2022年2月4日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その360



ゴールデン鴨居さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. おならがくさいのはどうしてでしょう?


大人になるといつしか失われている、とても大切にしていたはずの何かがこの質問にはあって目頭が熱くなります。ハッとせずにはいられないし、かつて胸に抱き夢見ていたのは人生とか未来とか薄ぼんやりして掴みどころがないあれこれなんかより断然、尻からプーの放屁だったと認めざるを得ません。背筋が伸びる思いです。寝ても覚めても放屁だった気がしないでもない往時のきらめきがよみがえります。

旧約聖書によれば、かつて同じひとつの共通言語を話していた人類は、天に届く塔を建てるという不遜な行為によって、意思の疎通が叶わない別々の言語に分けられたと言います。世界中に散らばる多様な言語は神が人類の思い上がりを正すための、いわば罰だったわけですね。

おならがくさいのもそれと同じです。どんなに偉くとも、どんなにカッコよく、また美しくとも、そしてどれだけ賢くとも、誰であれ人はしょせん尻から意図せずプーとやらかして平等にくさいことからは逃れられない下劣な存在であり、思い上がってはならないと知らしめるために組み込まれた心理的ブレーキとしての生理現象がつまり、おならということになります。人類がみな根本からして平等であることに絶対の太鼓判を押す最低限の措置、と言い換えてもいいでしょう。

不快な臭気を伴わない尻からのプーとかスーなど指をパチンと鳴らすのと大差ありません。誰がなんと言おうとそれはくさいからこそ意味を成すのであって、問答無用でそうあるべきだし、そうでないならもはや平等ではなくなってしまう、とむしろこのさい肝に銘じましょう。人類がみな平等であるためにはおならがそれなりにくさくてちょっと困ることが絶対的に求められます。誰よりもくさくあれとは言いませんが、結局のところそれは僕らが僕らであるためにどうしても不可欠な、小さいけれども確かにくさい条件のひとつなのです。


A. 人類という人類はみな平等であって本質的な貴賎などないと示すためです。



質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その361につづく! 

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