2021年5月21日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その327



エレクトリカルカレーうどんさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 眠れない夜はありますか?そんなとき、どのように過ごされていますか?


眠れない夜、というのはそれだけでどこか詩的な響きがあります。海の底のようにしんと静まり返って自分の他には誰も存在しない、控えめだけれど規則的な呼吸とやわらかな鼓動だけがかろうじて世界をリアルたらしめる、そんな夜です。

ただおたよりには「最近は死ぬのが怖くてあまり眠れません」とあるので、まずその前提でお話ししましょう。

誰とも関わりを持たない僕ひとりだけのことで言うと、死を怖いとおもうことがほぼない、というのが正直なところです。

苦痛は困ります。苦しいのも痛いのも、問答無用でイヤです。でも単純に自分の存在が消えてなくなるという意味での死に対しては、それほど拒否感がない。

それはおそらく僕が昔から生命とか科学的な意味での意識に興味を持っていることと、死についてずっと考えつづけてきたことからきているとおもいます。もう死にたいとか、死んだらどうなるとか、もう死にたいとか、もう死にたいとか、そも死とはなんぞやとか、そういうのを全部ひっくるめての死ですね。

もちろん、そうした永遠の問いに対する結論を得たわけではありません。ただ考えすぎて身近になったというだけです。十代後半に出会った宮崎学の「死」という写真集は今も大事にしているくらいだから、たぶんその頃からずっとこんな感じだったんだとおもう。

なので僕としては、まあまあ、死もとりあえず今日は来なかったし、明日は明日でまた考えようぜ、と肩を抱いて翌日も同じことを言うほかないのです。

しかしまあそれはそれとして、原因がなんであれ眠れないときは眠れません。

いちばん良くないのは、ベッドの上でごろごろと寝返りを打ちながら悶々と過ごすことです。実際のところ、その状態から良質の穏やかな眠りへと移行することはまずありません。ただ呼吸が吐いてどうなるわけでもない濃密なため息に変わるだけです。

なのでふつうに、ベッドから抜け出しましょう。忘れてはいけないのは、睡眠が理性ありきの義務ではなく、本来は拒否してもやってくる強制的な生理現象であるということです。生物という生物は例外なくただ寝落ちが訪れるその瞬間を待つほかありません。

本を読んだり、ゲームをしたり、映画を観たり、酒をのんだり、畳の目を数えたり、タマネギの皮をむいたり、どう過ごそうと自由です。僕自身はインターネットがまだ今のように常時接続ではなく、いちいち回線をつなぐ必要があったダイヤルアップのころ、「しかたないからエロ画像でも見て回るか」みたいなことをしていたような気がします。1MBにも満たないたった一枚の画像が100%表示されるのに数分かかる時代なので、ちょっとずつ表示されるのを待ちに待った挙げ句、期待したのとはかけ離れた健全な画像にぶち切れてゴミ箱を蹴り倒したりすることに夜を費やしていました。それでいて翌日はもう眠すぎて話にならないんだから、踏んだり蹴ったりです。われながらかわいそうなことですね。

実際そうだったのでしかたなくぜんぜん参考にならない例を持ち出しましたが、要はいつでも眠れる態勢で無理して眠ろうとせず、休日の昼と同じようにお過ごしなさいということです。その結果翌日がしんどいことになるのは目に見えているわけだけれど、何しろ生理現象なので無理にコントロールできるものでもありません。眠れなかった翌日のしんどさもまた、誰もが経験する人生の醍醐味のひとつです。だとすればその気がない睡魔の首に縄をつけてひきずり倒すより、開き直っていっしょに花札でもするほうがよほど有意義だと僕はおもいます。

仮に思い悩むことがあっての不眠であっても、同じことです。眠らなくてはいけないという焦りは、それ自体が懊悩にくべられる余計な薪になります。思いがけず先週と同じ結論になってしまった気がするけれど、今回もまた、ぜんぶ忘れることに全力を注ぎましょう。気を逸らす逃避のスキルはこの先ありとあらゆる局面でまちがいなく重宝します。その上でさらなる巨大な壁にぶつかるときがきたら、またいっしょに考えたらよいのです。


A. いい機会だとおもっていずれ確実に役立つ逃避のスキルを磨きましょう。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その328につづく! 

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