今いちばん乗りたいもの
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時をかける症状さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)治るとよいですね!
Q:思い出深い誕生日エピソードを聞かせてください。
これを人に言うと例外なく「さみしいことをいうな」と苦い顔をされるんだけど、僕は誕生日というものにまるで頓着しない男です。川を流れる笹舟のように、毎年その日はすうっと流れていきます。またひとつ年をとったぞ…としみじみ感慨にふけることはあっても、それ以上に心躍るようなことはあんまりありません。僕にとってそれは前日や翌日と同じ、本当にごくごくふつうの日なのです。なぜかつよがりとかひねくれてるとかおもわれるので、「もっと積極的になるべきなんだろうか…」と今もときどき苛まれます。
若いころはそれでも、「一応お祝いしとくか」みたいなかんじで、ケーキをホールで買って一人ぱくぱく食べていた時期がありました。冗談でも謙遜でも卑下でもなんでもなく、人付き合いが全然なかったものだから、アルバイトが終わったらビリヤード場ですこしだけ玉を突き、自転車でビデオ(ビデオでしたね)をレンタルしに行って、まだ店が開いていればケーキを買うというかんじです。たぶんコージーコーナーとかだったとおもう。玉を突いたりビデオを借りたりはいつものことだから、晩のおかずが一品ふえるようなものですね。
そんなのっぺりしたバースデー観を持っているせいなのかどうかわからないけれども、一度だけ、じぶんの誕生日を忘れたことがあります。「忘れられた」のではなくて、「じぶんが忘れた」のです。いくらふつうの日だとは言っても、今日の日付や曜日と同じでふだんなら忘れることはさすがにありません。でもその年は本当にすっぽり意識から抜け落ちてました。気づいたのは2日すぎてからです。とくに忙しかったわけでもなくて、ただ穴があいたみたいに抜け落ちていた。
ふつうは周りが指摘してくれたりするんだろうけど、何しろ先にも言ったような暮らしだったし、そもそも人に言うこともほとんどなかったから(みんなそれをどうして知るのかいまだに不思議です)、本当にさらさらと流れて行ってしまいました。その日を笹舟にたとえるなら、とくべつ何をするでもないにせよ、せめて川岸で「また来年なー」と声をかけるくらいの距離感ではありたかったんですよね。でもそれすらしなかったことに、なんとなく後生のわるさを感じたのです。なんかゴメンな…というかんじで。
A: じぶんの誕生日を忘れたことがあります。
たぶん、節分とか十五夜にちかい認識なんでしょうな。
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その157につづく!
3 件のコメント:
正確に言えば昨日誕生日でした。
よく考えれば祝ってもらうことや他人が祝うことが存在意義みたいになってる気がしないでもないですね。
この前友人の誕生日をサプライズでやりましたが、やる側の此方も楽しみなから計画してました。
でも一年を振り返れるような節目にしたいものです。来年はもっと成長出来てるといいな。
大吾さんのお誕生日の過ごし方とても素敵ですね。
私も将来そんな風に過ごしたいです。
おめでとうと周りに言われても、一体何がおめでたいのかわからなくなるのが誕生日だと思います。
> しろさん
そうだったんですね、おめでとうございます!
その場に広がる笑顔の輪を想像するだけで
ウフフというきもちになりますね。
僕もそういう話をきくのは大好きです。
ぴかぴかきらめく1年になりますように!
> もよよさん
ぜひぜひ!と人に勧めるような過ごし方かどうかは
ちょっと疑問な気もしますが、僕はわりと楽しんでました。
でも、おめでとうと言われたら
満面の笑顔でありがとうと応えましょう。
贈られるきもちはだいじにしてね。
僕にしても「まあいいか」とおもってるだけで
拒否しているわけではないのです。
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