アリとわりとぎりぎりなキリギリスさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 私は、親切な人でありたいと思っているのですが、いまいち親切が何か分かってません。他人からしてもらった親切の中で、ダイゴさんの記憶に残ってるものってどんなものがありますか?
その昔、少年チャンピオンで連載されていた「マカロニほうれん荘」という作品があります。昭和50年代前半に描かれ、当時の子どもたちに核弾頭クラスの衝撃をもたらし、40年以上が流れ去った今もなお全国各地に熱狂的な支持者が多く存在する、伝説的なギャグマンガです。
連載されていたのはたしか、昭和52年から54年までです。たった2年の連載で数十年後も語り継がれているのだから、その影響力がいかに凄まじいものだったか、推して知るべしと言えましょう。
もちろん、僕はリアルタイムの読者ではありません。初めて目にしたのが小学校低学年だったから、連載終了からおそらく5年以上が過ぎています。進んでマンガを読むような親ではなかったし、買ってもらえることもあまりなかったのに、なぜか実家の本棚に1冊だけ、カバーのない「マカロニほうれん荘」の5巻がありました。それがすべての始まりです。ちょうど少年ジャンプでドラゴンボールの連載が始まったくらいの頃ですね。
今とはちがって、連載終了から数年が経過した少年マンガを、小さな町の本屋で手に入れるのは困難です。でもあちこち駆けずり回ってどうにかこうにか手に入れて、お小遣いで一冊ずつ増やして、揃えました。ひょっとすると人生で初めて全巻を揃えたマンガだったかもしれません。まず間違いなく今の僕を形づくったものすごく大きな原材料のひとつであり、死ぬまで手放さないマンガといったらこれと「超人ロック(初期同人誌版含む)」くらいしか思いつかない。それくらい、僕にとっては重要にして不可欠な作品です。
ただ、先にも書いたように、僕は後追いの読者です。リアルタイムでなく、単行本でしかそれを知らないということはつまり、「カラー原稿を単行本の表紙以外で見たことがない」ということでもあります。時代も時代だし、それはもうどうにもならないことなので、あんまり深く考えたことはなかったんだけれど、
注:ここまでが前置きです。
数十年後、夢にまで見たマカロニほうれん荘のカラー原稿を目にする機会がやってきました。それが2018年に東京・中野ブロードウェイで開催された原画展です。
展示期間は2週間くらいで、僕が行ったのは最終日の夕方です。そんなに大事な展示なら初日に行けよとじぶんでもおもうけど、ふだんから情報収集に長けていないのとおそらくは例によってぼんやりしていたのでしょう。どういうわけか観覧無料だったので、チケットが売り切れるとか、そういう心配をしていなかったこともある。ここで悲劇が起こります。
そのときまで僕はまったく知らなかったのです。観覧は無料だけれど、あまりに人気で入場を制限するため、時間帯ごとに区切った整理券が必要になっていたことを。最終日の夕方に観覧するための整理券は昼前に配布が終了していて、何をどうやっても観覧することは不可能でした。(このあと地方を巡回することも知らなかったから、まじで最初で最後だとおもっていた)
このときほど膝から崩れ落ちたことはありません。あまりに呆然としてその場に立ち尽くしてしまい、頭がまっ白で何も考えられなくなって帰るための階段さえまともに降りられなかったくらいです。一歩降りるのに5秒くらいかかってたとおもう。それまで過去に戻りたいと願ったことはなかったけれど、このときだけは本当に時間を巻き戻したいと、生まれて初めて痛感したことをよくおぼえています。だって1日前に来てただけでもぜんぜん話が違ってたはずじゃないか?
そのときひとりの青年が、顔面蒼白で灰になりかけていた僕に近づき、声をかけてくれました。
「あの、整理券余ってるんで……よかったら……」
え……?
何の話をしているのか脳内がフリーズしていてまったくわからず再びその場に立ち尽くします。え、待って待って、この麗しい青年はいったいどなた……?天使……?天使なの……?天使が見えるということは……まさか僕は本当に死にかけてるのではないか……?
だってそんな、もうこれ以上はどうにもならない状況で、唯一の解決策をなぜかたまたま余分に持つ人が通りがかって、見返りを求めることなく譲って去るとか、そんなご都合主義のラブコメみたいな話ある……?そりゃ人目も憚らず号泣しそうになろうというものじゃないですか?
少なくともひとつはっきりしているのは、彼がこのときの僕にとっては天使というか神にも近い存在だったということです。ここで運を使い果たしたと言われても、そうか、じゃしかたないな、と割り切れるくらい、本当に本当にうれしかった。ありがとうありがとう。本当にありがとう。大袈裟でなく、一生忘れません。だってもう、生きてるうちに鴨川つばめ御大の、マカロニほうれん荘のカラー原画を見る機会なんて、来ないかもしれないんだよ!!どうかどうか、僕が今も感じている恩義と同じくらいの幸運が、彼にも雨と降り注ぎますように……!!
あとで聞いた話では、地方から足を運んだにもかかわらず僕と同じような状況で観覧できなかった人がやっぱりいたらしくて、その絶望はもう誰よりよくわかるし、申し訳なさもあって人に話せるようなことではなかったけれど、「記憶に残る親切」で真っ先に思い出されるのがこれです。
さて、感極まって溢れ出した滂沱の涙をぬぐいつつ、質問にもどりましょう。僕の長すぎる話からおわかりいただけるとおもいますが、親切とはそれを受けた人だけがそう感じるものです。親切であろうとすることが、実際に親切であるかどうかは受けた相手にしかわかりません。僕に整理券を譲ってくれた神のように眩しい青年は、数年たった今でも僕がこうして拝んでいることなど想像もしていないでしょう。
そのときできることをする、その結果が親切になるかもというだけのことであって、それ以上でもそれ以下でもありません。それはつまり、親切という結果を得ようとしない行動こそ親切の種である、ということでもあります。なんとなれば、大きなお世話にしかならないケースもままあるからです。
そうありたい、と願うきもちはすごくよくわかります。そう心がけつつ生きるだけで、きっと僕のように一生忘れない恩義を抱く人がいるはずです。
A. 灰になりかけたところを救ってもらったことがあります。
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dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その351につづく!
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