リサイクルチョップさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 好きの反対は本当に無関心でしょうか?よく言われるこの言葉は果たして本当にそうなのでしょうか。何となくそんなもんかと思いつつ、何かが奥歯に詰まったような、準備万端で出かけたはずが何か忘れたモノがあるのではないかと心のどこかに少し不安が残るような、イマイチ腹落ちしないというのが正直なところです。ムール貝博士はどう思いますか?
たしかにこれは、よく言われることのひとつですね。実際その論理でいくと、じゃあ嫌いはどこに位置してその対義語はなんなんだ、という話になるわけだから、釈然としないのもムリはありません。わかるような気はするけれど、どうも飛躍があるようで据わりがわるい。
なぜそんなことになるかといえば、「好き/嫌い」「関心/無関心」という本来異なる比較のレイヤーをそのまま強引に統合しているからです。レイヤーを跨いでいるわけだから、当然そこには飛躍が生じるわけですね。
これを避けるために、たとえば「心に刻まれる/刻まれない」という別のレイヤーを新たに用意してみましょう。このレイヤーにおいては「好き」「嫌い」「関心」が前者、「無関心」だけが後者に置かれることになります。
好きと関心はともかく、嫌いが「心に刻まれる」側に入るのは直感に反するかもしれませんが、ネガティブな印象が消えないのなら、刻まれていないとは言えません。いうまでもなく、心に刻まれるのはいいことばかりではない。ですよね?
え、待って待って、それだと嫌いの反対も無関心にならない?と疑義を呈するきもちもわかります。ただ実際、このレイヤーにおいてはまったくもってそのとおりです。塩と砂糖がどちらも白い結晶というレイヤーでは完全に同類であることを思い浮かべてください。
それこそ芸能人なんかは「嫌い/無関心」という対比が成り立ちます。わざわざ嫌いであることを表明されるほど多くの認知を獲得しているということでもあるからです。認知(=心に刻まれること)そのものがポジティブな結果をもたらす可能性がある場合、どうあれ知られていないことよりも、知られているほうが望ましい。このレイヤーにおいて好き嫌いは問題ではありません。悪名は無名に勝るとか、炎上商法が成り立つのもそのためです。
そして嫌いにはまちがいなく、好きよりもはるかに明確な理由があります。ここが最大のポイントです。裏を返せば、嫌悪はその理由さえ解消されたら好感に転じる可能性があります。一度でも心に刻まれた以上、少なくとも無関心までリセットされることはありません。加えて嫌悪から転じた好感は、無関心から転じるよりも圧倒的に印象が強いはずです。そういう意味では、好きとの距離が遠いのは嫌いよりもむしろ無関心ということになるでしょう。こちらが好意を寄せている場合はなおさらです。
言い換えるなら、件の対比が成立するのは相手の好意が問題になる場合のみ、ということになります。たとえば相手が納豆だったら、僕らも納豆側の好意まではさすがに考えたりしないので、この場合はただ好きと嫌いがあって、その間にどちらでもないが挟まるでしょう。そしてもし納豆が僕らに食べてほしいと熱烈に望んでいる場合、ハードルが高いのは嫌いよりもむしろ無関心だとおもうので、愛されたい納豆にとって好きの対義はやっぱり無関心になります。
A. それは相手の特別な好意を望んでいるときだけの話です。
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その480につづく!
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