2017年4月9日日曜日

ポンカンのポンとポン酢のポンとポンジュースのポンについての釈然としない話

これはデコポン

ひょんなことから、というかまあこの場合はポンなことからと申すのが妥当だとおもいますが、ポンとは何かという話になったのです。すっぽんのぽんやすっぽんぽんのぽん、お腹を表すぽんぽんのぽんではありません。ポンはポンでもポンカンとかポン酢とかポンジュースのポンのほうです。

ポンカンは柑橘の一種だし、ポン酢は柑橘をつかった調味料だし、ポンジュースはみかんのジュースなのだから、このポンが柑橘に関係していることはまず疑いありません。しかしなぜポンなのか?

ひと昔前であれば図書館で厖大な資料を調べたり愛媛の農家を訪ねたりえひめ飲料に問い合わせたりしなければならず、首をひねるだけひねった挙げ句その面倒くささにさじを投げて放ったらかすところですが、今はググれば世の中のたいていのことが誰か匿名の親切な人によって説明されています。インターネットは虚実の境目がきわめて曖昧である点をふまえても、やはりググらない手はありません。というか、こういうどうでもいい疑問はそっけない事実より虚実ないまぜのほうがよっぽど好ましいので、むしろおあつらえ向きと申せましょう。

まずはポンカンです。わりと自明の語源までこと細かに記されているので、ずっと読んでいると「だいじなのは語源であって単語ではない」とすらおもえてくる語源由来辞典というサイトには、この爽やかな果実についてこうあります。


のっけからいきなりこじつけみたいなことが書かれていておもわず眉間にしわが寄るようです。インドのプーナが中国にきてピェンになり、それが日本にくるとポンになる、ははあなるほど、と素直に頷ける気がまったくしないけれども、しかし話としてはこれくらいねじくれていたほうがぶつくさ言いやすいので、これはこれでなるほどと受け止めることにしておきましょう。ポンカンのポンはインド西部の地名、プーナの訛です。外国の土地と野菜が合わさる点ではジャガイモみたいなものですね。

次はポン酢です。ポンカンのポンがプーナならポン酢のポンもプーナであるほうが自然な気がしないでもないですが、早合点はいけません。何から何まで書いてあるので鵜呑みにはできないけれども薄めて飲むにはちょうどいい現代のジャイアント百科事典ウィキペディアには、ポン酢についてこう書いてあります。


驚いたことに、ここには先とは別のポンが持ち出されています。数えきれないほどの言葉が氾濫するなかで、おなじ柑橘系の単語にまったく関係のない別のポンが割り当てられる確率の低さを考えると、やはり眉間にしわが寄るようです。しかし古オランダ語の「pons」に、酸味があるから酢の字を当てるというのは、プーナよりもはるかに自然でスマートな気もします。説得力で言ったらこっちのほうが上です。個人的にはポンカンのぽんもこっちでいいとおもう。というか、告白すると僕はポン酢だとおもっていたものがじつは「ポン酢醤油」であったことにショックを受けています。

立ちくらみをこらえて先に進みましょう。最後はポンジュースのポンです。ここまでくると先に言及したポン酢のポン、すなわち古いオランダ語が元になっていると考えるのが順当におもえますが、やはり早合点はいけません。ポンジュースの製造元であるえひめ飲料のホームページにはその歴史が当時の写真とともに記されています。


茫然自失とはこのことです。匿名性が低いぶん情報の信頼度としてはもっとも高いだけに、なおのこと言葉を失わずにはいられません。

この理屈で言うと、仮にリンゴであってもポンジュースだったことになります。むしろリンゴとかブドウとかのほうがよっぽど素直に「へえーそうだったのか」と感心していたはずです。なぜ柑橘に奇妙な縁をもつポンの2文字をよりによってみかんジュースにつけてしまうんだ!

したがってにわかには信じ難いことですが、結論としては同じ柑橘系である3つの単語についた「ポン」はどれも互いに一切の関係がない、ということになります。

でも、そんなことってあるだろうか……?もしこれが本当に偶然なのだとしたら、それは別々に無人島へと流れ着いた3人の男の名がたまたま全員「よしお」だったというくらいの確率になるはずです。ぜんぜん違うような気もしますが、要は「そんな馬鹿な」と言いたいだけなので細かいことはあまり気にしないでよろしい。

こうなるとポンの2音には何か窺い知れない大きなひみつ、もしくは呪詛にも似た言霊のような意味が隠されているような気がしてなりません。切っても切っても縁の切れない柑橘類とポンの2音を、いったい何がこれほどまで強固に結びつけているのか?時空を超えた因縁、もしくは怨念がそこには秘められているのではないか?ええい、そうだったらいいのに!

と夢見る春の日曜日です。

なぜそろいもそろってポンなのか、すっきりしたいとおもって向き合ったのに根本的な謎が却って深まるとはまったく、異なことであると申さねばなりますまい。

2 件のコメント:

ソノトーリ さんのコメント...

こういうのをシンクロニシティというのでしょうか
それにしても「だいじなのは語源であって単語ではない」とはいい言葉ですね。
亡き祖父も「だいじなのは蓋であって中身ではない」とよく言っていました。

ピス田助手 さんのコメント...

> ソノトーリさん

キレッキレのすてきなおじいさんですね。
僕もそういう、ふきのとうみたいにほろ苦い教訓が
しみじみと身にしみる年頃になってきました。