2013年6月26日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 あらためてその158


オレたち重金属さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: その昔、漱石先生は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳しましたが、ムール貝博士なら「I hate you」はどう解釈されるんでしょうか?


妙訳、と言わねばなりますまい。ここで言う「妙」とは相反するふたつの意味を含んでいますが、仮に現代の英語教師を100人つれてきても、この翻訳にマルをくれる人はおそらく一人もいないでしょう。懐の広い先生でも、「まちがいではないかもしれないけれど、それにしたって恣意的で意訳にすぎる」と考えるにちがいありません。せいぜい大きなバツのとなりに小さな文字で「でも、ステキね!」と個人的な好印象を書き入れるくらいが関の山です。文豪たる漱石自身が英語教師だったことを考えると、このエピソードはじつに教訓的だとおもう。

しかし多分に詩的で抒情的であるとおもわれる点をそっくり取り除いたとしても、この訳は正確です。すくなくとも明治・大正期では100%正しかったと僕はおもいます。何となれば、そもそも「愛」とは「love」の訳語であって、明治以降に輸入された新しい概念だからです。これを動詞にした「愛する」も、今で言えば「シェアする」とか「バズる」といった言葉と同じ使い方だったわけですね。おまけに「愛」は漢語です。西洋のブイヨンを日本の出汁に置き換えるのが翻訳だとしたら、鶏ガラスープで代用するようなものですよ!こうなると「I love you」を「愛してる」と置き換えるのも、翻訳しているようでじつは何も訳していないような気さえしてきます。

また「love」は本来、ものすごく意味の広い言葉です。老若男女を問わず、距離の近さとか気持ちの濃さを表すときに使われます。でも日本ではそう理解して使う人はあまりいません。ラブと言われて思い浮かべるのはつねに恋慕の情です。ひょっとするとじぶんの子どもくらいには使う人もあるかもしれないけど、それでもかなり限定的です。そしてこのことこそが、舶来の概念であることをはっきりと示しています。赤子を慈しむことや、彼や彼女のそばにいたいと希うこと、性を伴わないかたちで誰かを敬い慕うことにかぎらず、対象が無機物であっても並々ならぬ思い入れがそこにあればそれはおおむね「love」の範疇です。「好き」で表せる程度の軽さならまだしも、これとぴったり置き換えられるような総合的な意味での単語は日本語にありません。人に対する深いきもちとモノに対する深いきもちを同じようには認識しづらい。だからこそ、いちばんわかりやすい「恋愛」に意味が集中するのです。それでなくとも婉曲を好む僕らがおいそれと口にしない理由も、たぶんここらにあるのではありますまいか。

さて、それを踏まえた上で、もういちど漱石訳に戻ってみましょう。意訳どころか、日本人としてはなんかもうこれしかないようにおもえてきませんか。文化を伴った言語の置き換えという意味でこれほど的確な翻訳は他にないと言ってしまいたいくらいです。「好きです」という直接表現よりも「あの、今日、たのしかったですね」(これも状況によっては「I love you」の訳になるとおもう)とかちょっと遠回りなくらいがよりふかくキュンと突き刺さって相通じる、それがこの国の風土じゃありませんか!


なんの話だっけ?


「というわけなんです」
「知らんよ」
「何がですか?」
「それはこっちのセリフだ」
「『I love you』と『I hate you』の話ですよ」
「どうちがうんだ?」
「どうって、え?」
「どうちがうのかと聞いとるんだ」
「ちがうどころか、真逆ですよね、これ」
どっちも人を殺すことにつながりかねないセリフだろ
「その認識は偏りすぎです」
「ぞっこんなのに『大っ嫌い』って言ったりするじゃないか」
「ぞっこん…」
「イヤよイヤよも好きのうちなんだろ」
「その言い回しは使い方をまちがえると大惨事になりますよ」
「つまりだいたい同じというのがわたしの結論だ」
「えーと、じゃ質問を変えます」
「取り下げりゃいいのに」
「博士がもし『火花が綺麗ですね』って言われたらどうですか」
「当たり前すぎてよくわからない」
「うれしくないですか」
「うれしい…?」
「まあいいや、じゃ『しけた火薬ですね』って言われたらどうですか」
なんだとこの青二才が!
「もののたとえですよ!僕が言うんじゃありませんてば!」
「今言ったろうが!」
「ちがいます!仮の話です!」
「仮だろうが何だろうが言ったことに変わりはない」
「いいですよ、じゃあ爆破でも何でもすればいいでしょう
「なんだと」
「どうせまたすぐ生き返るんだからおんなじことですよ」
「忌々しいヤツだ」
「こっちだってもういちいちびくびくするのに飽きてるんです!」
「望みどおり木っ端みじんにしてやる。そこになおれ」
「なるべく即死でおねがいします」
「うるさい!」


ドカン


A: 「しけた火薬ですね。」




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その159につづく!


3 件のコメント:

赤舌 さんのコメント...

昔からこの訳にピンとこないことと、パンツが嫌いなことは、僕の中の同じ部分に由来している気がします。

なにかはわかりませんが。

f.k さんのコメント...

シェアと言われるとピンときますね!確かにそうだと思います。通学の電車で並んで座る女子高生たちが「ねえそれ、なに聞いてるの?」「いまはね、オーティスだよ」「おー、鼻腔がいいよね」「わかる?鼻腔がいいんだよ」と共有しあってる姿を妄想して鼓動がはやまりました。「鼻腔ならマーヴィンよりオーティスだよな」と横槍をついて「おじさんだれ?」って言われ隊。

なにいってんだ俺。

ピス田助手 さんのコメント...

> 赤舌さん

どっちもしゃらくさいからじゃないですか?
この訳は言ってみればパンツそのものですよ。


> f.kさん

オーティス・レディングかな?
それともオーティス・クレイかな?
鼻腔で言ったら僕はクレイ派です。