2017年6月1日木曜日

「いそん」と「いぞん」の立ち位置が逆転する日


とまあそんなわけで、心やさしいみなさまの協力を仰ぎつつ、こんなアンケートをとってみたのです。


依存というのは言ってみれば全力でよりかかるというような意味ですが、別段めずらしくもないし、わりと日常でお目にかかるふつうの単語です。統計的に有意ではないにせよ、ご覧のとおり圧倒的に「いぞん」と読まれています。こうなるとむしろ「いそんてなんだよ」とおもわれた方も、お答えくださったみなさまのなかには存外多くおられるのではありますまいか。

なぜこんな何でもないようにおもえることをわざわざ尋ねたのかというと、広辞苑で「いぞん」を引いても「依存」の2文字が見当たらないからです。


「異存」はあります。だとすればその隣に「依存」もあってよさそうなものですが、ありません。なんの疑いもなく「いぞん」と読んできた身からするとかるい目眩をおぼえそうですが、「依存」は「いそん」として記載されているのです。


もちろん、どちらもまちがいではありません。広辞苑にも「(イゾンとも)」と但し書きがあります。ただこう書かれていることからもわかるように、「いぞん」はあくまでサブ的な立ち位置です。すくなくとも代表ではない。

とはいえ、言葉にこうあるべきという姿はありません。それはいつでも、移ろうものです。かつては「ふんいき」と読まれていた「雰囲気」もみんなが「ふいんき」と当たり前に読むようになったら、どれだけうるさがたがつよく主張しようと「ふんいき」が多数派に戻ることはおそらく二度とないでしょう。極論を承知で言うなら、こと言葉に関しては多数決がすべてです。

翻って10人中9人が「依存」を「いぞん」と読んでいるのなら、これはもうその他の多くの例に漏れず世代交代の時期が来ているということに、やはりどうしたってなりましょう。「重複」の読みとして「ちょうふく」と同じくらい「じゅうふく」が市民権を得つつあるのと同じです。ありもしない言葉の正しさに恋々とする向きには千年前の古語でも喋らせておけばよろしい。

ともあれ僕らは、どうやら辞書が書き換えられる一歩手前の貴重な時期を過ごしているみたいですよ!

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