3016年2月2日金曜日
2026年8月14日金曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その488
ケロヨンしんちゃんさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 気持ちを悪くしてしまうかもしれませんが、小林様は、これまで生きてきて、こんな行動をしたら、連続して不幸な目にあったことはありましたか。
私の場合は、中学二年生の時、三学期末のテスト一週間前に、自己啓発の本を読みました。その三十分後に、私は塾へ行く途中で交通事故にあい、病院にいきました。私は、奇跡的に無傷だったものの、家に帰って夕食で食べた牡蠣に、当たってしまい、5日間苦しみ、その間に祖父が亡くなり、祖父の葬式を行いました。その結果、一週間私は勉強ができず、テストで赤点を取りました。
むむ、たしかにわずか1週間足らずで立て続けに起きた出来事としてはちょっとお祓いを考えたくなるくらい、タフな流れですね…。どう考えても「なんで!?!?」としか言いようがない状況です。その後は安寧な日々を送られてますでしょうか。
僕は、そうですねえ、連続して、となると以前ここにも書いたけれど、やっぱりうちにある2台の原付が2週間くらいの間に3回レッカーで運ばれたことなんかが一番わかりやすいかもしれません。
1度目はお店のオープンに向けていよいよ内装工事が始まるまさにその当日、うちの人が原付で派手に事故をぶちかまして救急車で運ばれその晩に緊急手術、そのまま入院を余儀なくされました。この現場で駆けつけた僕がレッカーを呼んでいます。その事故の後、つまりうちの人が入院してわりとすぐに、今度は僕の原付のチェーンが走行中に切れ、どうにもならずにレッカーを呼びました。バイク屋さんでチェーンを交換してもらって、心機一転と思ったその数日後に、今度は僕が事故りました。さいわいケガはほとんどなかった気がしますが、あまりよく覚えていません。相手がベンツだったことと、そういえば警官に何ごとかをねちねち言われたことだけ、なんとなく覚えています。
ここまででだいたい2週間くらいですが、さらにその2週間後、退院して松葉杖で移動していたうちの人が転倒して右手首を骨折、松葉杖での歩行が不可能になったため、一ヶ月ほど車椅子生活になりました。店のオープンが予定より半年ほどずれこんだのはそのためです。ちなみに当時買った軽くてかっこいい車椅子は、今も義実家にあります。
ただ、僕自身はこれを不幸と考えたことがありません。呪われてるなあとはおもったし、実際不幸といえば不幸だし、この時期が難儀だったのは確かなんだけど、なんだろ、不幸とラベリングした箱に仕分けたりはしていない、と言えば伝わるだろうか?というのも、人生にはとかくいろんなことがあって、良きにつけ悪しきにつけ、すべてがその後の日々につながっているからです。宝くじに当たる人もいれば、雷に打たれて落命する人もいます。
良くないことはどうあれ起きないにこしたことはないけれど、それをコントロールすることは誰にもできません。誰かに降りかかった災難は、いつだってじぶんに降りかかる可能性があります。「じぶん以外の誰かの話」ではまったくない。
何ごともない日々はそれだけで幸福であることを、僕らは忘れがちです。改めてそれを、肝に銘じましょう。この回答がぶじ投稿されるかどうかさえ、これを書いている時点の僕には断言できないのだから。
あと、僕は日ごろから姓で呼ばれることがほとんどないので、今後は気楽にダイゴと呼んでくださいね。
A. 2週間くらいの間に3回レッカーを呼んだことがあります。
*
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その489につづく!
2026年8月7日金曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その487
やどかりコーンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 東京に住むか、実家に残るか、はたまた見知らぬ土地に挑戦するか。多くの20代がぶち当たる壁に今ずっと悩み、立ち尽くしています。どの選択も、決めてしまえばなるようになるのは分かっているのですが、やりたいことも特にないためいまいち決め手に欠けています。人によって答えが異なるのは承知ですが、なにかいい決め方や指針はご存じでしょうか。
ふむふむ。僕自身はまったくぶち当たらなかった壁なので(実家に残る選択肢はなかったです)、ぜんぜん参考にならないかもしれませんが、ひとまず状況を整理してみましょう。
3つの選択肢が等価で並んでいるように見えますが、実際のところこれは、家を出るべきだろうか?という自問です。というのも、もし何も考えず、何も決断しなかった場合、自動的に実家に残ることになるからです。
そして現状、実家にいることにはとくに不都合がない、と判断できます。もし不都合があるのなら、それでも残るべき理由のほうが問題になるはずですからね。
一方で、ずーっと実家にいたい!と強く思っているわけではなさそうです。もしそうならそもそも悩む必要がないし、少なくとも家を出ることに興味を抱いているのはまちがいありません。
その上で、「見知らぬ土地に挑戦する」という3つ目の選択肢が、話をややこしくしてしまっています。東京かそれ以外の土地か、という問いは本来、家を出ると決めたあとの話です。
これを「今日の晩ごはん」に置き換えてみましょう。
1. 自炊する
2. 近所の町中華で食う
この2択はシンプルです。ですよね?
ではここに3つ目の選択肢を加えます。
1. 自炊する
2. 近所の町中華で食う
3. 初めての店に挑戦する
急にちょっとわからなくなってきませんか?
何しろまだ外出していないのに、する場合に生じる無数の分岐まで検討に含まれています。いきなりめんどくさくなる所以です。
要は「出るか出ないか」「どこに行くか」という異なる問題を同一のレイヤーに統合してしまっているわけですね。
なのでまずは試しに問題を「出るか出ないか」の2択に絞ってみましょう。
ものすごくシンプルなはずですが、仮に選択肢が3つあるときと同じくらい悩むとすれば、そこにおそらく最大の問題があります。
決めあぐねているのは本当に決め手に欠けるからだろうか?
最適解を求めると、日々はとたんに膠着します。選択時に確定している最適解などありません。それを踏まえていれば、ぶっちゃけサイコロを転がして決めてもいいのです。すっきりしなかったらどのみちまた考えることになるし、サイコロではダメだったことをイヤでも思い知らされます。ではなぜサイコロではダメなのか?
これはたぶん、ご自身の心を知る旅の途中でもあるのです。
A. 問題を適切なレイヤーに分けてみましょう。
*
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その488につづく!
2026年7月31日金曜日
アグローと夜(Agloe and Night) 2026のお知らせ
と
いうわけでほぼ1年ぶりに帰ってまいります。アグロー案内シリーズの実演版、「アグローと夜(Agloe and Night)2026」のお知らせです。
何に驚いたと言って、こんなに告知が早くていいのかしらとハラハラしながら去年の告知を見たらそっくりそのまま同じことを同じようにハラハラしながら書いていたことです。それどころかよく読み返すと一昨年の告知も同じタイミングだったと書かれています。そして当の僕はそのことを、本当にまったく覚えていないのです。
「それ前にも聞いたよ」と折にふれては言われるお年ごろではあるけれど、それにしては昔からずっとこんな調子だった気もするし、そもそもがいくらなんでも学習しなさすぎじゃなかろうかと不安になってきます。
しかしまあ不安になったところで急激に記憶力が改善するわけでなし、ともあれまた開催の運びとなったことを素直に寿ぎたい。
そして同時に当日はすごく盛況で楽しかったこと、とりわけとてもおいしいせんべいの提供(!)で大騒ぎの記憶がありありと蘇るなどして、じわじわと実感が湧きつつあります。
ご予約の受付開始は来週、8月7日(金)正午です。(先着順、予定数で完売となります)
小規模とはいえ、それでも身の丈に合わないことは重々承知しております。またさすがに今年はひざーるくんもいないと思いますが、どうかどうか、万障お繰り合わせの上、お越しくださいませ…!
*
「アグローと夜 2026」
11/6金 @恵比寿TimeOut Café & Diner
出演:タケウチカズタケ、小林大吾
Open 17:30 Start 18:30 End 21:00
Ticket ¥3,900(入場時に1drink ¥600)
チケットURL https://livepocket.jp/e/yfbxr
注:お取り扱いはLive Pocketのみです。
TimeOut Café & Diner
東京都渋谷区東3丁目16−6 リキッドルーム 2F
今年もやってきました「アグローと夜」恵比寿TimeOut Café & Dinerにて開催決定!詩人/ポエトリーリーディング・アーティスト/グラフィック・デザイナーである小林大吾とキーボーディスト・音楽プロデューサーのタケウチカズタケが言葉と音楽の可能性を広げ続けている作品「アグロー案内」シリーズ。その実演ライブ&トークイベント「アグローと夜」年に一度っきりのレアなイベント、お見逃しないように!
2026年7月24日金曜日
アグロー案内 VOL.11解説「惑星/searching for Irene」②
アグロー案内を始めてから薄々感じていたことではあるのだけれど、去年あたりからはっきりと、大袈裟でもなんでもなく、声には魔力があると確信しつつあるのです。
単に力というのではちょっと足りません。ある種の強制性が伴うという意味で、魔力です。
魅力的な声、というのともちょっと違います。どんな声であれ、ある局面、ある状況、ある環境において100%の本領を発揮した上で言葉を発するとき、そこには何らかの特異な場が生じる、みたいなことです。耳を奪われるというのは、文字どおり奪われているんだとおもう。
言霊ってたぶんそういうことなんだろうけど、もっとこう俗っぽく置き換えると、たとえばお巡りさんが逃げる泥棒に「動くな」と叫ぶとき、蚊に刺されたくらいにしか効かない場合と、本当に硬直して動けなくなってしまう場合があるんじゃないのか、という気さえします。
そしてふと思うのです。僕は本当に相手の自由を奪うほどの「動くな」を放てるだろうか?
もちろんできません。できないけれども、ただこれは本質的には、声をきちんと使えているだろうか?という問いにもつながっています。これまでも無自覚に発動していた可能性はかなりあるにせよ、意識的に用いてはいなかった、というのがその答えです。どの状態の声が100%なのか、ほとんど何もわかっていなかった、と項垂れるほかありません。
僕のリーディングは通常の朗読と比べて必要以上に面倒なブレスコントロールを要するアクロバティックなところがあるので、うっかりすると声それ自体にピントが合わせづらくなりがちです。
声にピントを合わせるなら、なるべく余計な技巧を織りこまず、ストレートな朗読に近い形が望ましい。とにかくまずは何かを書いてみよう、と思っていたら書く前に送られてきたのが、このビートです。まるで先の意図を踏まえたかのようにこれ以上ないほどうってつけで、びっくりしたことを覚えています。これがいかにリーディングとぴったり噛み合っているか、ここで強調するまでもないでしょう。
こうなるとタイミング的には今しかありません。書くだけ書き、最低限のリズムをキープしつつひたすら声に集中して読み、録るだけ録ってカズタケさんに託し、最終的な構成もお任せしています。僕としては新鮮な野菜にあまり手を加えず、そのまま生で味わってもらうようなイメージです。そして実際、そのとおりになっているとおもう。カズタケさんにはここに書いたようなことを、何ひとつ伝えていません。だからこそ感慨深いのです。ミックスにしても、「手漕ぎボート 2026/helmsman says carefully」とはぜんっぜんちがいますからね。
前回書いたように、テキストはテキストで思いのほか味があると喧伝はしましたけれども、2周目以降は深く考えずにただただ身を委ねるような、たとえば就寝前に聴きながら自然と寝入ってしまうような、魔力とは言わないにしても、ただただ耳に心地よい作品になっていたらいいな、とおもいます。
どうかなー……!!
2026年7月17日金曜日
アグロー案内 VOL.11解説「惑星/searching for Irene」①
さて、「惑星」です。
制作に至る経緯もあるので2回に分けて、まずは内容にふれておきましょう。
大きなギミックがポンと置かれているので、どうしたってそこにピントが合ってしまうと思いますが、僕自身が手応えを感じている、つくってよかったと感じるおもしろさは、むしろその奥にあります。
最大のポイントは、書いた僕自身でさえ思い描いた情景が強制的にキャンセルされてしまう点です。
シンプルに考えれば、そこには僕らと同じ日常が投影されている、という受け止め方になるでしょう。そしてそれは実際に正しい。問題はそうではない可能性があまりにも多すぎることにあります。
語り手が最初に思い浮かべた「空」は、僕らの知る空と同じだろうか?掬い上げる「砂」は僕らが思い浮かべる砂だろうか?彼の言う「チョコレート」はカカオから作られた茶色くて甘いあの菓子なんだろうか?要はそこに並ぶありふれた言葉すべてが、実はぜんぜん別の何かを指しているかもしれない、ということです。そういう厳然たる可能性がここにはあります。
そう指摘されてもなお、思い浮かべるイメージは全面的に切り替わったりはしないはずです。やっぱり馴染みのある情景を思い浮かべるとおもう。僕もそうです。でもそれは考えうる可能性のうち、一番手前にあって最もつかみやすい世界のひとつにすぎません。
100歩譲って、僕らとほぼ同じ日常が投影されている前提で映像化したとしましょう。それでもいちばん目立つギミック自体は支障なく機能します(←ここが重要)。一方でそれは、ある点で瞬時に増殖した無数の可能性を、たったひとつに確定してしまうことになります。解釈以前に、まず前提が曖昧すぎるわけですね。
ひょっとしたらそうはならないアプローチもあるのかもしれないけど、現時点ではぜんぜんわからないし、わからないことに意義がある。言ってみればこれは、想像するしかないからこそ成り立つ物語でもあるのです。そもそも語り手がヒトどころか生物ですらない可能性すら、めちゃめちゃありますからね。
書き終えてから気づいたことではあるけれど、確定しえない情景(ある状態とそうではない状態が重なり合っている)というシュレーディンガーの猫みたいな問い、そうとわかっていてもなお最初に思い浮かべた情景を拭うことができないパラドックスやその強制性にたぶん、この一編の骨頂があります。
テキスト自体に読ませるだけの力がある、とは僕自身あまり思っていません。読んでみようかな、とおもわせるほどのフックはどこにもないし、むしろいつにも増して軽く聴き流せるよう努めたところもあるくらいです。イヤでも身を委ねてしまうタケウチカズタケの美しいビート、特に変わったことは何も言っていないように感じられる僕のリーディング、何よりテキストと異なり自動で進行する「楽曲」というフォーマット、それらすべてがある種の罠であり、であるからこそ最大の効果を発揮する、とぶじにリリースを終えてひと息ついた僕はおもいます。
何かをつくるとき、どうあれ僕はこのスタイルでしかできないことを強く意識するところがあるけれど、前回の「九番目の王子と怪力の姫君」と同様に、これもまたそんな作品のひとつです。
2026年7月10日金曜日
アグロー案内 VOL.11解説「手漕ぎボート 2026/helmsman says carefully」
とまあそんなわけで、アグロー案内 Vol.11 がぶじ配信と相成りました。
いつもならまず新作についてあれこれ語り散らすところです。しかし今回にかぎってはやはり「手漕ぎボート」のリメイクから触れなくてはなりますまい。
お聴きいただければおわかりのように、今回のリメイクにはオリジナルになかった女性がフィーチャーされています。曲タイトルには付記されていませんが、アグロー案内としても初めての、なんなら最初で最後かもしれない、たいへん貴重なゲストです。
古くからお付き合いいただいている向きには一聴してお気づきかもしれません。
「手漕ぎボート 2026/helmsman says carefully」に力添えいただいたのは、ポエトリーと音楽、という組み合わせでは今も昔も比肩できる人が大袈裟でもなんでもなくまじでひとりもいない、唯一無二の声とスキルを併せ持つ文字どおり空前絶後のアーティスト、totoさん(@totonote)です。
そういえばつい先日の投稿でもすこし触れましたけれども、改めてご紹介しておきましょう。
詠むことを音楽にするという意味で、僕とtotoさんはその昔、完全に同じタイミングで始めた盟友です。僕は単独で、totoさんはタケウチカズタケをリーダーとするバンド(!)で、という違いはあるものの、交流は今に至るまでずっと、途切れることなく続いています。
音源で交わったのはたぶん僕の1枚目のアルバム「1/8,000,000」に収録された「砂金/gold dust」と「おとづれ/a letter to him」が最初です。どっちが先だったかはすっかり忘れてしまったけれど、とりわけ「おとづれ/a letter to him」は僕の組んだビートにtotoさんがリーディングを乗せた(=じぶんのアルバムなのに僕はビートだけでリーディングしていない)一編で、考えてみたらそんな作品はいまだにこれしかありません。
その次がたぶん、totoさんのソロアルバム「◯と◯」に収録された「雲の上のお話」という作品で、これは僕が珍しく(ほんとに珍しい)ゲストとして参加しています。これが2011年です。なのでちょいちょい会ってはごはんを一緒に食べたりなどしてはいるものの、音源での共演はかれこれ15年ぶり、ということになります。
totoさんは現在、Cut SUIKAというユニットで僕なんかよりもはるかに精力的に活動しているので、この声に胸を射抜かれたみなさまはぜひチェックしてみてください。実際、今回のリメイクでは、最後の最後にぜんぶもってかれるくらいの威力があります。
totoさん、ほんとにありがとう!!!
*
「手漕ぎボート 2026/helmsman says carefully」について、改めて付け加えることは何もありません。ただ御大タケウチカズタケ曰くミックスがめちゃムズだったそうなので、オリジナルとは比較にならない超絶技巧が施された一編に仕上がっていることだけは確かです。僕はリーディングに集中すればいいだけだったので、そのせいか初めて、おれ良い曲つくってたんだなとしみじみ思いました。もしシェアしてくれることがあるなら、オリジナルよりも圧倒的に完成度が高いこちらをチョイスしてください。ひらにひらに。
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