つあるときと同じくらい悩むとすれば、そこにおそらく最大の問題があります。

決めあぐねているのは本当に決め手に欠けるからだろうか?

最適解を求めると、日々はとたんに膠着します。選択時に確定している最適解などありません。それを踏まえていれば、ぶっちゃけサイコロを転がして決めてもいいのです。すっきりしなかったらどのみちまた考えることになるし、サイコロではダメだったことをイヤでも思い知らされます。ではなぜサイコロではダメなのか?

これはたぶん、ご自身の心を知る旅の途中でもあるのです。


A. 問題を適切なレイヤーに分けてみましょう。




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その488につづく!

2026年7月31日金曜日

アグローと夜(Agloe and Night) 2026のお知らせ



いうわけでほぼ1年ぶりに帰ってまいります。アグロー案内シリーズの実演版、「アグローと夜(Agloe and Night)2026」のお知らせです。

何に驚いたと言って、こんなに告知が早くていいのかしらとハラハラしながら去年の告知を見たらそっくりそのまま同じことを同じようにハラハラしながら書いていたことです。それどころかよく読み返すと一昨年の告知も同じタイミングだったと書かれています。そして当の僕はそのことを、本当にまったく覚えていないのです。

「それ前にも聞いたよ」と折にふれては言われるお年ごろではあるけれど、それにしては昔からずっとこんな調子だった気もするし、そもそもがいくらなんでも学習しなさすぎじゃなかろうかと不安になってきます。

しかしまあ不安になったところで急激に記憶力が改善するわけでなし、ともあれまた開催の運びとなったことを素直に寿ぎたい。

そして同時に当日はすごく盛況で楽しかったこと、とりわけとてもおいしいせんべいの提供(!)で大騒ぎの記憶がありありと蘇るなどして、じわじわと実感が湧きつつあります。

ご予約の受付開始は来週、8月7日(金)正午です。(先着順、予定数で完売となります)

小規模とはいえ、それでも身の丈に合わないことは重々承知しております。またさすがに今年はひざーるくんもいないと思いますが、どうかどうか、万障お繰り合わせの上、お越しくださいませ…!


「アグローと夜 2026」
11/6金 @恵比寿TimeOut Café & Diner

出演:タケウチカズタケ、小林大吾

Open 17:30 Start 18:30 End 21:00
Ticket ¥3,900(入場時に1drink ¥600)

注:お取り扱いはLive Pocketのみです。

TimeOut Café & Diner
東京都渋谷区東3丁目16−6 リキッドルーム 2F

今年もやってきました「アグローと夜」恵比寿TimeOut Café & Dinerにて開催決定!詩人/ポエトリーリーディング・アーティスト/グラフィック・デザイナーである小林大吾とキーボーディスト・音楽プロデューサーのタケウチカズタケが言葉と音楽の可能性を広げ続けている作品「アグロー案内」シリーズ。その実演ライブ&トークイベント「アグローと夜」年に一度っきりのレアなイベント、お見逃しないように!