2025年4月25日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その449


マクドナラナイドさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)マクドナルドの対義語ですね。


Q. 仕事を探すための「要素」がわかりません。

就職先が見つからないまま四年制大学を卒業してしまった私には、現在もやりたい仕事がなく、就きたい職業もありません。「川のほとりにある建物の3階くらいで、猫と一緒に暮らす」という理想の生活のビジョンは掲げているものの、それを成立させるためのベストな仕事が思い浮かんでいない現状です。高い社会的地位は望んでおらず、ストレスなく仕事と私生活のバランスが保てていれば、あまり高望みはしていません。この場合、私にはどのような職業が向いているでしょうか。また、ムール貝博士にとって仕事を探す上での重要な要素は何ですか?


考えてみるとこれは、婚活にも通じそうな話ですね。

芥川龍之介の「羅生門」で老婆に髪を引っこ抜かれるような死に方しかしないことがほぼ決定している僕に尋ねるのはどう考えてもまちがっていると思いますが、僕の存在を認識してしまった時点で早くもこちら側に足を踏み入れていると解釈してお答えしましょう。

僕はその昔、せっせと肉体労働に勤しんでいた時期がありますが、これは別に肉体労働がしたかったからではありません。やれそうだなと思ってやってみたら実際できたのでやっていただけです。

いざやってみると、「体はしんどいけど、土を掘ったり削ったりするの好きだな」と感じるようになりました。それでなくとも僕は日ごろからあれこれと考えがちなので、無心になってひたすら穴を掘ったり、それを埋めたり、土を運んだりして、しかもその成果がわかりやすく目に見えるのがすごく心地よかったのです。僕を知る人には想像しづらいだろうし、向いているとも言わないだろうけど、今でも好きだし、どちらかといえば向いていると思います。

しかし自分が土を掘るのに向いているかどうかなんて、やったことのない段階でわかるはずもありません。

つまり、何であれ自分に向いているかどうか、あるいはその選択がベストかどうかは常に結果論であって、あらかじめ想定できるものではない、ということです。

道を決める上で最も大きな障壁となるのはそれこそ、好きなこと、やりたいことを仕事にすべきという、自由かつ大らかに見えて誰も責任を負わない、いかにも現代らしい観念なんじゃないのか、と世界の底辺をアリのようにうろちょろする僕なんかは考えます。

世の中に仕事は数多あっても、やりたいと望む人の多い仕事ばかりではありません。逆に強く望んで高い倍率を勝ち抜きながら、事前のイメージと違って一気にモチベーションを失うケースもままあります。

そう考えると、むしろやれそうなことから着手するほうが早いし、期待も落胆も小さくて済むかもしれません。その上で大事なのはたぶん、好きになれるかどうかでしょう。なるかもしれないし、ならないかもしれない。好きとまでは言わないけど嫌いではない、みたいなこともあるかもしれない。何度考えてもやっぱり無理なら去る。それだけです。

この際、職に就くことが人生におけるものすごく大きな決断である、という観念も捨てていいと思います。僕の知るかぎり、びっくりするほどひょいひょいと身軽に転職ができる人は、この観念が強くありません。の前にある選択がこの先を不可逆的に決定づけるとは微塵も考えていないからです。

考えてみれば僕自身、ビートにリーディングを乗せるスタイルは、音楽をやりたくて始めたものでは全然ありません。いろんな成り行きがあって、気づいたらそうなっていて、せっかくやるなら長く続けられるように向き合おうと考えて、今に至ります。そういう意味では僕も好きだからというより好きになる感覚に近かったと言えるでしょう。

とはいえまともにフェアウェイを歩んだことのない僕が昔から胸に刻んでいるのは、選択したその先に何があろうと、こうすれば良かったとは考えずに100%受け入れる、ということだけです。後になってごちゃごちゃ言いたくないな、くらいの気持ちだったけど、意外にもこの姿勢が今の僕を支えてくれています。その結果、羅生門の老婆に髪を引っこ抜かれるような死に方をすることになるわけですけど。

あとですね、小林大吾の作品に巡り逢ってしまった時点で、すでに一般的な人とは明らかに異なる道を歩んでいます。そして他の多くの人がピンとこないものに対して少しでも魅力を感じることができるなら、その感性はまちがいなく大きな長所であり、武器のひとつです。何しろ他の人と違う視点を持てているわけだから、うまく活かせばアピールにもなります。どんと胸を張ってください。

そういえば昔、うどん屋でバイトをしていたとき、天ぷら付きそうめんを客に頭からぶちまけて以来、接客には向いてないなとずっと思い込んでいたけれど、それから数十年経って気づいたらうちの人の店でふつうに接客をしているのだから、ほんとにね、人生何がどこでどうなるかわかったもんじゃないですよ。

常識の圧力をいったん傍に置いて、川のほとりにある建物の3階と猫のためにがんばってください。

ちなみにムール貝博士は、世界の要人の方が勝手に追いかけてくるので、仕事を探す必要がありません。


A. 正しい答えを探そうとしないこと、違うと感じたら断ち切って次に向かう覚悟を持つことです。




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その450につづく!

2025年4月18日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その448


カラマーゾフの従兄弟さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 規則正しい生活は大切だと思いますか?もし規則正しい生活のために心がけていることなどがあれば知りたいです。


そうですね、大丈夫!ぜんぜん大切じゃないです!と言う人はたぶんほとんどいないと思いますが、「規則正しい生活」という言葉にはどうもこう、学級委員とか生徒会役員とか清く正しく美しくみたいな優等生の響きがあって、なんとなくいけすかない印象が付きまといます。人に言われたらうるさいなとしか返しようがありません。規則正しくあろうとなかろうと、そうありたいと自身が願うならそれだけで立派なもんだと僕なんかは思います。

ただ一方で、好きなときに食べて好きなときに寝て、好きなときに働いて好きなときに遊べたらいいかというと、それは全然おもいません。なんとなれば、心はそれを望んでいても、身体はそれを望んでいないからです。忌々しいことこの上ないけれども、僕らが規則正しい生活を必要とする最大の理由が、ここにあります。

僕らの肉体を構成する細胞ひとつひとつを、労働者だと想像してみてください。ある労働者たちは、たとえば胃で働いています。彼らにとって主人の食べたものがいつ胃に落ちてくるかは知りようもないですが、でもだいたい、たとえば12時から13時の間には昼食が胃に落ちてくることになっています。つまり、「働く時間が決まっている」ということです。逆に昼食が10時だったり14時だったりと安定しない場合、それは「業務が直前でしょっちゅう変更になって安定しない」ということでもあります。

もちろん、働いているのは胃の労働者だけではありません。胃での仕事は、腸にも引き継がれます。胃が想定外の時間に仕事を引き受けたなら、腸もまた想定外の時間に仕事を引き受けることになるのです。その結果、うんことして排出する時間も帰宅後だったり就寝前だったり起床してすぐだったりと、一定しないことになります。

脳で働く労働者たちも同じです。主人がいつ眠るのかわからないということは、労働者たちがいつ休めるのかもわからない、ということです。原則として就業時間が決まっていればそれを超えた時点で残業になりますが、そもそも就業時間が決まっていないなら、どこからが残業なのかも判然としません。

体内環境がとんでもないブラック企業になり果てていることがよくわかります。そしてブラック環境で酷使され続けるばかりか物理的に退職もできない労働者たちaka細胞が数十年後にどう成り果てているか、これももちろん想像できるはずです。具体的に言えば、もはや取り戻せない不可逆な形で、まちがいなく身体のあちこちに支障が生じてきます。

つまり規則正しい生活とは、体内の労働環境をホワイト企業として保つこと、と言い換えることができます。そう考えるとだいぶ受け入れやすくなるはずです。通勤ラッシュのタイミングで抑えきれない便意とか、ほんと御免被りたいですからね。

その上で何か心がけていることはあるかと訊かれたら、うーん、食事くらいですかねえ。うちは一日における栄養の大半を朝食で摂っている、と言っても過言ではないくらい朝食に出す皿の数がやたらと多いので、そのための支度もふくめてある程度の生活リズムを維持することにつながっている気はします。

ただ、歳をとればとるほど勝手に規則正しい生活になっていくというか、日々のルーチンから外れることにストレスを感じやすくなるのはたぶんまちがいないので、体内の労働者たちが悲鳴をあげるような無茶を長く続けないかぎりはそんなに気にしないでいい、というのが僕の結論です。睡眠、食事、仕事の時間がどれだけきっちり決まっていても、食事が毎回ポテチとか二郎系のラーメンとかだったら何の意味もないしね。

規則正しい生活なんてすでに規則正しい生活を送っている人しか言わないし、規則正しい連中の言うことを聞いて幸せになれるのは初めからおおむね規則正しい人だけですよ。


A. 体内における福利厚生の充実を心がけています。




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その449につづく!

2025年4月11日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その447


フランシスフォードかっぽれさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 各街に1つは必ず在る良い街中華屋さんが「良い街中華屋」であり続けるために必要な事って何なんでしょうか。


いいですね。これは100人に問えば100通りの回答が得られそうな質問です。味はもちろん、ありがたい価格設定だったり、豊富なメニューだったり、店の雰囲気だったり、概ねワンプレートで済む気楽さだったり、すこし呑むにはちょうどよかったり、あるいはその全部だったりするでしょう。それでしか得られない栄養がある、という言い回しは、町中華にこそふさわしい。

良い町中華にはだいたい当てはまる印象なのでどちらかというと帰納的な結論ですが、僕が感じるのは、朴訥であまり細かいことを気にしないことですね。

一例を挙げましょう。今はもうないけれど、僕が若いころ好きだった店に「ブラザー軒」という古い町中華がありました。もうこの店名からして細かいことを気にしない感じがひしひしと伝わってきます。

このブラザー軒で僕がよく食べていたのは、チキンライスです。中華どころか和食や洋食ですらないけれど、昭和の町中華にはどういうわけか、往々にしてチキンライスがメニューにあります。ブラザー軒にはたしかオムライスもあったはずです。そしてとりわけ、ブラザー軒のチキンライスには、鶏肉だけでなくときどき豚肉が紛れこんでいました。なんで?

店名にしてもメニューにしてもその具にしても、美味ければあとは別にいいじゃないかとしか言いようがない、このひたすら頑丈で強靭な重心の低さがおわかりいただけるだろうか。

もちろんこれは極端な例です。店名やメニューかくあるべしとは思わないし、ちがう肉が紛れこんでいるべきとも思わない。でもこの揺るぎない大らかさは、良い町中華に概ね共通するものという気がするのです。そもそもメニューのすべてが中華と呼べるかどうかすら怪しい時点で、定食屋にはないバーリトゥード感が町中華にはある。

もう一例を挙げましょう。


これは今もある店の、えーと、伝票兼レシートです。「いります?」と訊かれたのでもらってきましたが、特にどうすることもできないので何となく家の壁に貼ってあります。もはや多くを語る必要はないでしょう。またしても懲りずにチキンライスを食っている点はさておき、この店で大きな中華鍋を振るっているのが僕の老母よりも明らかに年長の女性なのだから、小さなことなど気にするはずもありません。

強靭な活力と大らかさ、それは言い換えるとこういうことになります。


A. 生命力です。




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その448につづく!

2025年4月4日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その446


鋼のレンチン術師さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 一年程前から小林大吾さんを聴くようになり、質問箱もピス田助手の手記も全て読むほどハマってしまった兄からの質問です。仕事に行きたくない時のよい対処法はありますか?仕事自体はさほど辛くないのですが、出勤から退勤まで室内にこもりきりなので息が詰まります。 また夜勤もあるので生活リズムの切り替えが大変な時もあります。いっそのことズル休みしてしまえば良いのですが、それだとお金が稼げずご飯が食べれません。


質問箱どころか、限られたごく一部の人だけが強烈な反応を示す類の読みものである「ピス田助手の手記」まで読破するとは相当な猛者です。お兄さんありがとうございます!

なぜ仕事に行かなくてはならないのか、もしくはなぜサボってはいけないのか。それは古来より人類が折にふれては直面してきた問題のひとつです。この問いが21世紀の今も絶えないのは、いかにしてサボるかをほとんど誰も心の底から真剣に検討してこなかったからではないか、と僕は考えます。

ここでいうサボるとは、「有給を使わず、誰にも迷惑をかけず、評価や収入に影響がなく、何ごともなかったかのように翌日からまた鼻歌まじりで仕事に行ける状態で、仕事に行かないこと」であるとしましょう。多くの人はこの定義の時点ですごすごと退却してしまいます。どう考えてもそんなことは不可能のように思えるからです。でも、果たして本当にそうだろうか?

脱獄不可能と言われたアルカトラズ刑務所から脱獄を果たした伝説の囚人、フランク・モリスを思い出してください。

ちょっと話はそれますが、僕はこの脱獄不可能という言葉が大好きです。なんといっても「あ、刑務所って基本的には脱獄可能なんだ」「いや、ぜんぶ脱獄不可能にしとけよ」と思わせてくれるのがいい。縁があるわけじゃないけど、夢があります。

しかしそんな部分をいつまでもスルメみたいに味わっていても仕方ないので、一般的な刑務所は「人は脱獄できないが怪物なら脱獄できる」、アルカトラズは「怪物でさえ脱獄できない」とひとまずここでは考えましょう。フランク・モリスはその怪物でさえ脱獄できないレベルの刑務所を人として脱獄してしまったわけですね。

できるかと問われたら100人が100人、絶対にムリだと断言するような行為を、彼は成し遂げています。生死不明と言われていたので、ひょっとしたらどこかで溺れたかもしれませんが、少なくともそこはアルカトラズではない。そしてこの事実は、不可能が単に「まだ可能になっていないだけ」であることを示唆してもいます。不可能だったはずなのに、できちゃってますからね。

そう考えると、「有給を使わず、誰にも迷惑をかけず、評価や収入に影響がなく、何ごともなかったかのように翌日からまた鼻歌まじりで仕事に行ける状態で、仕事に行かないこと」が果たして本当に不可能なのか、疑わしく思えてきます。ひょっとしてまだ誰も気づいていない、目からウロコのとんでもない解がどこかに眠っているのではないのか…?

もちろん僕はその回答を持っていません。持っていたらこんな底辺をうろうろするような生き方はしていないし、フランク・モリスだってアルカトラズを脱獄するのにYahoo!知恵袋でどうにかしようとは思わなかったでしょう。われわれの求める答えはもっと深遠なところにあって容易に見つかるものではない、例えば聖杯とかワンピースみたいなものだけれども、大事なのはそれが「存在する」ということです。

ないと思われている答えを探すべく、二度寝する布団の中で綿密な計画を練りましょう。全然なさそうな気がするのは、これまでずっとないと思いこまされてきたからです。本当にあると信じないかぎり、あるものもないことになってしまいます。

1日や2日で見つかるとは思いません。5年でも10年でも、あきらめずに何度でもトライしましょう。続けることが肝心です。やがて「有給を使わず、誰にも迷惑をかけず、評価や収入に影響がなく、何ごともなかったかのように翌日からまた鼻歌まじりで仕事に行ける状態で、仕事に行かない方法」を見つけたとき……言うまでもなく、人生が変わります。


A. 日々の仕事は、どこにも影響を及ぼすことなくスマートかつエレガントにサボるための計画を立てる、その隠れ蓑だと考えればよいのです。




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その447につづく!