2024年9月27日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その432


亀の甲より推しの子さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. ここ最近、ぜんぜん外国語を話せないのに翻訳という行為に興味があるのですが、今まで触れた中で原文とあわせてこう訳すのか、と気になった・印象に残った翻訳の文章があれば教えていただきたいです。


文章でもなんでもないですが、こう訳すのかという点で言うと今も忘れられない最初期の経験があるのでそれをお話ししましょう。義務教育で初めて英語というものに触れた、中学生になりたてのころの話です。

そのころの中1と言えば、ローマ字は読めても英語の読み方はまったくわからない、そんなお年ごろでした。今でも覚えているのは college という単語で、生徒が授業でこれをコレゲと読んでも誰も笑わないくらい、みんな英語に対する免疫というものがなかったのです。つーかどう考えても読めるわけないだろクソ教師、と今の僕は思います。

そんなレベルなので、覚えたての「this」と「is」と「it」をつなげて「これはそれって何だよ!」とまるで笑い話のように腹を抱えたりしていました。今となっては「これはそれ」の何がそんなに可笑しかったのかもよくわかりませんが、まあ何しろ中1ですからね。

もちろん、”This is it.” におかしなことは何もありません。「きた!」「見つけた」「今こそ」みたいに最終的な判断のニュアンスで、わりと普通に使われます。マイケル・ジャクソンのドキュメンタリーにもこのフレーズをタイトルに冠していましたが、この場合はたしか「これでおしまい」みたいな意味合いだったはずなので、しいて訳せば「最終章」というようなことになるでしょう。

でも単語の読み方も覚束ないレベルでは「これはそれ」としか訳せなかった。

さて、そんな年ごろのある時、僕は街中で赤地に白い文字で描かれた「Coke is it!」というフレーズを目にします。細かな状況はぜんぜん覚えていないけれど、とにかくそれを目にして、そしてたまたま、その場に級友の兄がそばにいたのです。たしか彼はその時ふたつくらい年上で、ということはつまり中3で、しかも帰国子女だったので、僕は思わず彼に尋ねます。「ねえ、あれは日本語でどう言えばいいの?」

“This is it.” を「これはそれ」としか訳せない超初級者にとって “Coke is it!” は「コークはそれ」としか訳せません。もう、根本からしていろいろわかってないんだけど、よちよちレベルだったのでしかたがない。

それに対して級友の兄はこともなげにこう答えました。

「コーラだ!」

これがコカ・コーラ社の惹句のひとつであったことを考えると、むしろ「コーラでしょ!」くらいのニュアンスだと今では思いますが、いずれにしてもまったくその通りです。訳し方がどうとかよりも英語に対する解像度の違いにのけぞったんだと、思い返せばそんな気もしますが、このときの衝撃は忘れられません。何もわかっていないアホとしては、え、なんで?itは?とか言いたいし実際言ったと思うんだけど、「どうしてと言われてもそうとしか言ってない」と返されてしまうのだから、その驚きたるや計り知れないものがありました。ついでに言うと「コーラって書いてないのになんで?」とも訊いた気がする。

特に英語に長じているわけではない僕が翻訳についてああだこうだと言うことはもちろんできません。言えませんが、この体験は本当に得難いものだったと今でも思います。なんとなれば言語とは単語のことではないというめちゃめちゃ当たり前で自分も日本語でよく知っているはずのことを、たった一瞬のこのやりとりで直観的にわからせてくれたからです。

そのわりに英語が得意になっているかと言ったら別になっていないので、良し悪しとしてはちょっと何とも言えないですけども。


A. その昔、“Coke is it!” を「コーラだ!」と訳してもらって目からウロコが落ちました。




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その433につづく!


2024年9月20日金曜日

古書店アルスクモノイ5周年記念ポスターのこと


なんの因果か旧営団地下鉄エドガー橋駅にほどちかいエリアで、かつてミス・スパンコールと呼ばれていたうちの人が古書店「アルスクモノイ」を開いたのは2019年の9月20日、それも今年と同じ金曜日でした。僕にとっても初めてのアルバムを作るきっかけとなった思い出深い1曲、「棘/tweezers」で言及している馴染み深い土地でもあり、オープン当時は実在しないのではないかと考える人もいたといいます。ムリもない。

しかし今もまちがいなく存在するアルスクモノイは今年、そして今日、おかげさまでめでたく5周年を迎えることができました。


しみじみと思い返せばいろいろあったような気もします。店の2軒隣が消防車4台、消防士20人以上で消火にあたる火事になり、「避難したほうがいいですか」と消防士さんにおそるおそる聞いたら「危なくなったら避難してください」と言われたので、数メートル隣のビルがごうごうと炎を吹き散らしているのにソワソワと店の中で待機するしかなかったとか、2日間の臨時休業を強いられる災難に見舞われたあげく訴訟に発展したとか、うちの人が20年以上推しとして崇めつづけているアーティストがちょっとした巡り合わせから常連のように店を訪れてくれるようになったとか、それこそ枚挙にいとまがありません。

お店は生きものだと諸先輩から聞かされていたとはいえ、ほんとうにまったくそのとおりだと強く頷かされる日々です。棚や商品が増えるだけでなく、お客さんの来訪が栄養としてお店を活き活きと育ててくれる、そんな実感がたしかにあります。人のいない空き家があっという間に朽ちるとはよく言われることだけれど、その意味が今は心の底からよくわかる。至近距離にいる僕としてもこんなに誇らしいことはありません。

そんなアルスクモノイが、5周年を記念してA2サイズのポスターをつくりました。


「あらゆるジャンルを越えて、遠く離れているように見える点と点を結び、その線と線が網のように広がっていく、その触媒でありたい」という、店名の由来でもあるコンセプトを図案にしています。

ご希望の方には店頭で差し上げますので、お気軽にお声がけくださいませ。

そして6年目に向かう古書店アルスクモノイを、今後ともどうぞよろしくお願いします。

(繁盛すればするほど巡り巡って僕も助かる仕組みになっているのです)(小声)

あと、20年来の親友であるイラストレーター、オノダエミ姉さん(@himatan_desyu)が上の画像に最高のイラストを描き足して祝ってくれました。姉さんありがとう!!!こっちのほうが圧倒的にいいな…。


2024年9月13日金曜日

気がつくと脛にキズのある男の話


内容的には本当にたった一言で済む話だし、わざわざ言葉を尽くすようなことでもないからそれこそ言いたきゃ川面の葉っぱのようにSNSに流してしまえばいいというか実際にそうした気もしつつ、いまだに収束する気配がないので改めて記しますけれども、脛に傷があるのです。

やましいことがある、という意味の慣用句ではありません。現実に肉体としての脛が傷を負っている、という完全に文字通りの意味です。もちろんやましいことはいろいろあります。でもそういう話ではない。

脛のどこかにちょっと傷ができるくらいで一体何をそんなに騒ぐのか、とお思いになるのも無理はありません。本人である僕自身が長いこと気にしていなかったくらいです。しかしある時また傷があることに気づいてから、どうもおかしいと印象が変わり始めました。何となれば位置は毎回すこしずつ違うけれども、ちょいちょいできるこの傷の原因を僕は今も特定できていないのです。ぶつけたとか擦ったとか、そんな記憶も一切ない。

大した傷ではありません。例外的に足の甲まで血が流れていたケースもあるけれど、基本的にはどこかにちょっとぶつけたような、どこかでちょっと擦ったような、そして大体シャワーを浴びたときに気づくような、その程度の傷です。ほっといたって別に支障はないし、早ければ数日で治ります。ただその頻度がちょっと尋常ではない。いつもとか常には言い過ぎだとしても、脛の傷なしで1ヶ月を過ごしたことはないんじゃなかろうか、と考えるくらいには多いのです。

それでいて、傷が生じる決定的瞬間を捕捉できたことはかつて一度もありません。この状況を認識してからもう何年もたつのに、いつも気づいたら傷ができています。傷ができる瞬間にちょっとでも痛みがあれば容易に原因が特定できるはずなのに、それもない。

同じ位置ではないにせよ、頻度からして傷が生じる状況はおそらく同じである、と言えそうな気はしています。たぶん毎回、同じような状況で傷を負っている。でもその状況がわからない。日ごろから注意深く観察していても、傷のできた日の行動をていねいに辿ってみても、脛に衝撃を与えるような状況にはいつも思い当たらない。視認できない小人が隙を見てバールでぽかりと殴っている、と言われたほうが現状ではよほど納得できる気がします。

僕は昔からわりとオカルトを好むたちなので、超常現象そのものは大歓迎です。でも根拠なしにそう思いこむほど純朴でもない。にもかかわらず聖痕かもと疑ってしまうくらいには、頻度が高い上に何もかもが謎すぎます。あるいは取り返しのつかない大きな病の兆候かもしれないし、それならそれでやはり後世のためにきちんと書き残しておく必要があるだろう、というのが一見どうでもよさそうな、あるいは実際にどうでもいいとしか言いようのない話をここでこうしてつらつらと書き連ねている所以です。

何よりも業腹なのは、この絶え間なく生じる傷のせいで、グラビアでヌードを披露できる美しい肉体ではなくなっていることです。年齢にしては腹も引っ込んでるし骨格だけはイケメンとして胸を張れる矜持を持っているのに、この不可解な脛の傷のせいですべてが水泡に帰しています。きれいに消えた傷もあるけれど、痕として残るものもちょいちょいあって、これらはおそらくこの先もう消えることはないでしょう。

とはいえ、傷がなければ今ごろめちゃイケてる骨格モデルとして…と夢見る年でもありません。原因がはっきりしていて、そりゃ傷にもなるわなあ、と納得できるならそれで十分です。七夕の短冊や流れ星や神仏に頼るまでもない、ごくごく控えめな願いごとじゃないですか?こうまで徹底して本人に気づかせないよう脛に傷をつくらなくてはいけない理由が一体どこにあるというのか?

ちなみに今もひとつあります。

そういや同時にふたつできたことはないな…

何なんだろうまじで 

2024年9月6日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その431

 


時間差トーマスさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 子供みたいなんですがいまだに「いつか自分が死ぬ」ことが受け入れられません。たまに考えて焦るし怖いです。自分が死ぬことをどうやって受け入れたらいいですか?


なるほど、たしかに受け入れることができたらすこしは気が楽になるかもしれないですよね。

ただ、僕としては受け入れる必要性をあまり感じません。なんとなれば最後の最後まで絶っっっ対にイヤだ!!!!と暴れまくって頑強に抵抗したとしても、死がそうした情状を酌量してくれるわけでは当然ないからです。であれば何があろうと頑なに受け入れない姿勢を貫き通すのもまた、ひとつの心のあり方である、と申せましょう。

今よりもずっとお化けが怖かったころ、ふと、なんでこんな気持ちに苛まれなくちゃいけないんだ、お化けにはお化けの理由があるのかもしれないけど、だからといって一方的に怖がらせていいわけないだろ、ちょっとでも危害を加えてみろ、こっちはこっちで絶対にゆるさんぞ!!と腹を立てたら急に気が楽になったことがありますが、それにちょっと近いものがあります。

そもそも望んでもいない未来の死に脅かされるのはお化けにちょっかいを出されるのと同じくらい理不尽なことなのだから、基本的には同じ姿勢でオーケーです。

いつか死ぬことをなぜ受け入れられないかと言えば、それはご自身の人生を絶望よりも希望が多く占めているからです。シンプルだけれど見過ごされがちなこの事実を、改めて見つめ直すのもアリという気がします。いつかくる死を受け入れられないということは、それ自体が人生におけるかけがえのない、光のひとつでもあるのです。どちらかといえば僕は、その光を持たない側にいます。何度もマッチを擦りながら、ときどき火が点いてはあっという間に消えてしまう、そんな日々もまた、この世界には厳然とあります。灯す必要のない光をすでにお持ちなら、それを大切にしなくてはいけません。

さらに、これはまあ、ここだけの話に留めておきたいところですが、実際に死なない可能性もあります。少なくとも死の可能性が限りなく100%に近いとはいえ100%では絶対にない点には留意しておく必要があるでしょう。仮にこれまで100億人近い人類が例外なく死んでいるとしても、だからといって自分もまた100%確実に死を迎えるということにはなりません。

たとえば地球における脊椎動物の中で最も長寿と言われるニシオンデンザメは今のところ最長で500年以上(!)の寿命が確認されていますが、何らかのエラーでこのサメみたいな体質をうっかり獲得してしまい、数百年から数千年、有形なり無形なりで今も生き続けている誰かがどこかにいないとは、誰も全人類の動向を把握していない以上、誰にも言えないのです。生物であればヒトであれクマムシであれ確実に寿命があっていずれ必ず死を迎える、とは言っていいと思いますが、それは自分がその例外的存在ではないという理由にはならない。ですよね?

ひょっとしたら自分がその例外中の例外かもしれない。そしてその可能性はほぼゼロではあるけど絶っっっ対にゼロではない。でも仮に死ななかったとして、それこそ本当に、心から受け入れられることだろうか?


A. 死なない可能性もゼロではありません。




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その432につづく!

2024年8月30日金曜日

アグローと夜(Agloe and Night) 2024のお知らせ


そんなわけで今年も開催と相成りました。アグロー案内シリーズの実演版、「アグローと夜(Agloe and Night)2024」のお知らせです。


「アグローと夜(Agloe and Night) 2024」
11月22日(金) @恵比寿TimeOut Café & Diner

出演:小林大吾、タケウチカズタケ
Open 17:30  Start 18:30
Charge ¥3,900(入場時に1ドリンク ¥600)

プレイガイドURL

注:URLは9月2日(月) 10:00から有効になります。

TimeOut Café & Diner
東京都渋谷区東3丁目16−6 リキッドルーム 2F

詩人/ポエトリーリーディング・アーティスト/グラフィック・デザイナーである小林大吾とキーボーディスト・音楽プロデューサーのタケウチカズタケが言葉と音楽の可能性を広げ続けている作品「アグロー案内」シリーズ。その実演ライブ&トークイベント「アグローと夜」、今年は恵比寿TimeOut Café & Dinerで開催です!


また今回、チケットのご購入はプレイガイドのみとなります。事前にチケットをご購入いただいた上で、来場時にドリンクを1点ご注文いただく、という流れです。すこしお手数をおかけするようで心苦しいかぎりですが、どうかご容赦くださいませ…!!

そして3,900円という、ライブチケットにあるまじき半端な額は、すこしでもお得に感じてほしいという、スーパーの価格設定にも近い心意気の表れです。100円よりは98円のほうが、4000円より3980円のほうが心理的に軽い!にもかかわらずさらにちょぴっと低く抑える、これが心意気でなくて何でしょう。

でも!ぜひ!来てほしいので!

今年もよろしくおねがいします!(年始の挨拶)

2024年8月23日金曜日

フライと焼きそば、あるいは8月にして早くも1年を振り返ろうと試みる話の続き


今年のあれは…4月だったか5月だったか、ちょっとした野暮用があって埼玉県のあるエリアをバスで移動していたら、「フライ/焼きそば」という看板が目についたのです。

何のフライだかわからないけれども、アジフライとかかな、まあそんな店もあるだろうとあまり気に留めずにいたら、15分くらいの間にちょいちょい似たような看板を見かけてさすがにいやいや待て待てと席を立たずにはいられません。

言うまでもなく、看板自体はそれぞれまったく違います。でも看板メニューがどれもこれも判で押したように「フライ/焼きそば」とあるのです。どう考えてもこれは尋常ではない。そもそもアジフライだろうとエビフライだろうと、一般的に言ってフライを売りにする店はそう多くありません。少なくとも僕は見かけた記憶がないし、何のフライなのかを明記しない時点でだいぶ常軌を逸しています。そして焼きそばです。一軒だけならともかく何軒も、そしてさも当たり前のように掲げるフライと焼きそばの組み合わせに一体どんな関連性があるというのか、何だこの町は、とまるで異世界に迷いこんだかのような混乱を覚えたのも無理からぬことと申せましょう。

野暮用を済ませてあとは電車で帰るだけ、という段になってからGoogleマップで周辺を検索すると、びっくりするほどフライを売りにする店がヒットします。そしてどの店も、フライが何のフライであるかを明記していません。ここに至って何となく察した点は2つです。この町におけるフライとは一般に言われる揚げ物としてのフライではないかもしれないということ。そしてどうやらフライが主で焼きそばが従であるらしい、ということです。ホームズとワトソンみたいなことですね。

何しろあとは帰るだけだったので、謎を探るとしたら駅周辺しかありません。徒歩圏内でなんとなく古くからありそうな、フライを扱う店に目星をつけてまっしぐらに向かいます。この町におけるフライとは何なのかを確かめずに、このまま帰路につくことはできません。

意を決して店に入ると、齢80越え(!)と思しき老婦人がひとりで切り盛りしているようです。印象としては昭和の喫茶店に近くて、懐かしい趣を醸しています。


席についてメニューを手に取れば、どこをどう見てもフライ、というかふらい焼きと焼きそばしかありません。あ、焼くんだ…。


迷わずふらい焼きを注文して、ひたすらその時を待ちます。そして出てきたのがこれです。



食感的にはお好み焼きとチヂミの中間みたいでなぜこれをふらい焼き(フライ)と呼ぶのかわかんないけど美味え。80年代によく見かけたようなお店の雰囲気と相まって超楽しい。あんまり楽しいので焼きそばも注文してみたけれど、これはやっぱりホームズに対するワトソンよろしく、フライといえば焼きそば、というある種の定型のようです。焼きそばそれ自体にはそこまで強い印象はありません。でもおいしい。そしてふらい焼きは明らかに食べたことがないタイプのメニューです。あとまあそりゃそうかという気もするけどそれにしたってめちゃめちゃ安い。個人的にはふらい焼きの後に追加で注文した焼きそばの後さらに追加で注文したキムチふらいがとりわけ絶品だったことを付け加えておきましょう。


想定外の未体験が楽しすぎてうっかり長居したのち、帰り際に聞いたら店は今年で70周年らしく、また卒倒しかけます。

「70年!?フライってこの店が始めたんですか?」
「いやいや隣の、行田にね、先輩がいて、その人が始めたの」

つまりフライとは、揚げ物でもなんでもないけれど、行田とその周辺地域に少なくとも70年以上伝わる郷土料理だったのです。行田とフライでググればわかります(このときはあえてググらなかった)。限られたエリア以外ではまず見ないし、それでいてエリア内にはやたらとフライを扱う店があるので、どうあれこれは郷土料理と言うべきでしょう。

2024年に偶然でくわした個人的に最大の事件のひとつがこれです。

あとはもちろん、アグロー案内 VOL.7 がぶじに配信されたことですね。なんだ藪から棒にと思われるかもしれませんが、先々週から予告していたように、今年1年を振り返っているのです。

あとはこれといって特筆できそうなこともありません。今年もありがとう!どうか良いお年を!