この曲の制作におけるイレギュラーな過程についてはまた改めて書き残しておこうと思いますが、ぜんぶまとめると長くなるので今回はひとまず注釈だけ記しておきましょう。
というのも、この曲のテキストもまた、これまでにない書き方をしたからです。
何しろ通常はある程度テーマを抱いて向き合うところ、この曲に関してはテーマもへったくれもなくとにかく思いつくままに書き散らしてから考えようとめちゃめちゃアバウトに書き始めています。最初に思い浮かんだのは「理由がある。」という一言のみです。
ほほう…理由がある…それはどんな?ひとつだけ?と自問しながら深く考えずに書いていったら、なぜか龍に転じました。龍か…龍といえば…とここで曲亭馬琴の南総里見八犬伝が思い浮かびます。八犬伝にはちょいちょい龍が出てくるのだけれど、そういや龍の子についてあれこれ書いてあったな…と思い出したのが、つまり「龍生九子」です。いくつかバージョンがあるようですが、ここでは八犬伝の記述(元はおそらく「懐麓堂集」)に準じています。龍になれないならどうやって龍が育つんだ、とおもいますが、元々そのあたりを度外視した伝承なので、仕方ありません。曲の途中で唐突に解説が始まるあたり、リーディングならではという気もしますね。
龍になれないということはまあ落ちこぼれだよな、とここでそのうちの一人として気の毒な小悪党が登場します。落ちこぼれなので親である龍の期待に沿うことは当然できません。どうにかしてその目から逃れ、生き延びる必要があります。空から見下ろす龍の目から逃れるとしたら、うーん、海かな…あ、海の底にあるじゃん、真珠貝亭が、とここでかの酒場に連れていくことになったわけですね。なので続編になってしまったのは、100%成り行きです。
とはいえ真珠貝亭についてはもうすでに書いているので、再度そこに焦点を当てることはできません。なので、じゃあ店にいる客でも引っ張り出すか…どんな人がいいかな…とあれこれ想像しているうちに現れたのが今昔物語集に出てくる怪力の姫君、「大井光遠の妹」です。ここでそのあらすじを記すことはしませんが、大好きな話なので気になったら読んでみてください。まじで想像を絶する怪力っぷりです。
先の小悪党にも名前がなかったので、せめて姫には名前をつけとくか…どんなのがいいかな…と考えて思い出したのが、松尾芭蕉(とその同行者である曾良)が出会ったかさねという少女です。どこにでもいるような、ごくごくありふれた農村の子なのだけれど、なんて典雅な名前だろう、と感銘を受けたことがおくのほそ道に記されています。
と、ここまで考えてふと、あれ?かさねって…と連想したのが、着物の重なりに見る日本古来の配色美、襲(かさね)です。しかも漢字に龍がいる!なんておあつらえ向きなんだ、ということで、怪力の姫君の名がつけられました。
つまりこの作品は、南総里見八犬伝、今昔物語集、おくのほそ道という、日本における3つの古典から生まれたとも言えるわけですね。
とはいえ元より、こういうのを書くぞ!と意気込んだわけではなく、書いてるうちにそうなってしまっただけなので、まあそんなふうに生まれるテキストもあるよ、という話です。へ〜としか言いようがないと思いますけども。
でもなんというかこう、詩というには語りすぎだし、物語というにはアクロバティックすぎるこの感じ、このフォーマットでしか活かせないテキストとして、めちゃめちゃ気に入っているのです。

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