2024年8月30日金曜日

アグローと夜(Agloe and Night) 2024のお知らせ


そんなわけで今年も開催と相成りました。アグロー案内シリーズの実演版、「アグローと夜(Agloe and Night)2024」のお知らせです。


「アグローと夜(Agloe and Night) 2024」
11月22日(金) @恵比寿TimeOut Café & Diner

出演:小林大吾、タケウチカズタケ
Open 17:30  Start 18:30
Charge ¥3,900(入場時に1ドリンク ¥600)

プレイガイドURL

注:URLは9月2日(月) 10:00から有効になります。

TimeOut Café & Diner
東京都渋谷区東3丁目16−6 リキッドルーム 2F

詩人/ポエトリーリーディング・アーティスト/グラフィック・デザイナーである小林大吾とキーボーディスト・音楽プロデューサーのタケウチカズタケが言葉と音楽の可能性を広げ続けている作品「アグロー案内」シリーズ。その実演ライブ&トークイベント「アグローと夜」、今年は恵比寿TimeOut Café & Dinerで開催です!


また今回、チケットのご購入はプレイガイドのみとなります。事前にチケットをご購入いただいた上で、来場時にドリンクを1点ご注文いただく、という流れです。すこしお手数をおかけするようで心苦しいかぎりですが、どうかご容赦くださいませ…!!

そして3,900円という、ライブチケットにあるまじき半端な額は、すこしでもお得に感じてほしいという、スーパーの価格設定にも近い心意気の表れです。100円よりは98円のほうが、4000円より3980円のほうが心理的に軽い!にもかかわらずさらにちょぴっと低く抑える、これが心意気でなくて何でしょう。

でも!ぜひ!来てほしいので!

今年もよろしくおねがいします!(年始の挨拶)

2024年8月23日金曜日

フライと焼きそば、あるいは8月にして早くも1年を振り返ろうと試みる話の続き


今年のあれは…4月だったか5月だったか、ちょっとした野暮用があって埼玉県のあるエリアをバスで移動していたら、「フライ/焼きそば」という看板が目についたのです。

何のフライだかわからないけれども、アジフライとかかな、まあそんな店もあるだろうとあまり気に留めずにいたら、15分くらいの間にちょいちょい似たような看板を見かけてさすがにいやいや待て待てと席を立たずにはいられません。

言うまでもなく、看板自体はそれぞれまったく違います。でも看板メニューがどれもこれも判で押したように「フライ/焼きそば」とあるのです。どう考えてもこれは尋常ではない。そもそもアジフライだろうとエビフライだろうと、一般的に言ってフライを売りにする店はそう多くありません。少なくとも僕は見かけた記憶がないし、何のフライなのかを明記しない時点でだいぶ常軌を逸しています。そして焼きそばです。一軒だけならともかく何軒も、そしてさも当たり前のように掲げるフライと焼きそばの組み合わせに一体どんな関連性があるというのか、何だこの町は、とまるで異世界に迷いこんだかのような混乱を覚えたのも無理からぬことと申せましょう。

野暮用を済ませてあとは電車で帰るだけ、という段になってからGoogleマップで周辺を検索すると、びっくりするほどフライを売りにする店がヒットします。そしてどの店も、フライが何のフライであるかを明記していません。ここに至って何となく察した点は2つです。この町におけるフライとは一般に言われる揚げ物としてのフライではないかもしれないということ。そしてどうやらフライが主で焼きそばが従であるらしい、ということです。ホームズとワトソンみたいなことですね。

何しろあとは帰るだけだったので、謎を探るとしたら駅周辺しかありません。徒歩圏内でなんとなく古くからありそうな、フライを扱う店に目星をつけてまっしぐらに向かいます。この町におけるフライとは何なのかを確かめずに、このまま帰路につくことはできません。

意を決して店に入ると、齢80越え(!)と思しき老婦人がひとりで切り盛りしているようです。印象としては昭和の喫茶店に近くて、懐かしい趣を醸しています。


席についてメニューを手に取れば、どこをどう見てもフライ、というかふらい焼きと焼きそばしかありません。あ、焼くんだ…。


迷わずふらい焼きを注文して、ひたすらその時を待ちます。そして出てきたのがこれです。



食感的にはお好み焼きとチヂミの中間みたいでなぜこれをふらい焼き(フライ)と呼ぶのかわかんないけど美味え。80年代によく見かけたようなお店の雰囲気と相まって超楽しい。あんまり楽しいので焼きそばも注文してみたけれど、これはやっぱりホームズに対するワトソンよろしく、フライといえば焼きそば、というある種の定型のようです。焼きそばそれ自体にはそこまで強い印象はありません。でもおいしい。そしてふらい焼きは明らかに食べたことがないタイプのメニューです。あとまあそりゃそうかという気もするけどそれにしたってめちゃめちゃ安い。個人的にはふらい焼きの後に追加で注文した焼きそばの後さらに追加で注文したキムチふらいがとりわけ絶品だったことを付け加えておきましょう。


想定外の未体験が楽しすぎてうっかり長居したのち、帰り際に聞いたら店は今年で70周年らしく、また卒倒しかけます。

「70年!?フライってこの店が始めたんですか?」
「いやいや隣の、行田にね、先輩がいて、その人が始めたの」

つまりフライとは、揚げ物でもなんでもないけれど、行田とその周辺地域に少なくとも70年以上伝わる郷土料理だったのです。行田とフライでググればわかります(このときはあえてググらなかった)。限られたエリア以外ではまず見ないし、それでいてエリア内にはやたらとフライを扱う店があるので、どうあれこれは郷土料理と言うべきでしょう。

2024年に偶然でくわした個人的に最大の事件のひとつがこれです。

あとはもちろん、アグロー案内 VOL.7 がぶじに配信されたことですね。なんだ藪から棒にと思われるかもしれませんが、先々週から予告していたように、今年1年を振り返っているのです。

あとはこれといって特筆できそうなこともありません。今年もありがとう!どうか良いお年を!

2024年8月16日金曜日

サラブレッドとしてのきゅうりについて考える話


【お詫び】今週は8月にして早くも1年を振り返って総括するとお伝えしていましたが、急ぎかといえば全然急ぎでもないし何ならあと5ヶ月くらいは余裕があるので、急遽予定を変更してお送りします。ご了承ください。


それは先日ふと小さな、それでいてかなり根本的な疑問を抱いたことに始まります。

お盆といえば祖先の霊を祀り迎える行事であり時期ですが、ここで言うご先祖とは一体誰で、どの家に帰ることになっているのだろう?

子孫のなかった人の霊はこの時期何してんだろうな、とは昔から僕がぼんやり考えることのひとつです。囲碁でも打つとか、Vtuberの配信でスパチャに興じるとか、でもそんなん別にお盆じゃなくてもいいしな、そうするとお盆も単なるカレンダーの一部みたいな認識になるんかな、とかまあそんなかんじでいつものようにせっせと貴重な人生を浪費していたわけですね。

しかしふと、もし子や孫がいる霊の立場だったら、と考えたときに思考が停止したのです。待てよ、下界に帰省って、どこに帰りゃいいんだ?

一番わかりやすいのは、子がひとりで、つい最近に霊の仲間入りをした場合です。これはもうどう考えても、帰ると言ったら子の家に決まっています。他に寄るところもないし、疑問の余地はありません。

では子が5人いる場合はどうだろう?当然、全員に会いに行ってほしいよなと思うけど、ここで問題になるのが、いわゆる精霊馬です。きゅうりと茄子で作る、ご先祖のための乗り物ですね。

聞き知るところによればきゅうりは馬、茄子は牛を表していると言います。もちろん、早く来て、ゆっくり帰ってね、という小粋な気配りです。

しかし早く来るための馬はともかく、ゆっくり帰るための牛は、それ以外に寄るところがないことを意味しています。どう考えても、寄る家がひとつである前提です。あちこち寄るなら牛になど乗っている暇はありません。ですよね?

にもかかわらず茄子の牛がきゅうりの馬とセットで置かれるのだから、これはもう明らかに、下界で寄ることができるのはひとつの家のみという暗黙の前提があることになります。僕が5人の子をもつ霊だったら、そんなの困るとしか言いようがありません。

家制度の時代ならわかります。継がれる家はひとつしかないし、それを継ぐ人が確実にいたのだから、ご先祖が帰るとなったら当然その家で、もし兄弟姉妹がいるならそこにみんな集合する。単純明快です。僕がその時代の霊ならぜんぜん悩まない。

しかしそれはせいぜい80年くらい前までの話です。何なら祖父母の暮らしていた家がすでにないことも、今では往々にしてある。うちもそうです。その上で子が5人いるなら、じゃあ長男の家に行くか、とはなりません。なぜならそう選択するための根拠がとっくに消え失せているからです。

ではこの時代に複数の子孫を持つ霊となった僕は下界のどこへいけば良いのか?

また、ここまでは話をすごくシンプルにしていますが、家制度の存在しない現在、仮に僕が玄孫を持つ祖先でかつ霊だった場合、さらに帰省先がわからなくなります。血のつながりがある家をすべて訪れるにしてもかなりの数になるでしょう。そしてそれ以前に、そもそも迎える側が曽祖父母以前の祖先まで想定していない可能性のほうがはるかに高い。僕自身は曽祖母までは認識しているけれど、その血縁者は自分につながる分と、従姉妹につながる分しか知りません。でも間違いなくもっと大勢いるはずだし、高祖父母になると何をか言わんやです。さらにその祖先となったら父系と母系を合わせてその数はかなりのものになります。ちょっとしたフェス並みです。1、2本のきゅうりと茄子で済むわけがない。

そうなると玄関先に置かれた数本のきゅうり馬は、大量にいる祖先の霊の間で奪い合いになるでしょう。さながらビーチフラッグの様相を呈してきます。霊なんだから骨も肉もないのに文字どおり骨肉の争いです。血のつながりのある家のうち、見過ごされがちな家に目星をつけておく、といった戦略も必要になってきます。また畑を持っている家は用意するきゅうりも新鮮で質が高く、それが馬としての性能に反映されているはずです。競争率の高いきゅうり馬をあえて狙うか、萎びていても確実に奪えるきゅうり馬を狙うか、祖先としての経験が問われるに違いありません。中にはたとえば僕なんかのように、べつに牛でもいいやと茄子に乗ってそのまま旅に出てしまう祖先もいるでしょう。

さらにここで俄然意味を帯びてくるのが、お盆にすることがなかったはずの、子孫を持たない霊のみなさんです。今年は一体どの霊が最も優れたきゅうり馬を手にするのか、これはもう間違いなく賭けの対象になります。もはやお盆は子孫の有無にかかわらずすべての霊が熱狂できる一大イベントです。一斉に下界へと向かうご先祖さまたちの動きを、固唾を飲んで見守ります。盛り上げるために実況を買って出る霊がいてもおかしくありません。刻一刻と変動するオッズに片時も目が離せない、それが天上におけるお盆のありかたであってほしい

そんなことを考えながら糠漬けにしたきゅうりをポリポリ食べるのが僕のお盆です。他のどの季節よりもおいしいとおもいます。

2024年8月9日金曜日

おいしい豆大福、あるいは8月にして早くも1年を振り返ろうと試みる話


さて、2024年もいよいよ大詰めを迎えようとしています。何と言っても唯一の、そしてそれゆえに最大のニュースは、アグロー案内 VOL.7がぶじリリースされたことです。10大ニュースにしてもひとつしかないのでぶっちぎりの1位で間違いありません。これなくしてこの1年は語れないというか、語りようがないというか、右を見ても左を見てもこの話題しかない、部屋中引っかき回してみてもこの話題以外に目ぼしいものが見当たらない、そういう意味では超局所的に席巻したと言えなくもない、そんな幸せな1年であったと申せましょう。

8月上旬に年末みたいな顔でこうして1年を振り返ることには異論もあるでしょうが、もちろんそれには明確かつ相応の理由があります。というのも、この先の予定はこれといって特にないからです。

たとえば今ここに、群林堂のおいしい豆大福があります。東京3大豆大福に数えられる逸品です。これを今食べずに、ひょっとしたらもっとおいしくなるかもしれないという一縷の望みを抱いて12月に食うのは正しいことだろうか?誰がどう考えてもその日のうちにいただくのが自然であり、道理じゃないだろうか?

8月上旬に振り返ることもできた1年の総括を、空白のまま過ごした5ヶ月後に振り返るというのは、つまりそういうことです。

豆大福をつまむ暇もないくらい予定が詰まっているなら格別、そうでないなら豆大福はおいしいうちに食べるべきだし、1年の総括もまた同じ理由で早いうちにしておくべきである、とやはり言わざるを得ません。

そうでなくとも人生、いつ何が起こるかわからないのです。運よく今日まで生き延びてきたけれど、明日ポックリ逝かないともかぎらない。僕はつねづねそういう心構えで日々をどうにかこうにかしのいでいるし、何ならいわゆる終活についてもすでにちょっと考えているくらいです。

また、もし総括をしないままこの世を去ることになったら、それが未練で成仏できないかもしれません。やっぱり8月にしておけばよかったと夜な夜な電柱の影でぶつぶつ嘆き悲しんだり、鬼のような形相で通りすがりの誰かに取り憑いて今すぐ1年の総括をしろとに迫る悪霊に身を堕とす可能性もあります。逆にいま僕がそんな悪霊に取り憑かれたら、共感しすぎて泣いてしまうでしょう。

だからこそ今、そうならないうちに総括をしてしまわねばならないのです。だいたい8月と言ったらもう立派に1年の後半です。人生に置き換えたら初老みたいなものだし、そう考えると何の違和感もありません。こう言ったらアレだけど、1月とか2月に総括するより断然マシじゃないですか?

しかしなぜ8月に総括をする必要があるのかという前置きだけでだいぶスペースを割いてしまったので、本編である総括についてはまた次回にいたしましょう。

ちなみにアグロー案内のライブ版、「アグローと夜」の開催は今年もすでに決定しています。詳細は来月あたりにまた改めてお知らせすると思いますが、これはもちろん僕がそのときまで無事でいたらという前提なので、どうか無事を祈っていてください。

2024年8月2日金曜日

アグロー案内VOL.7 解説「コード四〇四/cannot be found」


さて、長らくご愛顧いただいた解説もいよいよ終着が近づいてまいりました。

最後は僕の中でもちょっと特異な位置付けにあり、御大のおかげで10年ぶりにとうとう正規リリースを果たした「コード四〇四/page cannot be found」についてです。

しかし改めて説明しなくてはなりますまい。「コード四〇四」はもともと、アルバム「小数点花手鑑」の特装版に付随していたミニアルバム、「パン屋の1ダース」に収録の1編です。あくまでオマケとしての収録だったのと、当時は限られた形でしか聴くことができなかったので、正規という位置付けにはなっていません。ある時点でYouTubeに公開したので今では誰でも聴くことができますが、言ってみればこれは放流みたいなことであって、リリースではなかった。

ぶっちゃけ大差ないと言えばないんだけど、少なくとも今回は僕自身が「リリースするぞ!」と意気込んでいたし、本人がそう言ってるんだからそうじゃなかったら何なんだ、ということで正真正銘、これが初めてのリリースとなります。

しかしまあ本当にしみじみと、その甲斐がありました。何と言ってもカズタケさんのビートはオリジナルよりも情感をたっぷり含んでいて、聴き返すたびに鳥肌が立ちます。何ならちょっといい話に聞こえるくらいです。まさかあの内容でグッと込み上げる着地があるなんて、夢にも思っていなかった。唖然とするほど細かなミックスも含めて、タケウチカズタケの今をすべて注ぎこんでくれています。

仮に10年前にこのビートがあっても、太刀打ちはできません。キングコングの上にチワワが乗るようなものです。一体どこにチワワがいるのか、みんな必死に探すことになるでしょう。今だからこそ可能になった作品だとすれば、10年寝かせただけの意味はあったとおもいます。


冒頭で僕にとって特異な位置付けであると書きましたが、それはこの一編が、どちらかといえば読むよりも喋ることに重心を置いているからです。

もともと僕がじぶんのスタイルをラップではないと明言している理由のひとつ(あくまで例としてのひとつです)に、発語の弾性があります。

ラップが多種多様に発展してきたことを考えると今ではあまりそう言い切れない気もするけれど、オーソドックスなラップにはほぼこの弾性があります。歌とは異なる形でリズムに同調して、言葉を伸び縮みさせていく、というようなことですね。だから当然、アカペラで聴いても会話や朗読にはない別種の聴感がある。

翻って、リーディングにはそれがほとんどありません。あってもすごく薄いし、何ならふつうの朗読として違和感がないケースもある。

そして僕自身は、会話や朗読と同等の聴感であってもぴたりとリズムに寄り添うことはできるし、一定に保つこともできると昔から考えていて、そこにこのスタイルのおもしろさを感じているのです。僕の作品に、リズムを無視したものはひとつもありません。

じつは「コード四〇四」にも明確な弾性が1箇所あります。フックの「型どおりコード四〇四、ことごとくこうだと目も回る」ことっごとくと発音していますが、この促音がつまり弾性です。普通に読んだらそんな促音いらないですからね。


「コード四〇四」は通常のリーディングでもほとんどないこの弾性をさらに削って、ふつうに喋るとか話す形でリズムと完璧に噛み合ってたらおもしろいのにな、と考えたことから生まれています。日本酒で言うところの精米歩合みたいなもんですね。

でも当時は、というのはつまり10年前ですが、やってみたらすごく難しかった。難しい理由はいろいろあるんだけど、まず単純に言葉が多いので、息が続かなかったのです。実際、オリジナルはヴァースとフックを分けて録音しています。とてもじゃないけど、ライブでできるものではなかった。正規リリースにしなかった理由のひとつがこれです。いくらライブをしないとはいえ、アルバムの収録曲となったらどこかのタイミングで必ずやらざるを得なくなります。お蔵入りもむべなるかなというものです。

そして今だからこそわかります。息が続かないのは、1を吸って1を吐くという単純な呼吸しかしていないからです。そのやり方では当然、常にどこかで「1を吸うための間」が必要になるし、言葉がみっちりと詰まっている場合、そんな隙間はどこにもない。詰むのが自然です。むしろ1ヴァースだけでもよくやったと言わねばなりますまい。

でも今は1吸うことを考えていません。そのときに必要な分だけを吸って吐いています。1を吸うための間はなくても、1/2とか1/4ならちょいちょいある。そうなるとヴァースとフックを分けることなく、最初から最後までワンテイクで録れるわけですね。先達がいれば教えを乞うこともできたかもしれないけど、誰もいないのでそれができると知るまでにすごく時間がかかってしまった。

ここがクリアできると、やり切ること自体には何の不安もなくなります。それはつまり、それ以外の部分に意識が割けるということです。喋る以上は情感をこめるとか、自ら設定したデリバリーにおけるフェイントその他のポイントを踏み外さないとか、そういう部分に対して、正面から安心して向き合えることになります。

フックはむしろ小休止ですと言ったらカズタケさんがのけぞっていたけれど、ここは立ち止まったり加速したりといったトラップ要素がないので、ブレスコントロールさえできれば問題ないどころかボーナスステージみたいなもんだし、気楽でうれしい。

なので最大の難関は、必要な情感を込められているか、すべての小さなデリバリートラップをクリアできているかの2点です。そして実際に、できていると思います。ここには確かに、リーディング、もしくはスポークンワーズとしての強度がある。今も日毎に進化をつづけるタケウチカズタケに一歩も引けを取らない、そんな作品に仕上がっていると、断言できます。スタイルを真似るどころか、まるっとコピーするのもおいそれとはできない、ささやかな金字塔のひとつです。初めて触れるならこれをと思える、僕にとっては名刺代わりの作品になりました。

アグロー案内なしにはどうあっても辿り着けなかったことを考えると、本当に頭が上がりません。カズタケさんありがとう…!

あ、プルクワパ霊苑にテキスト置いてあります。