アグロー案内を始めてから薄々感じていたことではあるのだけれど、去年あたりからはっきりと、大袈裟でもなんでもなく、声には魔力があると確信しつつあるのです。
単に力というのではちょっと足りません。ある種の強制性が伴うという意味で、魔力です。
魅力的な声、というのともちょっと違います。どんな声であれ、ある局面、ある状況、ある環境において100%の本領を発揮した上で言葉を発するとき、そこには何らかの特異な場が生じる、みたいなことです。耳を奪われるというのは、文字どおり奪われているんだとおもう。
言霊ってたぶんそういうことなんだろうけど、もっとこう俗っぽく置き換えると、たとえばお巡りさんが逃げる泥棒に「動くな」と叫ぶとき、蚊に刺されたくらいにしか効かない場合と、本当に硬直して動けなくなってしまう場合があるんじゃないのか、という気さえします。
そしてふと思うのです。僕は本当に相手の自由を奪うほどの「動くな」を放てるだろうか?
もちろんできません。できないけれども、ただこれは本質的には、声をきちんと使えているだろうか?という問いにもつながっています。これまでも無自覚に発動していた可能性はかなりあるにせよ、意識的に用いてはいなかった、というのがその答えです。どの状態の声が100%なのか、ほとんど何もわかっていなかった、と項垂れるほかありません。
僕のリーディングは通常の朗読と比べて必要以上に面倒なブレスコントロールを要するアクロバティックなところがあるので、うっかりすると声それ自体にピントが合わせづらくなりがちです。
声にピントを合わせるなら、なるべく余計な技巧を織りこまず、ストレートな朗読に近い形が望ましい。とにかくまずは何かを書いてみよう、と思っていたら書く前に送られてきたのが、このビートです。まるで先の意図を踏まえたかのようにこれ以上ないほどうってつけで、びっくりしたことを覚えています。これがいかにリーディングとぴったり噛み合っているか、ここで強調するまでもないでしょう。
こうなるとタイミング的には今しかありません。書くだけ書き、最低限のリズムをキープしつつひたすら声に集中して読み、録るだけ録ってカズタケさんに託し、最終的な構成もお任せしています。僕としては新鮮な野菜にあまり手を加えず、そのまま生で味わってもらうようなイメージです。そして実際、そのとおりになっているとおもう。カズタケさんにはここに書いたようなことを、何ひとつ伝えていません。だからこそ感慨深いのです。ミックスにしても、「手漕ぎボート 2026/helmsman says carefully」とはぜんっぜんちがいますからね。
前回書いたように、テキストはテキストで思いのほか味があると喧伝はしましたけれども、2周目以降は深く考えずにただただ身を委ねるような、たとえば就寝前に聴きながら自然と寝入ってしまうような、魔力とは言わないにしても、ただただ耳に心地よい作品になっていたらいいな、とおもいます。
どうかなー……!!

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