2025年11月28日金曜日

アグロー案内 VOL.10解説「九番目の王子と怪力の姫君/how he became a pearl diver」①


この曲の制作におけるイレギュラーな過程についてはまた改めて書き残しておこうと思いますが、ぜんぶまとめると長くなるので今回はひとまず注釈だけ記しておきましょう。

というのも、この曲のテキストもまた、これまでにない書き方をしたからです。

何しろ通常はある程度テーマを抱いて向き合うところ、この曲に関してはテーマもへったくれもなくとにかく思いつくままに書き散らしてから考えようとめちゃめちゃアバウトに書き始めています。最初に思い浮かんだのは「理由がある。」という一言のみです。

ほほう…理由がある…それはどんな?ひとつだけ?と自問しながら深く考えずに書いていったら、なぜか龍に転じました。龍か…龍といえば…とここで曲亭馬琴の南総里見八犬伝が思い浮かびます。八犬伝にはちょいちょい龍が出てくるのだけれど、そういや龍の子についてあれこれ書いてあったな…と思い出したのが、つまり「龍生九子」です。いくつかバージョンがあるようですが、ここでは八犬伝の記述(元はおそらく「懐麓堂集」)に準じています。龍になれないならどうやって龍が育つんだ、とおもいますが、元々そのあたりを度外視した伝承なので、仕方ありません。曲の途中で唐突に解説が始まるあたり、リーディングならではという気もしますね。

龍になれないということはまあ落ちこぼれだよな、とここでそのうちの一人として気の毒な小悪党が登場します。落ちこぼれなので親である龍の期待に沿うことは当然できません。どうにかしてその目から逃れ、生き延びる必要があります。空から見下ろす龍の目から逃れるとしたら、うーん、海かな…あ、海の底にあるじゃん、真珠貝亭が、とここでかの酒場に連れていくことになったわけですね。なので続編になってしまったのは、100%成り行きです。

とはいえ真珠貝亭についてはもうすでに書いているので、再度そこに焦点を当てることはできません。なので、じゃあ店にいる客でも引っ張り出すか…どんな人がいいかな…とあれこれ想像しているうちに現れたのが今昔物語集に出てくる怪力の姫君、「大井光遠の妹」です。ここでそのあらすじを記すことはしませんが、大好きな話なので気になったら読んでみてください。まじで想像を絶する怪力っぷりです。

先の小悪党にも名前がなかったので、せめて姫には名前をつけとくか…どんなのがいいかな…と考えて思い出したのが、松尾芭蕉(とその同行者である曾良)が出会ったかさねという少女です。どこにでもいるような、ごくごくありふれた農村の子なのだけれど、なんて典雅な名前だろう、と感銘を受けたことがおくのほそ道に記されています。

と、ここまで考えてふと、あれ?かさねって…と連想したのが、着物の重なりに見る日本古来の配色美、襲(かさね)です。しかも漢字に龍がいる!なんておあつらえ向きなんだ、ということで、怪力の姫君の名がつけられました。

つまりこの作品は、南総里見八犬伝今昔物語集おくのほそ道という、日本における3つの古典から生まれたとも言えるわけですね。

とはいえ元より、こういうのを書くぞ!と意気込んだわけではなく、書いてるうちにそうなってしまっただけなので、まあそんなふうに生まれるテキストもあるよ、という話です。へ〜としか言いようがないと思いますけども。

でもなんというかこう、詩というには語りすぎだし、物語というにはアクロバティックすぎるこの感じ、このフォーマットでしか活かせないテキストとして、めちゃめちゃ気に入っているのです。

2025年11月21日金曜日

九番目の王子と怪力の姫君/how he became a pearl diver


 理由がある。とってつけるほどある。方方に売りつけてその売れ残りを、きれいに掃いて捨てるほどある。浮世は汲めども尽きぬ理由に溢れて、石油のようにいずれ枯れることもない。誰かが道に落とした理由をアリたちがせっせと運ぶこともあれば、道具箱のように引っかき回してやっと見つかることもある。折り目正しい執事がていねいに畳んで、主人にさりげなく手渡すこともある。あるいは機械の部品にも似ていて、いくつか組み合わせてやっと歯車が回ることもある。盗賊にとってのダイヤモンドにも似ていて、大きすぎても手に余るし、小さすぎても足りない。これだけ溢れ返っていても、よしとはならない理由がまた、ここにある。理由にさえこれを支える理由があって、理由の理由の理由にもまた、別の理由がある。

 それはまるで数珠のように連綿とつらなり、ねじれてはひねり、もつれてわだかまり、ほぐそうとしてのたうちを繰り返すうちに、やがてくるくると螺旋を描いて上昇し、雲を突き抜け、空を駆け巡り、大雨を呼ぶ。のどの下にあって逆鱗と呼び做す、逆さまの鱗にひとたびふれれば、雷鳴とどろき、大地を震わせ、その猛威は遠くどこまでも伝わり、小さな町の片隅、路地裏をうろつく、三下もどきの小悪党を慄かせる。ごらん、ここにいるのは、ろくに奪えず、ろくに欺けず、むしろたぶらかされて、一杯食わすはずが食わされることもしばしばで、けちな悪事ひとつやりおおせない、アル・カポネを夢見るにはあまりにもちょろい、龍でなくとも豆粒に見える青二才。

 龍は九つの子を生むという。これを龍生九子という。子はみな異なる性格を受け継ぎ、それぞれ、鳴くことを好み、呑むことを好み、高いところを好み、音楽を好み、文学を好み、裁きを好み、座すことを好み、背負うことを好み、殺戮を好む。そしてかなしいかな、どの子もみな、龍にはなれないという。

 路地裏の小悪党は龍の子のひとりで、龍どころか悪党にもなりきれない男。まだ目はあるのか、それともないのか、指で弾いて宙を舞うなけなしの硬貨はつかみそこねて転がり、排水溝に消える。草葉の陰、ビルの谷間、捨て置かれた空き家とあちこちに身を潜めながら、目指すのはとにかくここではないどこか、白と黒と色を問わずただいられるどこかを、あてもなく求め歩くその道の先々で探偵、死神、鰐の小娘、蟷螂やらその他がそれとなく指し示す方角をたよりに、おぼつかないまま吹き寄せられて、いつしか流れ着いたのは海に沈んだ浮かばれない酒場「The Pale Pearl Parlor(真珠貝亭)」。

 長すぎる夜を耐えたその床に散らばるのはラムの空き瓶、目の掠れた骰子、針のない時計、鈍器としての灰皿、怪力の姫君、いびきかくピアノ弾き、火だるまの酔いどれと去りそびれた老いぼれ。

 中でも怪力の姫君は(かさね)と呼ばれ、腕相撲で無双するうるわしい豪傑。覚えのある猛者たちの丸太みたいな腕を鉞よろしく端から薙ぎ倒す。くだんの小悪党も挑んで軽くあしらわれ、懲りずに挑んでまたあしらわれる。挑んでは敗れ、敗れては挑み、そのたびに容易く椅子から転げ落ちる。耳を貸せと言っては勝手に借りていく連中が、久しくなかった余興に笑い転げる。

 そんな賑わいを遠巻きに眺めるのもいて、そういや龍はまだ見たことがねえな、ん?いやあったか?あったかもな、前もいたよな?と不意に話をふるカウンターの内側で、昔マッチ売りだった女がどうとでも受け取れる曖昧な笑みを浮かべながら、グラスを拭いている。 

2025年11月14日金曜日

「アグローと夜」にひざつき製菓の雷光(旨塩味)がついてくる話


本来であれば今週は アグロー案内 VOL.10 のトラックリストを公開してどうにかリリースまでの間を持たせようと目論んでいたわけですが、しかしこれはやはり、どうあっても書き留めておかなくてはなりますまい。

さかのぼること1週間前、ここでは昨年以来すっかりおなじみとなったひざつき製菓の「雷光」と「城壁」がリニューアルされ、ハロウィンの晩にその比較検証をしたことをお届けしたわけですが、その投稿が公開されるさらに数時間前、ポコンと1通のDMが届いたのです。


えーと……「アグローと夜」にひざつき製菓さんが……

え?

「アグローと夜」に??ひざつき製菓さんが……雷光(旨塩味)を……

え??雷光(旨塩味)を提供……提供??

してくださる???

え、待ってチケット??

チケットまで取ってくださっている……???

たしかに僕は今年の春、アルスクモノイを訪問してくださったひざつき製菓広報担当の方とお会いして、

※参考記事

そのたいへん気さくなお人柄をいいことにここぞとばかりにいろんなお話をさせていただいています。しかしそれはあくまで、たまたまその日神保町の古書組合でひざつき製菓のせんべい試食会を勝手に開催していたアルスクモノイ店主akaうちの人の代理であって、そのひざつき愛をひたすら強調することはあっても、僕自身の話など何ひとつしておらず(当たり前だ)、また知るはずもないと思っていたからです。

もちろん、Xを辿ればこのブログに行き着くこともあるでしょう。そしてアルスクモノイ店主の連れ合いである僕がなんらかの音楽的な活動をしているっぽいと把握できるところまでは、まだギリわかります。

問題はここからです。

たしかに音楽的な活動をしていることは否めないけれども、一般的なミュージシャンと大きく異なり、僕は人前でパフォーマンスをすることがとにかく不得手で、少なくともこの20年、一貫してライブに二の足を踏み続けてきた男です。実際ここ数年、「アグローと夜」以外のライブはありません。そもそも認知度が高いわけでもないし、多くのフォロワーを抱えるメジャーアーティストやインフルエンサーでも全然ないどころか、道端に横たわるバナナの皮と大差ないただのおっさんです。第一線で活躍しまくるタケウチカズタケと違って、該当するカテゴリすら砂つぶ規模であると言ってよいでしょう。

そんな、どこの馬の骨で具体的に何をしてるんだかわかりようもない不審な人物の、年に一度もあるかないかのささやかなライブイベントに……しかもオファーの時点ですでにチケットを取ってくださっている……

と当の僕自身がうろたえまくるのも、無理はありません。あるわけがない。

しかし事実です。ひざつき製菓さんも、一瞬の躊躇いもなく「まったく問題ありません」と太鼓判を押してくださっています。昨年来、地に足のついたその堅実な企業スタンスに好感を抱いていましたけれども、その印象が間違っていないばかりかそれ以上だったことを今、身にしみて実感しています。こんな道端のバナナの皮みたいなおっさんでも何がしかのお役に立てるのなら、よろこんでこの身を捧げたい。

この投稿前に完売してしまったのでこれ以上喧伝できないのが本当に残念でなりません。でも今年の「アグローと夜」には本当に、もれなく雷光(旨塩味)がついてきます。おそるおそるフライヤー画像にひざーるくんを入れてお伺いを立ててみたら、これも快諾していただけて言葉もありません。すごい……


それでなくともアグロー案内 VOL.9アポロニカ学習帳とのタイアップにキャッキャとはしゃいだばかりなので、これまたいつもの楽しいホラのひとつではないかと当の僕でさえ二度寝してしまうほどです。

ひざつき製菓さん、本当に本当にありがとうございます……!

そしてそのやり取りの数時間後、もともと予定していた城壁と雷光の比較検証記事が投稿されたという……ぜんぶ偶然なのになんだろうこのステマ感は……。

 

2025年11月7日金曜日

ひざつき製菓「城壁」と「雷光」のあまり知られていないリニューアル前後を比較検証した話


閃光に貫かれたかのような、ひざつき製菓との衝撃の出会いからかれこれ1年が過ぎようとしていたある日、主力商品の一つである雷光(旨塩味)を愛する会の会長として今も日々精力的な活動をつづけるアルスクモノイ店主akaうちの人の元に、古書店仲間である浅草橋のかみふく書房さん(@kamifukubooks)から緊急の連絡が入ったのです。「たったいへんです!城壁と雷光が……!」

ここで今一度、説明しておかなくてはなりますまい。栃木を本拠とする至高のおせんべいメーカー、ひざつき製菓の看板商品に「城壁」「雷光」があります。城壁はひざつき製菓のアイデンティティと言っても過言ではない、今も昔も不撓のフラッグシップモデルです。そして他に類を見ないその生地を「揚げる」ことによって生まれたのが雷光であり、こちらはむしろ弟分にあたる、と言ってよいでしょう。

城壁には「金色のたまり味(しょうゆ)」「白銀の京味(塩)」があり、同じく雷光にも「はちみつ醤油味」「旨塩味」がありました。(あったと過去形で書いた理由は最後に触れます)

これは完全に好みの問題ですが、わが家が推し、布教しているのは雷光(旨塩味)、次いで城壁(白銀の京味)です。つまりどちらも塩味ということですね。

冒頭に登場したかみふく書房さんは以前から古書業界におけるおせんべいマイスターとして知られており、ここぞとばかりにうちの人が城壁と雷光を勧めたところ、同じく底なし沼に溺れて沈み、あれよあれよと城壁(白銀の京味)を愛する会の会長へと登りつめた人です。半径10km圏内に城壁と雷光を置いてある店がないうちと違って、彼の場合はたまたま日々の行動範囲内で手に入る環境だったこともあり、止めないと主食になりかねない勢いで今も城壁を摂取しつづけています。すくなくとも城壁に関して23区内で彼以上に愛情を注ぐ人は存在しないと言い切ってしまってよいでしょう。

わが家は今年の正月に栃木のひざつき製菓本社工場を電車と徒歩で参詣していますが

※ここまでの経緯は以下の投稿をご覧ください

かみふく書房さんもその後まったく同じ轍を踏んでことをしています。栃木駅から徒歩30分ですよ。

ここまでが前提です。

改めて言い直すと、雷光(旨塩味)を愛する会の会長(であるうちの人)が、城壁(白銀の京味)を愛する会の会長(であるかみふく書房さん)から、城壁と雷光に重大な異変が起きた旨の急報を受けたわけですね。

送られてきた画像を確認したところ、たしかにパッケージが新しくなっています。しかし全体としての異変はそれどころの話ではなく、とても静観できる状況ではないっぽいことから、急遽お互いにストックしてある旧バージョンと新バージョンを持ち寄って、比較検証の場を設けることになりました。それがハロウィンの晩です。




外観から確認できる違いは、以下のとおりです。

・パッケージデザイン
・内容量
・原材料
・栄養成分表示
・パッケージ裏の文言

これだけでも、かなり大幅なリニューアルであることがわかります。とりわけ、原材料に違いがある点は見逃せません。かみふく書房さんはこの時点ですでに味わいの違いを独自に検証しており、以前のほうが美味しかった可能性を懸念していたことも、ここで強調しておきましょう。

ただ目隠しで検証していたわけではなかったので、今回は公平を期すためにバージョンの新旧を伏せて食べました。果たして目隠しでも違いがわかるのかどうか、全員で食べ比べた結果が以下です。

・城壁→わからない
・雷光→わかる

そしてこれはいくら強調してもいいとおもうのだけれど、どうあれ「やっぱ美味いな……」という結論になりました。

その上で、検証した全員が当てることのできた雷光のリニューアル前後について記しておきましょう。

これはあくまで比較したから認識できたことなので、もとより良し悪しの話ではないことを前提にお伝えすると、リニューアル後の雷光は、以前よりも塩気と旨みが控えめになっている、という印象です。塩分については栄養成分表示からもわかるように城壁と雷光のどちらも明確に抑えられているものの、どちらかといえば雷光のほうがそれを感知しやすかった気がします。実際、以前の雷光を食した人のなかには、ちょっと塩気が強いかも…、という感想を抱いた人もいるようなので、その点ではよりやさしく、フレンドリーになったと言えそうです。

以前の強烈な旨みに重きを置く場合は若干物足りなく感じる可能性もありますが、裏を返せばこれは生地のおいしさがより前面に打ち出された、ということでもあります。せんべいである以上、生地の魅力を強調するのはごくごく自然なことであり、より多くの人に訴求できるポテンシャルを高めたと言うこともできるでしょう。ここには間違いなく、せんべいに対するひざつき製菓の愛と矜持がはっきりと感じられます。

したがって、以前との違いはたしかにあるものの、珠玉のせんべいであることに何ら変わりはなく、やはり全力で推さずにはいられないというのがわれわれの結論です。どうにか手に入れてぜひ一度、食べてみてください。

ちなみにこのリニューアルに伴ってかどうか、公式サイトのラインナップから雷光(はちみつ醤油味)が消えています。ただ、うちにしてもかみふく書房さんにしても推しは塩味なので、その行く末を追い求める予定は今のところありません。

2025年10月31日金曜日

アグロー案内 VOL.10 リリースのお知らせ

どこからきてどこへ行くのか、今もってさっぱりわからない暗中模索のアグロー案内、今回もぶじ新作がリリースの運びと相成りました。おかげさまでなんとVOL.10です。すごい!


しみじみと感無量です。何と言っても今回は配信までまだゆったりと間があります。前回の慌てっぷりを踏まえて、今回も告知から配信まで何と3日しかありませんとかやれたらよかったのかもしれないけど、何も狙ってそうしていたわけでもないし、そもそもそんなことでおもしろがる年でもありません。ここはむしろ大人としての余裕を見せつけておくべきでしょう。

VOL.10の配信日は11月19日(水)です。

それだってめちゃめちゃ短いというか、わりとすぐな印象ですが、何しろ前回が前回だったので、ものすごく余裕があるように感じられます。人生、いつでもこれくらいの大らかさでありたいものですね。

今回もまた新作、リメイク、そしてもちろん、山本和男も健在です。とりわけ山本和男の名曲感と脱力感のギャップは過去イチかもしれません。こういうのを真剣に作れるよろこびはほんと、何物にも代えがたいものがあります。助手である加藤くんの叫び声を聞くだけで腹を抱えてしまう。

リメイクについては、元々自作のトラックではあったので実際そうなのだけれど、僕としてはむしろ正規リリースという印象の一編です。むしろこうして仕上げてもらえる日を待ち続けていたと言っても過言ではありません。カズタケさんもすごく楽しんでくれたので、その甲斐はまちがいなくあります。いい曲です。ご存じない方もふつうにおられるという気がするので、ここはもう、あえて新曲として推していきたい。

新作はSNSでもすこしふれたけれど、これまでにない工程だったので、お話ししたいことがたくさんあります。僕としても思い入れの強い、大好きな一編です。毎回こんなかんじでできたらいいのにな、と思うのだけれど、なかなかそうもいかないのがもどかしくもあります。でもこれはもう本当に心の底から、できてよかったと噛みしめずにはいられません。

かつてリリースした4枚のアルバムのプロデューサーでもある古川耕さん(今これを言うと驚かれるほどすっかり著名な方になってしまいました)が、「最高」と太鼓判を押してくださったことも、しれっとここでアピールしておきましょう。僕のことを知り尽くした古川さんが太鼓判を押してくれるということは、過去と同じではなく今に至っても尚アップデートできていることの証でもあるので、胸を張ってお届けできるものになっている、と断言していいはずです。

そして最後にこのVOL.10、これがあるのとないのとでは、配信の10日後に控えた「アグローと夜」の印象がおそらくかなり変わります。どうかどうか、楽しんでもらえますように!!

2025年10月24日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その467


トリックオアトリートメントさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)キューティクルを整えてくれないならいたずらするぞという、西洋の風習のひとつですね。


Q. 子供の頃に学習塾の問題文で読んだ短篇小説が忘れられません。少年2人が夜の海岸で話していて、1人がクラゲを漢字で書くと海月だと言います。もう1人が水母だと言います。主人公はそれを聞いていて、後日両方正しいと知るというだけの話です。誰の何という短篇かは調べても全くわかりません。なんとなく印象的で、忘れられない短篇小説は何ですか?


質問そのものより前段のほうが圧倒的に気になるやつですね。ひょっとして今ならAIが探してくれるのでは…と3種くらいのAIに尋ねてみましたが、やっぱり全然わかりませんでした。なんとも言えない静謐な味わいがあってめちゃ良さそうな短篇ぽいので、ご存知の方がいらしたらぜひご一報ください。

どういう話で何が起きてどんな教訓があるのか、みたいなのよりもこういう、なんだかわからないけどいつまでも忘れられない話は、いいですよね。ぐいぐい引きつけられる超絶ストーリーテリングも大好きなんだけど、しずかに沈殿して血肉になるのはむしろこういう作品なのかもしれないな、としみじみおもいます。

そうだなあ、今パッと思い浮かんだのは、芥川龍之介の「煙草と悪魔」です。先に書いたような静謐な味わいとか余韻は別にありません。共通点を挙げるとすれば、これといって特に教訓はないところです。

ストーリーはシンプルです。キリスト教の伝来に伴って、悪魔が日本にやってきます。もちろん、神を信じる人を誘惑したり唆したりするためです。

ところがまだキリスト教の伝来間もないので、信者がほとんどいません。信者がいないということは、悪魔としても誘惑したり唆す相手がいないということです。

することもなくて暇を持て余した悪魔は、園芸でもするかと畑を耕し、渡来の際に持ち込んだタバコを栽培し始めます。そういう話です。神とか悪魔とか信仰の話ではなくて、タバコの伝来についての話なんですね。悪魔がせっせと畑耕してんじゃないよ。

何がいいって、めちゃポップなところです。上に書いたあらすじだけでもわかるとおもうけど、内容的にはぜんぜん古さを感じません。感じるとすれば文体だけです。加えて、狡猾なつもりでいる悪魔がちょっとこう、バカなのがいいんですよね。

さらに言うと個人的にものすごく印象深い一文があります。「西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云う事は、至極、当然な事だからである。」という部分です。これを初めて読んだ当時は善悪に西洋も東洋もないと思いこんでいたので、困惑した記憶があります。

話としてはどうでもいっちゃどうでもいい感じなのに、結果としてじぶんの人生哲学に大きく寄与したという点で、忘れられない一遍です。

こうしてみると全然、なんとなくの印象じゃないな。面目ないです。


A. 芥川龍之介の「煙草と悪魔」です。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その468につづく!