2008年5月5日月曜日

エラ・フィッツジェラルドの酸素ボンベ


いくら僕でも「エラ呼吸ができたらいいのに」というようならちもない夢想はとうに卒業したけれども、現代の科学力をもってすればその仕組みから、半永久的に潜水できる酸素ボンベがつくれるのではあるまいか、という現実的な期待なら今もしっかり抱いています。

魚とホモサピエンスの代謝量のちがいくらい何でもない!人類がかつてあれだけ憧れた空だって今じゃスイスイ飛べるようになったことだし、どのみちエラを移植できないならそれくらいなんとかしてよとおもう。

いつかじぶんの子どもがサンタさんへの手紙に「エラください」って書いたとき、僕はいったいどうすればよいのだろう?「おれも欲しかったけどダメだった」って答えなくちゃいけないのか?たったそれっぽっちの望みと引き換えに、人生の苦味を早くも手渡さなくちゃいけないのか?「ままならないこともある」って?

さんざん悩み抜いたあげく、枕元にそっとエラ・フィッツジェラルドのCDを置いてお茶をにごすような大人にはなりたくないんだよ!

いいじゃないかエラくらい、ケチケチすんなよとおもうんだけど、神様は聞いてくれるかね?



「エラがほしい」の巻 (完)

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