3016年2月2日金曜日
2025年10月10日金曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その465
めぞんいっこく堂さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 尊敬する道具はなんですか?私は圧力鍋と食洗機です!圧力鍋なんて四桁の安物なのに、いつもすばらしい仕事ぶりにどれだけ助けられていることか…。
そういえば僕、圧力鍋って使ったことないですね…。煮豆とかあっという間にできるんだろうな、と夢想しつつ、いまだに2時間くらいかけてコトコト煮ています。食洗機もいずれは迎えることになるんだろうか…?
ひとり暮らしを始めた30年前から、今も現役のものがいくつかあって、それはもう、ただそれだけで畏敬の念を抱かないわけにはいきません。具体的には、えーとアイロン、フライパン、煎り網、文化鍋です。
アイロンはデザインが統一された一人暮らし用の家電セットで、たしか洗濯機、冷蔵庫、掃除機なんかが一緒になってました。いまも残っているのはアイロンだけです。たぶん今はもっと軽かったり、予熱が早かったり、いろんな機能がついてたりするんだろうけど、ちょいちょい使うわりにぜんぜん壊れる気配がないので、今もふつうに使ってます。毎回通電するしいつ使えなくなってもおかしくないので、労いの気持ちがいちばん大きいのはこいつです。
家電ほどではないけれど、木と金属の組み合わせなのでそれなりに老朽するはずだったのが、煎り網です。本来は大豆を煎るためのものだけれど、昔からもっぱらコーヒー豆を焙煎するのに使い続けています。使用頻度もかなり高いのに、思いのほか頑丈で、もう真っ黒です。構造としてはシンプルなので、いずれ朽ちても自分で補修しながら一生使い続ける気がしないでもありません。
一方、放置するか意図的に破壊しようとしないかぎり半永久的に朽ちないのがフライパンと文化鍋です。前者が鉄、後者がアルミ合金なので、朽ちようがありません。たしか一度だけフッ素加工のフライパンを誰かにもらって、わ〜くっつかない〜!とよろこんで使っていたものの、強火力に向かないばかりかだんだん傷がついたり食材がくっつくようになったりして、また鉄のフライパンに戻りました。シンプルな道具には、人生における教訓とか哲学にも通じるものがあります。
そしてとりわけ、これまでもくりかえし話してきた気がするけれど、文化鍋にはほんとうに頭が上がりません。炊飯のために生まれた鍋でありながら、野菜やパスタを茹でるにも重宝するし、煮たり炒めたりの常備菜も大抵これひとつで済みます。そしてアルミ合金なので、鉄のフライパンよりも圧倒的に長寿です。実際、手元にあるのはもともと実家で使っていたものなので、おそらく50年以上使われていることになるでしょう。うちにはもうひとつ、亡き祖母の家にあって引き取った未使用の文化鍋があるのだけれど、よく考えたら交換する機会もこの先ありそうにないので、ついこないだ妹に譲ると伝えたくらいです。
便利という視点でいえば、はるかに便利な道具はもちろん数えきれないほどあります。しかし尊敬という視点からすると、長い長い年月をへても変わらずここにあって微動だにしない強度と一貫性は、80代90代の大先輩に学ぶのにも似た、すごく大事なことを教えてくれている気がするのです。
ただ人に勧めるとしたら、文化鍋よりも鉄のフライパンを選びます。保温ができない、もしくは専用の保温機を必要とする直火の炊飯に比べると、フライパンのほうが圧倒的にハードルは低いし、持ち手があるぶん、フルスイングで侵入者を撃退する鈍器としても有用だからです。
A. 鉄のフライパンです。
*
質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その466につづく!
2025年10月3日金曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その464
レターパックで「ペンギン送れ」はすべて鷺ですさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 私は最近唐突に英単語の意味を調べたくなり、まるで金斗雲を呼ぶ様に辞書を手元に召還したくなる事があるのですが、大吾さんの呼んだら飛んできて欲しいものはなんですか?
うーむ、ググってもいいのにそうしないところに気概を感じますね。
たまには単刀直入にお答えすると、「やる気」です。すべきことがあって、そのための環境もばっちり整っていて、時間もしっかり確保していて、やる気だけがないという、致命的な状況がちょいちょいあります。それほど頭を使うことがなく、とにかく手を動かしさえすればそれなりに進捗することであっても、やる気がないというただそれだけで岩のように硬直して動けません。
やろうとやるまいと、砂時計の砂は無慈悲に流れて、みるみる減っていきます。完全に浪費です。なんなら時間が足りなくなることまで含めて、じぶんでもぜんぶよーくわかっているのに、肝心のやる気だけがなくて、どうにもならない。
きもちの問題じゃん!とお思いでしょうが、違います。ぜんぜん違います。それは便秘時の便意みたいなものであって、うまいことやれば引き出せるときもあるけれど、引き出せないときはどうやっても引き出せないものなのです。
そんなときに便意が、じゃなかったやる気が、いやまあ便意もそうなんだけど、ピューンと筋斗雲のように飛んできてくれたら、こんなに助かることはありません。やる気がほしいときに便意が駆けつけたり、便意がほしいときにやる気だけ大群でこられてもそれはそれで困るんだけど。
もしくはレシピです。本にしてもじぶんのメモにしても、えーとあれどこに書いてあったっけ…と探すのがものすごくめんどくさい。なるべく1箇所にまとめるようにはしてるんだけど、数が多いとやっぱりえーとどこだっけ…ってなります。
そこにピューンと必要なレシピだけが飛んできてくれたらいいですね。コリアンダー小さじ1/2みたいなこともあるので、いっそのこと調味料とかスパイスごと飛んできてほしい。よし、あとはまかせろ!とかそんなかんじで調理に向き合いたい。
しかしまあ、実際のところ、いちばん飛んできてほしいのは…ムール貝博士かな…何と言ってもぜんぶなかったことにしてくれそうだし…。
A. レシピです。
*
質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その465につづく!
2025年9月26日金曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その463
ていねいなクラッシュさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 生チョコ、生キャラメルをはじめ、生食パン、生ドーナツ、生クッキー、果ては生タピオカや菌床生しいたけなど、近年いろんなものが「生」になっている気がしています。大吾さんは、この「生」ブームに最後まで抗える(「生」化しない)のは何だと思いますか?私は今のところ「焼き芋」が強そうだなと考えています。
さりげなく生しいたけが紛れこんでいるのがいいですね。僕も以前、なぜわざわざしいたけに生とつける必要があるのか疑問におもったことがあります。柿や大根だって干すのに、干さないものを生柿とか生大根と呼ぶことはないからです。
それで知ったのだけれど、じつはしいたけに限らず、きのこが生のまま流通するようになったのはわりと最近のことで、僕が生まれたころでさえ、今ほど当たり前ではなかったらしいんですよね。しめじなんかもひょっとしたら70年代にはまだ八百屋には並んでいなかったかもしれない。
ただしいたけに関してはそれよりもはるかに昔から干して使われていたので、干してないことを強調するために生と呼んでいたのがそのまま定着したんだとおもいます。それまで干したものしかなかったのなら、じっさい僕でも「おい!しいたけだ!ちげーよ、生だぞ!」と騒ぐ気がする。
あだしことはさておきつ…
そういえばあまり聞かなくなった気もするけれど、生チョコを初めて食べたときのちょっとした感動は忘れられません。むかしむかし、一人暮らしをしていたころ、バレンタイン商戦でにぎわう駅ビルに入り、せっかくだからチョコでも買って帰ろうとガラスケースをのぞきこみ、思いのほか高価なことに驚きつつ小さめのをひとつ買って、アパートの薄暗い6畳間でひとりもぐもぐ食べました。ほんと鮮明に覚えてるから、よっぽどおいしかったんでしょうね。もしタイムマシンであのころに戻れたら、お前は人生の味わい方をよくわかってるなとじぶんを褒めてやりたい。
ともあれ、生という理由でトレンドに上がるのはやっぱりスイーツ系ですよね。生てんぷらとか生コロッケは言われても食欲をそそりません。生パスタには付加価値があるのに、生うどんにはありません。生食パンはいけるのに、生おむすびはむしろ剣呑です。生と付けられそうな条件をいろいろ考えてみたものの、ぜんぜんわかりませんでした。言葉のあり方としてもちょっと考えてみたいトピックです。
いま挙げたどれも「生」には抵抗できそうですが、お題の主旨としてはなんとなく違うことは僕もわかるので、ここはあえてスイーツ系に限ってみましょう。焼き芋なんかもギリスイーツですもんね。あれこれ考えれば考えるほど食パンの存在が邪魔くさいんだけど、こいつはもう放置するほかありません。
生チョコ、生キャラメル、生ドーナツなんかに共通するのはおそらく、本来よりも口当たりがとろけるようにやわらかい点です。
そして仮に技術革新で焼き芋がスイートポテトよりも「やわとろ」になった場合、意味に頓着しない日本人としては平気で「生焼き芋」と名付けるはずです。こういう節操のなさには正直、確信がある。したがってあくまでこの「生」に抗うとしたら、それなりの固さを保つものよりもむしろこれ以上やわらかくなりようがないスイーツを挙げます。たとえばシュークリームとかゼリーです。
とおもってググったらどっちもすでにあって横転しました。日本語における節操のなさが図らずも証明されて頭を抱えざるを得ません。フルーツが生とかクリームが生とか、初めっからだろうが!!!コレステレロールなんか初めから含まれてないサラダ油にわざわざ「コレステロールゼロ」とかさも特別みたいに表記してんの意味わかんねえなと思ってたけど、完全にそれと同じレベルじゃないか。
もういい、じゃあガムにします。やんなっちゃうな、ほんとにもう。
A. ガムです。
しかしこういう文脈における「生」、感覚的にはすごくよくわかるしいずれ辞書にも載りそうな用法という気がするんだけど、どうやって定義したらいいんだろう。
*
質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その464につづく!
2025年9月19日金曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その462
通勤海賊さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 穴が空いた靴下を私の地元ではおはよう靴下と呼びますが、夜でもおはようでいいのでしょうか。
ほどよい塩梅の質問です。本気で知りたいとまで考えているわけではないけれど、気になると言えば昔から気になってはいる、とはいえ有識者に相談する話でもないし、仮に解決してもへーということににしかならない、そういうただ転がしたり手で弄んだりするだけの、小石みたいな「へんだねえ」をいつもポケットに数個は忍ばせておきたい、と近ごろはよくおもいます。
それにしてもいろんな慣習があるものです。たぶん肌とか指が顔を出している、ということですよね。
そしてこれはおそらくたった一人の、幼稚園とか小学校低学年の先生が言い始めたものではないだろうか、と僕なんかは想像します。ひょっとしたら穴が空いていると言わないための、ちょっとした気遣いとして始まったものかもしれません。つまり、「あれ、ガツ男くん今日はおはよう靴下だね」という具合に。
ちいさな子どもは靴下に穴が空いていようと気にしないだろうけれど、指摘されれば気にするようになります。でもおはよう靴下ならそんな心配は無用です。なんなら靴下に穴の空いていない子のほうが「ぼくのくつしたにはおはようがない」としょんぼりする可能性すらあります。価値の反転という意味で、じつに見事なネーミングです。
そしてそれ以降、靴下に穴が空くたびにおはよう靴下を思い浮かべることになるでしょう。やがて忘れて大人になっても、親になれば今度はじぶんが子にそれを言うようになります。かくしてあるエリアの子どもたちはみんなおはよう靴下を知っている、ということになるわけですね。なんなら最初に提唱した人もまだご健在なのではないだろうか。
何から何までぜんぶまちがってたらすみません。その可能性はふつうに高い。
*
肝心の「おはよう」については、僕も昔からおもうところがあります。
というのも、たとえば職場とかバイト先とかイベント前とか、そういう現場入りのときは大抵、朝と昼と夜を問わず「おはようございます」なんですよね。こんにちはとこんばんははまず聞かないし、これらはどちらかというと輪の外から第三者としてお邪魔する印象のほうが大きい。「おつかれさまです」は聞く気もするけれど、ここには敬意や労いのニュアンスが含まれているので、挨拶というよりは気配りの一種と見るべきでしょう。
ではなぜ朝の挨拶が、本来ならそぐわない朝以外にも使われているのか。今の僕はむしろ、朝の挨拶という古くからの定義を見直す必要があると考えます。そして再定義するなら次のようなことになるでしょう。すなわちおはようとは、時間帯にかぎらず「(その場においてじぶんの登場が想定されている状況での)最初の挨拶」なのです。最初の挨拶なのだから当然、朝の挨拶も含まれます。少なくとも新明解国語辞典くらいはこの再定義を受け入れていいとおもいますね。
A. 夜でも問題ありません。
*
質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その463につづく!
2025年9月12日金曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その461
カモ山ネギ助さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 一番男気があふれる野菜って、なんだと思いますか?個人的には、蕪です。漢字に無が入っているのにもしっかり太い実があるし、頼んでもないのに硬い皮まで装備しているので。
これはいろんなアプローチが考えられそうな良問ですね。男気だけでなく、セクシーとか繊細とか蛮勇とかアンニュイとか、いろんなテーマで野菜を見つめ直してみたくなります。男気はマチズモにも通じるものがあって人に適用すると剣呑だけれど、何しろ相手は野菜です。むしろ男気とは何かということが浮き彫りになるかもしれません。
真っ先に思い浮かんだのは、落花生の大粒品種「おおまさり」です。その名前からして必要以上の男気にあふれています。じぶんの名前がこれじゃなくてよかったとしみじみおもうくらいです。
しかもこのおおまさり、「ナカテユタカ」と「ジェンキンスジャンボ」というこれまた男気しか感じられない親品種の交配によって生まれています。アーノルド・シュワルツェネッガーとシルベスター・スタローンの交配によってドウェイン・ジョンソンが生まれたみたいなことである、と言っていいでしょう。男気どころかY染色体しかない。
名前だけではありません。おおまさりはその大きさ、甘さ、柔らかさから、炒るよりも茹でるに適した品種ですが、茹でるのにめちゃめちゃ時間がかかります。実際に美味しくいただいたことのある僕の記憶がまちがっていなければ、たしか1時間くらい茹でる必要があったはずです。1時間も釜茹でにされないとギブアップしないあたりに、いささか不毛な男気を感じます。それでカッコいいかと言えば別にそうでもないところがまた男らしい。
とはいえこれは落花生の一品種であり、野菜という大きな枠組みにおいてはやはり落花生として括られるべきであり、落花生全体に男気が感じられるかといえばそうとも言えない、ということになるでしょう。
その視点で改めて考え直してみると、僕が挙げたいのはピーマンです。何と言っても、名前に「マン」が入っています。この一点だけを見ても圧倒的なアドバンテージを有すると言わざるを得ない野菜です。そう聞かされて一番びっくりするのは他ならぬピーマン自身だと思いますが、ある視点からどう見えるかというだけの話なので、本人というか本ピーがどう認識しているかなどここでは問題になりません。
語尾にマンと付く場合、それが職業や役割でないかぎり、どこかしらヒーロー的な響きを帯びるものですが、ピーマンの場合は逆立ちしてもそうはなれないばかりか、むしろある種の哀愁が漂っています。哀愁はそれ自体が男気の一種です。酔うというか浸るというか、男気という概念にはそういう側面が確実にあります。
ただ、僕がピーマンを挙げたのはその名前のためではありません。そもそも中身が空っぽで薄っぺらいやつだから早く使わないとあっという間に朽ちてしまいそうなのに、冷蔵庫の野菜室に入れておくと思いのほか萎れずにわりと長持ちするからです。
玉ねぎ、人参、じゃがいも、南瓜など、長持ちする野菜は他にもいっぱいあるけれど、正直ピーマンがその列に並ぶようには思えません。でも実際、耐えます、ほんとに。
買ってあったことを完全に忘れていたような状況でも、そして実際、包丁を入れて種の部分が明らかに弱って朽ちかけていても、食用となる主な部分はぜんぜん大丈夫だったりします。忘れられてたんだから朽ちるだけの理由は十分あるのに、意地とかやせガマンとか根性論で持ちこたえているように見えるところに、僕なんかは男気をつよく感じずにはいられません。そうあるべきとは1ミリも思わないけど、最大限の敬意は払いたい、そう思わせる野菜です。がんばれピーマン!
A. ピーマンです。
*
質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その462につづく!
2025年9月5日金曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その460
キテレツ大爆破さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 無性に走りたくなる時ありますか?何かどうしようもない焦燥感に駆られて、街を駆け巡る事が増えました。もう10代が終わるというのに感情任せに行動を起こしてしまいます。大吾さんもそんな時ありましたか?今でもありますか?
質問をいただいたのが年末なので、ひょっとしたらもう20代に突入されているかもしれませんね。
焦燥感に駆られて街を駆け巡ること、感情任せに行動を起こしてしまうこと、どちらもすごく大切なことです。そうじゃないほうが大人に見えるかもしれないけれど、いざ年を重ねてみると、かつて持っていたものを永遠に失うことでもあるよな、ともしみじみ感じます。
言ってみればその衝動はライオンみたいなものであり、それをコントロールすることはライオンを手懐けるようなことです。予期せぬ事態を避ける意味では有効だとおもうし、人生を円滑に歩むためにはそうあっていい気もするけれど、それはあくまで社会的な要請に基づいた向き合い方であって、ライオンが幸せかどうかはまたぜんぜん別の話である、とも言えるでしょう。
胸の内にライオンを飼う人はそう多くありません。金魚の人もいれば、パンダの人もいます。僕は昔からとにかく人より燃費が悪いので、そうだなあ、しいていえばアボカドとかパイナップル、どちらかといえばパイナップルでしょうか。
パイナップルは生育にやたらと時間がかかる(たしか2年くらい)上に1株に1果実しか取れません。その代わり痩せた土地や害虫に強い上に収穫後の日持ちも良いので、1株では甲斐がないけれど大量に生産するだけのリターンは確実にある、そんな植物です。それを1株だけ、胸の内で育てています。これまでの活動履歴を振り返ってみても、1株のパイナップルはなかなか的を射ているとおもう。
もちろんこれはどれが良いとかそういう話ではありません。身長や髪質と同じように、ただ人それぞれである、というだけです。
ライオンはどうでしょうね。猫みたいにゴロゴロ手懐けるのもかわいいけれど、どちらかというと世間的にはそのほうが大人と見做される傾向があるので(実際、びっくりするほどみんなあっさり飼い慣らしてしまう)、個人的にはせっかくライオンがいるのだからその背にまたがっていっしょに町を疾走しつづける日々であってほしいな、と願わずにはいられません。パイナップルはいっしょに走ってくれないですからね。10代とか20代とか関係なく、ずっと大事にしてください。
そんなわけでお答えとしては、パイナップルとして走ってみたくなることはある、ということになります。実際のところこれだけ長く生きていると、走らないにしても目を離したすきにちょっとは歩いたりしてんじゃないのかと思わないでもないですけど。
A. パイナップルとして走ってみたくなることは今でもあります。
*
質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その461につづく!
登録:
投稿 (Atom)