2026年5月15日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その481


レッド・ホット・チリ・ペッパー警部さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 子どものイヤイヤ期ってなんなんでしょうか?


「ボタンを押したい」とか「荷物を持ちたい」とか「ウランを90%まで濃縮したい」などと要求し、受け入れられない場合は爆発的な癇癪を起こして容赦なく暴れ回り、手も足も出ない親の心を草1本残らない焼け野原にするという、あの悪名高い反抗期のことですね。

高度な反抗になると、本当にAで良いのかと何度も確認して了承を得たにもかかわらず「そんなことは言っていない」「わたしは最初からBだと言っていた」「フェイクニュースだ」と泣きわめくケースもあるようです。世の親たちが大挙して「いいかげんにしろ」とシュプレヒコールをあげながらデモ行進をしたくなるのもむりはありません。

専門家でもなんでもない僕が幼児をヒトの一個体として考えるに、これはたぶん「我思う、ゆえに我あり(Cogito, ergo sum)」の本能的な発現です。わたしはわたしであってあなたではない、と自他を区別するその始まりと言い換えてもよいでしょう。本能的、というのは幼児であるその個体が自身の言動とその意味を自覚しているわけではおそらく全然ないからです。どちらかというと条件反射に近いのではないかと僕なんかは思います。猫の目の前に動くものがあったら手を出さずにはいられないようなものです。

幼児にかぎらずですが、自分が自分であって他の誰でもないことがはっきりするのは、他者との間に線を引くとき、つまり拒否を表明するときです。同意(YES)も意思表示ではあるけれど、追従の側面がある以上、拒否(NO)には及びません。

なにぶんそこそこ言葉が通じてしまうので、どうしても幼児の「こうしたい」という要求に意識が向いてしまいますが、もしイヤイヤ期がヒトの健やかな成長において不可欠な過程だとするならば(どう考えても必要であると僕は確信していますが)、重要なのはじつは要求が満たされることではないと考えられます。というのも、要求だけなら乳児も本能的にしているからです。生存にかかわりますからね。

また要求を満たすことが重要なのであれば、100%満たしているにもかかわらず真逆のことを言い出してちゃぶ台をひっくり返すような事態にはまず陥らないはずです。しかし実際には、ふつうにちゃぶ台はひっくり返されます。「話がちがうじゃないか」とデモ行進でシュプレヒコールをあげたくなる所以です。

したがって、イヤイヤ期の幼児にとって重要なのはむしろ拒否することです。実際には是(YES)であっても、とにかく非(NO)が意味を持ちます。要求に対する親の拒否を受け入れない(ダメに対してダメじゃないと抗う)ことも同様です。わたしがわたしであると表明する機会を常に待ち構えている状態、と言えるかもしれません。

つまりイヤイヤ期とは、ヒトの成長過程において芽生えた自己同一性の土台を固める段階である、と申せましょう。これを哲学っぽく言い換えるなら「我イヤ、ゆえに我あり(Nego, ergo sum)」ということになります。

理不尽に思える幼児のギャン泣きはほぼすべて「我イヤ!ゆえに我あり!」に翻訳できるとここで無責任に断言しておきましょう。誰であれ僕らはみな、かつてはデカルトに匹敵する偉大な哲学者だったのです。


A. 「我イヤ、ゆえに我あり(Nego, ergo sum)」の一言に尽きます。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その482につづく!




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