2025年5月16日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その452



世界のお湯割りさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 私は職業柄、日本語表現がとても重要視される仕事についています。そんな職場ですら、かなりの人が辞書的な意味で誤って使用している言葉に「須く」があります。これは辞書的には必ず、「当然」「必ず」的な意味で使用されますが、「すべて」的な意味で誤用されまくっています。文脈的に理解できるため、その場であえて誤用を指摘はしませんが、誤用だと気づいてモヤモヤしつつ、他方で言語のもつ意味が使う側の理解により変化していく過程を垣間見ているようで興味深いとも感じます。言葉の持つ本来の意味から、まさに今変化している、既に変化したと感じる言葉はありますか?


ふむふむ。言われてみると僕も「すべからく」には不特定多数を示す主語がつく印象が強いですね。「君はすべからく〜」よりも「人はすべからく〜」のほうが自然に感じています。この不特定多数の印象が、「みんな=すべて」につながっているのかもしれません。

興味深いのは、いただいた質問にも「とても」という、語法の転じた言葉が含まれていることです。これはもともと「どうあってもムリ」というニュアンスで否定を伴う副詞だったはずですが、今では程度が大きいことを表すためにも使われています。すくなくとも明治以降に定着したとおもわれる語法です。

そしておそらく、正しい日本語という観念が定着したのも、国語辞典が国家事業として編纂された明治以降です。万人が納得する基準としての文献がなければ、そもそも正誤もないですからね。

一方で言葉は、発音も昔とはもうびっくりするくらい違います。「い」と「ゐ」は別の音だったし、「か」と「くゎ」の違いもありました。たしか「火事」は「くゎじ」だったはずです。現在のハ行はファ行として発音されていたとも言います。そして発音はそのために記録されることがまずないので、本来のそれと異なっていても問題になりません。昔はそうだった、というだけです。

そんなこんなで今の僕は言葉の変化とその差異に頓着しなくなっているのだけれど、ひとつ挙げられそうなのは「煮詰まる」でしょうか。豆とかジャムなんかをぐつぐつ煮ているといつも思い出します。本来の意味が大詰めだとすれば、今はどちらかというと膠着といった負の意味合いで使われている印象です。

ただこれはたぶん、自動詞のせいだと僕は感じています。料理をしているときの意識としては「煮詰める」という他動詞です。料理における「煮詰まる」は人の行為ではなく鍋の状態なので、作る人が意図しない状況も含まれます。意図せず煮詰まる可能性があるなら当然、焦げる可能性もあるということです。

その上で「行き詰まる」という瓜二つの言葉がそばにあったらそりゃ混線もするだろうし、鍋も焦げるよな、とおもいます。むしろ初めから転化の可能性を孕んでいたとさえ言えるかもしれません。

それとは別にもうひとつ、言葉の変化でおもしろいと感じているのは、「延々と」を「永遠と」と認識している人が方々にぽつぽつといるらしいことです。最初に目にしたときは打ち間違いかと思っていたのだけれど、それからちょいちょい見かけるようになったので、ひょっとするとこれも変化の芽生えかもしれません。よくよく考えるといつまでも続くことが直感的に伝わる点で、ハッとするものがあります。たしかに音だけだったらほとんど区別がつかなそうだもんな〜!


A. 意味の変化なら「煮詰まる」、文字と音の変化なら「永遠と」です。




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その453につづく!



2025年5月9日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その451


天空の二郎本店全マシさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. タンスの角に小指をぶつけてしまった様な、明らかに自分が悪い時の苛立ちをどこかにぶつけていますか?また、その時に周囲に痛いと悟られないようにどう振る舞っていたりしますか?


僕もかれこれだいぶ長いこと生きている気がするけれど、そういえばタンスの角がすっかり丸くなりましたとか、ぷよぷよにやわらかくなりましたとかそういう話、ぜんぜん聞きませんね。今も昔もこれだけ多くの死傷者を出しているのだからとっくに対策が取られていてもいいはずなのに、不可解なことです。超強力な磁石で床から5センチくらい浮かすとかできないもんだろうか?

僕もちょうど、最近小指を角にぶつけなくなったな、大人になったのかな、とか鼻唄まじりで考えていた矢先にバキャッとぶつけて危うく「バルス」と滅びの呪文を唱えかけたところです。

すっかり痛みも治まってのどかにお茶を啜っている今では別に唱えてもよかったなと思わないでもないですが、あまりの怒りに世界を破壊しようとするくらいには、じぶんが悪いとはぜんぜん思いません。悪いのはどう考えてもタンスです。この広い宇宙で最もか弱い存在のひとつである足の小指に対して、配慮がなさすぎます。正面から受け止め、ぎゅっと抱きしめ、頭を撫でながら、「愛してる」くらいの一言をかけたって別にバチは当たらないはずです。人も社会も時代に合わせて変わっているのに、タンスの角だけが鋭利なまま一向に変わらないのは平仄が合いません。

逆に、こうした場合の苛立ちのぶつけ方、周囲に痛みを悟られないための振る舞い、つまり自己完結型の対処法を考えるということは、むしろタンスの角に配慮している、と見ることもできるでしょう。僕としてはなぜタンスの角に配慮せねばならんのだと言いたい。苛立ちはタンスの角にぶつけたいし、痛いのはもう本当に痛いのだからさんざん喚き散らかしたい。周囲からは何をそんなに暴れ回ってるんだと訝しがられるでしょうが、理由を知れば誰だって同情せざるを得ません。釈迦だってキリストだってタンスの角に足の小指をぶつけたらぶちギレるだろうし、ぶちギレるべきだし、逆にそれくらいの人間味がないと困ります。人に対して大らかであるためには、タンスの角くらい破壊させてほしい。

ひとつ思うのは、こういうときたとえば”Fuck”に該当するような、瞬発的に罵る言葉が日本語にはないのではないか、ということです。shitと文字どおり同じ「くそッ」とか「ちくしょう」なんかはあるけれど、正直これらにはなんの効果も感じません。英語でもShitはちょっと弱い気がする。ファック、ファック、ファーーーーーーーーーーッック!!!!!!!!!!!!!!!!!というかんじで、ひたすら地団駄をドスドス踏みまくるように使える日本語があったらいいのに、ないんですよね。

そこで「バルス」です。

地団駄を踏むように使いたいと言いましたが、実際のところ日本人は感情を外に向けて全力で発することに不向きです。その点「バルス」は祈るように静かに唱えることができます。そしてその意味するところは破滅なのだから、罵倒としても十分です。日本語じゃなくてラピュタ語じゃないかと思うかもしれませんが、日本人が考えた言語なのだから堂々と胸を張ってよろしい。

うずくまって痛みに耐え、目と口を閉じながら心のうちでひたすら「バルス」と唱えるとすれば、それはなんというか実に日本人らしい、と僕はおもいます。

他者と共有する状況での冗談やスラングとしては今も一部界隈では使われていますが、その概念を文化としてもう一歩押し進めて、自分のために、何なら日本語として使っていこう、ということです。


A. 全身全霊をこめてバルスと唱えます。




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その452につづく!

2025年5月2日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その450


はじまりはいつも亀さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. もしも大吾さんが神様のミスで異世界転生したとしたら、どんな能力が欲しいですか?


これまた夢のあるトピックです。

考えてみればバトル系漫画のキャラクターが身につける「能力」はほんと、多様化しましたよね。必殺技(例外的に超能力)しかなかった時代をおもうと、しみじみ隔世の感があります。

個人的には、必ずしも戦闘に特化している能力ではないけれども使い方次第で有用になるという考え方がジョジョの第三部、さらに能力の発現に条件と制約が伴うという考え方が幽⭐︎遊⭐︎白書で加わったことで、技から能力への移行が完了した印象です。

ただこれはあくまで個別の作品世界の話です。悪魔の実を食べるなら、とか斬魄刀を持つなら、といった作品世界を前提に考えることはできても、能力全般で括ることはできません。

異能そのものを一般化したのがつまり、「異世界への転生」という革新的なフォーマットだったわけですね。このフォーマットにおいてはむしろ陳腐化した能力をどう活かすかが重要なので、作品世界にしかない独創的な能力は必要ありません。なんならファミレス化とも言えそうな気がする。


僕もかつては「肉を計ることなく手の感覚だけで100gずつ小分けにする」能力(能力名:目を閉じる肉屋デリカテッセン)を身につけていて、正直これはめちゃめちゃ有用だったんだけど、ふつうに秤を使うようになったら失われてしまいました。

転生するのが秤のない世界だったらちょっといいかなと思いつつ、秤のない世界は肉を100gずつ小分けにする機会もなさそうな気がするので、たぶん甲斐がありません。この能力で無双できる世界があるならちょっと行ってみたい。

空間移動とか時間移動みたいな、フィクションではオーソドックスな能力もそそられるけど、正直いま僕がいちばんほしい能力は視認したゴキブリを瞬時に転移する能力です。

実際のところ1匹や2匹、対処できないほどではないし、部屋で見かけたら見かけたでどうにかすることは普通にできるんだけど、21世紀の今になってもまだ一撃必殺でないことに多大なストレスを感じます。なんといってもあの素早さと、忙しなく動く触覚と異常な生命力がイヤです。せめてカブトムシくらいのんびりしてくれていればそれだけでだいぶ印象が違うのに、といつも思います。

問題は転生先の異世界でもその能力が役立つのか、というかそもそもゴキブリが存在するのか、という点ですが、1億年以上前からいるあいつらのふてぶてしさを考えればどの世界であってもたぶん普通にいるでしょう。

一方でうっかりめちゃめちゃ役立ってしまった場合、ゴキブリが出現するたびに呼び出されてしまう可能性もあります。見たくないからこそ助かる能力のはずが、場合によっては能力がなかったときよりもゴキブリと対峙する機会が増えるという、究極のジレンマです。

なので対象を特定せずにすこし条件を変えて、心の底から忌避感を抱く、半径3センチ以内の視認対象を瞬時に他所へと転移する能力にしましょう。

「半径3センチ」は制約として妥当な気がするし、しかもひょっとするとこれなら異能バトルに巻き込まれてもうまく活かすやり方があるかもしれません。

基本的にはゴキブリのためですけど。


A. 心の底から忌避感を抱く、半径3センチ以内の視認対象を瞬時に他所へと転移する能力です。


ちなみにどこへ転移されるのかは、僕もわかりません。




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その451につづく!

2025年4月25日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その449


マクドナラナイドさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)マクドナルドの対義語ですね。


Q. 仕事を探すための「要素」がわかりません。

就職先が見つからないまま四年制大学を卒業してしまった私には、現在もやりたい仕事がなく、就きたい職業もありません。「川のほとりにある建物の3階くらいで、猫と一緒に暮らす」という理想の生活のビジョンは掲げているものの、それを成立させるためのベストな仕事が思い浮かんでいない現状です。高い社会的地位は望んでおらず、ストレスなく仕事と私生活のバランスが保てていれば、あまり高望みはしていません。この場合、私にはどのような職業が向いているでしょうか。また、ムール貝博士にとって仕事を探す上での重要な要素は何ですか?


考えてみるとこれは、婚活にも通じそうな話ですね。

芥川龍之介の「羅生門」で老婆に髪を引っこ抜かれるような死に方しかしないことがほぼ決定している僕に尋ねるのはどう考えてもまちがっていると思いますが、僕の存在を認識してしまった時点で早くもこちら側に足を踏み入れていると解釈してお答えしましょう。

僕はその昔、せっせと肉体労働に勤しんでいた時期がありますが、これは別に肉体労働がしたかったからではありません。やれそうだなと思ってやってみたら実際できたのでやっていただけです。

いざやってみると、「体はしんどいけど、土を掘ったり削ったりするの好きだな」と感じるようになりました。それでなくとも僕は日ごろからあれこれと考えがちなので、無心になってひたすら穴を掘ったり、それを埋めたり、土を運んだりして、しかもその成果がわかりやすく目に見えるのがすごく心地よかったのです。僕を知る人には想像しづらいだろうし、向いているとも言わないだろうけど、今でも好きだし、どちらかといえば向いていると思います。

しかし自分が土を掘るのに向いているかどうかなんて、やったことのない段階でわかるはずもありません。

つまり、何であれ自分に向いているかどうか、あるいはその選択がベストかどうかは常に結果論であって、あらかじめ想定できるものではない、ということです。

道を決める上で最も大きな障壁となるのはそれこそ、好きなこと、やりたいことを仕事にすべきという、自由かつ大らかに見えて誰も責任を負わない、いかにも現代らしい観念なんじゃないのか、と世界の底辺をアリのようにうろちょろする僕なんかは考えます。

世の中に仕事は数多あっても、やりたいと望む人の多い仕事ばかりではありません。逆に強く望んで高い倍率を勝ち抜きながら、事前のイメージと違って一気にモチベーションを失うケースもままあります。

そう考えると、むしろやれそうなことから着手するほうが早いし、期待も落胆も小さくて済むかもしれません。その上で大事なのはたぶん、好きになれるかどうかでしょう。なるかもしれないし、ならないかもしれない。好きとまでは言わないけど嫌いではない、みたいなこともあるかもしれない。何度考えてもやっぱり無理なら去る。それだけです。

この際、職に就くことが人生におけるものすごく大きな決断である、という観念も捨てていいと思います。僕の知るかぎり、びっくりするほどひょいひょいと身軽に転職ができる人は、この観念が強くありません。の前にある選択がこの先を不可逆的に決定づけるとは微塵も考えていないからです。

考えてみれば僕自身、ビートにリーディングを乗せるスタイルは、音楽をやりたくて始めたものでは全然ありません。いろんな成り行きがあって、気づいたらそうなっていて、せっかくやるなら長く続けられるように向き合おうと考えて、今に至ります。そういう意味では僕も好きだからというより好きになる感覚に近かったと言えるでしょう。

とはいえまともにフェアウェイを歩んだことのない僕が昔から胸に刻んでいるのは、選択したその先に何があろうと、こうすれば良かったとは考えずに100%受け入れる、ということだけです。後になってごちゃごちゃ言いたくないな、くらいの気持ちだったけど、意外にもこの姿勢が今の僕を支えてくれています。その結果、羅生門の老婆に髪を引っこ抜かれるような死に方をすることになるわけですけど。

あとですね、小林大吾の作品に巡り逢ってしまった時点で、すでに一般的な人とは明らかに異なる道を歩んでいます。そして他の多くの人がピンとこないものに対して少しでも魅力を感じることができるなら、その感性はまちがいなく大きな長所であり、武器のひとつです。何しろ他の人と違う視点を持てているわけだから、うまく活かせばアピールにもなります。どんと胸を張ってください。

そういえば昔、うどん屋でバイトをしていたとき、天ぷら付きそうめんを客に頭からぶちまけて以来、接客には向いてないなとずっと思い込んでいたけれど、それから数十年経って気づいたらうちの人の店でふつうに接客をしているのだから、ほんとにね、人生何がどこでどうなるかわかったもんじゃないですよ。

常識の圧力をいったん傍に置いて、川のほとりにある建物の3階と猫のためにがんばってください。

ちなみにムール貝博士は、世界の要人の方が勝手に追いかけてくるので、仕事を探す必要がありません。


A. 正しい答えを探そうとしないこと、違うと感じたら断ち切って次に向かう覚悟を持つことです。




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その450につづく!

2025年4月18日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その448


カラマーゾフの従兄弟さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 規則正しい生活は大切だと思いますか?もし規則正しい生活のために心がけていることなどがあれば知りたいです。


そうですね、大丈夫!ぜんぜん大切じゃないです!と言う人はたぶんほとんどいないと思いますが、「規則正しい生活」という言葉にはどうもこう、学級委員とか生徒会役員とか清く正しく美しくみたいな優等生の響きがあって、なんとなくいけすかない印象が付きまといます。人に言われたらうるさいなとしか返しようがありません。規則正しくあろうとなかろうと、そうありたいと自身が願うならそれだけで立派なもんだと僕なんかは思います。

ただ一方で、好きなときに食べて好きなときに寝て、好きなときに働いて好きなときに遊べたらいいかというと、それは全然おもいません。なんとなれば、心はそれを望んでいても、身体はそれを望んでいないからです。忌々しいことこの上ないけれども、僕らが規則正しい生活を必要とする最大の理由が、ここにあります。

僕らの肉体を構成する細胞ひとつひとつを、労働者だと想像してみてください。ある労働者たちは、たとえば胃で働いています。彼らにとって主人の食べたものがいつ胃に落ちてくるかは知りようもないですが、でもだいたい、たとえば12時から13時の間には昼食が胃に落ちてくることになっています。つまり、「働く時間が決まっている」ということです。逆に昼食が10時だったり14時だったりと安定しない場合、それは「業務が直前でしょっちゅう変更になって安定しない」ということでもあります。

もちろん、働いているのは胃の労働者だけではありません。胃での仕事は、腸にも引き継がれます。胃が想定外の時間に仕事を引き受けたなら、腸もまた想定外の時間に仕事を引き受けることになるのです。その結果、うんことして排出する時間も帰宅後だったり就寝前だったり起床してすぐだったりと、一定しないことになります。

脳で働く労働者たちも同じです。主人がいつ眠るのかわからないということは、労働者たちがいつ休めるのかもわからない、ということです。原則として就業時間が決まっていればそれを超えた時点で残業になりますが、そもそも就業時間が決まっていないなら、どこからが残業なのかも判然としません。

体内環境がとんでもないブラック企業になり果てていることがよくわかります。そしてブラック環境で酷使され続けるばかりか物理的に退職もできない労働者たちaka細胞が数十年後にどう成り果てているか、これももちろん想像できるはずです。具体的に言えば、もはや取り戻せない不可逆な形で、まちがいなく身体のあちこちに支障が生じてきます。

つまり規則正しい生活とは、体内の労働環境をホワイト企業として保つこと、と言い換えることができます。そう考えるとだいぶ受け入れやすくなるはずです。通勤ラッシュのタイミングで抑えきれない便意とか、ほんと御免被りたいですからね。

その上で何か心がけていることはあるかと訊かれたら、うーん、食事くらいですかねえ。うちは一日における栄養の大半を朝食で摂っている、と言っても過言ではないくらい朝食に出す皿の数がやたらと多いので、そのための支度もふくめてある程度の生活リズムを維持することにつながっている気はします。

ただ、歳をとればとるほど勝手に規則正しい生活になっていくというか、日々のルーチンから外れることにストレスを感じやすくなるのはたぶんまちがいないので、体内の労働者たちが悲鳴をあげるような無茶を長く続けないかぎりはそんなに気にしないでいい、というのが僕の結論です。睡眠、食事、仕事の時間がどれだけきっちり決まっていても、食事が毎回ポテチとか二郎系のラーメンとかだったら何の意味もないしね。

規則正しい生活なんてすでに規則正しい生活を送っている人しか言わないし、規則正しい連中の言うことを聞いて幸せになれるのは初めからおおむね規則正しい人だけですよ。


A. 体内における福利厚生の充実を心がけています。




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その449につづく!

2025年4月11日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その447


フランシスフォードかっぽれさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 各街に1つは必ず在る良い街中華屋さんが「良い街中華屋」であり続けるために必要な事って何なんでしょうか。


いいですね。これは100人に問えば100通りの回答が得られそうな質問です。味はもちろん、ありがたい価格設定だったり、豊富なメニューだったり、店の雰囲気だったり、概ねワンプレートで済む気楽さだったり、すこし呑むにはちょうどよかったり、あるいはその全部だったりするでしょう。それでしか得られない栄養がある、という言い回しは、町中華にこそふさわしい。

良い町中華にはだいたい当てはまる印象なのでどちらかというと帰納的な結論ですが、僕が感じるのは、朴訥であまり細かいことを気にしないことですね。

一例を挙げましょう。今はもうないけれど、僕が若いころ好きだった店に「ブラザー軒」という古い町中華がありました。もうこの店名からして細かいことを気にしない感じがひしひしと伝わってきます。

このブラザー軒で僕がよく食べていたのは、チキンライスです。中華どころか和食や洋食ですらないけれど、昭和の町中華にはどういうわけか、往々にしてチキンライスがメニューにあります。ブラザー軒にはたしかオムライスもあったはずです。そしてとりわけ、ブラザー軒のチキンライスには、鶏肉だけでなくときどき豚肉が紛れこんでいました。なんで?

店名にしてもメニューにしてもその具にしても、美味ければあとは別にいいじゃないかとしか言いようがない、このひたすら頑丈で強靭な重心の低さがおわかりいただけるだろうか。

もちろんこれは極端な例です。店名やメニューかくあるべしとは思わないし、ちがう肉が紛れこんでいるべきとも思わない。でもこの揺るぎない大らかさは、良い町中華に概ね共通するものという気がするのです。そもそもメニューのすべてが中華と呼べるかどうかすら怪しい時点で、定食屋にはないバーリトゥード感が町中華にはある。

もう一例を挙げましょう。


これは今もある店の、えーと、伝票兼レシートです。「いります?」と訊かれたのでもらってきましたが、特にどうすることもできないので何となく家の壁に貼ってあります。もはや多くを語る必要はないでしょう。またしても懲りずにチキンライスを食っている点はさておき、この店で大きな中華鍋を振るっているのが僕の老母よりも明らかに年長の女性なのだから、小さなことなど気にするはずもありません。

強靭な活力と大らかさ、それは言い換えるとこういうことになります。


A. 生命力です。




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その448につづく!

2025年4月4日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その446


鋼のレンチン術師さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 一年程前から小林大吾さんを聴くようになり、質問箱もピス田助手の手記も全て読むほどハマってしまった兄からの質問です。仕事に行きたくない時のよい対処法はありますか?仕事自体はさほど辛くないのですが、出勤から退勤まで室内にこもりきりなので息が詰まります。 また夜勤もあるので生活リズムの切り替えが大変な時もあります。いっそのことズル休みしてしまえば良いのですが、それだとお金が稼げずご飯が食べれません。


質問箱どころか、限られたごく一部の人だけが強烈な反応を示す類の読みものである「ピス田助手の手記」まで読破するとは相当な猛者です。お兄さんありがとうございます!

なぜ仕事に行かなくてはならないのか、もしくはなぜサボってはいけないのか。それは古来より人類が折にふれては直面してきた問題のひとつです。この問いが21世紀の今も絶えないのは、いかにしてサボるかをほとんど誰も心の底から真剣に検討してこなかったからではないか、と僕は考えます。

ここでいうサボるとは、「有給を使わず、誰にも迷惑をかけず、評価や収入に影響がなく、何ごともなかったかのように翌日からまた鼻歌まじりで仕事に行ける状態で、仕事に行かないこと」であるとしましょう。多くの人はこの定義の時点ですごすごと退却してしまいます。どう考えてもそんなことは不可能のように思えるからです。でも、果たして本当にそうだろうか?

脱獄不可能と言われたアルカトラズ刑務所から脱獄を果たした伝説の囚人、フランク・モリスを思い出してください。

ちょっと話はそれますが、僕はこの脱獄不可能という言葉が大好きです。なんといっても「あ、刑務所って基本的には脱獄可能なんだ」「いや、ぜんぶ脱獄不可能にしとけよ」と思わせてくれるのがいい。縁があるわけじゃないけど、夢があります。

しかしそんな部分をいつまでもスルメみたいに味わっていても仕方ないので、一般的な刑務所は「人は脱獄できないが怪物なら脱獄できる」、アルカトラズは「怪物でさえ脱獄できない」とひとまずここでは考えましょう。フランク・モリスはその怪物でさえ脱獄できないレベルの刑務所を人として脱獄してしまったわけですね。

できるかと問われたら100人が100人、絶対にムリだと断言するような行為を、彼は成し遂げています。生死不明と言われていたので、ひょっとしたらどこかで溺れたかもしれませんが、少なくともそこはアルカトラズではない。そしてこの事実は、不可能が単に「まだ可能になっていないだけ」であることを示唆してもいます。不可能だったはずなのに、できちゃってますからね。

そう考えると、「有給を使わず、誰にも迷惑をかけず、評価や収入に影響がなく、何ごともなかったかのように翌日からまた鼻歌まじりで仕事に行ける状態で、仕事に行かないこと」が果たして本当に不可能なのか、疑わしく思えてきます。ひょっとしてまだ誰も気づいていない、目からウロコのとんでもない解がどこかに眠っているのではないのか…?

もちろん僕はその回答を持っていません。持っていたらこんな底辺をうろうろするような生き方はしていないし、フランク・モリスだってアルカトラズを脱獄するのにYahoo!知恵袋でどうにかしようとは思わなかったでしょう。われわれの求める答えはもっと深遠なところにあって容易に見つかるものではない、例えば聖杯とかワンピースみたいなものだけれども、大事なのはそれが「存在する」ということです。

ないと思われている答えを探すべく、二度寝する布団の中で綿密な計画を練りましょう。全然なさそうな気がするのは、これまでずっとないと思いこまされてきたからです。本当にあると信じないかぎり、あるものもないことになってしまいます。

1日や2日で見つかるとは思いません。5年でも10年でも、あきらめずに何度でもトライしましょう。続けることが肝心です。やがて「有給を使わず、誰にも迷惑をかけず、評価や収入に影響がなく、何ごともなかったかのように翌日からまた鼻歌まじりで仕事に行ける状態で、仕事に行かない方法」を見つけたとき……言うまでもなく、人生が変わります。


A. 日々の仕事は、どこにも影響を及ぼすことなくスマートかつエレガントにサボるための計画を立てる、その隠れ蓑だと考えればよいのです。




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その447につづく!