2026年4月17日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その478


暮らしの手錠さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 『さいとう』『ふくだ』等など、苗字の店名が付いてる食堂は、なぜか、想像通りの良い感じの食堂が多いとおもいません?


ふむふむ、たしかにそんな印象ありますね。たとえば「スサノオ」とか「wabi-sabi」とか「魯山人」とかと並んで「さいとう」という食堂があったら僕も「さいとう」を選びます。仮に4店とも食べ比べてどれも美味しかったとしても、気楽に再訪するのは「さいとう」なんじゃないかという気さえする。ふしぎですね。

それでまあ、つらつら考えてみたんだけど、これはひょっとすると一見素朴におもえて、なかなか奥の深い視点かもしれません。

まず、食堂であることが重要です。そもそも大衆食堂は、ジャンルを問わずいろんなメニューが雑多に混在するイメージがあります。焼き魚の定食もあれば、カレーとかラーメンとかカツ丼があったりもするでしょう。実際にはそのどれもないかもしれないけれど、少なくとも「作れそうなもんは作る」くらいの大らかさがある。つまり食堂である時点で、とにかく腹を満たしたい勢にはすでに感じがよいのです。

そして店名が姓だとすれば、それが考えうるかぎり最もシンプルな名付けである以上、食事処として何も含むところがないことを端的に示しています。「たけし」とか「ともこ」といった下の名よりもさらにアノニマスである点に注意してください。姓ほど、ただ必要だからつけただけであってそれ以上の意味がないことを示す愚直な店名はありません。

業態が大らかで店名が愚直なら、店の雰囲気も自然とそうなるだろうし、料理もそうでしょう。感じのよい確率は総じて高くなります。

大らかと愚直のどちらが欠けてもいけません。「魯山人食堂」だったら水にもこだわりがありそうだし、「和食さいとう」ならたぶん旬の野菜を使った繊細な料理が出てきます。どっちもまちがいなく美味しそうではあるけれど、大多数の僕らは毎度の食事に明確な目的意識を持っているわけではないので、「ご賞味あれ」よりは「食ってけ」くらいのカジュアルな態様のほうが、実際のところ圧倒的に助かるのです。あとたぶん、というか絶対、リーズナブルですよね。

そしてつい忘れてしまいがちですが、僕らは日々の食事に求めているのはボルテージではなくむしろある種の癒しと安らぎです。それを自然と満たすひとつの目安として、「苗字の店名が付いてる食堂」は確実に有効だと僕もおもいます。


A. そこにはたぶん、人の良さが意図せずにじみ出ているのです。




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dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その479につづく!

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