2024年9月6日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その431

 


時間差トーマスさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 子供みたいなんですがいまだに「いつか自分が死ぬ」ことが受け入れられません。たまに考えて焦るし怖いです。自分が死ぬことをどうやって受け入れたらいいですか?


なるほど、たしかに受け入れることができたらすこしは気が楽になるかもしれないですよね。

ただ、僕としては受け入れる必要性をあまり感じません。なんとなれば最後の最後まで絶っっっ対にイヤだ!!!!と暴れまくって頑強に抵抗したとしても、死がそうした情状を酌量してくれるわけでは当然ないからです。であれば何があろうと頑なに受け入れない姿勢を貫き通すのもまた、ひとつの心のあり方である、と申せましょう。

今よりもずっとお化けが怖かったころ、ふと、なんでこんな気持ちに苛まれなくちゃいけないんだ、お化けにはお化けの理由があるのかもしれないけど、だからといって一方的に怖がらせていいわけないだろ、ちょっとでも危害を加えてみろ、こっちはこっちで絶対にゆるさんぞ!!と腹を立てたら急に気が楽になったことがありますが、それにちょっと近いものがあります。

そもそも望んでもいない未来の死に脅かされるのはお化けにちょっかいを出されるのと同じくらい理不尽なことなのだから、基本的には同じ姿勢でオーケーです。

いつか死ぬことをなぜ受け入れられないかと言えば、それはご自身の人生を絶望よりも希望が多く占めているからです。シンプルだけれど見過ごされがちなこの事実を、改めて見つめ直すのもアリという気がします。いつかくる死を受け入れられないということは、それ自体が人生におけるかけがえのない、光のひとつでもあるのです。どちらかといえば僕は、その光を持たない側にいます。何度もマッチを擦りながら、ときどき火が点いてはあっという間に消えてしまう、そんな日々もまた、この世界には厳然とあります。灯す必要のない光をすでにお持ちなら、それを大切にしなくてはいけません。

さらに、これはまあ、ここだけの話に留めておきたいところですが、実際に死なない可能性もあります。少なくとも死の可能性が限りなく100%に近いとはいえ100%では絶対にない点には留意しておく必要があるでしょう。仮にこれまで100億人近い人類が例外なく死んでいるとしても、だからといって自分もまた100%確実に死を迎えるということにはなりません。

たとえば地球における脊椎動物の中で最も長寿と言われるニシオンデンザメは今のところ最長で500年以上(!)の寿命が確認されていますが、何らかのエラーでこのサメみたいな体質をうっかり獲得してしまい、数百年から数千年、有形なり無形なりで今も生き続けている誰かがどこかにいないとは、誰も全人類の動向を把握していない以上、誰にも言えないのです。生物であればヒトであれクマムシであれ確実に寿命があっていずれ必ず死を迎える、とは言っていいと思いますが、それは自分がその例外的存在ではないという理由にはならない。ですよね?

ひょっとしたら自分がその例外中の例外かもしれない。そしてその可能性はほぼゼロではあるけど絶っっっ対にゼロではない。でも仮に死ななかったとして、それこそ本当に、心から受け入れられることだろうか?


A. 死なない可能性もゼロではありません。




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dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その432につづく!

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