2021年9月17日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その343


二本チョキさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)奈良時代に成立した、日本に伝存する最古のチョキですね。


Q. ずっと仲が悪かった人と友好的な関係を築く方法はありますか?


これはなかなか、考えさせられる質問です。仲が悪いということは一方だけでなく、互いに忌々しいと感じているわけだから、ある意味では緊密な関係とも言えましょう。少なくとも僕自身は、苦手な印象を抱くことはあっても仲が悪いとまで言える人は思い浮かびません。その関係をキープしつづけるのはなかなかタフなことだとおもう。

そう考えると「仲が悪い」というのは、気が合わないと互いに自覚しているにもかかわらず接触が断たれずにぶつかり続けてどっちも引かない点で、かなり興味深い関係である気もしてきます。仕事上とか同好の会とか、一方的に断つことが難しい関係はままありそうだし、おそらくそういうことなんだろうな、と勝手に想像していますが、そうであろうとなかろうと、いちばん手っ取り早いのはじぶんにとって適切な距離をとることと、相手を受け入れることです。

相手を受け入れるというのは必ずしも同意と共感を意味しません。正面から受け止めるのではなく、それはもうそういうものとして受け流す、という意味です。いけすかないとか忌々しいという感情はじぶんがおもうよりも人に伝わっている可能性があるし、それを表に出せば相手も同じ印象を抱くことになるので、当然関係は悪化の一途を辿ります。

こちらが適切な距離をとって悪印象を与えさえしなければ、仲が悪いことにはなりません。ただこちらが苦手だなとおもうだけだし、向こうもしいて悪印象を抱くことはないでしょう。向こうが変わるわけではないのでひょっとするといけすかないのはそのままかもしれませんが、すくなくとも仲が悪いという呪縛からは逃れることができます。

譲れそうなら譲っておく、というのは僕がおもうにゆるがせにできない人生訓のひとつです。意見だけでなく、車の運転時や電車の座席にしてもそうだけれど、譲るときに敗北感を抱くと人は衝突しがちです。

でも実際のところ、その敗北は人生において大した意味をもちません。譲ったからといってそれは何かを失ったわけではなく、ただ手に入ったかもしれないものを手に入れることができなかった、というだけです。もちろん譲れないときもあるけど、本当に譲れないものってそんなに多くないんじゃないだろうか?

物事を大らかに受け止めることに対して、峻烈な敵意を抱かれることはまずありません。そう簡単に大らかにはなれないからこそ人生はハードなんだけど、そう心がけるだけでも世界はすこし変わります。もし大らかに譲ることができたらそれはもう確実に相手にはない「徳」と言っていいし、徳を得たなら堂々と胸を張ってお天道さまに誇れるし、そうおもうと気分もすこし和らぎます。

僕もつねづね心がけていることだけれど、何か状況を変えたいとおもうときは、まずじぶんが変わることです。たとえ相手が変わらなかったとしても、こちらが変わることで状況は目に見えて変わります。

そしてそれはまた、結果として人との関係も友好的に変えてくれるでしょう。なんとなれば相手にはもう、こちらを忌々しく感じる要素がなくなってしまうからです。

こう話す僕自身にそれができているかといえば、今も全然できていません。できてないけど、そう心がけることでときどきうまくできることもあって、それは僕の誇りや自信、よろこびにつながっています。ヒュー!やるじゃないか!よく踏みとどまった!ともう1人の自分が僕を肘でつつくようなイメージです。うまくできたじぶんを労う、というのもだいじなことのひとつかもしれないですね。

人生とはこういう本当に小さなことの積み重ねです。うまくやれるときが100%では全然なく、がんばっても10%だったとしても、その10%にはものすごく大きな意味があると僕はおもいます。


A. 適切な距離をとること、相手を受け入れること、何より自ら変わろうとすることです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その344につづく! 


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