2023年9月21日木曜日

「ローラ・コスタ嬢の罠/aaugh!」というタイトルについて


さて、先週のリリースからすでに世界を席巻しまくって各国のチャートを圏外からくすぐり、何億万回も聴き尽くされた挙句もう飽きたというところまで来ているともっぱら噂の「アグロー案内 VOL.6」、お楽しみいただけていますでしょうか。

そういうお問い合わせが山のように届いているどころか別に誰も気にしていなさそうな気もしますけれども、それはまあいつものことでもあるし、山のように届いていることにしてお話ししておきましょう。「ローラ・コスタ嬢の罠/aaugh!」というタイトルについてです。


実際のところ、ジェットコースターに乗った誰かが理屈っぽく絶叫しているというだけのことなのになぜ不可解かつ意味深に見えなくもないタイトルがついているのか?そこには何かこう、余人には窺い知れない深いメッセージが込められているのか?

もちろん、そんなことはありません。あってもいいし、もしあるなら積極的にそういうことにしていきたい所存ではあるけれども、元を正せば録音時の仮タイトルが「rollercoaster」だったからです。

Rollercoaster→ローラーコースター→ローラーコースター上の罠→

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> ローラ・コスタ嬢の罠 <
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要はバンデットとか高飛車とかサンダードルフィンとかと同じジェットコースターの名前みたいなことだったわけですね。

ちなみに「aaugh!」はスヌーピーでおなじみPEANUTSにおける決まり文句のひとつです。


「んも〜!!!!」みたいなニュアンスだと思ってください。

では、明日から始まるツアーでお会いしましょう。チャオ!

2023年9月15日金曜日

ローラ・コスタ嬢の罠/aaugh!


落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で見るものすべてが溶けて流れる。目をとめたときにはもうとうに後ろ……落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で移ろううちにやがて知る、この千変万化の風景を美しいと。

坂の上が見える…目と鼻の先に。終演を知らせる緞帳のように、青く澄んだ空がゆっくりと降りてくる。この先はもうない。ピークだとわかる。1人乗りのトロッコで上り坂のレールを揺られながら運ばれている。交錯する思いに身を委ねながら坂の上に着いたその瞬間、真っ逆さまに

落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で見るものすべてが溶けて流れる。目をとめたときにはもうとうに後ろ……落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で移ろううちにやがて知る、この千変万化の風景を美しいと。

乱高下と急旋回、垂直ループにコークスクリュー、重力と無重力、緩急自在で縦横無尽に目まぐるしく駆け巡る軌道はうねり蟠る大蛇のように予測不能、問答無用で翻弄されて至る心境は諸行無常…と思いきやまた3、2、1

落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で見るものすべてが溶けて流れる。目をとめたときにはもうとうに後ろ……落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で移ろううちにやがて知る、この千変万化の風景を美しいと。

気づけばすこしゆるやかな速度で、風が頬を撫でる。そんなときとそうでないときが、条理と不条理が淀みに浮かぶ泡沫のように、くるくると回って輪舞のように消えては結ぶ、今もこの途上に。あの日辿り着いた坂の上で何を見たのか…と省みる刹那にまた

落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で見るものすべてが溶けて流れる。目をとめたときにはもうとうに後ろ……落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で移ろううちにやがて知る、この千変万化の風景を美しいと。


2023年9月8日金曜日

安らかな成仏のためのプルクワパ霊苑


そういえば以前すこしだけ書き溜めたきり、そのままうちで野晒しになっている短い物語がいくつかあることにふと気づいたのです。放置したところでバナナのように甘く熟すわけでなし、と言って誰かに買ってもらえるほどの値打ちがあるわけでなし、それならせめて懇ろに弔ってやりたいと、部屋のあちこちに転がる骸をかき集めてささやかな墓地をnoteにつくりました。どこかに置いておければそれだけでもう悔いもないし、ちょっと早めの終活みたいなものかもしれません。

プルクワパ霊苑」です。








殺し屋の華麗なるレッスン(予定)

勿忘草(予定)

あわてて開墾したのでアイコンやらヘッダーやら見出し画像まで思いが至らず、わりと適当なことになっていますが、これから追々ゆっくり整地されるはずです。画像なんかわざわざ手をかけなくても自分で撮った写真とかでいいや、と思っていたけれど、試しに自作のデザインを投入してみたら墓碑としても圧倒的に見栄えがよかった…。

まだ全部ではないけれど、すでに予定の半分くらいは埋葬されています。ちょっとした空き時間の慰みになりますように! 

ちょうどいいアイコン


2023年9月1日金曜日

そして来る「アグロー案内 VOL.6」のこと


5人か10人か、少なくとも3人くらいの人はどうにかこうにか目を留めてくれたはず、と願うほかありませんがともあれ昨日は数年に一度もない稀有すぎるツアーが3週間後にございますのお話をいたしました。

そしてなぜ2日連続でこうもどたばた更新しているのかというと、図らずも完成した新作をシェアするならツアー前の今をおいて他にないと急遽、かれこれ5ヶ月ぶりに「アグロー案内 VOL.6」のリリースが決定したからです。配信の醍醐味ここにあり、というかんじですね。


配信スタートはなんと2週間後、9月15日(金)の午前0時です。

本来であればアグロー案内のメインコンテンツである「名探偵山本和男」関連の楽曲が前面に押し出されているはずですが、今回に限っては本当にこの新作のための配信と言っても過言ではありません。


曲の印象はいつになくポップです。ポップと言ったってKBDGのことだしよく見たらプッピかもしれないですけど、アグロー案内にはこういうのもほしい、と個人的には常々おもっていたタイプの楽曲になっています。深夜に一人でしっとりと聴くような作品ではたぶんない。

VOL.4の「ジョシュア」で得た新たな方法論の最初の結実がVOL.5の「前日譚」だったとすれば、それをさらに確かなものへと推し進めたのが、過去最速のBPMに乗せたVOL.6の「ローラ・コスタ嬢の罠」です。もちろん今回のツアーが初めてのお披露目となります。なるはずです。なるのか…?

楽しんでもらえますように!

2023年8月31日木曜日

アグローと夜(Agloe and Night) 2023のお知らせ


いよいよ8月も終わるという今朝になって、ふと気づいたのです。そういえばツアーに出ることをここでお知らせしていなかったと。

そんなわけで9月は御大タケウチカズタケとともに(と言うにはあまりに何から何まですべてを取り仕切ってもらって厚意に甘えまくりなので胸を張れる立場では全然ないのですが)「アグローと夜(Agloe and Night)2023」と題して愛知大阪、そして兵庫に参ります。


タケウチカズタケ+小林大吾
「アグローと夜(Agloe and Night) 2023」

9/22(金) 名古屋 KD Japon
OPEN 19:00 START 20:00
前売 3,000 / 当日 3,500(別途ドリンク)

お問合せとご予約:KD Japon kdjapon@gmail.com

***

9/23(土祝) 本町 マザーポップコーン
OPEN 19:00 START 20:00
前売 3,000 / 当日 3,500(別途ドリンク)

お問合せとご予約:マザーポップコーン Hiyotuki@gmail.com
日程、イベント名、ご予約名、人数を明記の上ご連絡ください

***

9/24(日) 加古川 花茶茶花
〜花茶茶花 16th anniversary ×「アグローと夜(Agloe and Night) 2023」〜
OPEN 17:00 START 18:00
前売 3,000 / 当日 3,500(別途ドリンク)

お問合せとご予約:花茶茶花 079-437-7774


たしか以前にもツアーに出ることを事前にここでお知らせし忘れて事後報告になった記憶があります。告知に慣れていないとはいえ、知らせもせずに一体誰に来てもらおうというのか、情けないにもほどがある。申し訳ありません。

とはいえまだギリ8月です。開催まであと3週間あります。

そしてつい先日も「実物を初めて見ました」と言われたくらいなので、ライブはさらに稀有です。と言ってもそもそも需要がないから稀有なんだけど、笑顔になってもらえるように精一杯がんばるのでどうかどうか、万障繰り合わせて足をお運びくださいませ…!

ツアー限定アイテムもあるらしい

2023年8月25日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その401


マリリン朦朧さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. うちの洗濯機と掃除機と炊飯器と電子レンジが壊れかけているのですが、どれから買い替えるべきでしょうか?


ひょっとするとすでにぜんぶ買い替えたかもしれませんが、まだどれもギリ壊れていないと都合よく仮定してお答えしましょう。

僕なら洗濯機一択です。ぶっちゃけ、省かれる手間が他の家電の比ではない。初めからなかったなら手洗いやコインランドリーという選択肢もあったとおもいますが、一度でも使ってしまったら誰であれもう洗濯機なしに生きていくことはできません。

しかし例えばそんなにしょっちゅう服を着替えず、風呂から上がっても体をプルプル震わせて拭かずに乾かしているなら話は違います。その場合はおそらく電子レンジでしょう。仮に料理をしなくとも、これがあるのとないのとでは食事の質が大きく変わってきます。解凍ができて温めもできて調理もでき、人恋しいときにはその電子音で相槌を打ってくれる心やさしき万能家電です。

ただしそんなにしょっちゅう服を着替えず、風呂から上がっても体をプルプル震わせて拭かずに乾かし、極度の偏食でキュウリしか食べられないような場合はさらに話が変わります。そうなるとなぜそもそも炊飯器と電子レンジがあるのだという疑問も湧きますが、僕も炊飯器を使わないのに人からもらったことがあるので、あまり気にしないでよいでしょう。キュウリしか食べないなら電子レンジはもちろん炊飯器も自動的に除外されるので、残るのは消去法によって掃除機となります。

その家電を活かすためには何が必要か、という観点もあります。洗濯機なら服が必要です。炊飯器なら米が不可欠だし、電子レンジも食料がなければマイクロ波を放射するだけのただの重い箱です。服も米もその他の食料もないなら、これらの家電はまったく役に立ちません。

その点、掃除機は違います。掃除機が求めるのは埃や小さなゴミだけです。埃はどこにでもあり、いくらでもあり、そして尽きることがありません。ただ暮らしてさえいれば、それだけで掃除機に存在意義はあります。サイズ的にも添い寝なんかにちょうどいいし、通電すればほんのり温まって人肌に感じることもあるでしょう。名前をつけて可愛がれば立派に家族の一員です。

したがって、いろいろ考え合わせると掃除機なのではないかな、と僕なんかはおもいます。

ただうちにはかれこれ10年くらい掃除機がないので(その理由はこちら)、考察で得られた結論が掃除機というのはわれながらちょっと釈然としないものがありますけども、数式だって複雑になればなるほど予想外の結論を導くことがあるんだからそれは仕方ありません。

やっぱり洗濯機かなあ。


A. 掃除機です。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その402につづく!

2023年8月11日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その400


ハレンチクルーラーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q. 一日一日を大切に過ごすとはつまりどういうことでしょうか。


いい質問です。

これは言ってみれば河童の頭にある皿のように過ごすということであり、もしくはタンスの角につけ狙われる足の小指のように、表面張力ギリギリの水のように、夜のオウムのように、確認されているUAPのうち今も科学的に説明のつかないわずかな目撃例のように、婚約したばかりなので絶対に生きて帰ると照れくさそうに話す兵士のように過ごす、ということになりましょう。

向こうが透けるほど擦り切れたパンツのようにと言い換えてもいいし、映画のエンドロールのようにとか、ダイヤモンドのようにとか、まだ発見されていない新種のキノコのようにとか、ビンの底に残った高いお酒のようにとか、古い民家の襖のようにとか、1本だけひょろ長く伸びた体毛のようにとか、何なら人生の伴侶に選んだたった一人の誰かのようにと言い換えてもよろしい。わかるようでなんだかよくわからないなりに、じっさい大切なことは確かに大切だし否定もできないのでそりゃまあ大切にしないといけないよねと同意するほかありません。

とにかくホームボタンとか、待ちに待った新作とか、かつてツイッターと呼ばれたアプリとか、季節感とか、爪楊枝の端にある溝とか、幼少時から使ってて今も手放せないボロボロのタオルとか、初めて買ったときはまだ有線だったから捨てられないイヤホンとか、言わないとわからないから言わざるを得ない必殺技の名前とか、初恋とか、トイレットペーパーのミシン目とか、推定無罪とか、課金しまくった末にやっときたSSRとか、タピオカみたいに過ごすのです。うーん、それもいいけど、そうじゃなくてね、と訳知り顔の誰かに苦笑いで窘められたら顔面にストレートのグーパンをお見舞いしてやりましょう。てめえの大切を人に押しつけんじゃねえよ、と言い捨てたのち、地面にペッと唾を吐いても大丈夫です。

大切にしようとそうでなかろうと、人生はつづき、またおそらくわりと唐突に終わりを迎えます。それはヒトに限らずすべての生物が例外なくそうです。一日一日を大切に過ごした人と、別に大切に過ごさなかったカタツムリとで、生と死の意味が変わるかと言ったらもちろん変わりません。それでも一日一日を大切に過ごしたいと、ちっとも具体的ではない極めて曖昧なことを考える甲斐は果たしてあるだろうか?

ある、と個人的には考えます。実際にそう思ってもいます。ただしそれはあくまで一個人の胸に留めておくことであり、一般論として語るような話ではありません。人とシェアするようなことでもない。少なくとも、どういうことだろう?という問いに対して迷いなく答える人がいるなら、そこに耳を貸す必要はありません。大切にしたいと思うきもちは尊重できても、”And you?” と問われた時点で僕はうるせえ余計なお世話だ一緒にすんなと返します。どう考えてもパーソナルな話のはずなのにどこかで聞いたことがあるようなある種の定型句になってしまっている時点で忌々しい。

だからこそなんだか判然としないままに胸を張って堂々とこう断言するのです。それは一日一日をカカポのように過ごすことである、と。


A. 記憶にないブックマークのように過ごすことです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その401につづく!
 

2023年7月28日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その399

両側に幼馴染の部屋がある設定

サマージャンボ刀鍛冶さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 折れない心の保ち方を教えてください

自分が行きたい所を相手に伝えてもなかなか意見が通らない状況を繰り返していたらいつの間にか自分の意見を言わないようになってしまいました。厄介なコトに意見の衝突が浅い友達や知人レベルならいいですが「パートナー」なので縁を切るには切れずにいます。このことを話すと婿入り前に立ちはだかる父親よろしく「折れずに意見を伝えて立ち向かってこい」と言われてしまいました。


言ってもどうせ聞く耳を持たないから言わない、というのは長年連れ添った夫婦でもよくある話です。だとするとこれは心の保ち方の問題であると同時に、じつはふたりでどう生きるかという問題でもあるのかもしれません。

僕自身のことを申せば、ふたりの間に起きた問題はどうあれ常にふたりの問題であるというスタンスです。

たとえば脱いだ服は洗濯機に入れてほしいけどいつも脱ぎっぱなしのまま置いてある、という問題があったとしましょう。悪いのはもちろん、脱ぎっぱなしにする人です。多くの場合これは脱ぎっぱなしにする人の問題だと受け止められるし、何ならこの悪しき習性をどう改めさせるかみたいな話になります。

しかしこれが問題になるのは、それを問題として受け止める人がそばにいるからです。一人だったらどれだけ脱ぎ散らかそうと誰も文句は言いません。脱ぎ散らかすのをやめてほしいと願う人がいるからこそ問題になるのだとしたら、これはやはり厳然として、ふたりの問題です。

ふたりの問題ならば、当然ふたりで解決しなくてはなりません。世間のあちこちで耳にするように、相手が変わればいいとかどう変えるかとかそういう問題では全然ない。ふたりで暮らしていく以上は、たとえ片方が100%悪かったとしても、同時にもう片方もまたそれを受け止めて変わる余地をもつ必要がある、と僕は考えます。(変わる必要ではなく、変わる余地をもつ必要、であることに注意)

要は「本当にどうしても絶対に、何がなんでも譲れない部分だけは伝えてお互いそれに従い、それ以外はなるべくお互いに受け入れる」ということです。

先の例で言うと、仮に服を脱ぎ散らかさないでほしいと望む側が僕だった場合、僕にとってそれは困るは困るけど本当にどうしても絶対に譲れない部分かと言ったら全然そんなことはありません。なので受け入れて、僕が服を洗濯機に入れます。そして脱ぎ散らかすことについてはもう考えません。枯れ葉が落ちるのと同じくらいふつうのこととして受け入れます。

とはいえこれをそのままいただいた質問に当てはめると、ふたりで解決しよう!ということにしかならないので、ここはひとつ折り合いをつけて、ふたりで解決するときの片方の気の持ちようを考えてみましょう。

もし行きたいところを伝えても意見が通らないことが絶対に承服できないのだとしたら、あしらわずにきちんと耳を傾けてほしいと伝えます。これは意見が通る通らない以前の話です。そして気持ちを強く持てばいいとかそういう話でもない。お互いに敬意を払えるかどうかの話です。

一方、や、まあそこまででもないか、とおもえるなら、それはそのまま受け入れましょう。諦めるという意味ではありません。そうではなくて、どこまで踏みとどまるかの線引きを自分でする、ということですね。

戦いとして挑めば当然そこには勝敗が生じます。敗戦がつづけば心が折れることもあるでしょう。でもこれは戦いではないし、あくまで折り合いです。勝とうとさえしなければ、負けることもありません。ひいては心をぽきりと折られることもなくなる、と僕はおもいます。

もちろん、折り合いもへったくれもない、相手がまったく聞く耳を持たない専制的な人であっても、やっぱり好きで離れられないパターンも往々にしてあります。何ならそれはそれでどうにかこうにかやっていったりするので、一概にこうあるべきとは言えません。

つまりこれは、今あるちいさな幸せをこの先も保つにはどうしたらいいか、という話でもあるのです。人それぞれとは言え、お互いを思えば着地点は必ずあります。据わりのいいところを探してみてください。


A. 戦いとして挑まないことです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その400につづく!

2023年7月21日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その398


みっちゃんインポッシブルさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
 

Q. 『人には伝わらないかもしれない何かしらのコツ』はありますか?私の場合で例えますと「飲み物や汁物を運ぶ時には、対象物を見ない」です。おそらく対象をじっと見てしまうと、こぼさない事に集中してしまってかえって動きがぎこちなくなるからだと思っています。学生時代、1階がキッチンで2階が客席の狭い喫茶店でアルバイトをしていましてこのコツを覚えてからは、最大で5杯の珈琲(トレー最大積載数4杯と反対の手に1杯)を階段を駆け上りながらこぼさず運べるようになりました。しかしこれ、今ひとつ人には伝わらない気がしています。万人にあてはまるかどうかもわかりません。(当時のバイトの先輩方ならわかってもらえるかもしれませんが、聞いた事なかったな…)こういう、役に立ちそうで立たなさそうな『コツ』があったら、教えてください。


あっこれはちょっとわかるような気がします。僕の認識ではどちらかというと、視界には入れるが焦点を合わせない、という感じなんだけど、合ってるかな?これを最初に教えといてくれたら、初めてバイトをしたうどん屋で天ぷら付き素麺をお客さんに頭からぶちまけることもなかったのにと悔やまれてなりません。でもたしかにこれは、経験がないとピンとこないかもしれないですね。

それで言うと似たような話がもうひとつあります。中型バイク(普通二輪免許)の教習に通っていたころのことです。

等間隔に置かれた赤いパイロン(カラーコーンですね)の間を縫うようにうねうねと蛇行する練習がどうしてもうまくできなくて、何度やってもパイロンを倒してしまっていたのだけれど、そのコツとして「視点を直近のパイロンではなく、数メートル先に合わせるように」と教わりました。

これがまたびっくりするほど覿面で、シンプルかつ明快な指導に目からウロコがぽろぽろ落ちた記憶があります。ついでに一本橋と言って、低い平均台みたいなところを落ちずにまっすぐ走るときも同じコツで難なくクリアできたことも付け加えておきましょう。

要はぶつかったり落ちたりしないように視線を落としてタイヤの辺りを気にしていると、その先が視界に入っていないので常にその場しのぎで進むことになってしまう、ということですね。

できるようになってみると、これがじつは意識の違いでもあることがわかります。

×パイロンを避ける
○蛇行する

×落ちないようにする
○渡りきる

そしてお気づきかもしれませんがこの向き合い方、人生におけるありとあらゆる状況にも当てはまります。「足元ではなく数メートル先に視点を置く」は今や僕にとって大切な哲学のひとつです。問題と直面したときの基準としてはかなりの効果を発揮してくれます。

冒頭の話とは別のように見えて、進むときに手元や足元に視点を置かない、という点ではやはり同じです。正直このコツは、コツ以上の意味があるとおもう。役に立ちそうで立たなそうどころの話ではないです。

なので回答としてはもうちょっと、役に立ちそうで立たなそうなコツを挙げておきましょう。

すれ違うはずの人と何度も同じ方向に避けて膠着する状況がありますが、あらかじめ視線をあさっての方向に逸らしておくと、ほぼ回避できます。どうも相手がどう動くかをお互いに探ってしまうのが良くないらしい。

役に立ちそうで立たなそうな、そして人に伝わりづらいコツとしてはぴったりだとおもいます。


A. すれ違うはずの人と何度も同じ方向に避けて膠着する状況がありますが、あらかじめ視線をあさっての方向に逸らしておくと、ほぼ回避できます。


おまけに説明もしづらい。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その399につづく!

2023年7月14日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その397


黄身たちはどう焼けるかさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 自分の好きな子に熱中症をゆっくり言わせると?


なんというかこう、いろいろと考えさせられる質問です。「お巡りさんをグーで殴ると?」と同じくらい、どうなるもくそもない感があります。

もちろんこれは「ね、チューしよう」に聞こえるよ!という話なわけですが、髪だけでなく体毛も白くなり始めたしおしおの中年男性としては地蔵のように石化して無にならざるを得ません。悩みでもあるのか、よかったら相談に乗るぞ、と赤い前掛けをつけた地蔵のまま耳を傾けたい。

たとえば好きな子に熱中症をゆっくり発音してもらうことに成功し、言わせた側が興奮し、好きな子に「これが何なの」と怪訝な顔をされてもお茶を濁してそそくさと退散し、物陰に隠れて乱れた呼吸を整える、もしくはそれを最初から最後まで妄想する話としてはよくわかります。おそらく誰でも一度は通りそうな道です。わかるけれども、この話をおっさん相手にするのは明らかに、かつ大いに問題があります。地蔵として相談に乗る所以です。

意図するところを紐解く必要があったのでやむを得ずちょっとここに来てお座りなさい的なことになりましたが、とはいえ実のところ、チューよりも先に思い浮かんだ情景があるにはあります。

文字で表すとこうです。

「熱……中…!症っ……!」

ざわ…ざわ…

「ククク…」


A. 好きな子が賭博黙示録カイジになります。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その398につづく!

2023年7月7日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その396


ハッピーバス停さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 北陸のサービスエリアのトイレの手洗い場には「冬期はお湯がでます」と書いてあることがあります。これを見る度に、私が夏目漱石だったら「I love you」を「冬期はお湯がでます」と訳しただろうなと思います。ムール貝博士にも、自分が夏目漱石だったら「I love you」をこう訳すというものはありますか?


これはいい話です。夏目漱石になる必要は全然ないと思いますが、「I love you」を「冬期はお湯がでます」と訳すセンスはかなりシビれるものがあります。たしかに冬期のお湯には、それまで好きでもなんでもなかった人に不意打ちでトクン…とときめいてしまうようなよろこびがあるし、言い得て妙です。

そもそも「愛する」が訳語として作られた日本語だから当たり前と言えば当たり前なんだけど、普段つかわないから気恥ずかしいとか以前に、食べると言わずに食すると言うような違和感があります。間違ってはいないにしても、親しみが薄いというか、あまり言わない。お互いの立場と距離がかなり限定されたフレーズという点では「さようなら」にも近いかもしれません。

もちろん、「さようなら」は響きも美しい最高の日本語のひとつです。ただこれも実際のところ日常では言うほど使いません。使うのはむしろ「じゃあね」「それでは」「バイバイ」といった原型を留めないバリエーションのほうが圧倒的に多い。親しければなおさらです。

だとすれば「I love you」も「愛してる」だけに限らず、さようならに対するじゃあねと同じくらい原型を留めない多くのバリエーションが必要なのではないだろうか。

そういう意味では「月が綺麗ですね」にも一定の理があります。原型、留めてないですからね。

しかるに「冬期はお湯がでます」は原型を1ミリも留めていないばかりか、愛とは何かを改めて考えさせられるほどの奥行きがあります。なんとなれば「月が綺麗ですね」が相手の察してくれることを前提とした身勝手な一言であるのに対し、こちらは相手がどうあれ変わらず温もりを注いでくれる無償の印象があるからです。

そしてこの視点に立った途端、世の中のありとあらゆるフレーズがそれまで気づかなかった愛情を示しているような気がしてきます。

たとえば僕の手元には今たまたま乾燥剤の小袋があって「たべられません」と書いてあるのだけれど、じっと見つめているうちにこれもまた「あなたにたべてほしくない…なぜってそれは…」と移ろって、扇情的かつ官能的な「I love you」の訳に思われてくるのです。なんという詩情だろう!思わぬ愛の直撃にノックアウト必至です。

見渡せば他にもいろいろあるのは疑いないけれど、こうなると僕はもう乾燥剤以外のことは考えられないので、これにします。たまたま手元に乾燥剤があってよかったです。


A. 「たべられません」


ちなみにムール貝博士は「木っ端微塵さ」とか「草も生えない」とかになるとおもいます。すべてを灼き尽くして焦土と化すほど燃え上がるとかたぶん、そういうことでしょうね。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その397につづく!

2023年6月30日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その395


アレサトランポリンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 電車内でのスマートな席の譲り方を教えてください。


あ、これは僕に訊いても何の参考にもならないやつですね。なんとなれば僕はもうだいぶ以前から、よほどスッカスカでないかぎり、電車の席には座らない男だからです。絶対にとかでは全然なくて、ひどくへとへとだったり、誰かと一緒だったりしたら逆に気を遣わせてしまうので普通に座るけれども、基本的に座ることを求めていません。少なくとも一人で移動のときは仮に席が空いていてもだいたい立っています。

というのも、長年電車を利用してきて、座れるかな、座れたらいいな、座れなかったな、空くかな、あっ空いた!とかそういうことを考えるのにほとほと嫌気がさしてしまったからです。待てよ、なぜそうまでして座る必要があるんだおれは?とある日うっかり自問してしまったわけですね。

その結果、同じ距離を歩いて移動するよりは断然速くて楽なわけだし、あれこれ考えたり気を遣わなくてすむし、今のところは座らないとアラートが鳴る体でもないし、べつに立ったままでもいいか、と考えるようになりました。本当に必要な人が座れるならそのほうがいい。

おかげで今では空いてる電車も混んでる電車もあまり印象が変わりません。どのみち立っていることには変わりないので、広いな、とかちょっと人が近いな、とおもうくらいです。今の僕にとっては動く歩道みたいなものなのかもしれません。1時間くらいだったら問題なしです。僕としてはとにかくめちゃめちゃ気が楽になったの一言に尽きます。ときどき座れることよりも圧倒的にストレスフリーで、何ならずっと快適です。

しかしこれでは何の回答にもなっていないので、ここはひとつ考えてみましょう。

席を譲るのに気を遣ったりためらったりしてしまうのは、口下手で声をかけるのが得意でなかったり、思いのほかいろんな理由で断られる可能性がなきにしもあらずだからです。個人的には席を譲られたらどうあれ受け入れて座るのが譲るのと同じくらい大事なマナーという気がするけれど、断る側も断る側で申し訳なく思っていたり、すぐ次の駅で降りることもあるので、それは考えても仕方がありません。

だとすればどう考えても最善なのは、目の前に立つ人と知らぬ間に体が入れ替わっていることです。目にも留まらぬ速度で入れ替えてしまい、何食わぬ顔でスマホの画面をスクロールでもしていれば、譲られた当人以外は誰も気づきません。コミュ力を必要としない点でも文字どおり言うことなしです。

とはいえ具体的にどうすればそんなことが可能なのかちょっとイメージしにくいとおもうので、参考までにMARVELにおける最速のヒーロー、クイックシルバーの動画を載せておきましょう。こんなふうにやるのです。


為せば成ります。がんばってください。


A. クイックシルバーみたいな所作を身につけることです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その396につづく!

2023年6月23日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その394


ちょっとGPTさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)GPTは牛乳パン玉子、もしくはごめんパンツ取っての略です。


Q. 最近ささくれが多くてよくちぎってしまいます。ささくれはちぎると血が出たりして痛いです。なのでちぎったことは絶対に後で後悔します。それでも何度も繰り返しちぎってしまいます。後悔するってわかっているのに何度も同じ過ちを繰り返す、それは人類が歩んできた歴史にとても似ていると思います。そこで僕は、全人類が指のささくれをちぎってしまうのを我慢出来れば争いが起こらない平和な世の中になるのではないか、と考えました。なので世界平和のためにささくれをちぎらない方法を教えて下さい。


ふむふむ、ささくれをむしりさえしなければ、争いも起こらず、世界が平和になるというわけですね。おっしゃる通りです。世の争いごとは元を辿ればすべて誰かのささくれに起因していると言っても過言ではありません。そして人の指先には例外なくささくれができます。何千年たっても問題が尽きないのも道理です。

しかしそれさえわかればこっちのもんだという気もするので、いくつか考えてみましょう。


1. 迷信をすりこむ

一般的にはどうなのかわからないけど、僕が子どものころは「ミミズにおしっこをかけるとちんちんが腫れる」という迷信がありました。これには超常的な驚きとインパクトがあって、かなりの抑止効果があったとおもいます。なんとなれば、そんな心配をしてまでやるほどのことでは全然ないからです。

これに倣って、たとえば「ささくれをむしるたびに終末時計の針が進むよ!もう残り1分半なんだからね!ひとむしり1秒だよ!となるべく幼いうちにすりこみましょう。そうはならないと思っていても、むしろうとするたびにいちいちそんなイメージが思い浮かべば誰だってイヤになります。平和との関連性という点からしても、ちょいちょい終わりかけの世界を憂えることになるわけだし、わりと理にかなっている気がしないでもありません。


2. 腕をサイボーグ化する

しかし子どもはともかく、大人になってからではそうそううまくいきません。ここは思い切って、腕をサイボーグ化しましょう。指先だけでいいじゃないかと思われるかもしれませんが、その切り口にささくれができないともかぎらないし、指先だけでは機械化の甲斐もあまりありません。いっそ腕ごとチェンジが見た目もよくて最善です。

ただ平和との関連性で言うと攻撃力が意図せず大幅に上昇し、握手ひとつで相手の手を粉砕してしまう可能性も否定できないので、やや注意が必要です。でもささくれはなくなります。


3. 精神を鍛える

でなければ、精神を鍛えることです。むしらないだけの心の強さを持てればそれに越したことはないけれど、それができなくて苦労するわけだから、それよりむしっても動じない精神力に焦点を当てたい。

むしっても血が出てもその痛みをモノともしない強靭な心があれば、いずれささくれのほうが根負けします。ささくれからしたら痛みも血も感じない人を相手にすることほどつまらないことはありません。頼まなくても向こうから匙を投げてくるでしょう。

ただこれも平和との関連性で言うとほぼ根性論であり、またかつて日本が積極的に関与した戦争がこの非合理的な根性に依拠していたことを考えると、やはり注意が必要です。でもささくれはなくなります。


4. やさしくする

ささくれができるのは多くの場合、指先が乾燥しているからです。日々摂取する栄養や、新陳代謝のサイクルなんかも密接に関わってくるでしょう。だとすれば食生活や習慣を改めて見直し、ハンドケアに気を配ることがいちばんの近道ということになります。

いかにも訳知り顔の大人がドヤ顔で出してきそうな最悪の回答ですが、平和との関連性から言ってもおそらく最も理にかなっています。誰も気に留めない指先に心を注げる心の持ち主が平和的でないわけがありません。

僕自身はぜんぜんできていないししてもいないけれど、ふだんから爪を磨く習慣のある人の手はネイルやマニキュアをしなくても本当にきれいです。純粋な美と、それからやさしさがここにはあるとおもう。

そうは言っても自分さえ美しければ他人はどうでもいいという人も少なからずいるので、やはり注意は必要です。もたらす結果は他の例と大差ない可能性もある。でもささくれはなくなります。


5. 結論

現時点で僕がこれさえなくせればだいぶ状況が変わると考えているのはたとえば、呵責罵倒唾棄軽視です。一般的に正しいとされる側にいる人たちも、そうでない人たちと同じくらいこれを用いる印象があります。率直に言って、僕もそうです。だからこそなるべく胸に留めておきたい。

その上で、ささくれをむしるのは誰かを責めたり、罵ったり、見下すことと同じだ、と考えてみましょう。その誰かは他人かもしれないし、自分かもしれない。とりわけささくれにおいては、傷つけるのも傷つくのも自分です。自分を大切にすることなくして誰かを大切にすることなど絶対にできません。そのことに気づきさえすれば、いずれ自然とむしる頻度が減り、巡り巡って世界も平和になるんではないかとおもいます。


A. 個人的にはサイボーグ化がおすすめです。




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その395につづく!

2023年6月16日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その393


ファイナルファンタオレンジさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 30代になり、さいきん歳をとるのがこわいです。歳をとって良かったなってことがあれば教えていただきたいです。


これはもう、単純かつ明快に断言していいと思いますが、歳をとるのがこわくなくなることですね。

歳をとるのがこわいのは、ある時点から下り坂に転じる印象があるからかもしれません。そしてそれはまあ、概ね事実です。それまでずっと上り坂だったのにすぐ先に下り坂が待ちかまえているとしたら、それは誰だってこわい。ジェットコースターと同じです。

しかし実際のところ、ジェットコースターは下り坂に突入してからが真骨頂です。下り坂のまま地面に激突して死ぬわけでは絶対にないし、「あのガタゴト登るとこまでは楽しかったのになあ」と振り返る人はまずいません。だいたい、下り坂にならないと「うおわああああああ」と絶叫することもできないのです。「歳をとるのがこわい」までが序の口である、と言い換えてもよろしい。

歳をとってからのほうが楽しいよ、とまではさすがに正当化のニュアンスもありそうで言いたくないけれど、年齢を感じるより以前に想像していたほど単純なものでは全然ない、いやもうホントに、全然、まったく、1ミリもないよ、とは請け合えると思います。

例えば僕がリーディングを始めたのは、20代も半ばを過ぎてからです。トラックを作り始めたのはもっと後で、1枚目のアルバムをリリースしたのは30手前です。誰がどう見ても、圧倒的に遅い。こう言っちゃなんだけど、10代のころからバンド活動をしていた人が音楽と距離を置いてもおかしくないくらいの時期です。そしてその時まで、というのはつまり、20代後半まで楽器もできなければ歌も歌えないじぶんがどうあれ音楽的な活動に携わるとは想像もしていませんでした。そこからさらに20年たって、第一線で活躍するミュージシャンと共に作品をこしらえたりしているのだから、それこそ想像を絶するものがあります。30代でもそんなことは考えていなかった。というか、まだ人前でライブをすることがあるとはなあ、と他人事みたいに驚いてるとこさえある。

そう考えると、こわいどころの話じゃないですね。まじでいったい何をやってるんだろう。今ごろになって背中に冷たい汗が流れます。そんなこと言ったってもう、どうにもならないんだけど。

もっと若いうちからいろいろできる人もいっぱいいるし、そうできたらよかったな、とは思わないでもないけれど、一方で何度やり直してもたぶん同じタイミングになるんだろうな、という気もします。そこは本当に、人それぞれです。人生も終盤になってからとんでもない花を咲かせる人もいます。ですよね?

この先に何が起きてどうなるのか知る由もないという意味では、僕は今でもこわいです。いつ伴侶に見捨てられるかわからないし、明日ぽっくり死ぬかもしれない。それはいつも胸に刻むようにしています。

でもそれも含めて「ま、しゃーねーな」と思えることがまた、歳をとって得た大きなもののひとつかもしれません。

正直、30代なんて後から振り返ったらそれほど惜しまれるもんでもないですよ。大体ちゃぶ台のひっくり返し甲斐があるほどの蓄積や重みもまだそんなにないし、その甲斐があるのはむしろこれからです。腕まくりをして備えましょう。


A. 歳をとるのがこわくなくなることです。




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その394につづく!

2023年6月9日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その392


スローな麦にしてくれさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. オーヘンリーの魔女のパン、大吾さんはどう読みますか?


「魔女のパン」とはまた、渋い一編をチョイスなさいますね。僕も好きです。

ご存知ない方のためにこの掌編をざっくり説明すると、パン屋を営む独身の中年女性が主人公です。店にはいつも古いパンだけを買う男性の常連客がいて、彼女は彼のことが気になっています。

彼女の見立てによるとその男性は芸術家で、食べるものにも困っているようです。日々の観察によって、彼女の妄想は捗ります。やがて彼のことを理解できるのは自分だけかもしれないと確信するようになるのです。そうだ!と彼女はある日ひらめきます。彼がいつも買う古いパンに、こっそりバターを挟んでおいたらどうだろう?思いがけない贈り物に、きっと彼はびっくりして、そして……と、彼女の胸はときめく一方です。何食わぬ顔でバター付きのパンを渡すという恋の電撃作戦を遂行した翌日、いつもより素敵な服を着て、いつもならしないお化粧をして、喜びに満ちた彼の来訪を待ちます。

ここまでくれば大体おわかりかと思いますが、話は考えうるかぎり、最悪の結末を迎えます。一体何が起きたのか、気になる人は青空文庫にもあってとても短いので読んでみてください。

はっきりしているのは、彼女が夢のような恋のために着ていた可愛いオシャレなブラウスを全力で脱ぎ捨て、自ら調合したスペシャルな化粧品を全力でゴミ箱に投げ捨てたことです。わかるわかる!そりゃ誰だってフルスイングでぜんぶゴミ箱にぶち込むことになるでしょう。

僕が好きなのはまさにこのシーンです。ここに彼女の彼女たる所以がすべて詰めこまれています。

実際のところ、この物語における被害者は、圧倒的に男性客です。店主である彼女の「思いやり」によって、彼は大きな仕事を失う羽目にもなっています。なぜ自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか彼にはさっぱりわからないし、気の毒すぎて目も当てられません。

にもかかわらず、店主である女性は「自らの行為が何の罪もない人の希望を奪った」とは、おそらく考えていません。この物語を読み終えて残る余韻は悲しみや反省よりも、むしろ忌々しさです。作中のどこにも書かれていないけれども、彼女の最後のセリフをあえて書き足すとしたら「紛らわしい!!」だと僕はおもいます。

男性の気持ちに寄り添うなら「ごめんなさい!そういうつもりじゃ全然なくて、わたしはただ…」とひたすら弁解して許しを乞うルートもあったはずですが、そんな印象は全然ありません。

つまりこれは徹頭徹尾、彼女による一人芝居なのです。一方的かつ身勝手で、何なら失望さえしています。念のためお断りしておくと、男性客は誤解されるようなことを一切していません。ただ古いパンを買っていただけです。

勝手に想像して勝手に思いこんで勝手に期待して勝手に失望する、これはそういう人を皮肉り一刀両断する物語です。

とくに中年以降になるとそういう人、いますよね?

したがって僕はこれを、オー・ヘンリーの中にある「いいかげんにしてくれよまじで」を形にした物語である、と解釈します。

その証拠に、原題は "Witches' Loaves"、つまり「魔女たちのパン」です。複数形であることに注意していただきたい。

この物語における「魔女」はもちろん、パンにバターを挟むことで恋の魔法をかけたつもりでいた彼女です。それなら単数形だって何の問題もないというかむしろそのほうが自然なのに、なぜわざわざ複数形にする必要があるのか?

皮肉の対象がある一人の人物ではなく、「そういう人々」だからです。

勝手に想像して、おせっかいを焼くのはやめてくれ、というわけですね。

もう、絶対そうでしょこれ、と個人的にはおもうけど、とはいえあくまで僕はこう読み解くというだけのことなので、あんまり真に受けないでください。

こうならないように気をつけたいものだなあ、としんみりする点で教訓はある……けど一方で別に救いがあるわけでもないあたりが、いかにも人生という感じで、そこが好きですね。僕はとんだ目に遭った男性客の味方です。そして好意も、なるべく相手に寄り添ったものでありたいといつもおもう。


A. 余計なおせっかいを焼く人々に対する皮肉だとおもいます。




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その393につづく!

2023年6月2日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その391


あこぎのアンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. うまれたてのひよこがすぐ歩けるのはなぜなのでしょうか?私は生まれてから歩けるようになるまで結構苦労した覚えがありますが。


日々の糧を狩猟でまかなっていた大昔ならいざ知らず、天下一品でこってりラーメンなんかを啜る現代の人類はどうしてもこのことを忘れてしまいがちですが、基本的にこの世は食うか食われるかです。そしておよそすべての動物は、この世に生を受けたその瞬間から、捕食の対象となります。例外はありません。

動物たちにとって、生とは一貫して試練と至難の連続です。「あら〜笑ったわ〜」「ハイハイができた〜」「いないいないばあ〜」とかのんき極まりない子育てをしている動物はヒト以外にありません。普通はそんなことをしている間に他の動物に食われます。

成獣よりも幼獣のほうが圧倒的に狙われやすいことを考えれば、生まれてすぐ歩けるというのはその後を生き抜く上で最低限の必要条件である、と言ってもいいでしょう。したがってひよこがすぐ歩けるのは至極当然かつ真っ当なことであり、僕に言わせればむしろ生まれてから半年以上たってもろくすっぽ歩けないヒトだけが例外かつ異常、ということになります。もしヒトに天敵となる捕食者がいたら、こんなちょろい獲物も他にないはずです。

しかし今でこそ野獣に食われる心配のないヒトもまた、かつては他の動物たちと同じように弱肉強食の食物連鎖に組み込まれていたわけだから、ひょっとするとそのころのヒトは今とちがって生まれてすぐにヒョイヒョイ歩けたんじゃないかと個人的には思います。なんなら2、3ヶ月で喋りだして自ら身を守る術を学び、天敵との体格差を知恵で補い、ブービートラップを設置して闘わずとも勝利を収めるようになり、1歳になるころにはいっぱしのハンターになっていたかもしれません。

今ではちょっと想像しづらいかもしれないけど、数百年前の大人は今よりずっと若い14、5歳だったわけだし、そこからさらに数万年遡るとしたら、あながち荒唐無稽とも言い切れないですよ。より切実に、生き抜く必要のある時代ですからね。


A. 歩かないとすぐ食われるからです。




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その392につづく!

2023年5月26日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その390


春はばけものさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)かの清少納言がしたためたのちすぐ思い直して消したという、幻の冒頭文ですね。


Q. 大吾さんって大きい声だすイメージないのですが、今までで1番大きな声が出た時はどんな時ですか?


たしかに大声を出すことってないなあ、とひとしきり考えてふと気づいたんだけど、そもそも誰であれ大人になると大きな声を出す機会ってほとんどないですよね。それとも僕が知らないだけで、みんなわりと日常的に大声を出してたりするんだろうか。

いずれにしてもこれは僕もいろんな人に訊いてみたい質問です。「人生で一番大きな声が出た時!」

僕が今でもあれは大声だったとはっきり記憶しているのは、夜中に路上で未確認飛行生物が襲いかかってきた時です。

手に乗るくらいの大きさで、先の尖った脚がいっぱいあり、牙の並んだ大きな口から粘液を垂らすサソリみたいなエイリアンがいきなりうなじに飛びかかってきた、と当時の僕と同じように想像してみてください。夜更けの路上でチクチクゾワゾワしたかなり大きめの何かが首から背中にかけて蠢いている(けど姿は見えない)、その恐怖たるやまじで筆舌に尽くしがたいものがあります。

こういう時にAIを使えばいいんだ

夜半とはいえわりと人が行き来するエリアだったので、思わず奇声を上げてしゃがみ込んでしまったときの周囲の視線は忘れられません。挙動の理由が傍目からは全然わからないのだから、不審そのものです。でも往来でエイリアンに襲われたら誰だってああなるとおもう。なのでこれは同時にB級ホラー体験であり、すごく恥ずかしかった思い出のひとつでもあります。路上で奇声を上げてしゃがみ込むこと自体、人生ではそうそうないですからね。

恐る恐る手を伸ばしてその正体がわかったときの安堵感と言ったらなかったけれども、もし正体がわからないままあのエイリアンが姿を消していたら、とおもうとさらに震えるものがあります。姿を消してしまったらどれだけ推測を重ねてもそれを確かめる術はもうありません。なるほど…こういう不可解な体験が妖怪に置き換えられてきたんだな…と変に納得してしまったものです。

たしか以前も別の文脈でこのことを書いた気もするので、正体はこのブログを遡れば見つかります。でもわからないほうが怖いでしょう?


A. 路上で未確認飛行生物に襲われた時です。




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その391につづく!

2023年5月19日金曜日

アグロー案内シリーズにおける合体ロボのこと


今や十万億土にあまねく浸透し、巷ではアグローあるところに案内ありと囁かれるほど爆発的な好評を博するアグロー案内シリーズ、その主人公にして毎回八面六臂の活躍を見せる名探偵が山本和男です。謎がなくとも解決してしまうその恐るべき慧眼と明察については今さら説明するまでもありますまい。

そんな山本和男も回を重ねに重ねていよいよ盛り上がりが頂点に達するVOL.5ではなんと


突然の死です。

峻険として轟々たる大瀑布で積年の宿敵である森脇(もりわーきー)教授に背後をとられたら、いかに山本和男といえどもんどり打って滝壺に転落するのはわかりきっています。

いえ、早まってはいけません。状況的にどう考えても死んだなこれというだけです。日本ではたとえ原型を留めていなくとも医師の確認がなければ死亡と言わずに心肺停止とするくらいなので、実際のところこりゃダメだな程度では厳密に死と認定するにはぜんぜん足りないのです。

そうは言っても絶望的だなと僕もおもうし、あきらめて早くも冥福を祈っていますが、過去にはシャーロック・ホームズの例もあります。かの有名な「最後の事件(The Final Problem)」では、これ以上ホームズについて書くことにほとほと嫌気がさしていた著者コナン・ドイルが、それまで一度も出てこなかったモリアーティ教授という最大にして最強のチートキャラ難敵を唐突に引っ張り出し、すったもんだしたあげく2人とも滝壺に落としてすべてを強制終了してしまいます。偶然の一致というか、山本和男と通じるものがありますね。

とはいえ、ホームズの冒険譚はこれで終わらず、死んでいなかったことにしてこの後もしぶしぶ描かれています。ドイルの元に嘆願よりもむしろ中傷と罵詈雑言の手紙が山のように届いたからです。スティーヴン・キングのホラー小説「ミザリー」も結末に納得できず著者を監禁してむりやり書き直させる狂信的なファンが描かれていましたが、ほぼこれと同じ力学であると言えましょう。

ただ昔とちがって現代では訴訟と損害賠償のリスクが大きすぎるので、このやり方は正直おすすめできません。むしろいかに愛しているかという熱い思いに満ちた嘆願こそ効果的です。山本和男の一挙手一投足に我を忘れて没入してしまうといった推しへの無尽蔵の愛こそ、彼が息を吹き返す最良にして万能の薬となります。山本和男復活のためにも、そんな熱烈なファンレターを心からお待ち申し上げる次第です。3通くらいは来てもバチは当たらないとおもう。


そんな与太はさておくとして、アグロー案内のVOL.2からVOL.5に収録されている関連作のみを抜き出して並べ、今こそ連続で聴いてほしいのがこの山本和男シリーズです。

それぞれ単独ではインタールードのような印象かもしれませんが、連続で聴くとびっくりするほど饒舌でドラマチックな物語が浮かび上がります。音楽による壮大なストーリーテリングと言っても過言ではありません。後から並び替えることで作品の奥行きがより深まる…これは従来のフォーマットでは表現できなかった、配信ならではの趣向であると申せましょう。

僕も初めからこれをずっと楽しみにしていて、遠からず来るはずのエンディングまでガマンするつもりができなかったのでVOL.5が完成した時点で並べ直してみましたけれども、何かが始まって何かが起きて何かが終わって何も観てないのに何かを観終わって放心するような何らかの充実感が尋常ではありません。

「名探偵山本和男THE MOVIE(予告編)」から「名探偵の死」までの4篇は、並べて聴いてこそその本領がわかります。何体ものメカが合体して巨大なロボになるようなことですね。 

そしてその完成度を劇的に高めているのが、タケウチカズタケによる超絶ミックスです。とりわけ「名探偵の死」では、滝の轟音と助手である加藤くんの叫び声、それを包みこむ超イルなビートが互いに邪魔をすることなく渾然一体となって耳に迫ります。どれも主張の強い要素なのに、どれも音響として等価で味わえるのだから超絶ミックスというほかありません。

リリースから2週間…とりあえずぜんぶ聴いたな、と落ち着いた今こそ改めて趣向を変えて聴き返してみていただきたい。今や巨大ロボとなった山本和男の姿がより立体的に、実感を伴って目の前に現れるはずです。まだすべてのパーツが揃ってないので勇み足な気もしますけど。

2023年5月12日金曜日

扉を開いた先に広がる未知の景色とは

サクッと作ったわりに良いロゴ

かの名探偵、山本和男が人知れず第四の壁を突き破って現実世界で暗躍していた話はまた改めてするとして、アグロー案内 VOL.5に収録された新作、「前日譚/no news is good news」についてすこし書き留めておきましょう。

これは僕にとってリーディングのフェーズが明確に変わった最初の一編です。

そのきっかけとなった「ジョシュア/fishing ghost revamped」アグロー案内 VOL.4に収録)で、何がどう変わったのかをここでかなり興奮気味に書き散らしましたけれども、いま読み返したら微に入り細を穿ちすぎてちんぷんかんぷんな気がしないでもないので、あれはひとまず忘れましょう。

要は言葉の乗せ方がそれまでの小節単位からフレーズ単位に変わったことで、リーディングの自由度が大きく変わったのです。音読のステップ、もしくはラップで言うところのフロウがより自在かつ緻密になっています。

その結果、何をどう書いてもあとから好きに乗せられるようになり、それまで良くも悪くリーディングに特化していたテキストも、その制約がなくなりました。大リーグボール養成ギプスを外したかのような清々しさです。

本当に思い浮かぶまま書けるので、テキスト上で韻を踏んでいてもビートのどこで踏むことになるのかさっぱりわからない。ちまちまと根気よくワンフレーズずつ乗せていった結果、「あ、これここに来るんだ」と書いた本人が驚く始末です。ラップと異なる言葉の乗せ方としてはある種のブレークスルーになっていると個人的には感じます。本来はリーディングに当てはめるような概念ではないかもだけど、どなたかが仰っていた「譜割り」はまさに言い得て妙だとおもう。こんなことができるならもっと早く気づきたかった…。

徹頭徹尾スポークンでありながらステップも多彩なので、深く考えずとも聴き流せて楽しい(はず)。これまで自らをそれほど喧伝してこなかった僕が、初めての人に聴いてほしいと望む所以です。

だからもしこれから辿り着いてくれる人がもしいるならまず「前日譚」「棘2023」「新ジョシュア」あたりをワンセットで強くおすすめしたい。実際のところそんな人が今もまだいるかどうかはちょっと微妙な気もしますけど。


内容的には太宰治「走れメロス」とサミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」のごった煮です。そこにむりやりRUN DMC feat. Aerosmith「Walk This Way」へのオマージュをぶちこんでいます。


それ以上にどうということはありません。来ない何かをそわそわと妄想しながら待っているだけです。とくにメッセージ性はない…とツイッターでも言いつつ、作中に出てくる白い鳩には淡い希望を込めています。それが言いたかったわけでもないので気づかれなくても全然いいんだけど、ここにピントを合わせると全体の意味合いが違って聴こえるかもしれません。

彼は何を待っているのか?

2023年5月5日金曜日

前日譚/no news is good news



いい知らせが来ることになってる。そろそろ来る、確信に近い、そういう予感がしてる。心の準備も全部できてる…いや、考えもしなかったよ、なんていうか…で感極まって言葉に詰まって、涙が溢れる…これだな。メモしとこう。こないだへし折ったペン、どこやった…?

千里の月はゆうべと同じでモナリザみたいな顔をしている。更闌けてなおあまねく照らしながら見て見ぬふりをしてくれる。千切れたようで覚束ないここだけ浮世のうすいひとひら。落ちると見る間にめくれてひらつく当て所もなくどこへともなく。

ここまで長かった。何もかも苔むした。蔓延る木々や蔦に埋もれる端末が光を放つのを待つ。過ぎ去ったいくつもの夏…。罰ではないにしても遠からぬ顛末。とはいえぜんぶ多めの水に流してこそ、白い鳩がオリーブの葉を咥えてくると言い伝えで学んだ。

燕尾服も誂えておきたい。こんな未開の地でどうしたらいい?「申し訳ありません」と答える合成の音声…まあいい。いずれ開墾されたら鉄筋とコンクリートで密林に摩天楼が聳える。焚かれるフラッシュ、絨毯は赤く、矢継ぎ早の質問を屈強なSPが遮る。

いい知らせが来ることになってる。遠くからはるばる、艱難を退け、辛苦を乗り越え、息も絶え絶えに、待たせたこと、疑ったこと、それをお互いに詫び、涙ながらに一発ずつ殴り合って交わす抱擁とその熱い友情に涙する観衆、万雷の拍手、そんなクライマックス。

薄い壁の向こうから隣人が怒鳴る。あんたこそうるさいと怒鳴り返す前に壁が派手にぶち抜かれてスティーヴン・タイラーに瓜二つのやつがわめき散らす。毒づいて罵り合い、馬乗りで殴り合ったあげく「やるな」「お前も」と交わす固い握手に涙する観衆、万雷の拍手、そんなクライマックス。

千里の月はゆうべと同じでモナリザみたいな顔をしている。更闌けてなおあまねく照らしながら見て見ぬふりをしてくれる。千切れたようで覚束ないここだけ浮世のうすいひとひら。落ちると見る間にめくれてひらつく当て所もなくどこへともなく。

いい知らせが来ることになってる。どこから来る?東か西か。南か北か。もちろん全方位で抜かりはない。今日は来なくても、まだ明日があるってのがA.K.A. ポケットにいつも入れてある定型句。これはありふれた何らかのミステイクと大らかに受け止めて夜は更けていく。

気づいたらこのあたりにはもう誰もいない…と知ってるのかどうかはさておき、なおも繰り返される予行演習…思えば年中、一日千秋の思いで念じるその先で転じると愚直に信じる。背後の窓辺で羽を休める白い鳩にも気づかず。

千里の月はゆうべと同じでモナリザみたいな顔をしている。更闌けてなおあまねく照らしながら見て見ぬふりをしてくれる。千切れたようで覚束ないここだけ浮世のうすいひとひら。落ちると見る間にめくれてひらつく当て所もなくどこへともなく。

2023年4月28日金曜日

悔いなく成仏させてもらった古い生き霊の話

そんなわけで早くも来週にリリースを控えたアグロー案内 VOL.5、そのトラックリストがこちらです。


言いたいことがいっぱいあって、僕としても端から端まで全部まとめて語り尽くしてしまいたいのですけれども、まずは古色蒼然の「棘/tweezers」からお話しましょう。普通に考えたら1つあればいいはずのリメイクがなぜ2つあるのか?


昔も今も、僕は一定のビートに合わせてリーディングをするスタイルです。ビートで現在地を確認しながら言葉を紡いでいくので、これがないと途端にタイム感をキープできなくなってしまいます(裏を返すとビートがあれば多少言葉を踏み外しても数秒以内に立て直せるということでもある)。要はピアノとかギターとかだけになるとリズムを失ってまともにリーディングができないボンクラだったわけですね。

実際、何かの機会にカズタケさんの演奏で初めてビートのないバージョンにトライしたときは帰路で首を括りたくなるほど惨憺たる有様で、半ベソになりながらもう二度とやるもんかと固く誓ったものです。

ところがそこからさらに数年たって悍ましい記憶も薄れてきたころ、改めてトライしてみたらビート無しでも思いのほか上手くやれることに気がつきました。その結実が「the 3」に収録された「処方箋(rebuilt)」です。


これに味を占めて、じゃあ次は「棘」をやりましょうという流れになります。そしてその結果、カズタケさんとステージに立つときは、というかそもそもライブ自体カズタケさんとしかしてないんだけど、ピアノだけの「棘」をときどき披露するようになりました。あれだけ忌避していたのに、われながら気が大きくなったものだと思う。

ビート無しではリーディングもままならなかった僕にとって、ビートがなくてもタイム感をキープできるというのはまさしくひとつの転換点だったので、できればこのリーディングを形として残しておきたかった。「処方箋」は残せたけれど、「棘」にはそのタイミングがなかなかなくて、ようやく巡ってきた機会がこの「アグロー案内」だったのです。今回のトラックリストで言うと、4曲目「棘 2018/tweezers (gently with) 」がこれに当たります。


一方でカズタケさんはオリジナルと同じビートのあるバージョンで、オリジナル以上のリメイクに仕上げることに挑んでくれていました。どっちが良いとか悪いとかそういうことでは全然なく、ただ古くからあって「これはこういうもの」と根付いている印象を上書きできるかどうか、ということですね。

僕自身の優先順位における最上位は最初から一貫して、ピアノだけのバージョンです。ところがオリジナルと同じバージョンの最終形は掛け値なく想像を絶する仕上がりで、それまでまったく揺るがなかった優先度がひっくり返りそうになります。

何しろオリジナルの印象そのままに、サウンドすべてがことごとく完璧に塗り替えられているのです。

僕に関係する他のどの曲よりも圧倒的に多くのミックスがあって、ひと昔前のPCならこの1曲だけでハードディスクがぱんぱんになりそうなほどだったけれど、最終的な到達点は本当にすごかった。十全十美と銘打つに相応しい、それが今作の2曲目に当たる「棘 2023/tweezers (as it was)」です。

御大タケウチカズタケが一体どんな魔術を施したのか、そして一体どれほどの労力を費やしたのか、想像もつきません。VOL.4から数ヶ月しか経っていないのでその間のプロセスのように思われるかもしれませんがさにあらず、こと「棘」のミックスに関してだけは、僕の記憶が確かならアグロー案内が始まるよりもずっと前、2021年の夏あたりから始まり、つい先月までずっと断続的に更新されていたのです。その驚異の工程については改めてカズタケさん自身が語り尽くしてくれるでしょう。

かれこれ20年もの昔、僕が世に残したかったのはこれだったと今では確信しています。嘘偽りなく、これこそが完全無欠の最終版です。個人的には油性ペンで金字塔と書いておきたい。

そしてもちろん「2023」「2018」は同じ曲でありながらミックスがかなり異なります。ぜひ聴き比べてみてください。

この一編に関する言及はたぶんこれが最後になるでしょう。思い遺したことは何ひとつありません。20年前の僕はきれいさっぱり跡形もなく成仏しました。安らかに眠ってほしい。

2023年4月21日金曜日

そして来る「アグロー案内 VOL.5」のこと

今週もまだかろうじて息があることをアピールすべく、またいつか発見されることを願って世界の果てから読まれぬあれこれをしたためていたわけですけれども、本当についさっき解禁のゴーサインをもらうことができたので急遽予定を変更してお知らせです。アグロー案内 VOL.5のリリースが決定いたしました。


配信スタートは5月5日(金)の午前0時です。ゴール!デン!ウィーク!

つまりあと2週間ということであり、何ならすでにカウントダウンが始まっていると申しても過言ではありません。それもこれも僕がおもちゃをガマンできない子供のようにしつこくせがんだからです。今になってやっと恥ずかしさと申し訳なさが噴き出して顔が真っ赤になっています。最終的におもちゃを買ってくれたお父さん広い度量でドンと受け止めてくれたカズタケさんには本当に感謝しかありません。

VOL.4はお互いにかなり挑戦的なアプローチで臨みましたが、今回はむしろそれを踏まえての新たな王道になっているのではないかと思います。僕が恥も外聞もかなぐり捨ててリリースをせがんだ所以です。とにかくシンプルに、すごく楽しんでもらえるはず。

なんと言っても、当シリーズのメインコンテンツである山本和男に最大の危機が迫ります

恒例のリメイク作品は、満を持してのあの一編です。

そして書き下ろしの新作があります。ぜひ一度聴いてみてほしいと僕が自ら胸を張る、ひょっとしたら初めての作品かもしれません。

来週はトラックリストと共にそのあれこれをまたすこしお話しいたしましょう。

どうかどうか、このお知らせが多くの人の目に留まりますように…!せめて30人くらい…!

2023年4月14日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その389


くるみ割り人魚さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 運動会の思い出を教えてください。


いったいなぜシーズンでもない年の瀬にこんな質問が思い浮かんだのか、この15年で一度ももらったことのない質問のひとつです。めちゃめちゃシンプルでどこにでも転がっていそうなのに、訊かれるまでまず考えることがない点で、そこはかとない趣があります。

とは言うものの、僕は昔から記憶を端から投げ捨てて完全に忘れ去るタイプの男なので、小学校のころの運動会はまったく記憶がありません。運動はべつに嫌いじゃなかったから苦痛だったとかでは全然ないはずだけど、本当に何ひとつ思い出せない。

ただ中学のころなら、ひとつだけ今も鮮明に覚えていることがあります。

同じ中学校の同じ学年に、ある著名なタレントの娘さんがいたのです。そのタレントさんもすっかりお年を召されたので今は通じにくいかもしれないけど、当時の子どもならみんな例外なく知っているくらいの人だった、とは言えると思います。娘さんは別のクラスだったので、顔も知りません。とにかく「そうらしい」という噂だけがふわふわ漂ってきたんでしょうね。

そこで運動会…というか、体育祭です。もしかして親御さんも来るんじゃないの、と期待する子らがいました。芸能人だよ、来れるわけないでしょと一蹴する子らもいました。そして実際に、来たのです。

正確に言うと、僕はその事実を確認してはいません。クラスごとに分けられた校庭の観覧エリアで誰かが「来てる!」と言ったとたん、導火線に火がついたみたいにその場にいた全員がものすごい勢いで駆け出し、本当に僕一人だけがポツンと取り残されたからです。この圧倒的な絵面がおわかりいただけるだろうか。何しろ本来なら生徒たちがひしめいているはずのエリアに、たった一人しか残っていないのです。

僕とてまったく興味がなかったわけではないし、あわよくば一目くらいは思ってたはずだけど、さすがに百人単位で押し寄せることを想像したら、ためらわれるものがありました。そしてためらっている間に、みんないなくなってしまった。いま思い出しても、なぜ全員がためらうことなく同じ行動を取ったのか、不思議でなりません。校庭をはさんだ正面を占める大勢の親御さんたちの視線を感じながら「あわわわ」とうろたえたことを覚えています。

しばらくしてぞろぞろと戻ってきたクラスメイトたちも、見ることは叶わなかったそうです。全員でワーッと駈け出して、そのまま全員で戻ってきただけだった。そのときの会の進行はどうしてたんだろう、何もなかったように続けていたのか、それともアナウンスで注意したりしたのか、それもぜんぜん記憶にない。

お気づきだとは思いますが、ここに書いたことはすべて伝聞です。著名人の娘が同じ学年にいることも僕は話でしか聞いていないし、著名人が学校を訪れたことも、やっぱり話でしか聞いていません。タレントどころかその娘すら実は存在しなかった可能性も、いまだにないとは言い切れない。見てないですからね。

ただ体育祭のとき、生徒たちがすごい勢いで全員いなくなってその場に僕だけひとり取り残されたことだけは、事実です。


A. 生徒たちがすごい勢いで全員いなくなってその場に僕だけひとり取り残されたことがあります。




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その390につづく!

2023年4月7日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その388

すぐ上るならなぜ下りるのか

金属トンチキさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. いま、このメールを病院の待合室で打っています。あと1時間くらい待たされそうです。病院の待合などに限らず、時間を持て余した時(さりとて音楽をイヤホンで聞いたり、外に出る等の自由がなく、ただひたすら待つ他ない時)にしたらいいんじゃないか?という事を教えてください。


病院というのは本当にこう、じゃお呼びしますのでこれを消化しててください、という感じで時間を薬みたいに渡される印象があります。意味があるならまだいいけど、別に意味はないから困る。

欧米にはまさにこういう、本当にちょっとした時間を有効活用するための自販機があるそうです。と言っても無料なので正確には自販機じゃなくて供給機なんだけど、タッチすると数分で読める短い詩とか物語がランダムでレシートみたいな紙に印刷されて出てくるらしい。最初は空港に設置されていたそうなので、コンセプトや目的がどうあれ人生において最も不毛な、と言っても過言ではない「単なる待ち時間」に着目したのはまちがいありません。


待つ以外にどうすることもできないこの時間をスマホ以外でどうにかできないもんかなあ、という悩みは国を問わず共通である、ということですね。

しかし10分くらいならともかく、30分とか1時間となるとそういうわけにもいきません。何しろ1時間というのは、数をイーチ、ニーイ、サーン、と3600までゆっくり数えるだけの長さです。当たり前すぎてキーを打ちながら鼻水が出てしまったけど、いかに長くて退屈かわかるじゃないですか?

僕のおすすめは餃子です。

ちょっと言葉が足りなかった気もしますね。つまり、餃子をつくろうということです。

手順はそれほど複雑ではないけれども、やるとなったらそこそこ手間がかかるという点で、餃子はうってつけであると言えるでしょう。同様に時間を取られる煮物とかパンは大部分が火にかけたり発酵で結局手が空くのでいけません。とにかく手を動かし続けなくてはいけない餃子がベストです。4人分くらいがちょうどいいかな、と個人的には思います。とにかくせっせと包み続けてさえいれば、時間など矢のように飛び去っていくはずです。あとは持ち帰って焼いたり蒸したり茹でたりするだけでその日の夕飯はもうできたようなものだし、うれしいことに冷凍保存もできます。最終的にいったい一石何鳥になるのか、その恩恵は計り知れません。

病院の待合室で餃子なんか包めるわけない、と仰る気持ちはよくわかります。しかし病院の待合室で餃子を包んではいけないという法はありません。1回やったら禁止になるかもしれないにしても、まだやっていないなら大丈夫です。編みかけのセーターのようにカバンから餃子の皮とタネを取り出し、堂々と包んでいきましょう。編み物でもいいことにいま気づきましたが、とにかく餃子を包んでさえいれば、人生たいていのことはどうにかなります。

あと、これは僕もちょっと目からウロコでしたが、持て余した時間の冴えた使い方を真剣に(真剣にです)考えるだけで、1時間くらい平気で過ぎ去ります。まさに光陰矢の如しです。手ぶらでもまったく問題ないことを考えると、ひょっとしたらこれが最適解かもしれません。餃子とちがって夕飯はまた別に考える必要がありますけども。


A. 持て余した時間の冴えた使い方を持て余した時間で真剣に考えましょう。


真剣に考えた結果が餃子かよと言われるかもしれませんが、そのとおりです。




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その389につづく!

2023年3月31日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その387


普段はじっくりコトコト煮込むように数時間かけて大事に大事に書いていますが、アグロー案内用の新しいテキストが今まさにまとまりかけているところなので時間をかけずにサクッと参りましょう。


天国と事後報告さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. クライミングが趣味なのですが、周りの知人が興味を持ってくれません。どうしたら巻き込んでクライミング好きにすることができるでしょうか。


クライミング、いいですね。僕なんかは目の前に木や岩山があるとすぐ登ろうとする習性があるのですごくそそられますが、しかし普通はそううまくいきません。多くの人にとって岩壁は単なる大きめの壁であって、そのへんのコピー用紙を眺めるのと大差ないのです。

したがっていきなり魅力を伝えようとするよりも、気づいたら断崖や絶壁に親しみを感じる、というところまですこしずつ無意識下に刷り込んでいくほうがむしろ有効であると思われます。

具体的にはたとえば、断崖に住居を吊るして、そこに引っ越すことです。いわゆるポータレッジの拡張版ですね。その上で「引っ越したから遊びにおいでよ!」と友人を気楽に誘います。引っ越した部屋が崖にぶら下がっていることはとりあえず黙っておきましょう。もちろん崖の下から部屋までたどり着くにはちょっとコツがいるので、どこに手を伸ばし、どこに足を置いたらよいかを手取り足取り教えます。クライミングをしているわけではありません。ただ部屋に誘導しているだけです。階段が急だから気をつけてね、くらいのイメージです。

最初は地上2メートルから始めて、部屋へ誘うたびに1メートルくらいずつ上げていきます。これを繰り返していけばいずれ数十メートルの崖も難なく登れるようになるでしょう。部屋に遊びに来ただけの友人たちもまさか自分がクライミングをしていたとは、夢にもおもわないはずです。

あるいはまた、貴婦人がハンカチを落として目当ての紳士に拾わせる恋のテクニックを応用してもよいでしょう。この場合、落とすのはクライミングで使われるカラフルな突起物、いわゆるホールドです。幾度となく目の前で落とし、幾度となく拾ってもらっているうちに、「ところでこれは何?」と興味を示してきますが、ここではまだ明かしません。恋する相手の気を引くように、「ちょっとね」とお茶を濁しておきます。頃合いを見計らってオフィスとか部屋とかの手近な壁にホールドをいくつか固定しておけば、「あれ?これ見たことあるな」と触れる気になり、触れればこれまでも拾うときに掴んでいるので、手に馴染むことが瞬時に理解できるはずだし、何ならそこでちょっと登り始めるかもしれません。あとは映画でも観に行くようにさりげなく断崖へ誘うだけです。


A. ハンカチを落として目当ての紳士に拾わせる恋のテクニックを使いましょう。


ただ、個人的にはすでに親しい人を巻き込むよりも、むしろクライミング側で知人を増やすことに労力を割いたほうが、人生の後半では圧倒的に大きな意味を持ってくると思います。ほんとに。




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その388につづく! 

2023年3月24日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その386


すっぱいファミリーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 「プランAでもプランBでも私はそれほど興味がないのでお好きにしてくださいな」をやわらかい言葉に置き換えられずにいます。身の回りに手頃な道具もないときどうやって意思表示をしたらいいですか?


ふむふむ。身の回りに手頃な道具がないとき、というのはおそらくバールとか、振り下ろして意識を失わせるのにちょうどいい鈍器がないとき、ということですね。

できればあまりそこに時間を割きたくないけれども、かといって失せろこのクソボケサルと吐き捨てるわけにもいかない大人としての苦悩がひしひしと伝わってきます。

お気持ちはすごくよくわかりますが、しかしいくら角が立たないようにやわらかく言い換えたところで、求められた意見を放棄するという意味ではまったく同じである点に注意しましょう。そして意見の放棄は印象が悪くなることはあっても、良くなることはまずないというリスクを常に孕みます。ほっといてくれるだけでいいのに、人生の不条理まさしくここに極まれりです。

逆に「AでもBでもいい」のだとしたら、興味がなかろうと何も考えずにAもしくはBを選んでしまうほうが手っ取り早い上に印象もめちゃ良いのではないか、と僕なんかは思います。一瞬でも迷いたくないのであれば、常に先に示されたほうを選べばよろしい。比較も検証も必要ないし、極端な話AとBが何なのかを知る必要さえありません。AとBならA、右と左なら右、1と2なら1、罪と罰なら罪、千と千尋なら千、ヘンゼルとグレーテルならヘンゼル、みきおとミキオならみきお、ハリー・ポッターとアズカバンの囚人ならハリー・ポッターです。理由を聞かれたら「ピンときました」の一言で事足ります。

どっちでもいいけど決めることだけはどうしても避けたいというのであれば、そうですね、これはできれば使いたくなかった奥の手になりますが、深紅の口紅を塗り、妖艶な笑みを浮かべながらねっとりとした口調で ”As you like it.” と甘ったるく伝えましょう。ばちーんと音がしそうなウィンクからの舌なめずりに投げキッスで試合終了です。


A. こんなことにならないためにも、手頃な鈍器を近くに常備しておきましょう。




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その387につづく! 

2023年3月17日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その385


荷重100%さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. お風呂場のお湯と水が蛇口を閉めても止まりません。漏れ続ける水の利用方法を教えてください。


よい心がけです。あるがままに欠陥を受け止め、それを慈しむばかりか、さらなる高みへと誘う高僧のような姿勢には、わたしたちも大いに学ぶべきものがあります。質問でありながらそれ自体が答えとして完成しているなんて禅問答みたいな話です。個人的には「早く修理しなよ」と思わないでもないですが、考えてみれば徳の高い僧は自分で蛇口の修理なんかしなさそうな気もするし、功徳を積むつもりですこし向き合ってみましょう。

手塚治虫による不朽の名作に「火の鳥」という壮大なシリーズがあります。中でも最高傑作との呼び声も高い一編が、「鳳凰編」です。ここでは隻腕にして隻眼の賊である我王と仏師である茜丸の交錯する人生が圧倒的な筆致で描かれています。

どちらかというと作中で比重が大きいのは我王のほうかもしれませんが、ここで取り上げたいのは茜丸のエピソードです。

一流の仏師となるべく研鑽を重ねていた茜丸はある時、ただ気に入らないという理由で我王に右腕を斬られます。彫刻を生業とする者にとって利き腕の自由を失うことは、死にも等しい悲劇です。

その傷を介抱した寺の住職は、もう仏師ではいられないと絶望する茜丸にある彫刻を見せます。今にも動き出して飛び跳ねそうな、鹿や猿の像です。あまりの出来栄えに驚嘆する茜丸が彫り手の名を尋ねると、住職は境内にある鹿威しを指します。斜めに切った竹が水の重みで石に当たってカコーンと鳴る、アレですね。

要はしたたる水の下に石を置き、長い年月をかけてすこしずつ位置をずらしながら滴の弱々しい力だけで動物の形に仕立てていたのです。

ちなみに僕は鳳凰編を小学生のころ読んでいたので、「雨垂れ石を穿つ」という諺には故事があってそれがこれだとかなり長いこと思いこんでいました。それくらい説得力のあるエピソードです。

もうおわかりですね。漏れつづける水の利用法はいろいろあると思いますが、いただいた質問に対する答えという意味ではおそらくこれしかありません。


A. 何らかの像を彫りましょう。


ちなみにひとつ彫るのに7年くらいかかるそうです。必要ならそれとは別の新しい蛇口を取り付けてください。




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その386につづく! 

2023年3月10日金曜日

鮮やかな色彩と共に命を吹きこまれた化石のような


よくぞはるばるここに辿り着きなさった、と時々は言わねばなりますまい。

ところ狭しと生い茂る背の高い雑草をかき分け、山と積まれた古タイヤとか洗濯機、座椅子なんかの粗大ゴミを乗り越えた先にある朽ちかけた扉はペンキが剥がれ、蝶番も外れて立てかけた板も同然の有様、これを蹴り破るも薄暗くて蜘蛛の巣を払いながらでは足を踏み入れるのにも勇気がいるけれども、そうでもしなければ辿り着くはずもない一部屋が、つまりここです。

よくぞはるばる……と目頭を抑えながらやはり言わねばなりますまい。

浜辺に打ち上げられた栄螺の貝殻のようにポツンと異彩を放ち、たまたま散歩あそばしていた貴族の令嬢の目に留まり、その白魚のような指で拾われたのちは末永く愛でられたと今もまことしやかに語り継がれるアグロー案内 VOL.4についてはおおむね語り尽くした気もしますが、最後に異彩中の異彩ともいうべき「すきまから滴る夜に/underground astrologia」についてすこし触れておきましょう。



なぜ異彩かと言えばまずその由来が書いた当人にもよくわかっていないからです。いつ、そしてなぜこれが書かれたのか、今もってさっぱり思い出せません。ただテキストだけがハードディスクにぽつねんと残されており、おそらくこう読まれたに違いないという推測のもとに再現しています。化石から復元された恐竜みたいな一遍です。

ざっくり復元図を描いたのが僕だとしたら、化石からDNAを抽出し、鮮やかな色彩と共に新たな生命として蘇らせた、ジュラシックパークさながらのマッドサイエンティストがタケウチカズタケです。ここには御大の卓越したセンスとその超絶技巧が惜しみなくぶちこまれています。

何しろこれ、トラックが後なのです。トラックに合わせてリーディングをしたわけではない。というか何ならリーディングをどこにどう当てるかを決めたのも僕ではないのです。かなりハードな音韻がこう乗るとは正直思ってもみなかったし、それでいてこの乗せ方こそが全体のファンク度をより高めているあたり、おそるべしと感嘆するほかありません。

肝心のテキストとリーディングがそのクオリティに見合っているのかすこし心もとない気もするけれど、じつはとんでもない音楽的スキルに基づいて完成した作品であることを念頭において、ぜひ聴き返してみてください。