いろいろあって、裁判の原告側にいるのです。
ややこしい話ではありません。むしろ裁判になるのが不思議なくらい、一般的にはシンプルな話です。もちろんいきなりそんな展開になったわけではなく、最初の交渉を破棄され、次に代理人を通じて通知書(これは法的な効力を有すると同時に、交渉の意志があることを伝えるための文書です)を送付し、それもスルーされてしまったので、やむなくここに至ったという次第です。
せっかくなのでいちおう書いておくと、もし法律事務所や弁護士から通知書が内容証明郵便で送られてきたら、それは相手も本気ということなので、絶対にスルーしてはいけません。ふつうに堂々と、反論したらよろしい。個人としてはもちろん、会社の場合は社会的な信用にも関わります。今回は小さな会社が相手なので、会社としてやらかしてはいかんことをここでも重ねてしまっているわけですね。
とはいえ、ことの顛末とか是非をここで問いたいわけでは全然ありません。この件を通じてあれこれと考えさせられることがあった、という話です。差し障りがあってもいけないので具体的には書きませんが、別の例に置き換えてみましょう。
クマちゃんの粗忽な振る舞いで、ウサギくんの大事なものを壊したとします。ウサギくんはせめてクマちゃんに謝ってほしかったものの、結果としてクマちゃんは責任を認めず、謝りもしませんでした。
実際の状況とはまるっきり違うんだけど、これくらいシンプルな話である、という意味では同じです。誰がどう見たってクマちゃんが100%悪い。ウサギくんにとって大事なものならなおさらです。
ではウサギくんが裁判所に駆け込んで、「クマちゃんに大事なものを壊されたんです!」と訴えたとき、裁判官は「おお、それはひどい。クマちゃん、謝りなさい」となるだろうか?
答えはNOです。
裁判官が当事者でない以上、それが事実であることを示す証拠がないかぎり、客観的な判断ができません。この時点で提示できる明確な物的証拠は「壊れた大事なもの」だけなので、これだけで「クマちゃんひどい」とは言えないのです。したがって、クマちゃんの言い分も聞く必要があります。
クマちゃんの代理人弁護士の言い分はこうです。「粗忽な振る舞いは認めます。ウサギくんの大事なものが壊れたことも認めます。ただし、粗忽な振る舞いによって大事なものが壊れた、という点は否認します。なぜなら、大事なものが壊れたのは粗忽な振る舞いが直接の原因であると立証されていないからです」
おいおいおい、ふざけんなよ、まじでふざけんなよ!!!とウサギくんは激昂するでしょう。僕だって頭にきます。
しかし裁判ではそうはなりません。なんとなれば裁判官はお互いの言い分と証拠でしか客観的な判断が下せないからです。したがってこう言うでしょう。「なるほど、確かに一理ある。ウサギくん、クマちゃんの粗忽な振る舞いが壊れた直接の原因であると主張するなら、その根拠を示してください」
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めちゃめちゃシンプルな話だったはずなのに、気づいたらクソめんどくさい話になっている。ですよね?しかし実際のところ、当事者ではない第三者が客観的に判断するというのはこういうことなのだ、と今の僕は心の底から痛感しています。そしてこれこそがこの話の主旨です。
ウサギくんは裁判官の指摘に対して根拠を示すことができるかもしれないし、できないかもしれません。しかしできなかった場合、クマちゃんの主張には一定の合理性が認められることになります。要するにクマちゃんが勝訴する可能性があるわけですね。
もしこれが世間の注目を浴びるようなニュースなら、「大事なものを壊されたとしてウサギくんがクマちゃんを提訴」みたいなことになるでしょう。なぜ提訴に至ったか、その詳細も記事になっているはずです。一般市民である僕らの印象としては「ひどい!クマちゃん謝るべき!」となります。
そしてクマちゃんの勝訴です。
一般市民の僕らとしては、到底納得のいく結論ではない。
ここで注意したいのは、ウサギくん敗訴=クマちゃんが正しい、という意味ではないことです。クマちゃんに明確な責任があると断定できないことと、クマちゃんが正しいことはイコールではない。でも一般市民かつ第三者である僕らとしては、この状況でウサギくん敗訴とかあり得ない、裁判官まじ頭おかしい、弾劾しろ!という気持ちになってもおかしくありません。ここにはすべての精査と法的な観点がないかぎり埋められない、めちゃめちゃ大きなギャップがある。
僕は正直、人生観がちょっと揺さぶられました。少なくとも、新聞、テレビ、SNSで伝えられる裁判の経緯と結果をそのまま鵜呑みにはできないと考えるようになっています。第三者が客観的に判断することは一般市民である僕らが思うほど単純な話ではないと言い換えてもいい。
もちろん裁判官も同じ人間なんだからやらかすことも絶対にあるはずだし実際にときどき取り返しのつかないことをやらかしてると思うけど、少なくとも僕らが目にしているのは常に海面よりも上の氷山だけだということを、改めて肝に銘じておきたいのです。伝わってるだろうか…?
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ちなみに、以上のようなたいへんニュートラルな視点を踏まえた上で、いま直面している裁判の相手(被告)は、唖然とするほど人としてあり得ないタイプです。そしてもし僕が相手方の弁護士なら、明らかに不要かつ絶対にやめてほしい、自ら不利になるようなことをガンガンやらかしています。提訴後ですらやらかしていて、向こうがガッツポーズを決める可能性はゼロです。まじで何がしたいんだろう…と常識的な人なら誰でも首を傾げるレベルなので、これについてはまあ、ふつうに忘れてください。
世の中には金を払ってでも絶対に謝らない人がいる、と代理人弁護士に言われて驚いたんだけど、それを今じわじわと実感しつつあります。
要は「客観的に正しくあってほしい」と「主観的な印象に沿っていてほしい」を当たり前みたいに混同してはいけないよ、という話です。みんなも気をつけてね。
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